学位論文要旨



No 121221
著者(漢字) 太期,健二
著者(英字)
著者(カナ) ダイゴ,ケンジ
標題(和) 高親和性抗体のスクリーニング方法と抗体結合磁性ビーズプロテオミクス法の開発
標題(洋)
報告番号 121221
報告番号 甲21221
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6311号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 浜窪,隆雄
 東京大学 教授 児玉,龍彦
 東京大学 助教授 芹澤,武
 東京大学 特任助教授 先浜,俊子
 東京大学 客員教授 服部,成介
内容要旨 要旨を表示する

緒言

ヒトの塩基配列が全て解読され、その遺伝情報を元にした包括的な生命現象の研究が活発に進められている。同時にそれらの研究成果を利用し新たな診断と治療の方法が開発されている。また昨今は遺伝情報だけではうまく説明できない生命現象をタンパクの包括的動態から解明する試みが進められているが、タンパクは核酸と比べてより精密な検出原理が必要であるため、その基礎技術開発が望まれている。

タンパクを同時に検出する方法として、プロテインチップ(もしくはプロテインアレイ)というチップ基板上にタンパク質を微小に多数並べたものがある。その用途は大別して1.発現プロファイル解析、2.相互作用解析であり、具体的に(1)疾患に関与するタンパク質の探索、(2)疾患に関与するタンパク質の検証、(3)たんぱく質産生代謝経路の解析、(4)薬剤リード化合物のスクリーニング、(5)診断などへの応用が期待される。プロテインチップの1つに抗体チップが報告されている。それらのほとんどが二次元の基板上に抗体を固定するという方法を用いているが、反応面積の制限があることから高感度測定には不向きであることが予想される。そこで現在高感度に多数のタンパクを測定できる新たな原理を用いた抗体チップの開発を目指している。チップの概要は、基板上に微細な穴を作成しその中に抗体結合粒子をいれたものである。測定原理は、抗体サンドイッチアッセイを行い、蛍光で検出するものである。このような方式をもちいると、微小な空間でも広い反応面積を得られるので、高感度化が期待できる。加えて高親和性の抗体と非特異吸着の少ないビーズを用いてシグナル/ノイズ比を上げることにより更なる高感度化が期待できると考えている。

本研究では高感度抗体チップ作成を目指した基礎技術開発を目的とした。チップの開発には多種の要素技術が必要であるが、そのうち特に重要であると考えられる高親和性抗体と低非特異吸着ビーズについて注目し、高親和性抗体スクリーニング法の開発と抗体結合磁性ビーズプロテオミクス法の開発を行った。最後に抗体チップへ高親和性抗体や低非特異吸着ビーズを搭載するためのスクリーニング系としてフィルタープレートを用いたビーズELISA法を立ち上げ各種検討を行った事についても述べる。

高親和性抗体スクリーニング法の開発

モノクローナル抗体は、病態の診断や治療、研究目的のタンパク検出に用いられる優れたツールである。例としてHER2抗原に対するモノクローナル抗体が乳癌の診断と治療に有効であることが報告されるなど、その広い利用範囲が注目されている。癌治療には早期に診断することが有効であるが、そのためには高感度の測定方法と、多種のマーカータンパクの測定が望まれる。モノクローナル抗体の特性の1つに親和性がある。抗体の親和性は通常10-7~10-9Mで親和性の高い抗体は高感度検出に有利であると考えられる。一般的なモノクローナル抗体のスクリーニング方法は、ハイブリドーマの培養上清をサンプルとして、抗原固相化ELISAにより測定するものであるが、この方法は抗体の親和性は判断されていない。親和性を判別するスクリーニング方法に関しては、タンパク相互作用リアルタイム検出機器BIAcoreを用いた報告がある。しかし培養上清中の抗体濃度が不明なため測定効率が落ちる可能性が指摘される。そこでハイブリドーマの培養上清からハイスループットに親和性を判別できるスクリーニング方法の開発を目指した。

まず培養上清中の抗体濃度に依存しないスクリーニング方法が必要であると考え、モデル計算から抗原濃度の異なるアッセイのシグナル比で親和性を判別できる方法を考案した。そこで親和性既知の抗体数種を用いて調べたところ、ELISA法と比べ高感度で広いダイナミックレンジを持つDELFIA法を用いると効率的に高親和性抗体をスクリーニングできる可能性が示唆された。次にその方法を実際に肝癌マーカータンパクαフェトプロテイン(AFP)抗体のスクリーニングで検討したところ、ELISAよりも効率的にKD=10-9M台の高親和性抗体をスクリーニングすることに成功した。最後に得られた高親和性抗体の特性を検討したところ得られた高親和性抗体は各検討により市販の高親和性抗体と同等もしくはそれ以上の親和性を示した。また得られた抗体でAFPの糖鎖、アイソフォーム、複合体解析が可能であることが示唆され、本方法により新たな診断を可能にする高親和性抗体が得られたことを示す結果となった。

抗体結合磁性ビーズプロテオミクス法の開発

核内受容体は低分子量脂溶性生理活性物質をリガンドとするリガンド応答性の転写因子タンパクであり、ヒトでは48遺伝子がクローニングされている。また転写調節機能はコファクターと呼ばれるタンパクと複合体を形成し機能している。さらに転写の各段階で異なる複合体を形成して機能していると考えられている。核内受容体の1つであるHNF4αは、グルコースや脂質の代謝調節、内胚葉の発生などに関与する。また、MODY1の原因遺伝子であることも知られている。HNF4αと相互作用するタンパクはいくつか報告されているが、内因性のHNF4αをbaitとして相互作用タンパクを同定した例は報告されていない。すなわちHNF4αに相互作用するタンパクはタグ付強制発現HNF4αによるプルダウンや、Yeast two hybrid法などで同定されている。これらの強制発現系を用いる方法は、細胞内で起こっている生理的なタンパク質相互作用を必ずしも反映しないと考えられる。この解決策として、内因性タンパクの免疫沈降により同定する方法があるが、内因性タンパクは微量であるため、抗体の高い親和性と低いバックグラウンドが望まれる。そこで高親和性抗体結合磁性ビーズを用いた網羅的LC-MS/MS測定による内因性HNF4α複合体の同定を試みた。

まずBIAcore高親和性HNF4αの選定を行ったところ、H1415抗体が最も良好な親和性を示し、内因性HNF4αを効率的に回収できることが示唆された。そこでH1415抗体を結合した磁性ビーズを用いて免疫沈降によりHepG2細胞破砕液中からHNF4α複合体を単離しLC-MS/MS測定による相互作用タンパク質の同定を行ったところ、内因性HNF4αを効率的に回収できることが示され、またHNF4γがヒットしてきたことからHNF4αとHNF4γがヘテロダイマーを形成している可能性が示唆された。その相互作用は実際にin vitro 系および細胞破砕液からの免疫沈降により確認された。この検討の際、細胞破砕方法の違いにより複合体が変化していること、抗体の純度が不十分であることなどが明らかとなり、免疫沈降の条件検討が必要であることがわかった。そこで条件を改良して免疫沈降を行ったところ、よりバックグラウンドの低い結果になったため、その免疫沈降サンプルをショットガン法LC-MS/MS測定による網羅的相互作用タンパク質の同定を試みた。結果多数の転写に関わるタンパク質が同定され、特にクロマチン間顆粒群に含まれていると考えられるタンパク質が多く同定された。よってこの技術を用いて高感度、高精度の微量タンパク質複合体解析が可能であると考えられた。

フィルタープレートを用いたビーズELISAによるビーズと抗体の特性検討

抗体チップの基板は開発段階にあるが、その前段階としてチップに搭載する抗体とビーズの特性をチェックする必要がある。ゆえにチップとほぼ同じような形態で簡便にアッセイができる系を立ち上げる必要がある。フィルタープレートはウェルの底にフィルターがついている96穴プレートである。この中に抗体結合ビーズを入れ、サンドイッチELISAアッセイを行うことができると考えられる。このアッセイは想定しているチップのアッセイスタイルと似ているので、抗体とビーズの特性チェックに適していると考えられた。本章ではフィルタープレートを使用したビーズELISAアッセイで抗体とビーズの特性チェックを試みた。

まずAFP抗体を用いて粒径による反応性の違いを検討した結果、反応性は粒径ではなく使用する1次抗体の量に依存していると考えられた。また、粒径によらず一次抗体と抗原の反応は十分飽和していると考えられた。各項目(AFP,CEA,β2M,HGF,PSA)でのアッセイも、ELISAと同じ反応性だったことから、評価系として十分使用できると考えられた。将来的には本方法により非特異吸着の少ないビーズや、高感度の抗体ペアを大まかに選別し、実際のチップに搭載して最終的に判断するという評価系の立ち上げが望まれる。

審査要旨 要旨を表示する

学位論文「高親和性抗体のスクリーニング方法と抗体結合磁性ビーズプロテオミクス法の開発」について審査した結果を報告する。

生命反応の基本である細胞の刺激応答の分子メカニズムの解明は生命現象の理解に重要であり,様々な病態の解明と新規の治療法の開発につながる。これまで,単一分子の反応機構が論じられてきたが,ゲノム解読とそれに続くトランスクリプトーム解析やプロテオミクス解析の発達により,刺激応答のメカニズムには複数の分子の相互作用が複雑に関与することが知られるようになり,新規の解析法が求められるようになっている。さらに,生体の刺激応答は10−9モル濃度付近で調節されているため,これらのメカニズムに関与する分子の細胞内濃度は極めて低く,従来の生化学的アプローチが困難である。このように,細胞内の極少量のタンパク質分子の相互作用を検出するには,少量の分子を捉えるプローブが必要不可欠である。抗体は外来性の病原体を攻撃するために生物が進化の過程で獲得した高性能のプローブであるということができる。ケーラーとミルシュタインにより,特定の抗原に対して特異的に反応する抗体分子を作製するモノクローナル抗体の技術が確立されて,ほとんど全ての分子に対する抗体の作出が可能となった。しかし,上記目的に使用できる極微量の目的分子のみを認識する高親和性抗体の作出は必ずしも容易ではない。本研究は,高感度のアッセイ系をうまく組み合わせることにより,効率よく高親和性抗体をスクリーニングする方法を提供し,さらにそれを用いて細胞内の微量タンパク質の相互作用を検出する新規の方法を開発するものである。

本研究の前半では,肝癌の特異的マーカータンパク質であるαフェトプロテインをマウスに免疫しモノクローナル抗体を作製する過程で,蛍光寿命の長いユーロピウムを用いる高感度ELISAと表面プラズモン共鳴を用いる定量的抗体抗原反応親和性測定法(BIAcore法)を組み合わせることにより,高親和性のモノクローナル抗体を効率よくスクリーニングできることを示している。モノクローナル抗体作製における最初の段階では,ハイブリドーマクローンが多数混在しているため,培養上清中の個々の抗体の正確な濃度が不明であり,高感度ELISAによりシグナルが検出されても親和性を定量的に測定することが不可能である。また,数種類の抗体が混在する状態では,BIAcore法も正確な数値を求めることができない。本研究では,抗原抗体の溶液化学平衡論より,異なる2種類の抗原濃度を適度に設定することにより,抗体濃度に依存しない抗体親和性の評価式が導かれることを示し,モデル抗原抗体により当該評価式の有効性を立証し,実際にαフェトプロテインを抗原として用いて,通常の方法に比べ効率よく高親和性抗体がスクリーニングできることを示した。

本研究の後半では,このような高親和性の抗体を磁性ビーズに固定化し,細胞内の微量タンパク質複合体の濃縮および同定を試みている。HNF4αは,核内受容体と呼ばれるファミリータンパク質の一つで,エネルギー代謝に関与するタンパク質の発現量を遺伝子レベルで調節する転写調節因子であるが,肝臓やすい臓細胞の核内に極微量存在するためこれまで検出が困難であった。本研究で得られたヒトHNF4αに対する高親和性抗体(KD<10−9M)を非特異タンパク質低吸着性磁性ビーズに固定化し,ヒト肝臓由来培養細胞株HepG2の10cmディッシュ1枚分(細胞数約107個)からアフィニティー濃縮し,マススペクトロメトリー(MS)によりHNF4αタンパク質を同定することに成功している。さらに,アクリルアミドゲル電気泳動法による複合体タンパク質バンドの切り出しとMSにより,HNF4αとHNF4γが複合体を形成していることを発見し,証明した。また,本法とLC−MSを組み合わせることにより,ショットガンMS法を適用してさらに高感度の相互作用分子の同定法を開発し,10個以上の新規の相互作用分子を同定して,HNF4αが他の核内受容体と同様に複合体を形成して転写調節を行なっていることを示した。現在通常のMS解析では大量発現系という人為的方法を用いて,さらにディッシュ300枚からやっと数個の相互作用分子を特定できることと比較すると感度として100倍以上すぐれていると考えられ,また強制的にタンパク質を発現した系では,モル比がくずれたりタンパク質修飾が生理的なものでなくなったりすることから,細胞内の正常な複合体を反映しているといいがたいのにくらべ,本法は生理的複合体をそのまま抽出,分析することを可能にした点でも優れている。本研究は,これまで不可能であった細胞内微量タンパク質の複合体解析を可能にするブレイクスルー的技術開発に成功したものであり,これからの生命科学の研究や創薬スクリーニングに与える影響は極めて大きいと考えられる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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