学位論文要旨



No 121226
著者(漢字) 桝田,祥子
著者(英字)
著者(カナ) マスダ,サチコ
標題(和) 医薬品産業における知的財産保護 : 新薬市場独占期間に影響を与える制度的要因
標題(洋)
報告番号 121226
報告番号 甲21226
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博工第6316号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 玉井,克哉
 東京大学 教授 Kneller,Robert
 東京大学 特任教授 妹尾,堅一郎
 東京大学 特任助教授 森口,尚史
 東京大学 客員教授 津谷,喜一郎
内容要旨 要旨を表示する

本研究の目的は、国内医薬品産業における知的財産保護のあり方を検討し提言することである。本稿では、特に、1995年以降の国際的体制であるTRIPS協定の下、わが国が医薬品産業の保護を行うために「新薬市場独占期間に影響を与える制度的要因」を調整し、自国内産業に有利な環境を導くことが可能であるか、つまり「新薬市場独占期間」について実質的な国内外格差を生じさせることができるか否か、という観点から考察を試みる。

医薬品産業は、国際化が進み、一国内で医薬品の需要供給を完結することはもはや現実的ではなくなっている。各製薬企業の国際競争が激化している中、各国において、自国内の需要者、すなわち患者たる国民に良薬を提供することは、国家の役目であり、他方、医薬品供給者は国内企業に限らず多国籍企業である場合が多く、その政策上の取り扱いは、その国の産業水準によって異なる傾向にある。

医薬品産業における各国の知的財産保護制度は、こうした状況の中で、自国内産業水準に応じた産業保護を図りつつ、自国民に適宜医薬品を供給するために必要な調整手段のひとつであるといえる。新薬の研究開発過程で創出される知的財産の保護を厚くし新薬市場独占期間を長くすれば、創薬研究開発型企業(以下R&D型企業という)による研究開発費の回収期間は長くなるので、その国における新薬開発のインセンティブは高まり、医療の質向上や先端技術産業の活性化が期待されるが、一方で、知的財産権による新薬の独占状態は、薬価高騰を招く恐れがあり、医療費増大や、患者が必須の医薬品を入手できない「医薬品アクセス」問題を生ずる可能性がある。逆に、新薬市場独占期間を短くする、あるいは、独占状態を認めなければ、コピー薬(以下、ジェネリック医薬品という)を供給するジェネリック企業の市場参入は早まり、薬価は早期に低減され、医療の量的拡大、普及につながることが期待されるが、一方で、膨大な費用と時間をかけて行う新薬開発に対する十分な投資回収が見込めないことから、その国における新薬開発のインセンティブは働きにくくなる。

医薬品の知的財産保護に関する国際的なミニマムスタンダードは、知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPS協定)により定められている。1995年発効のTRIPS協定では、初めて、国際的な枠組みの中で、医薬品を物質特許保護の対象とすること、換言すれば、物質(医薬)特許を特許付与の例外にしてはならないことが明定された。本協定には、その他にも、医薬品の知的財産保護に関し、加盟国が遵守すべき条項が規定されており、各国は、それらの国際枠組みの中で、自国産業水準に応じた産業保護を図りつつ、自国民に適宜医薬品を供給するための施策を行う必要がある。

日本を含めた先進国では、こうしたWTO・TRIPS協定の国際的枠組みができるずっと以前から、規制当局による新薬承認審査制度の充実とともに、医薬品産業の知的財産保護に積極的であり、他産業には見られない保護制度を導入してきた。知的財産保護の観点により新薬に与えられる市場独占期間は、他の産業と同様、各国特許制度(特に医薬品に関する物質特許、以下「物質(医薬)特許」という)により定められるのが原則であるが、それに加えて、複数の他の制度的要因により調整されている。

本稿では、かかる状況を踏まえて、医薬品産業における知的財産保護を示す指標として「新薬市場独占期間」に着目し、当該期間に影響を与える制度的要因に関し、前半に、(1)制度との関連性を分析するものとして、 (a) 日本、米国、欧州における現行制度の国際比較、(b)日米欧における制度変遷の国際比較、(c)TRIPS協定による影響を検討する。また、後半に、(2)実質と効果を分析するものとして、日本で1988年以降に承認された新薬224品目について実質特許有効期間(EPL)を調査し、その結果を基に、日本の新薬市場独占期間に影響を与える制度的要因の実態を把握・分析する。

本稿では、「新薬市場独占期間」を、新薬承認から後発品販売開始可能時期までの期間と定義し、新薬市場独占期間に影響を与える制度的要因として、直接的に期間を定める要因として、【要因a】物質(医薬) 特許制度、【要因b】特許延長制度、【要因c】ジェネリック参入制限制度(データ保護制度)、また、その他の要因として、【要因d】試験研究例外規定、【要因e】強制実施権について検討する。これらをフレームワークとして、上記二つの手法により、わが国の知的財産保護制度の特徴および役割を考察する。

そして、上記検討により得られた知見を踏まえ、近年、開国が進む日本の医薬品市場において、「産業の発達」を担うべき者に対し、事実上有利な競争環境を形成することが可能か否かという観点から、今日のわが国における医薬品産業の知的財産保護のあり方について提言を行う。

本稿の内容は、序論以下、次の通りである。

第2章「医薬品産業の特徴と現状」では、総説として、本稿の対象となる医薬品産業について、一般的な特徴と知的財産保護に関する特徴、そして世界市場の中での日本の特徴について概説した。

第3章「日米欧三極・現行制度」、第4章「日米欧三極・制度変遷」では、新薬市場独占期間に影響を与える制度的要因【要因a】〜【要因e】に関し、日米欧三極の現行制度および制度変遷をそれぞれ検討し、国際比較を行った。

検討の結果、現行制度では、基本的な骨組み【要因a】〜【要因c】が三極ともほぼ同じ内容である一方、制度変遷を比較すると、日本はR&D育成型、米国はバランス重視型、欧州は市場統一化型と、三極それぞれ異なる特徴を有することが判明した。これは、医薬品産業における知的財産保護の重心が、日本はジェネリック産業からR&D型産業へ、米国はR&D型産業からジェネリック産業との両者バランスへ、欧州は両者混在の中で欧州統一市場達成という目標へと移動してきたからである。日本は、第2次世界大戦後の医薬品欠乏の時代を経て、諸外国技術導入によって医薬品産業が発達してきた背景があり、米国は、医薬品産業はもともと創薬中心で、ジェネリック産業育成保護の観点はなく、1984年のHatch-Waxman法導入が契機となって、ジェネリック産業は確実に発達してきた背景があり、欧州各国では、各国で異なる制度を有しつつもEU域内における医薬品市場統一化に向けて、EUの枠組みで新薬市場独占期間についても統一化が図られてきた背景がある。すなわち、三極において、産業水準や医療環境は、国や時代背景によって異なり、新薬市場独占期間は、知的財産保護の諸制度によって調整されてきたことが明らかとなった。

第5章「国際動向、TRIPS協定と医薬品を取り巻く環境」では、TRIPS協定が、各国の新薬市場独占期間に与える影響について検討を行うことにより、医薬品産業における知的財産保護の国際ミニマムスタンダードを形成する要因を考察した。

第6章「実態調査研究」では、医薬品に関する特許保護の現状を把握する目的で、1988年以降に承認された新薬224品目(特許権345件、延長登録数553件)について、延長登録特許権に関する実質特許有効期間(EPL)【要因a】+【要因b】を調査した。

EPLは、全体平均11.74年、最長19.31年、最短5.33年であり、平均延長期間は4.13年であった。また、全体品目数の半数以上である125件(55.8%)が10年以上14年未満のEPLを有し、EPLが8年未満である医薬品は14品目(6.3%)、EPL【要因a】+【要因b】が再審査期間【要因c】よりも短い品目はわずか3品目であった。この結果より、日本において新たに導入が検討されているデータ保護制度の影響と意義が明らかとなった。

最終章「まとめ」では、各章で得た知見を踏まえて、特に、1995年以降の国際的体制であるTRIPS協定の下、わが国が医薬品産業の保護を行うために「新薬市場独占期間に影響を与える制度的要因」を調整し、自国内産業に有利な環境を導くことが可能であるか、つまり「新薬市場独占期間」について実質的な国内外格差を生じさせることができるか否か、という観点から検討を行った。そして、近年、開国が進む日本の医薬品市場において、「産業の発達」を担うべき者に対し、事実上有利な競争環境を形成することが可能か否かという観点から、今日のわが国における医薬品産業の知的財産保護のあり方について以下の提言を行った。

すなわち、TRIPS協定を遵守しつつ各国の状況に応じて「新薬市場独占期間に影響を与える制度的要因」を調整し、新薬市場独占期間に関して実質的な国内外格差を生じ自国内産業に有利な環境を導くことは、ある程度は可能であると結論付けられ、患者への影響に配慮しつつ、日本に拠点を有するR&D型企業を保護するためには、新薬市場独占期間に影響を与える制度的要因について、次の3点:第一に、新薬に関する特許保護期間(【要因a】+【要因b】)については、国内企業に特に有利な条件にはなりえず、これ以上長期間認める必要はないこと、第二に、データ保護期間【要因c】を、現行再審査制度で担保される原則「6年」よりも長く設定することは、海外多国籍企業の日本進出を促進する可能性がある一方、国内企業や医療環境に対する好影響を与えることから、行う価値があること、第三に、試験研究例外規定【要因d】の適用範囲を明確化し、他者特許権の効力を制限することより、R&D型企業の新薬研究開発のスピードアップにつなげること、を提言する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、国内医薬品産業における知的財産保護のあり方を考察し提言することを目的とし、「新薬市場独占期間に影響を与える制度的要因」を相互的に分析した業績である。その前半では、日・米・欧の現行制度と現在に至る制度の変遷を分析しつつ相互に比較を加え、世界貿易機関設立協定付属書1C(TRIPs協定)による影響をも検討している。また後半では、わが国における承認新薬224品目に関して、延長特許権の実質特許有効期間についての網羅的な実態調査とその分析を行っている。

本論文の優れた点は、大きく三つに分かつことができる。

第一は、制度面での検討における総合性である。従前の研究は、個別の制度をおのおの分断してとらえ、現行法を前提として、専らその解釈を行うのが主流であった。本論文は、「新薬市場独占期間に影響を与える制度的要因」をフレームワークとし、【要因a】物質(医薬) 特許制度、【要因b】特許延長制度、【要因c】ジェネリック参入制限制度(データ保護制度)、【要因d】試験研究例外規定、【要因e】強制実施権の5つの制度について、包括的に比較検討している。また、国際比較に基づいて、立法論に立ち入った検討を行っている。すなわち、従前より研究されてきた各要因について更なる検討を加えるとともに、それらのをまとめて「新薬市場独占期間に影響を与える制度的要因」というひとつの事象として捉え、新たな比較検討をおこなっているのである。

第二は、実証的な研究を行っていることである。従来の研究は、制度を抽象的にとらえるのみで、その実際の効果や状況については検討をなおざりにする傾向が強く、具体的な訴訟事件として判例にならない限りは、実際面での検討がなされることが少なかった。本論文は、承認新薬に関する特許データを用いて網羅的な実態調査分析を行っているのであって、医薬品産業における知的財産保護のあり方を現状に即した形で捉えているだけでなく、わが国にはまだ珍しい法制度の実証分析に新境地を拓いている。

第三は、国際的視野からの検討を行っていることである。1995年に発足したWTO体制は知的財産権保護についても基本的な国際的枠組であるが、従前の国内法の発展・成長と国際的な枠組との相互作用を綿密に分析した業績は未だに少ない。本論文は、その欠を補い、医薬品産業における知的財産保護のあり方について、TRIPs協定の下で、「新薬市場独占期間」について実質的な内外格差を生じさせることができるか否かという観点から各国・地域の法政策の分析を行い、わが国について具体的な提言を行っている。

以上をやや詳細に述べるならば、本論文においては、次のような諸点に顕著なオリジナリティが認められる。

「第3章 日米欧三極の現行制度」および「第4章 日米欧三極の制度変遷」において、日・米・欧における新薬市場独占期間に影響を与える制度的要因について、基本的な骨組み(【要因a】〜【要因c】)が現在はほぼ同じでありながら、制度の遠隔や由来がそれぞれ異なり、日本はR&D育成型、米国はバランス重視型、欧州は市場統一化型と特徴づけられ、その違いは、医薬品産業における知的財産保護の重心が、日本はジェネリック産業からR&D型産業へ、米国はR&D型産業からジェネリック産業との両者バランスへ、欧州は両者混在の中で欧州統一市場達成という目標へと変化してきたことに由来すると分析した点、

「第5章 国際動向、TRIPS協定と医薬品を取り巻く環境」において、TRIPs協定が各国の新薬市場独占期間に与える影響について検討を行うことにより、医薬品産業における知的財産保護の国際ミニマムスタンダードを形成する要因を示した点、

「第6章 実態調査研究」において、1988年以降承認された新薬224品目(特許権345件、延長登録数553件)について網羅的に調査し、延長登録特許権に関する実質特許有効期間(EPL)を分析して、医薬品に関する特許保護の現状を明らかにした点、

そして、「最終章 考察とまとめ」において、各章で得た知見を踏まえて、特に、1995年以降の国際的体制であるTRIPs協定の下、「新薬市場独占期間」についての実質的な内外格差という観点から検討を行い、近年開国が進む日本の医薬品市場において、「産業の発達」を担うべき者に有利な競争環境を形成するとの目標に照らして、今日のわが国における医薬品産業の知的財産保護のあり方について提言を行った点である。

以上のようなメリットを有する本論文については、今後の研究の発展についても大きな期待を抱かせるものがある。まず、本論文は、医薬品産業政策の類型としてR&D育成型(日本)、バランス重視型(米国)、市場統一化型(欧州)を挙げているが、今後は、その他の地域、たとえば欧州連合に未だ加盟していないスイス、米国の隣にあって独自のポジションを取るカナダ、アジアにあって独自の高度先端技術の発展を期しているイスラエル、シンガポール、韓国、さらに中国、台湾、マレーシア等に関する検討も行うことにより、知的財産保護制度による産業育成一般を議論する土台を築く可能性がある。また、本論文は、主として、日本の医薬品産業保護の観点から、知的財産制度のあり方を考察している。今後、医薬品供給者側の立場でのアプローチだけではなく、需要者たる患者の側からのアプローチを加味して、医薬品流通・使用環境の改善に関する総合的な考察に発展させる可能性がある。特に、薬価制度・医療保険制度などの諸制度をも考慮することで、より総合的な政策的課題の解決をもたらす可能性がある。

これらの課題が今後に残されていることは、見方によっては、本論文について画竜点睛を欠くとの印象を残させるものである。しかしながら、それは、本論文の価値を基本的に損なうものではない。むしろそれは、本論文が、今後に大きな発展可能性のある顕著な業績としてとらえられるべきものであることを示している。本論文が、従来の業績にない独創的な知見を多々加えるものであること、その手法においても新境地を拓くものであること、そしてそれが従来にない観点からの分析により遂行されているものであることは、前記の通りである。

以上のような次第で、本論文は、本研究科において博士(学術)の学位を授与するにふさわしい業績だと評価される。

よって、本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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