学位論文要旨



No 121217
著者(漢字) 劉,明哲
著者(英字)
著者(カナ) リュウ,メイテツ
標題(和) アゾベンゼン導入DNAを用いた酸素反応の光制御
標題(洋)
報告番号 121217
報告番号 甲21217
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6307号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 教授 荒木,孝二
 東京大学 教授 渡辺,正
 東京大学 教授 菅,裕明
 名古屋大学 教授 浅沼,浩之
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

ヒトゲノムプロジェクトが終了し、ポストゲノム時代における重要なテーマの一つとして、遺伝子ならびにその下流の生体分子が関与する酵素反応または細胞機能を人工的に制御する研究が挙げられる。当研究室ではこれまでにアゾベンゼン導入DNAを開発し、DNA分子に新たな光応答性を付与することに成功している。更に、光応答性DNAを用いることで、DNAポリメラーゼ伸長反応の光制御、RNase HによるRNA切断反応の光制御に成功している。これらはいずれもFig. 1aに示すDNA二重鎖の形成と解離の光制御という方法論に基づいている。短いDNA側鎖にアゾベンゼンを導入した場合、UV光を照射するとDNA二重鎖が解離される。本研究では「DNAの局所構造の変化を可逆的に光制御する」というこれまでとは異なる方法論(Fig. 1b)に基づいてアゾベンゼン導入DNAによる酵素反応の光制御を目指した。Fig. 1bに示すように、長いアゾベンゼン導入DNAを用いた場合、UV光を照射してもDNA二重鎖の解離は起こらず、アゾベンゼン周辺のDNA局所構造が変化する。そこで、私はDNAの中の酵素が特異的に結合する部位にアゾベンゼンを導入し、酵素とDNAとの相互作用を光で可逆的に制御することを目指した。

まず、ファージRNA polymerase (RNAP)による転写反応に着目し、DNAの転写調節部位(promoter)にアゾベンゼンを導入し、RNAPとpromoterとの相互作用を光で可逆的に制御することでRNA合成を効率的に光制御することを目指した。

T7 RNAPによる転写反応の光制御

まず、T7ファージ RNAPによる転写反応の光制御を試みた。T7 promoterは17塩基対からなっており、二つの機能性部位を有する。酵素認識部位(-17 ~ -4位)とTATA部位( -4 ~ -1位)である。特に-11位から-7位の間の塩基対がRNAPの中のSpecificity loopによって最も強く認識されることが知られている(Scheme 1)。転写の際にはTATA部位のDNA二重鎖はRNAPによって解離され、RNA合成が始まる。そこで、私はこのように機能の異なる酵素認識部位(Loop binding region)とTATA部位(Unwinding region)にそれぞれアゾベンゼンを導入し、転写反応の光制御効果を調べた。

実験方法

用いた実験系をScheme 1に示す。T7 promoter配列を含む35 merのDNAを鋳型DNAとして用いた。転写後、主産物として17 merのRNAが生成する。アゾベンゼン残基(X)が導入されたDNA、反応基質であるNTPs、RNAPを含む反応溶液に対して光照射し、その後、37℃で2 hインキュベーションした。可視光またはUV照射条件下における反応産物RNAをそれぞれ電気泳動で定量化し、比較することで光制御効果を評価した。

一分子のアゾベンゼンを導入した修飾promoterを用いた転写反応の光制御

まず、酵素認識部位またはTATA部位に一分子のアゾベンゼンを導入したpromoterを用いて、転写反応の光制御効果を調べた。T7 promoterの酵素認識部位のNontemplate strand (NT)の-9位と-10位の間にアゾベンゼンを一分子導入したN-9 promoterを用いて光制御実験を行った結果、転写反応が光制御されることが分かった(Fig. 2)。暗条件下(UV OFF)とUV光照射条件下(UV ON)における転写産物の量に明らかな差が現れた。グラフに示すように、暗条件下と比べて、UV照射により転写産物RNAが1.5倍増加した。TATA部位にアゾベンゼンを導入したN-3 promoterを用いた場合でも、UV照射による1.5倍の加速効果が見られた。しかし、アゾベンゼンを導入していないNon-azo promoterを用いた場合は、上記のような暗条件下とUV照射条件下における転写産物の量の差は全く見られなかった。従って、N-9, N-3 promoterに見られる光制御効果はT7 promoter中のアゾベンゼンのtrans-cis異性化によるものであることが明らかとなった。

速度論的解析

一分子アゾベンゼン導入T7 promoterを用いることで、転写反応の光制御効果が確認された。光制御メカニズムを解明するために、Scheme 2に示すモデルを適用し、N-9と N-3 promoterを用いた場合の異なる光照射条件におけるKm, kcatを求めた。速度パラメーターをTable 1に示す。N-9を用いた場合は暗条件下と比べ、UV光照射条件におけるkcatの値がほとんど変わらないのに対し、Kmの値は2倍ほど減少した。一方、N-3を用いた場合は暗条件下と比べ、UV光照射条件下におけるKmの値はほとんど変化せず、kcatが2倍近くに上昇した。これらの結果から、酵素認識部位における光制御効果は主に異なる光照射条件下におけるpromoterに対するRNAPの親和性の差(Km)によるもので、TATA部位における光制御効果は主にNTPsの取り込み速度の差(kcat)によるものであることが示唆された。

二分子アゾベンゼン導入promoterによる高効率な光制御

以上のように、酵素認識部位とTATA部位に導入したアゾベンゼンは、転写反応の際にそれぞれ違う役割を果たしている。しかし、いずれのアゾベンゼンもcis体で転写反応を加速する(UV ON)。そこで、更に高効率な光制御効果を目指して、私は酵素認識部位とTATA部位にそれぞれ一分子ずつ計二分子のアゾベンゼンを導入したN-9-3 promoter (Fig. 3a)を設計し、これを用いて光制御反応を行った。Fig. 3b上の泳動バンドが示すように二分子アゾベンゼンによる相乗効果が現れ、非常に明確な光制御が実現できた。暗条件下(UV OFF)では、産物RNAがほとんど生成されていないのに対し、UV照射後には転写反応が著しく加速された。一分子アゾベンゼン導入N-9, N-3 promoterを用いた場合、UV照射による加速効果は1.5倍程度しかなかったのに対し、N-9-3 promoterを用いることで転写反応が7.5倍加速された。これは二分子アゾベンゼンの協同触媒作用によるものと考えられる。

転写反応の光スイッチング

転写反応プロセスの可逆的な光スイッチングが可能かをN-9-3 promoter (Fig. 3a)を用いて調べた(Fig. 4)。UV光を1分間照射した後、反応を開始させるとRNAが効率よく生成され、転写がONになる。反応が20分進行したところで今度は可視光を1分間照射すると産物RNAの増加はほとんど見られず、転写がOFFになる。40分のタイミングでUV光を照射すると転写が再びONに転じる。このようなON/OFF/ON/OFFスイッチングは可逆的で何度も繰り返すことが可能であることが確認された。以上のように、二分子アゾベンゼンを導入した光応答性T7 promoterを用いて転写反応の光スイッチングに成功した。

SP6 RNAPによる転写反応の光制御

「DNAの局所構造の変化を可逆的に光制御する」という本研究の戦略の汎用性を確認するために、T7 RNAPと同じファージファミリーでありながらT7 promoterと異なる配列を有するSP6 promoterを導入し、SP6 RNAPによる転写反応の光制御を検討した。その結果、SP6 RNAPによる転写反応系においても、効率的な光制御が実現できた。Fig. 5に示すように、一分子アゾベンゼン(X)を導入したN+1 promoter とT-11 promoterを用いた場合、共に光制御効果が得られた。暗条件下(UV OFF)と比べて1.4〜1.8倍程度のUV照射(UV ON)による加速効果が得られた。これに対し、同位置にアゾベンゼンを二分子導入したN+1/T-11 promoterを用いた場合はT7転写反応系の時と同じような相乗効果が現れた。暗条件下と比べてUV照射を行うことで転写反応は3倍加速された。

バイオセンサーを用いた光応答性T7 promoterへのT7 RNAPの結合の直接観察

「アゾベンゼンの光異性化によるDNA局所構造の変化に伴うpromoterへのRNAPの結合と解離の制御」を直接観測するために、SPRバイオセンサーの一種であるIAsysを用いて、UV或いは可視光照射後におけるアゾベンゼン導入T7 promoterへのRNAPの結合過程をリアルタイムで観測した。-9位にアゾベンゼンを導入したN-9-Biotin promoter (Fig. 6a)をアビジン基板上に固定化した後、RNAPを加えて結合の経時変化を追った。Fig. 6bに示すように、RNAPのN-9-Biotinへの結合量は、可視光照射後よりもUV照射後の方が多かった。この実験では転写反応の基質であるNTPsを加えていないので、ここで得られた結果から、より広範なアゾベンゼン導入DNAとタンパク(酵素)との相互作用の光制御も可能であることが示唆された。

【結論】

「DNAの局所構造を可逆的に光制御する」ことにより、ファージRNAPによる転写反応のほぼ完全なON/OFF光スイッチングに成功した。本研究で開発された光応答性promoterは、遺伝子治療や光スイッチングナノデバイスなどへの応用が期待される。

Fig. 1 The two strategies of photocotrol of enzyme reaction based on controlling

DNA hybridization (a) and the change of DNA local structure (b).

Scheme 1 Transcription reaction by T7 RNA polymerase with azobenzene-tethered T7 promoter at 37°C.

NT = Nontemplate strand, T = Template strand

Fig. 2 Transcription reaction by T7 RNA polymerase with various T7 promoters either under UV irradiation (UV ON) or under dark (UV OFF).

(a) Sequences of T7 promoters. (b) PAGE patterns of main products of RNA either under UV irradiation or under dark (upper panel) and its quantitative plots (lower panel, white bar: under dark conditions; gray bar: after UV irradiation).

Scheme 2 Kinetic model for runoff in vitro transcription by T7 RNAP used in this study.

R: RNAP; P: promoter.

Table 1. Kinetic parameters for N-9 promoter and N-3 promoter (Scheme 1) under either UV irradiation or dark conditions.

Fig. 3 Transcription reaction by T7 RNA polymerase with two-azobenzene-tethered T7 promoter either under UV irradiation (UV ON) or under dark (UV OFF).

(a) Sequence of two-azobenzene-tethered T7 promoter (N-9-3). (b) PAGE patterns of main products of RNA either under UV irradiation or under dark (upper panel) and its quantitative plots (lower panel, white bar: under dark conditions; gray bar: after UV irradiation).

Fig. 4 Light-switching of transcription by irradiation with UV light and visible light with N-9-3 promoter (see Fig. 3a).

PAGE patterns (a) of the transcript, and quantitative plots (b) are depicted. UV and visible light irradiation was carried out for 1 min at 20 min, 40 min and 60 min after incubation started.

Fig. 5 Transcription reaction by SP6 RNA polymerase with various SP6 promoters either under UV irradiation (UV ON) or under dark (UV OFF).

(a) Sequences of SP6 promoters. (b) PAGE patterns of RNA either under UV irradiation or under dark (upper panel) and its quantitative plots (lower panel).

Fig. 6 Real time monitoring of the binding of T7 RNAP to azobenzene-tethered T7 promoter using biosensor.

(a) Sequence of promoter (N-9-Biotin). (b) Binding curves of T7 RNAP binding to N-9-Biotin . Equivalent amount of T7 RNAP was added to the N-9-Biotin after irradiating UV or visible light at 30℃.

審査要旨 要旨を表示する

生体機能の人工制御は、今後医療や遺伝子工学分野だけでなく、分子材料や素子などの分野においてもますます重要な役割を果たすものと思われる。

本論文は、酵素反応の可逆的光制御を目的とし、従来の方法とは異なる「アゾベンゼン導入DNAを用いた酵素反応の光制御」という新しい方法を用いて、ファージRNA polymeraseによる転写反応の可逆的光制御について論じている。アゾベンゼン導入DNAを用いて、ファージRNAP反応の可逆的光制御に成功している。2分子のアゾベンゼンを導入したT7 Promoterを用いることで、転写反応のほぼ完全なON/OFF制御を実現している。IAsysバイオセンサーを用いて、T7 RNAPとアゾベンゼン導入T7 promoterの相互作用を直接観測することに成功している。

論文の構成は以下のとおりである。

第1章は序論であり、研究の背景と目的について述べている。

第2章では、T7 RNAP反応の光制御のためのモデル転写反応系を構築し、天然のT7 promoterを用いた場合に、UV照射が酵素反応系に影響を与えないことを確認した。また、本研究で用いるアゾベンゼン残基のcis⇔trans異性化について詳細に調べ、DNA二重鎖中においても可逆的異性化が可能であること、ならびに熱異性化反応が十分に遅いことを確認した。

第3章では、1分子のアゾベンゼンをT7 promoter中で異なる機能を果たす酵素認識部位とTATA部位に導入し、光制御効果を系統的に調べた。その結果、酵素認識部位とTATA部位のいずれの部位においても光制御効果が認められた。暗条件下と比べて、UV照射により転写反応が加速される現象を見出した。このような光制御効果は、Promoter中の種々のサイトで見られ、UV照射による加速効果は1.2 ~ 3.0倍程度であった。

第4章では、反応速度論的解析と構造解析に基づいて、1分子アゾベンゼン導入系における光制御の機構解明を行った。Michaelis-Menten型の酵素反応速度式に基づいて、酵素認識部位に導入したアゾベンゼンによる光制御はKmの制御であり、TATA部位に導入したアゾベンゼンはkcatを光制御していることを明らかにした。光制御反応系中において、cis-Promoterがオン反応で、またtrans-Promoterのオフ反応よりも4倍ほど反応速度が大きいことを明らかにした。更に、本研究で用いた16種類の1分子アゾベンゼン導入Promoterのすべてに対して網羅的解析を行い、Promoterの光制御効果の差異は、アゾベンゼン導入位置の違いによるものであることを明らかにした。一方、二次元NMR構造解析から、アゾベンゼン周辺のDNA局所構造について考察した。

第5章では、第4章で得られた光制御効果の機構に基づいて、アゾベンゼンを2分子導入した様々な光応答性Promoter DNAを合成し、転写反応の光制御効果の更なる向上を目指した。2分子のアゾベンゼンをそれぞれT7 promoterの酵素認識部位とTATA部位に1分子ずつ導入することで、UV照射による加速効果を7.6倍まで引き上げることに成功した。このようなクリアカットな光制御は可視光とUV光を交互に照射することで可逆的にスイッチングできることを確認した。更に、UV照射の強度を上げることで、UV照射による加速効果をさらに高め(約10倍)、転写反応のほぼ完全なON/OFF制御を実現した。

第6章では、バイオセンサーを用いて、「アゾベンゼンの光異性化によるRNAPの結合と解離の光制御」をリアルタイムで観測した。アゾベンゼンをT7 promoterの酵素認識部位に1分子導入したDNAを用いて、UVまたは可視光照射後におけるアゾベンゼン導入T7 promoterへのRNAPの結合過程をリアルタイムで観測し、異なる光照射条件下における速度パラメーターを測定した。これらを比較検討した結果、DNAの局所構造の変化を光制御することで、「アゾベンゼンの光異性化によるRNAPの結合と解離の光制御」が可能であることが分かった。

第7章では、T7 RNAPと異なるSP6 RNAPによる転写反応の光制御を試みた結果、SP6 RNAP反応も効率よく光制御可能であることを確認し、「DNAの局所構造変化の可逆的光制御」に基づいた本研究の戦略の汎用性を実証した。更に、T7 RNAP反応の光制御と比較することで、SP6 RNAP反応機構に関する情報も得た。

第8章では本研究の総括と展望について述べている。

第9章では本研究の結論について述べている。

以上、本論文では、酵素反応の可逆的光制御を目的とし、アゾベンゼン導入DNAを用いて、ファージ(T7, SP6)RNAPによる転写反応の可逆的光制御に成功した。今後、転写反応の光制御に関する本論文の研究成果を活用することで、タンパク質生産の光制御や細胞機能の光制御、ひいては遺伝子治療などへの応用が期待される。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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