学位論文要旨



No 121233
著者(漢字) 吉永,恵子
著者(英字)
著者(カナ) ヨシナガ,ケイコ
標題(和) 植物細胞死におけるオルガネラ動態の解析
標題(洋)
報告番号 121233
報告番号 甲21233
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2946号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堤,伸浩
 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 教授 内宮,博文
 東京大学 助教授 草場,信
 東京大学 助教授 中園,幹生
内容要旨 要旨を表示する

多細胞生物は、細胞の分裂・増殖とともに、積極的な細胞死によって個体が維持されている。動物では積極的な細胞死は特に「アポトーシス」と呼ばれている。アポトーシスはエネルギーを必要とし、特有の遺伝子群によって制御される過程により死ぬ現象であるため「プログラム細胞死(PCD)」としてとらえられている。植物のプログラム細胞死では、アポトーシス小体を形成し、隣接した細胞により貧食除去される、という現象は細胞壁の存在が邪魔になり起こらないために「アポトーシス」としてはとらえられていない。しかしながら、植物においても特定の遺伝子により制御されているプログラム細胞死は生命の維持に欠かせない。導管形成、子葉鞘、湖粉層などの器官形成や、老化、病原菌感染による過敏感細胞死、葉の形態形成などが植物プログラム細胞死の例として挙げられる。しかしながら、植物におけるプログラム細胞死は制御因子の同定がほとんど行われていないため、分子機構は未解明な部分が多い。

本研究では、アポトーシス促進因子であるBaxや活性酸素誘導剤により細胞死を人為的に引き起こした。これらはDNAの断片化など、アポトーシス様の植物細胞死を誘導する酸化ストレスである。そして酸化ストレス下で引き起こされる植物プログラム細胞死の制御機構を解析することを目的に、オルガネラの動態に注目した解析を行った。

Baxによる植物細胞死誘導機構の解析

アポトーシス促進因子であるBaxは、動物細胞において細胞死のシグナルを受け取るとミトコンドリアに局在し、細胞死カスケードを活性化させる。Baxの相同遺伝子は植物や酵母には存在しない。しかしながら、植物や酵母中で人為的に過剰発現させると細胞死を誘導することが知られている。本研究では、デキサメタゾン(DEX)誘導系ベクター(pTA7002)を利用し、培地中へのDEX添加や葉へのDEX処理によって植物細胞中でのBax発現を可能にし、人為的に植物細胞死を誘導できる系を確立した。Bax誘導性植物細胞死におけるオルガネラの動態を解析するため、Bax形質転換シロイヌナズナとオルガネラ移行GFPを有するシロイヌナズナの交配を行い、2重形質転換体(mt-GFP/Bax、pt-GFP/Bax)を作出した。これらの2重形質転換体にDEX処理を行いBaxを発現させた後、共焦点蛍光顕微鏡による観察を行った。その結果、Bax発現後初期にミトコンドリアは桿状から球状へと変化した。葉緑体も内部構造に異常が生じ、内容物が葉緑体中からサイトゾルへと漏出した。また、ミトコンドリアや葉緑体の変化が起こった後に液胞の膨張、崩壊がみられた。これらのオルガネラの形態変化は電子顕微鏡による観察でも確認された。

さらにBaxの植物細胞内局在を調べるため、タバコ培養細胞BY-2やシロイヌナズナに対してBax-GFPの形質転換を行った。その結果、植物細胞中においてもBaxはミトコンドリアに局在化した。そして、Bax-GFPを発現した細胞ではミトコンドリアの膜電位が低下していることが明らかとなった。

また、Bax誘導性細胞死における葉緑体の影響を調べるため、Bax形質転換シロイヌナズナより誘導したシロイヌナズナ培養細胞を用いた実験を行った。培養細胞では葉緑体は発達しておらず、プロプラスチドのみ存在する。植物体と同様に、シロイヌナズナ培養細胞においてもDEX処理によるBaxタンパク質の発現が確認された。DEX処理を行った結果、Bax形質転換系統においてのみ、著しい死細胞の増加がみられた。つまり、発達した葉緑体が細胞中に存在しなくてもBaxの発現により植物細胞死が誘導されたことから、Bax誘導性植物細胞死には発達した葉緑体が必須ではないことが明らかとなった。Baxが植物細胞死を誘導する際にも、Baxの局在化や膜電位の低下など、ミトコンドリアが重要な役割を担うと考えられる。

ROSストレス初期に起こるミトコンドリアの動態変化

活性酸素種(ROS)は様々な生物的 ・非生物的ストレス下で発生し、細胞死を誘導することが知られている。Baxによる植物細胞死においてもROSの発生がBax発現後すぐに起こる。そして、ミトコンドリアは細胞死の際のROS発生器官として注目されている。そこで、カリフラワーモザイクウィルスの35S プロモーター下流にミトコンドリア移行シグナルを有するGFP(mt-GFP)を連結したプラスミドを形質転換したシロイヌナズナを用いた実験を行った。mt-GFPシロイヌナズナに過酸化水素(H2O2)やパラコート(Pq)、メナジオン(MD)といったROS誘導剤を処理し、ミトコンドリアの動態を解析した。

まず細胞からのイオン漏出量を測定し、ROS誘導剤の濃度検定を行った。その結果より100 mM H2O2、0.3 〓M Pq、60 〓M MDを細胞死を誘導するのに適正な処理濃度であると判断し、共焦点蛍光顕微鏡を用いてROSストレス下におけるミトコンドリアの動態を観察した。その結果、ROS誘導剤で処理した細胞では、Bax誘導性細胞死の場合と同様に、処理後初期の段階において桿状から球状へ、そして膨張するというミトコンドリアの形態変化が観察された。また、球状に変化したミトコンドリアは凝集する性質を示した。

さらに、ミトコンドリアの形態変化を数値化した結果、コントロールの細胞にくらべて100 mM H2O2で1日間処理した細胞では、ミトコンドリアの断面積、最大直径がともに約1/2に減少していることが明らかとなった。また、撮影した蛍光顕微鏡像を用いて一定面積中におけるミトコンドリアの数を数えた結果、コントロールの細胞にくらべて100 mM H2O2で1日間処理した細胞では、ミトコンドリアの数が約2倍に増加していることがわかった。

ミトコンドリアの形態変化に加え、ROSストレス下ではミトコンドリアの流動が停止していた。植物の場合、ミトコンドリアの動きはアクトミオシン系により制御されていることが知られている。そこで、ミオシンATPaseの阻害剤であるブタンジオンモノキシム(butanedione monoxime; BDM)によりmt-GFPシロイヌナズナの処理を行った。その結果、1時間という短時間の20 mM BDM処理により、ミトコンドリアの流動の停止が観察された。同時に他のROS誘導剤でみられたようなミトコンドリアの球状への変化と、葉の白色化が認められた。

これらの結果から、ROSストレスによりミトコンドリアの断片化が促進している可能性が示唆された。また、ミトコンドリアの流動を停止させることによってもミトコンドリアの断片化が起こり、細胞死が誘導されると考えられる。

ミトコンドリア分裂制御因子と植物細胞死

正常な細胞では、ミトコンドリアの形状は分裂と融合を繰り返すことで維持されている。シロイヌナズナではダイナミン様タンパク質であるDRP3Aと DRP3Bがミトコンドリアの分裂に関与していることが知られている。また、ドミナントネガティブ型タンパク質、DRP3B (K56A)を過剰発現させると分裂が阻害され、管状に伸長したミトコンドリアが出現する。本研究から、BaxやROS誘導剤により引き起こされる植物細胞死の際に、ミトコンドリアの形態変化が初期の段階で起こることが明らかとなった。このことから、植物の細胞死制御にミトコンドリアの分裂機構が関与している可能性が示唆された。そのため、DRP3B (K56A)過剰発現体やDRP3A点変異体を用いた実験を行った。

Bax形質転換シロイヌナズナとDRP3B (K56A)/mt-GFP形質転換シロイヌナズナの交配により得られた、DRP3B (K56A)とmt-GFP、そしてBaxの3重形質転換シロイヌナズナにDEX処理を行い、Baxによる細胞死を誘導した。DRP3B (K56A)/mt-GFP/Bax植物では、Baxの発現によって球状に変化したミトコンドリアが現れたものの、球状のミトコンドリアが数珠状に連なっていた。細胞からのイオン漏出量の測定を行った結果、mt-GFP/Bax植物とDRP3B (K56A)/mt-GFP/Bax植物では、どちらもBaxの発現によりイオンの漏出が起こっており、有意差がないことがわかった。

また、DRP3B (K56A)/mt-GFPシロイヌナズナに対してMD、H2O2、SA処理、4日間の暗黒処理(Dark)を行った。その結果、Baxにより誘導される細胞死と同様に、管状のミトコンドリアが数珠状へと変化し、その後巨大な球状のミトコンドリアが出現した。この数珠状のミトコンドリアの出現は、DRP3Bの機能消失による分裂の不完全化が引き起こした現象であると考えられる。

DRP3Aに点変異が挿入されることによりミトコンドリアの分裂障害が起きているDRP3A点変異体についても、DRP3B (K56A)過剰発現体と同様の知見が得られた。

これらの結果から、植物細胞死初期に起こる形態変化は、DRP3A、Bが関与するミトコンドリア分裂機構が活性化することにより引き起こされている現象であると考えられる。

本研究から、動物アポトーシス促進因子Baxによってもミトコンドリアを介した植物細胞死のカスケードが活性化されることが明らかとなった。そして、そのミトコンドリアを介したカスケードはROSストレスにより誘導される細胞死においても同様に機能していると考えられた。また、ROSストレスによってミトコンドリアの分裂機構が働き、断片化が進行することが明らかとなった。ミトコンドリアはクエン酸回路や電子伝達系を介してATPを産生する呼吸の場であり、生命の維持には欠かせないエネルギー製造オルガネラである。そのミトコンドリアの断片化を行うことで、物理的な崩壊を招き、ミトコンドリアからのエネルギーを絶つことで細胞死を引き起こしていると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

植物において,特定の遺伝子により制御されているプログラム細胞死は生命の維持に欠かせない.導管形成,子葉鞘,湖粉層などの器官形成や老化,病原感染による過敏感細胞死,葉の形態形成などが植物プログラム細胞死の例として挙げられる.しかしながら,植物におけるプログラム細胞死は制御因子の同定がほとんど行われていないため,分子機構は未解明な部分が多い.本研究では,シロイヌナズナを材料として,動物のアポトーシス促進因子であるBaxや活性酸素誘導剤により人為的に引き起こされる植物プログラム細胞死の過程における,オルガネラの動態に注目して解析を行った.

第1章では,最新の知見をふまえて,動物細胞のプログラム細胞死であるアポトーシスと動物のプログラム細胞死を比較し,その類似点と相違点を明確にしたうえで,本研究の目的と意義について論じている.

第2章では,Baxによる植物細胞死誘導機構をオルガネラの動態から解析した.アポトーシス促進因子であるBaxは,動物細胞において細胞死のシグナルを受け取るとミトコンドリアに局在し,細胞死カスケードを活性化させることが知られている.Baxの相同遺伝子は植物や酵母には存在しない.しかし,植物や酵母中で人為的に過剰発現させると細胞死を誘導することが知られている.本研究では,デキサメタゾン(DEX)誘導系ベクターを利用して形質転換シロイヌナズナを作製し,培地中へのDEX添加や葉へのDEX処理によって植物細胞中でBax発現させることで,人為的に植物細胞死を誘導する系を確立した.DEXで発現誘導されるBaxとオルガネラ移行シグナルを融合したGFPの両方の遺伝子を発現するシロイヌナズナを用いて,Bax誘導後のオルガネラの動態を観察した.その結果,Bax発現後初期にミトコンドリアは小型化し,その形態が桿状から球状へと変化した.葉緑体も内部構造に異常が生じ,内容物が葉緑体中からサイトゾルへと漏出した.また,ミトコンドリアや葉緑体の変化が起こった後に液胞の膨張と崩壊がみられた.これらのオルガネラの形態変化は電子顕微鏡による観察でも確認された.さらにBaxとGFPを融合したタンパク質を発現させると,植物細胞中においてもBaxはミトコンドリアに局在し,ミトコンドリアの膜電位が低下するが明らかとなった.以上の結果から,Baxが植物細胞死を誘導する際にも,ミトコンドリアが重要な役割を担うことが示唆された.

第3章では,活性酸素種(ROS)で誘導した細胞死におけるミトコンドリアの動態変化を観察した.ROSはさまざまなストレス下で発生し,細胞死を誘導することが知られている.また,ミトコンドリアは細胞死の際のROS発生器官として注目されている.本研究では,Baxによる植物細胞死においてもROSの発生がBax発現後すぐに起こることを確認した.そこで,GFPによりミトコンドリアを可視化したシロイヌナに,ROS誘導剤として過酸化水素,パラコート,メナジオンを処理し,ミトコンドリアの動態を観察した.その結果,Bax誘導性細胞死の場合と同様に,処理後初期の段階において桿状から球状へ,その後膨張するというミトコンドリアの形態変化が観察された.また,球状に変化したミトコンドリアは凝集する性質を示した.さらに,ミトコンドリアの形態変化を数値化した結果、コントロールの細胞にくらべて過酸化水素で処理した細胞では,ミトコンドリアの断面積,最大直径がともに約1/2に減少していた.また単位面積中におけるミトコンドリアの数を数えた結果,コントロールの細胞にくらべて過酸化水素処理した細胞では,ミトコンドリアの数が約2倍に増加していることがわかった.これらの結果から,細胞死の過程でミトコンドリアの断面化が促進している可能性が示唆された.

第4章では,ミトコンドリアの分裂を阻害が細胞死へ与える影響を調べた.ミトコンドリアの形態は分裂と融合のバランスによって維持されると考えられている.シロイヌナズナのミトコンドリア分裂装置DRP3のドミナントネガティブ型遺伝子を発現させた形質転換体はミトコンドリアの分裂が阻害され,ミトコンドリアが管状に伸長する.第2章,第3章の結果から,植物細胞死の過程にミトコンドリアの分裂機構が関与している可能性が示唆された.動物細胞では,ミトコンドリアの分裂を阻害すると,アポトーシスが阻害されることが報告されている.そこで,DRP3のドミナントネガティブ型遺伝子を用いてミトコンドリアの分裂を阻害した形質転換体でBaxを発現させ,細胞死を誘導した.その結果,ミトコンドリアの分裂を阻害した場合でも,野生型と同じように細胞からのイオン漏出が認められ,細胞死が進行することがわかった.ところが,野生型では細胞死の過程でミトコンドリアが断面化し小型化する現象が見られるのに対し,ミトコンドリアの分裂を阻害すると小型化した球状のミトコンドリアが数珠状に連なっていることがわかった.この数珠状に連なったミトコンドリアの形態は,ミトコンドリアが断面化する過程でミトコンドリアがくびれるところまでは進行するものの,最後の膜を切り離す段階で止まっているものと推察された.この現象は,Baxで誘導された細胞死だけではなく,過酸化水素,メナジオン,パラコートによりROSを発生させて細胞死を誘導した場合においても観察された.さらに,DRP3に点変異を持つ突然変異体を用いた実験でも,同様の結果が得られた.以上の結果から,植物細胞死の過程ではミトコンドリアの分裂が活性化することが明らかとなった.

以上本研究では,動物のアポトーシス促進因子であるBaxによってミトコンドリアを介した植物細胞死のカスケードが活性化されることを明らかにした.さらに,このミトコンドリアを介した細胞死のカスケードは,ROSにより誘導される細胞死においても同様に機能していることが示された.植物の細胞死は,発生,生殖,病虫害耐性などさまざまな現象に深く係っていると考えられている.本研究で得られた知見は,これらの現象を解明する上での基盤となるものであり,学術上また応用上極めて価値あるものである.したがって,審査委員一同は本論文が博士(農学)に値するものと認めた.

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