学位論文要旨



No 121220
著者(漢字) 四反田,功
著者(英字)
著者(カナ) シタンダ,イサオ
標題(和) 藻類細胞を用いたバイオセンシングシステムの開発
標題(洋)
報告番号 121220
報告番号 甲21220
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6310号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 立間,徹
 東京大学 教授 宮山,勝
 東京大学 助教授 藤井,輝夫
 東京大学 助教授 小倉,賢
 東京大学 助教授 酒井,康行
内容要旨 要旨を表示する

緒言

水環境中には多種多様な化学物質が存在し,その中には毒性を持つものもある.それにより生じるリスクを避けるためには,その種類や量を知ることが重要である.その際,特定物質の定量を行うよりも,毒性物質が生体に与える影響の質や程度をとらえる方が有効な場合も多い.このため,生体の毒物に対する応答を利用して毒性を包括的に評価する手法であるバイオアッセイが,重要性を増している.藻類細胞を用いたバイオアッセイは,毒性物質に対する感度や再現性が良い試験法である.しかし,成長阻害を指標とするため,評価までに3日程度の時間がかかる.また,サンプリングしたその場でアッセイを行うことができない.このため,より簡便かつ迅速に毒性評価できるデバイスが求められている.そこで本研究では,藻類細胞の光合成活性,鞭毛運動活性をモニタリングする,新規バイオセンシングデバイスの開発を試みた.

光合成活性測定型藻類センサーの開発

これまでにも,光合成による酸素発生量の変化を酸素電極を用いて電気化学的に検出するバイオセンサーが開発されている.しかし,高価で,小型化,ディスポーザブル化が困難であった.そこで本研究では,藻類細胞を比較的安価な透明電極上に固定化することで,光合成による酸素発生量を簡便にモニタリングできる,小型化及びディスポーザブル化可能なバイオセンサーの開発を試みた.

藻類細胞は,単細胞緑藻であるChlorella vulgarisを用いた.藻類を固定化する電極にはITO電極を用た.細胞の固定化担体にはアルギン酸ゲル,またはポリイオンコンプレックス膜を用いた.細胞を固定化した電極を電解液に浸漬し,・0.7 V vs. Ag/AgClの電位を印加して,断続的に可視光を照射した.このときの,藻類細胞の光合成により生ずる酸素の還元電流の増減をモニタリングした.また,毒物を含む溶液を添加したときの酸素還元電流の減少率から,酸素発生阻害率を見積もった.毒物には,除草剤のアトラジン(6-chloro-N-ethyl-N-isopropyl-1,3,5- triazine-2,4-diamine)とDCMU (3-(3,4-dichlorophenyl)-1,1-diethylurea), 有機溶媒のトルエンとベンゼンを用いた.

ポリイオンコンプレックス膜を用いて細胞を固定化した電極の電流応答を図3に示す.可視光を照射すると,酸素還元電流が大きく増加した.このことから,ポリイオンコンプレックス膜内で藻類が光合成活性を保っていることが分かる.図3において,アトラジンを添加すると,酸素還元電流が徐々に減少していくことが分かる.アトラジン, DCMU, トルエン, ベンゼンについて,物質添加の200秒後における酸素発生阻害率の濃度依存性を求め,50 %酸素発生阻害濃度(IC50')を算出した.これを,従来の藻類成長阻害試験の結果(EC50)と比較したところ,4種類の物質すべてにおいて,良い相関がみられた(図4).酸素電極法に比べて測定時間は10倍程度短くなった.また,アトラジンの検出限界も4倍程度向上した.

光触媒リソグラフィー法による親水/撥水パターニングを利用した細胞チップの作製

1つの電極上に複数種類の藻類を並べたアレイ電極を作製し,藻類の種類によって各種毒物への感受性が異なることを利用すれば,複数の毒性物質の種類や濃度を評価することができるようになると考えられる.そこで,光触媒リソグラフィー法を使い,藻類アレイ電極を作製した.光触媒リソグラフィー法とは,酸化チタン光触媒から生じる活性酸素種,化学種によって基板表面が酸化される現象を利用した固体表面のパターニング法である(図5).

疎水性シランカップリング剤(オクタデシルトリエトキシシラン(ODS))で修飾した透明電極を,光触媒リソグラフィー法により部分的に分解した.分解した部位にpoly(L-lysine)をキャストし,さらにその上から藻類を含有させたアルギン酸溶液をキャストし,藻類固定化膜を作製した(図6).これより,藻類細胞はODSが分解された部位のみに固定化されていることが分かる.これにより,同方法を用いた藻類細胞のパターニングが可能であることが示された.

鞭毛運動・重力走性を利用したバイオセンシングシステムの開発

藻類細胞の光合成以外の生理活性に対する阻害作用を検知することができれば,1種類の細胞を用いて,阻害物質の種類や濃度を評価できる可能性がある.ここでは,単細胞鞭毛藻類であるクラミドモナスの鞭毛運動により溶液が攪拌される効果を,溶液に加えたレドックスマーカーを用いて電気化学的にモニタリング可能なセンシングシステムの開発を試みた.また,クラミドモナスは,反重力走性,走光性といった生理機能を示す.本システムでは,反重力走性も検出可能なシステムの開発も行った.

単細胞藻類にはChlamydomonas reinhardtiiを用いた.藻類の鞭毛運動による溶液の攪拌効果が大きくなるほど電極表面近傍の拡散層が薄くなる.ここで,レドックスマーカーとして添加したフェロシアン化物イオンの電極酸化反応速度が電極への拡散速度に依存する状況,すなわち拡散律速にしておけば,拡散層が薄くなるほど酸化電流値は大きくなる.したがってこの酸化電流値は,電極近傍の藻類細胞の数と鞭毛運動の大きさに依存する.

細胞懸濁液とフェロシアン化カリウム溶液を混合した後,フィルター付きセルに加えた.これを,フェロシアン化カリウムを含む培地中に浸漬させた.電極に・0.5 V vs. Ag/AgClの電位を印加し,アンペロメトリーを行った.定常期の藻類細胞(遊泳以外の生理活性が失活)のトルエンに対する電流応答を図7に示す.濃度に応じて酸化電流が減少することが分かった.これは,トルエンによって藻類細胞の遊泳が阻害され,鞭毛運動による電極表面近傍の対流が減少し,拡散層が成長するためと考えられる.これにより,100 ・Mのトルエンが検出可能であることがわかった.

より高感度にトルエンを検出するために,反重力走性の評価法について検討した.藻類細胞は反重力走性活性が高い,対数増殖期のものを用いた.トルエンを添加すると,酸化電流が濃度に応じて増加することが分かった(図8).トルエン添加前の藻類細胞は溶液上部に集まるが,トルエンを添加すると反重力走性が阻害され,液面下に沈んで遊泳する(図8挿入図).このため,電極表面近傍に対流が生じ酸化電流が増加すると考えられる.この反重力走性を利用することで,遊泳阻害よりも低濃度(10 ・M)のトルエンが検出可能となった.また,薄層センサーシステムも開発した.

鞭毛運動と走光性を同時に評価できるバイオセンシングシステムの開発4

上記4で開発した反重力走性を検出するシステムは,重力というトリガーのon/offができなかった.また,得られた応答が単一のため,その応答が鞭毛打活性,反重力走性,その他の電極反応のうちどれを示しているのか,直ちには区別ができないという問題があった.そこで,鞭毛打活性の変化とともにトリガーのon/offが容易な走光性の変化をモニタリングできるシステムを開発した.光源の近くと遠くにそれぞれ電極を配置した電気化学セルを用いた(図9).鞭毛打活性の変化は,両方の電極に同様の変化をもたらすが,走光性の変化は,異なる変化をもたらす.

細胞懸濁液中の作用極(W. E.1, 2)に+0.3 V vs. Ag/AgClの電位を印加し,測定途中から走光性を引き起こす青緑色光を照射したときの典型的な電流応答を図10に示す.W. E. 1は,酸化電流が大きく減少した後,徐々に増加した.定常電流値は,光照射前よりも大きくなった.W. E. 2は,電流値が減少した後増加するが,定常電流値は光照射前よりも小さかった.一過的な電流値の減少は,クラミドモナスの一過的な強い正の走光性(光源方向に集まる性質)のためであると考えられる.また,定常電流がW. E. 1で増加し,W. E. 2で減少するのは,用いた細胞が定常状態において正の走光性を持つことを示す.次に,細胞懸濁液中に阻害剤を添加した溶液を用いて,走光性阻害試験を行った.ジルチアゼムを含む溶液では,両方の電極ともに電流値が定常にならず徐々に減少した.これは,藻類細胞の鞭毛運動が阻害されたことを示す.アジ化物イオンを含む溶液では,最終的な電流値はW. E. 2の方がW. E. 1よりも大きくなった.これは,走光性が正から負に反転したことを示す.エタノールを含む溶液では,一過的な電流値の減少が著しく抑制された.これにより,エタノールが一過的な強い正の走光性に対する阻害作用を持つことが分かった.このように,異なる物質による異なる作用を見分けられることから,種々の化学種や環境水などのリスク評価にも応用できると考えられる.

結言

藻類細胞の光合成,鞭毛運動活性,反重力走性,走光性に基づく新規バイオセンシングシステムを開発することができた.これらのシステムは上手く組み合わせることで,環境水のリスクアセスメントだけでなく,新たに合成または発見された物質のスクリーニングにも役立つと考えられる.

図1 光合成測定型バイオセンサーの原理

図2 実験装置

図3 アトラジンに対する藻類固定化電極の応答

図4 IC50'とEC50の相関

図5 光触媒リソグラフィー法

図6 藻類アレイ電極

図7 定常期の藻類細胞のトルエンに対する応答

図8 対数増殖期の藻類細胞のトルエンに対する応答

図9 電気化学セル(上方図)

図10 走光性による電流応答

審査要旨 要旨を表示する

水環境中には多種多様な化学物質が存在し,その中には毒性を持つものもある.それにより生じるリスクを避けるためには,その種類や量を知ることが重要である.その際,特定物質の定量を行うよりも,毒性物質が生体に与える影響の質や程度をとらえる方が有効な場合も多い.このため,生体の毒物に対する応答を利用して毒性を包括的に評価する手法であるバイオアッセイが,重要性を増している.藻類細胞を用いたバイオアッセイは,毒性物質に対する感度や再現性が良い試験法である.しかし,成長阻害を指標とするため,評価までに3日程度の時間がかかる.また,サンプリングしたその場でアッセイを行うことができない.このため,より簡便かつ迅速に毒性評価できるデバイスが求められている.

そこで本研究では,藻類細胞の光合成活性,鞭毛運動活性をモニタリングする,新規バイオセンシングデバイスの開発を試みた.また,藻類細胞には多くの種属が存在するし,多種多様な生理活性(光合成,代謝,呼吸,鞭毛運動など)を持つ.これらの藻類細胞の生理活性を検出する複数のシステムを開発し,集積化することで,多種多様な毒性を評価可能になると考えられる.本研究では,そのための要素技術として,光合成活性,鞭毛運動を電気化学的に評価可能なシステムの構築を目的とした.それにより,毒性の種類とその強さを評価可能にすることをめざした.本論文では,上記の内容を全6章にまとめた.

第1章では,これまでに行われてきた環境毒性評価法について総括的に述べ,本研究の位置づけと目的を明らかにした.

第2章では,透明電極上に藻類を直接固定化することで,光合成による酸素発生量を簡便にモニタリングできる,小型化及びディスポーザブル化可能なバイオセンサーを開発した.藻類の光合成による酸素発生量の変化を電気化学的にモニタリングし,4種類の化学物質に対する毒性評価を行った.従来の光合成活性計測型電気化学センサより迅速で高感度な測定が可能であった.また,従来の成長阻害に基づくアッセイ法との間に良い相関がみられた.

第3章では,2章で検討した光合成活性測定型バイオセンサーの技術を利用した,細胞アレイ電極による化学物質のモニタリング法を開発した.当研究室で開発された光触媒リソグラフィー法によって,任意の部位に異なる藻類を簡便に固定化することが可能となった.また,固定化されたそれぞれの藻類細胞は光合成活性を保持し,毒性評価に適用可能であることが分かった.従来の毒性に対する感受性が藻類の種類ごとに異なることを利用し,毒性の強度だけではなく種類を簡易に判別する方法の基礎を確立した.

第4章では,クラミドモナスの遊泳と反重力走性を利用した全く新しい原理のバイオセンシングシステムを開発した.単細胞鞭毛藻類であるクラミドモナスの鞭毛運動により溶液が攪拌される効果を,溶液に加えたレドックスマーカーを用いて電気化学的にモニタリングしトルエン, Cu2+, Ni2+などの遊泳阻害剤を検出・定量する方法を確立した.また,反重力走性を観測することで,より低濃度(3 ・M)のトルエンを検出できた.

第5章では,4電極式の小型電気化学セルを作製し,鞭毛藻類の遊泳活性と,正,負の走光性を同時に測定するシステムを開発した.また,本システムによって,少なくとも3種類以上の異なる化学物質の毒性を見分けられることが分かった.走光性生物の性質や活動機構の解析にも有効であることが示された.

第6章では,本研究の成果,及び今後の展望について言及した.本研究で作製した,藻類細胞の光合成,鞭毛運動活性,反重力走性,走光性に基づくバイオセンシングシステムを用いることで,従来法に比べて簡便・迅速な生態毒性の定性・定量評価が可能であることを述べた.

本研究では複数種の藻類,複数種の生理活性を同時に測定するシステムを開発し,毒性の種類と強さの同時評価へ向けた方向性を明らかにした.今後,こうした知見をさらに広めた上で適切な組み合わせを選べば,水環境管理や化学物質のリスク評価に適したバイオセンシングシステムが確立できると考えられる.また,より高次な生物の細胞・組織を利用したアッセイシステムへの展開も期待される.このように本研究は,環境計測化学,電気分析化学などの進展に寄与するところが大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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