学位論文要旨



No 121240
著者(漢字) 木村,智子
著者(英字)
著者(カナ) キムラ,トモコ
標題(和) 硫黄栄養応答に異常を示すシロイヌナズナ変異株の解析
標題(洋)
報告番号 121240
報告番号 甲21240
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2953号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 米山,忠克
 東京大学 教授 西澤,直子
 東京大学 教授 中西,友子
 東京大学 教授 篠崎,和子
 東京大学 助教授 桝澤,修一
内容要旨 要旨を表示する

硫黄は全生物にとって必須な元素であり、アミノ酸(Cys、Met)やビタミン、補酵素、グルタチオン(GSH)、フェレドキシン等の構成成分として重要な役割を担っている。高等植物において、硫黄は硫酸イオンとして環境中から吸収され、一連の還元・同化過程を経てシステイン、さらにメチオニンが生成される。硫黄の吸収や代謝経路で機能するトランスポーターや酵素は数多く同定され、これらの多くが硫黄欠乏(−S)により発現誘導されることが示されている。

植物を−Sにさらすと、遺伝子発現誘導だけでなく、代謝産物が変動する。O-アセチルセリン(OAS)量は上昇し、GSHやCys量が減少する。また、OAS及びGSHは硫黄欠乏応答をそれぞれ正及び負に制御するシグナル物質と考えられている。しかしながら、細胞内の硫黄シグナル物質を感知し伝達する機構は植物では未解明である。本研究では、高等植物における硫黄応答制御機構を解明するために、シロイヌナズナ(Arabidopsis thaliana)を実験植物として用いて二つのアプローチから研究を行った。

一つ目は、他生物で既に同定されている硫黄応答制御因子の、シロイヌナズナにおける相同遺伝子の解析である。大腸菌や酵母、藻類などでは既に硫黄応答制御因子が同定されている。特に、クラミドモナス(Chlamydomonas reinhardtii)は、光合成生物のモデルとされ、高等植物と生理機能が似ていると考えられている。クラミドモナスの硫黄応答制御因子Sac3の、シロイヌナズナにおける相同遺伝子について、遺伝子欠損変異株を用いた解析を行った。二つ目は、硫黄応答に異常を示すシロイヌナズナ変異株の解析であり、硫黄応答異常の原因遺伝子の同定を試みた。

シロイヌナズナにおけるSac3相同遺伝子欠損変異株の生理解析

クラミドモナスの硫黄応答制御因子Sac3が欠損したsac3 変異株では、−S誘導性のアリルスルファターゼが+Sで構成的に発現し、−Sでも硫酸吸収能が十分に上昇しない。Sac3遺伝子はserine/threonine kinaseをコードし、植物のtype 2 snf1-related protein kinase (SnRK2)ファミリーに属している。データベースによる相同性検索の結果、Sac3とアミノ酸配列が60%以上同一の、あるいは性質の似ているシロイヌナズナの遺伝子は10個(SnRK2.1-SnRK2.10)存在し、いずれもSnRK2ファミリーに属していた。SnRK2は乾燥、塩、浸透圧、アブシジン酸の応答に関与し、これらのストレス環境下で発現誘導されると報告されているが、10個のうち少なくとも5個は−SあるいはOAS添加でもmRNAレベルの発現が誘導されることを確認した。そして、発現誘導を受けたSnRK2のうちの一つ、SnRK2.3(相同性67%)について詳細な解析を行った。

3系統の独立したsnrk2.3変異株においてはいずれも、−Sによる硫酸トランスポーターSultr2;2の発現誘導が見られず、−SにおけるOASの濃度も野生型株よりも増加していた。これらの結果は、SnRK2.3遺伝子が−S応答における硫酸トランスポーターSultr2;2の発現およびOASの蓄積を制御していることを示唆している。

以上の結果は、シロイヌナズナのSnRK2.3が乾燥、塩、浸透圧以外にも−Sのストレス応答にも関与することを示すとともに、クラミドモナスとシロイヌナズナとの間で進化の過程で硫黄応答制御機構が保存されている可能性を提唱するものである。

シロイヌナズナにおけるO-acetyl-L-serine非感受性変異株の生理学的および遺伝学的解析

NOB(Naoko-Ohkama-beta)は、作成者の名前に因んで命名された形質転換シロイヌナズナ系統であり、以下に述べる硫黄応答領域βSR を含むキメラプロモーターにGFPを連結した融合遺伝子を発現させた植物である。βSRは、ダイズの主要な種子貯蔵タンパク質であるβコングリシニンβサブユニットのプロモーターの-307bpから-73bpまでの235bpの領域であり、この領域は種子における硫黄欠乏応答に十分な領域であり、OASやGSHにも応答することが分かっている。NOB植物は、−SおよびOAS添加によって地上部でも根でもGFP蛍光を発するため、−S応答を簡単に可視化することができる。

NOB(以下wild type [WT]とする)をEMS処理して得られたM2種子を用いたスクリーニングの結果、硫黄十分条件(+S)でもGFP蛍光を発する、あるいは−SでGFP蛍光強度が低下した変異株が当研究グループにより多数単離され、原因遺伝子が同定されてきた。こうした変異株の他に、より硫黄応答特異的に機能する遺伝子を同定するために、OASを添加してもGFP蛍光を発しない変異株oda(OAS decreased accumulation)が複数単離された。このうちの3つの変異株、oda1-1、oda2-1、 oda3-1について、本研究で生理学的および遺伝学的解析を行った。分析には全て地上部をサンプルとして用いた。3つの変異株はいずれも表現型を決定する劣性の一遺伝子変異を持っており、マッピングの結果から、変異箇所はそれぞれ異なる部位であると考えられる。いずれの変異株も−Sにおける地上部OAS濃度がWTと比較して著しく低下しており、おそらくこのことが原因でGFP蛍光強度が低下したと考えられる。また、いずれの変異株においても、WTと比較して代謝産物量や硫黄応答性遺伝子の発現に顕著な変化が観察された。

oda1-1変異株は葉の緑色が薄く、クロロフィル量がWTの半分程度に減少していた。硫酸およびリン酸イオン濃度は+Sでも−SでもWT よりも低下していた。OASの前駆体であるセリン濃度は+Sおよび−SでWTの半分以下に減少していた。CysおよびGSH濃度に違いはなかった。−SのOAS濃度はWTの約30%に低下していた。また、硫黄応答性遺伝子adenonine 5'-phosphosulfate reductase (APR) 1の転写産物量が+Sでも−SでもWTの10%以下に低下していた。APR1のアイソフォームであるAPR2およびAPR3にはWTと違いがなかった。このように、oda1-1変異株ではセリン合成が阻害され、結果としてOAS濃度も低下していると考えられる。また、3つのAPR遺伝子の中でAPR1の発現のみが顕著に抑制されていることから、APR1の転写制御に変異原因遺伝子が関与していると考えられる。ポジショナルクローニングの結果、oda1-1の変異原因遺伝子は1番染色体上腕の約140kbpの範囲に存在することが分かった。

oda2-1変異株は、葉柄が長い変異株である。硫酸イオン濃度がWTの半分以下に低下していた。Cys濃度に違いはなく、GSH濃度は−SでWTの半分程度に低下していた。−SのOAS濃度はWTの約20%に低下していた。硫黄応答性遺伝子Sultr2;2の−Sにおける転写産物量はWTの1.4倍に増加していた。以上のように、oda2-1変異株では、硫酸イオン、GSH、OAS濃度の低下が顕著に観察されたが、硫黄応答性遺伝子の発現に大差はなかった。このことから、硫黄代謝系遺伝子の発現には影響を与えず、化合物量を変化させるような遺伝子が変異している可能性がある。ポジショナルクローニングの結果、oda2-1の変異原因遺伝子は3番染色体の上腕に存在することが分かった。

oda3-1変異株は根の長さがWTよりも有意に短かった。−Sにおける硫酸イオン濃度および+Sにおける硝酸イオン濃度が有意に低下していた。+SにおけるCys濃度はWTの約4倍に増加し、GSHは約2倍に増加していた。OAS濃度は、+Sおよび−SでWTの約20%に低下していた。また、硫黄応答性遺伝子の転写産物量に関しては、−SでSultr2;2がWTの2倍程度に増加しており、APR1は+Sでは3倍程度に増加している一方で、−SではWTの0.1%以下に減少していた。APR2およびAPR3には違いはなかった。以上のように、oda3-1変異株では、内生遺伝子発現や代謝産物量に関してWTと差異があるだけでなく、+Sと−Sで異なる挙動を示すことから、+Sおよび−Sのシグナルが正常に伝達されていないと考えられる。ポジショナルクローニングの結果、oda3-1の変異原因遺伝子は1番染色体中腕の約60kbpの範囲に存在することが判明し、この範囲内に存在する遺伝子At1g54450のコード領域においてCからTへの塩基置換を発見した。At1g54450はCa-binding EF hand proteinをコードしており、一般的に、カルシウム依存的に標的タンパク質と結合し、結合相手の活性を高める働きをすると考えられている。oda3-1変異株を用いて、高等植物におけるカルシウムを介した−S応答に関する初めての知見が得られることが期待される。

以上本論文において、シロイヌナズナにおけるSac3相同遺伝子SnRK2.3がクラミドモナスと同様に硫黄応答を制御する可能性を示した。また、OAS非感受性変異株odaの解析から、新たに3つの未知遺伝子が硫黄欠乏応答に関与すること、各遺伝子は硫黄代謝においてそれぞれ異なる段階を制御していることを明らかにした。これらの結果は、硫黄欠乏応答は複数の遺伝子により調節されていることを如実に示すものであり、硫黄応答制御機構の全貌解明への糸口となると大いに期待される。

Kimura et al., (2005) tentatively accepted to Soil Science and Plant Nutrition

Arabidopsis SnRK2.3 protein kinase is involved in regulation of sulfur responsive gene expression and O-acetyl-L-serine accumulation under condition of limited sulfur supply.

審査要旨 要旨を表示する

第1章では、研究の背景と目的を述べている。硫黄は高等植物の必須多量元素であり、システインやメチオニン、グルタチオン(GSH)など、様々な化合物を構成するとともに、タンパク質の構造維持にも関与しており、生体内で重要な役割を果たしている。硫黄欠乏応答性の遺伝子は、O−アセチル‐L‐セリン(OAS)によって発現が誘導され、逆にGDHやシステインによって抑制されることから、OASは硫黄欠乏応答の正のシグナル、GSHおよびシステインは負のシグナルであると考えられているが、これらを感知し、伝達する仕組みの全貌は未解明である。こうした制御因子を探索することを目的に、モデル植物であるシロイヌナズナを用いて研究を行った。

第2章では、シロイヌナズナにおける、緑色藻類クラミドモナス(Chlamydomonas reinhardtii)の硫黄応答制御因子SAC3相同遺伝子欠損株の生理解析を行っている。SAC3は、硫黄欠乏時の積極的な硫酸吸収および硫黄十分時のアリルスルファターゼの発現抑制という、硫黄欠乏応答のそれぞれ正および負の制御を行っている。シロイヌナズナには10個のSAC3相同遺伝子SNRK2.1-SNRK2.10が存在し、このうちのSNRK2.3遺伝子は、硫黄欠乏(−S)およびOAS添加により発現誘導を受けており、硫黄欠乏応答性の遺伝子であることが明らかになった。また、三系統のsnrk2.3変異株では、−Sによる硫酸トランスポーターSULTR2;2遺伝子の発現誘導が抑制されており、硫黄欠乏時のOAS濃度が増加していた。これらの結果から、SNRK2.3はおそらく、硫黄欠乏時にOASが過剰に蓄積するのを防ぐ一方で、SULTR2;2の発現を積極的に誘導すると考えられる。これらは、硫黄欠乏応答をそれぞれ負および正に制御していることを示しており、クラミドモナスのSAC3と共通している。

第3章では、シロイヌナズナのOAS非感受性変異株odaの生理学的および遺伝学的解析を行っている。−SによりGFP蛍光を発する形質転換シロイヌナズナ系統NOB7 が用いて、OASを添加した際にレポーター活性が低下したOAS非感受性変異株oda (OAS decreased accumulation)が複数単離されている。このうちの3系統oda1-1、oda2-1、oda3-1について生理学的および遺伝学的解析を行った。

三系統のoda変異株はいずれも、OAS添加時および−S条件でGFP蛍光強度がNOB7と比較して顕著に低下していたが、GFPのmRNA蓄積量は変化しておらず、タンパク質のmRNAの安定性や翻訳効率が低下している可能性がある。oda変異株はいずれも硫黄代謝系の代謝産物量や遺伝子発現が大きく変化していた。oda1-1変異株は、硫酸イオンおよびセリン濃度、APR1遺伝子の発現が硫黄条件に関わらず低下し、クロロフィル量も減少していることから、おそらく光合成活性の低下によってこうした表現型を示すものと考えられた。oda2-1変異株は、硫酸イオン濃度が+S、−Sともに減少しており、OASおよびGSH濃度が−Sにおいて有意に減少していた。SULTR2;2の発現は統計的に有意に上昇していたが大差はなかった。oda3-1変異株は、非常に代謝変化に富んだ変異株であり、OASのように硫黄条件に関わらず減少しているものもあれば、 GSHやAPR1遺伝子のように、 +Sと−Sでその挙動が異なるものが複数あることが特徴的である。また、マイクロアレイの結果APR1以外にも多くの遺伝子の発現が著しく変化していた。

マッピングおよびシークエンスの結果、oda1-1変異株はRNAポリメラーゼシグマ因子SIG2をコードする遺伝子に変異があった。また、oda3-1変異株はCa2+-binding EF-hand proteinをコードする遺伝子At1g54450に変異があり、このタンパク質はカルシウムセンサーとしてストレスやホルモン応答に関与すると予測されることから、+Sと−Sの栄養状態のシグナル伝達に関与している可能性が想定される。oda3-1変異株ではこうしたシグナル伝達が正常に行われないために、代謝が大きく変化していると推定できる。

第4章では本研究において見出したSNRK2.3、RNAポリメラーゼシグマ因子SIG2、カルシウム結合タンパク質Ca2+-binding EF-hand proteinの硫黄応答における役割について考察している。

以上要するに、本研究は高等植物の硫黄栄養の応答制御に関与するSNRK2.3、RNAポリメラーゼシグマ因子、カルシウム結合タンパク質の同定であり、学術上応用上寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位として価値あるものと認めた。

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