学位論文要旨



No 121225
著者(漢字) 檜山,敦
著者(英字)
著者(カナ) ヒヤマ,アツシ
標題(和) 空間型コンピューティング環境におけるインタラクション形式に関する研究
標題(洋)
報告番号 121225
報告番号 甲21225
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6315号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 廣瀬,通孝
 東京大学 教授 伊福部,達
 東京大学 教授 堀,浩一
 東京大学 特任教授 岩井,俊雄
 東京大学 助教授 広田,光一
 東京大学 講師 谷川,智洋
内容要旨 要旨を表示する

モバイル端末による情報支援は,屋外空間やミュージアムなどの広い空間での展示鑑賞への応用,実物を前にした個人学習の効率を上げるという視点からの期待が大きい。また,ユビキタスコンピューティング技術と組み合わせることにより実環境にある対象と個人のペースに合わせたインタラクティブな展示鑑賞の提供,さらに空間内での参加者の身体性を活かした体験を実現可能であると期待される。ミュージアムでは広く展示空間内に端末を設置して,インタラクティブな学習環境の構築に取り組まれてきている。しかし,来館者が情報環境からの鑑賞支援を等しく得るためには展示空間内の利用希望者が同時に利用できるインタフェースが要求されている。

一方,鑑賞支援のためのコンテントは,個々の展示物の目前で詳細を解説することに特化しているため,展示全体を覆うテーマやストーリを合わせて伝えることは,情報過多な状態を引き起こし,鑑賞行動を乱すことに繋がっている。展示物の直前,展示物の間など空間の性質と鑑賞行動に合わせて情報を提示し,通常の鑑賞行動を乱すことなくガイドを一つのテーマやストーリで繋ぐことのできるシステム,コンテントはまだ確立されていない。このような問題を解決するため,筆者らのグループでは展示空間内を歩き回ることでストーリが展開するコンテントを制作し,それを動作させる空間型コンピューティング環境を構築した。具体的には,実用に耐え得るポータビリティを有するモバイル端末の開発,展示空間を移動する不特定多数の参加者を同時に測位することが可能な環境を構築した。さらに,展示空間をゲームフィールドとして体験できるコンテントとコンテントを実空間に対応付けるためのスクリプト言語を開発した。本論文では,ミュージアム展示を具体的事例として,実空間と一体化したゲームコンテントの制作と実証について論じ,開発したゲームコンテントがユーザの鑑賞行動に与える影響について評価する。本研究は,従来研究の技術項目を中心にアプリケーションの作成を行うアプローチに対して,アプリケーションを予め決定した上で,コンテントの利用現場からの要求に応じた技術開発を行う,コンテント主導型のアプローチで取り組んだ。

従来,展示空間において,モバイル端末を用いて鑑賞支援を行う場合,コンテントは展示物という「点」に対して情報を付加することに特化していた。利用者は展示物を目の前にしても,PDA の画面に目を向けざるを得ず,さらに展示物の前には解説用のパネルが設置されていることも多く,情報過剰な状態であるため鑑賞行動の負担になることがコンテント上の問題となっている。それに対して,ミュージアムの学習形態であるギャラリートークの場合や,同伴者と共に展示物を鑑賞して歩く場合は,展示物を目前にする前に,鑑賞前の予備知識となる情報を与えたり,感想を伝えたり,個々の展示物に縛られない俯瞰的な解説をするなど,鑑賞行動の過程に応じて質の異なる情報の授受を行っている。また,そのような情報は実物を前にして同伴者と意見を交換するための題材ともなっている。本研究では,この鑑賞行動の過程に対して情報支援を行うコンテントの実現を目標として,コンテント制作およびシステム開発を展開した。開発したステムは,個々の展示物という「点」ではなく,展示空間という座標空間内の面上でコンテントを管理する。したがって,動線や展示物の配置の変更に柔軟な対応が可能で,異なるコンテントを同時展開可能な環境を構築することが可能である。開発したシステム上に,コンテントとして,従来方式である点に情報を付加する形態に近いコンテント(以下,スタンプラリー型) と,本研究の提案手法である体験の過程で情報を付加するコンテント(以下,コンパニオン型)の2 種を制作した。二つのコンテントについて,鑑賞行動に与える影響を比較することで,どのようなコンテントが鑑賞行動の中で,自然で利用しやすいものであるのか評価を行った。

二つのコンテントの実運用および評価は,国立科学博物館での企画展覧会,「テレビゲームとデジタル科学展」にて,「ユビキタスゲーミング」という次世代ミュージアムガイドとして紹介され,一般の来館者が利用する形で行われた。実現にあたって,展示会場内に導入する測位システム,コンテント提示のためのインタフェースであるモバイル端末,そしてコンテントの実装を効率化するためのソフトウェアを設計し開発した。

構築した測位システムは赤外線を利用したもので,1.2 メートルピッチで展示会場の天井に敷設された赤外線LED 群が,各々の座標データを送信することで,ユーザが自己位置の測位を可能とするシステムである。今回の展示会場では,約400 平方メートルの敷地に約400基の赤外線LEDを敷設した。LED が作るスポット光は意図的にオーバラップするように配置されている。LED のレイアウトはオーバラップ領域が作る受信パターンによる平均情報量を最大化するように設計した。オーバラップ領域における位置情報の干渉を防ぐために,LED は4 個1 組で動作する。各LED は12 ビットで構成される独自のID を発信している。このIDを送信するのに必要な時間は約25 ミリ秒である。隣り合ったLED は同時に発光することのないよう時分割で動作するため,4つのLED 全てがID を発信するのに必要な時間は約100 ミリ秒となっている。自己位置はいくつかのID を受信後,移動平均を取ることによって計算している。現時点では約60 センチ間隔でユーザの自己位置を推定することが可能である。

開発した情報提示を行うインタフェースは,「ウォールストーン」と呼ばれるモバイル端末で,ユーザが持ち歩くことで,展示空間に関する情報を得ることができるものである。この端末には,天井に設置された赤外線発信機のデータを受信するための受光素子の他,加速度センサ,16 × 16のLED マトリクス,MP3 デコーダ,振動モータ,Bluetooth等のインタフェースが搭載されている。測位のための赤外線受光素子はイヤホンに組み込まれている。加速度センサは従来のスイッチを用いた入力にかわる,身体をより活用した入力装置として利用している。具体的には端末を左右に傾けたり振ったりすることで,選択肢を選んだり,LED マトリクスに表示されるキャラクタとインタラクションをとることができる。傾けるという操作や振る操作は,周囲の観察者から見ても観察可能な行為であり,人を魅きつける行為であるため,システムに対する興味を抱かせるとともに,操作方法を簡単に真似させる効果がある。それに対してボタンスイッチのような機構を用いた入力装置は壊れやすく,また誤操作やシステムの誤作動を招きすい。展覧会会期中,端末は130 台用意した。そのうちの60 台で基本的に運用を行い,利用希望者が一時間当たり60 人以上集中した場合に残りの70 台から適宜運用に回した。

さらに,コンテントの開発を容易にするため,独自のスクリプト言語を実装した。モバイル端末にプログラムを転送する際には,このスクリプトを解釈するためのインタプリタをあわせて転送することで,端末内部でのスクリプト言語の処理が可能である。スクリプト言語は,ユーザの自己位置と反応エリアに基づく位置駆動型の言語という点が特徴である。スクリプト言語を用いて,会場内のある領域をリージョンとして,そのリージョンに対するイベントをシーンとして定義することにより,会場内の特定の領域に入ることで,特定の処理をモバイル端末に実行させることを可能としている。特に,移動すること,振る・傾けることで選ぶ・応えるといったユーザの行為ごとに処理をモジュール化することで,ユーザの行動に対応するゲームコンテントの応答を容易にプログラムすることができるようになる。また,コンテント開発のためにスクリプト言語を開発することは,シナリオプログラムを各種センサデータの計算や,リージョン判定といった下位レベルの処理と分離し,コンテントの開発効率を向上させている。

ミュージアムでの展示空間を実例として,展示物を鑑賞しつつ,展示空間に重畳されたゲーム空間とインタラクションが可能なモバイルシステムを構築し,従来方式であるスタンプラリー型と,通常の展示鑑賞行動を意識したコンパニオン型の二つのコンテントを運用した結果,データとして得られた参加者の挙動について分析を行った。双方のコンテントについて,利用者の行動分析および,体験後の展示空間についての記憶を調査することで,それぞれのゲームコンテントがもつインタラクションスタイルが,鑑賞行動や展示学習に与える効果を知ることができた。従来型インタラクション形式であるスタンプラリー型において,鑑賞行動の分析から参加者を目の前の実物である展示から注意をそらし,モバイル端末とのインタラクションに没頭させてしまうという問題点を確認するに至った。それに対して,提案する鑑賞行動の過程に対して情報を付加するコンパニオン型 では,8 割以上の参加者が展示物への鑑賞行動そのものを崩すことなくゲームコンテントに参加できていることが実現された。また,インタラクションそのものについても,コンパニオン型で用意したように,質問の答えとなる展示物を探させるインタラクションは,展示空間への印象付けを強くする効果があることが参加者のメンタルマップの調査から示された。以上から,展示物という「点」に対してではなく,鑑賞行動の過程に対して情報支援を行うというインタラクション・スタイルの,ミュージアムガイドコンテントとして有用性を示すことができた。

審査要旨 要旨を表示する

近年,情報技術におけるモバイル,ワイヤレス,ユビキタス分野の進歩は目覚しく,産業界においても当該技術の製品への応用や,新たなサービスの創出に向けて積極的に取組まれてきている.とりわけ,我国で90年代に半ば始まる携帯電話の爆発的普及とi-modeに始まるネットワーク機能の携帯電話への搭載は,モバイル端末の一般消費者への浸透を促進し,モバイルコンテンツ産業という新たな市場を産み出した.更に,公共空間におけるワイヤレスLANの整備,Bluetooth搭載製品の展開も進み,屋外空間や端末間の連携によるユビキタスな情報サービスを開発する段階に来ているといえる.特に,博物館においては,PDAや展示空間に設置されたディスプレイ,さらにはRFIDを採用したマルチメディア機能を有する展示鑑賞支援システムの導入が進んでいる.しかし,これらのメディアは利用者にあわせてインタフェースは設計されておらず,コンテンツがインタラクティブであればあるほど来館者鑑賞上/展覧会運用上の齟齬が生じ,現在解決すべき課題として議論されている.

本論文では,展示空間を例として上記課題を解決する,公共空間における鑑賞行動に親和性の高いインタラクション形式として,Arc Based Interactionを提案し,空間型コンピューティング環境を博物館に構築することで,その効果を実証している.

第1章では,本研究の背景について述べ,本研究の意義と目的について述べている.第2章では,屋内外で広く試みられるようになってきている,ポジションベース・アプリケーションに関する研究開発の現状を分析し,そのシステムに起因するコンテンツ上の問題点を明らかにしている.そして,このような空間型コンピューティング環境における課題を明確にし,本研究の位置付けを明確にしている.第3章では,第2章で提示した空間型コンピューティング環境が抱える課題を解決するインタラクション形式として,Arc Based Interactionを提示し,そのインタラクションを実現するための研究開発項目を示している.第4章では,第3章で提案したインタラクションを実現するための,空間型コンピューティング環境を構成する赤外線による測位システムを設計・構築と,情報を提示するインタフェースであるモバイル端末を開発について論じている.第5章では,第4章で構築した空間型コンピューティング環境という全く新しいメディアでのコンテンツ制作プロセスについて概説し,コンテンツ実装を飛躍的に効率化するソフトウェアツールであるスクリプト言語とコンテンツ・エミュレータの役割をまとめている.スクリプト言語による実装方法を概説し,デバッグ作業を効率よく進められるようにPC環境下で動作するコンテンツ・エミュレータを紹介している.第6章では,国立科学博物館での企画展覧会「テレビゲームとデジタル科学展」にて,従来型Node Based Interactionを採用したスタンプラリー型コンテンツと,提案するArc Based Interactionを採用したコンテンツであるコンパニオン型コンテンツについて概説している.第7章では,第6章で開発した二つのコンテンツについて実際に博物館で運用した結果,参加者の展示物に対する印象付けと,体験行動の観点から両コンテンツを評価している.本研究で提案するコンパニオン型コンテンツは,展示物に対する印象付けについて一定の効果を示すと共に,通常の鑑賞行動とゲーム・コンテンツの体験の双方を自然な形で体験できるという優位性があることが示されている.第8章では,本論文の主たる成果についてまとめると共に今後の課題と展望に触れ,本稿の結論としている.

筆者によって,提案されたインタラクション形式を展開するために必要となる,情報システムの構成要素である,赤外線による測位システムが構築されると共に,音声情報を中心としたコンテンツを提示するモバイル・インタフェースが開発されている.さらに,実空間での利用者の行動のトポロジーに対してコンテンツを展開するスクリプト言語を開発し,コンテンツ・エミュレータを開発することで,空間型コンピューティング環境という新しいメディアのコンテンツ制作のモデルを提示すると共に,開発効率を向上させている.そして,博物館に構築した空間型コンピューティング環境で,従来のポジションベース・アプリケーションにある展示物という点に情報を付加した体験を提供するNode Based Interactionのスタンプラリー型コンテンツと,空間型コンピュータ特有の,鑑賞行動の中で展示物の持つ情報を利用したストーリを体験するArc Based Interactionのコンパニオン型コンテンツとの運用を行っている.体験者への展示物への印象付けと自然な鑑賞行動という観点から二つのコンテンツを評価している.結果として,コンパニオン型コンテンツは,展示物に対して自然な鑑賞行動が取れると共に,体験者をインタラクションの中で積極的に展示空間と関わらせることができるため,展示内容についての印象付けに対しても効果的であることが示されている.本論文は,空間型コンピューティング環境におけるコンテンツ利用を活性化させるための新たなインタラクション形式を考案し,コンテンツ制作法を提示している.モバイル・ユビキタスコンピューティング分野におけるコンテンツ創出のための知見を得ており,社会的な波及効果も大きい.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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