学位論文要旨



No 121246
著者(漢字) 玄,子實
著者(英字)
著者(カナ) ヒョン,ジャシル
標題(和) 腸管上皮細胞におけるカドミウムのIL-8産生誘導とその作用機構の解析
標題(洋)
報告番号 121246
報告番号 甲21246
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2959号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 吉村,悦郎
 東京大学 教授 佐藤,隆一郎
 東京大学 助教授 加藤,久典
 東京大学 助教授 戸塚,護
内容要旨 要旨を表示する

序論

カドミウムは亜鉛の製錬における副産物として得られる工業的利用率の高い金属である。しかしながら、カドミウムは生体内で様々な毒性を発現することが知られている。国内ではイタイイタイ病の原因物質として知られ、世界的な注目を浴びたカドミウムは近年国産米の汚染問題で再び注目されている。カドミウムは汚染された飲料水や食品を介して体内に吸収される。経口摂取されたカドミウムは腸管で吸収され、血液循環により体内の各組織に移行するが、体外への排泄には長期間を要することが報告されている。In vivo実験の報告によると腸管でのカドミウムの吸収率は約3-8%となっており、腸管上皮における高濃度のカドミウムの蓄積も考えられる。

腸管は経口的に摂取される様々な食品成分の吸収や認識を司ると同時に、食品中に含まれる有害な化学物質の排除を行っている器官である。また、腸管上皮層は外部からの様々な刺激に対してサイトカイン類などの生理活性物質を産生し、粘膜免疫活動の場として生体防御に積極的に関わることが近年多く報告されている。経口摂取されたカドミウムの大部分が腸管上皮層に留まることを考えると、カドミウムが腸管上皮の免疫活動に及ぼす影響を解析することは非常に重要である。カドミウムが腸管に及ぼす作用に関しては、腸管組織の構造的・機能的損傷などの組織学的な研究が多く、カドミウムによる腸管上皮の損傷機構、特に分子レベルでの腸管炎症機構の解明を行った研究はほとんどない。

そこで本研究では、経口摂取されたカドミウムが腸管上皮細胞に与える影響を、主としてヒト結腸癌由来株化細胞Caco-2をモデル系として用いて検討した。

第1章 カドミウムが腸管上皮細胞に及ぼす影響

まず、カドミウムが腸管上皮細胞の一般的特性に及ぼす影響を調べた。単層培養したCaco-2細胞の電気抵抗値(TER)を測定することで細胞層の物質透過性や細胞損傷の程度を判断することができるので、Caco-2細胞層をカドミウム混合培地で培養し、TERを測定した。その結果、カドミウム濃度が80μM以上になるとTER値の有意な低下が、また100μMの濃度では急激な低下が見られた。細胞間隙透過のマーカーであるLucifer yellowの透過量を測定したところ、カドミウム100μM処理によって顕著な透過量の増加が観察された。また、Caco-2に対する細胞毒性を調べるために、カドミウムにより細胞から放出される乳酸脱水素酵素(LDH)量の変化を測定した結果、80μM以上で有意なLDH放出増加が見られた。一方、小腸上皮細胞機能のマーカーとしても利用されているいくつかのaminopeptidase活性へのカドミウムの影響を調べた結果、細胞毒性を示さない濃度のカドミウム処理では酵素活性の変化はみられなかった。

以上の結果から、80μM以上のカドミウムはCaco-2細胞に対する細胞毒性を有し、細胞間隙透過を亢進させるものの、それ以下の濃度ではCaco-2細胞層の性質に細胞死などの顕著な変化は誘導しないことがわかった。

第2章 カドミウムが腸管上皮細胞の遺伝子発現に及ぼす影響-DNA microarrayを用いた解析

小腸上皮様に分化させたCaco-2細胞に、細胞毒性を示さない濃度である50μM のCdCl2を添加して培養した後、およそ22,000の遺伝子を搭載するDNA microarrayを用いた遺伝子発現プロファイル解析を行った。その結果、カドミウムによる発現亢進が知られているmetallothioneinやheat-shock protein family、heme oxygenaseなどの既知遺伝子の顕著な発現量増加が観察された。一方、腸管上皮での炎症反応に関わる因子への影響に着目して調べた結果、炎症性サイトカインであるIL-8 mRNAの有意な発現増加が観察された。しかし、TNF-α, IFN-γ, IL-1βなど他の炎症性サイトカイン発現に対するカドミウムの影響は認められなかった。

以上の結果から、腸管上皮細胞における炎症性サイトカイン発現へのカドミウムの影響はIL-8に特異的であることが示唆された。

第3章 カドミウムによるIL-8分泌亢進機構のIn vivoでの解析

腸管上皮細胞における炎症性サイトカイン遺伝子発現へのカドミウムの影響をin vivoで確かめるため、6週齢ICRマウスを用いてカドミウムを経口投与し、マウス腸管組織での遺伝子発現変動を調べた。まずカドミウム投与による時間依存的な変化を調べるために、CdCl2 25mgあるいは100mg/kg(体重)を経口投与し、0, 3, 6, 12, 24時間経過後に頚椎脱臼法で屠殺したマウスから十二指腸と小腸を摘出して炎症性サイトカインの発現分析を行った。その結果、カドミウム投与3時間経過後から、IL-8のマウスhomologueであるMIP-2の急激な発現変化が観察された。一方、他の炎症性サイトカインであるTNF-αやIL-1βの発現変化へのカドミウムの影響は見られなかった。また、MIP-2発現変動に対するカドミウム濃度依存性を調べるために、CdCl2 0, 25, 50, 100mg/kgを経口投与し、3時間後に十二指腸と小腸を摘出してMIP-2発現変動を分析した結果、25mg/kg以上のカドミウム投与によって、正常群に比べMIP-2の有意な発現増加が観察された。以上の結果から、カドミウムによる腸管での炎症性サイトカインIL-8発現誘導は、培養細胞系のみならず実際の腸管組織においても起こることが明らかになった。

第4章 腸管上皮細胞におけるカドミウムによるIL-8分泌亢進機構の解析

腸管上皮におけるカドミウムによるIL-8分泌亢進機構を解析するため、まずreal-time PCR法を用いてIL-8 mRNA発現量を測定した。その結果、カドミウム処理によってIL-8 mRNA 発現レベルは有意に増加していることが確認された。さらにELISA法を用いた分析の結果、カドミウムは時間依存的・濃度依存的にIL-8 タンパク質の分泌を誘導することが示された。一方、カドミウム刺激によるTNF-α IFN-γ, IL-1βの分泌変化は認められなかった。別の腸管上皮細胞株であるHT-29を用いた実験においても、Caco-2細胞と同じ傾向のIL-8産生亢進効果が観察された。

カドミウムに対して応答する因子を検索するため、レポーターアッセイを用いてヒト IL-8 promoter上流500bp領域の主な転写因子結合配列の関与を調べた結果、NF-κB consensus elementの存在がIL-8応答に重要であることが示唆された。このことは、NF-κB阻害剤であるPDTC処理によるIL-8分泌の減少や、NF-κB 応答配列mutant vectorを導入したCaco-2細胞及びNF-κB応答配列を siRNAでノックダウンしたCaco-2細胞でのIL-8転写活性の減少からも確認することができた。さらに、カドミウムがNF-κB heterodimerのsubunitであるp65の核内移行及びI-κBの分解を促進することをwestern blotting法で確認した。

以上の結果から、カドミウムによる腸管上皮細胞でのIL-8分泌亢進は転写レベルでの調節であり、その機構はI-κB分解を介するNF-κB活性化によるものであると考えられた。

第5章 カドミウムの腸管吸収を抑制する食品成分の探索及び解析

カドミウムは腸管において吸収される際、種々の食品成分と相互作用することが考えられる。そこで、カドミウムの腸管吸収を抑制する活性をもつ食品成分の探索を行った。

まず、放射活性カドミウムを用いてカドミウムのCaco-2細胞への取り込み測定系を構築し、カドミウムがトランスポーターを介してプロトン依存的に取り込まれることを確認した。次いで、この実験系に食物繊維やペプチド性食品成分などの試料を添加して一定時間培養し、細胞へのカドミウム取り込みに及ぼす食品成分の阻害効果を調べた。その結果、卵黄タンパク質分解ペプチド(yolk peptide)とcasein calcium peptideに顕著なカドミウム取り込み阻害効果が観察された。また、yolk peptideの添加はCaco-2細胞のカドミウムによるIL-8分泌亢進を抑制することも見出された。ゲルろ過クロマトグラフィーを用いてyolk peptideとカドミウムとの結合性を調べた結果、yolk peptideへのカドミウムの吸着が確認されたことから、ペプチドへの吸着がカドミウム吸収抑制の主要な機構と考えられた。

本研究のまとめ

ヒト結腸癌由来株化細胞Caco-2を用いて、カドミウムが腸管上皮細胞における炎症性サイトカインIL-8の産生誘導を引き起こす現象をはじめて見出し、その作用機構としてNF-κB経路の重要性を提示することが出来た。また、カドミウムの腸管吸収を抑制しうると考えられるペプチド性食品成分を見出し、その抑制機構の一端を明らかにした。

炎症部位へのリンパ球動員というIL-8本来の生理活性機能から考えて、カドミウムによる腸管上皮のIL-8の産生亢進は、生体異物であるカドミウムによる上皮バリア機能損傷に伴う病原菌や生体異物の侵入を防ぐためのself-protective reactionであると推察される。

審査要旨 要旨を表示する

カドミウムは工業的利用率の高い金属であるが、イタイイタイ病の原因物質として、また国産米の汚染問題で注目されている。カドミウムは汚染された食品を介して腸管で吸収され、血液循環により体内の各組織に移行するが、体外への排泄には長期間を要することが報告されている。In vivo実験の報告からは、腸管上皮における高濃度のカドミウムの蓄積も考えられる。一方、腸管は食品成分の吸収や認識、有害な化学物質の排除を行っている器官である。また、腸管上皮層は外部からの刺激に対して粘膜免疫活動の場として生体防御に関わることが知られている。経口摂取されたカドミウムの大部分が腸管上皮層に留まることを考えると、カドミウムが腸管上皮の免疫活動に及ぼす影響を解析することは非常に重要である。本論文は、カドミウムが腸管上皮細胞に与える影響について、主としてカドミウムによる腸管上皮の損傷機構、特に腸管炎症機構の解明という視点から検討しているもので、序論と5章、総合討論から構成されている。

序論では、研究の背景になる食品の安全性及びカドミウムの汚染現象を紹介するとともに、本研究の意義と目的について述べている。

第一章では、カドミウムが腸管上皮細胞の一般的特性に及ぼす影響を調べている。ヒト結腸癌由来株化細胞Caco-2細胞層をカドミウム添加培地で培養し、細胞層の電気抵抗値、細胞間隙透過のマーカーであるLucifer yellowの透過量、および細胞毒性の指標である乳酸脱水素酵素(LDH)量の変化を測定した。その結果、80mM以上のカドミウムはCaco-2細胞に対する細胞毒性を有し、細胞間隙透過性を亢進させることが示された。一方、細胞毒性を示さない低濃度のカドミウム処理ではCaco-2細胞層の性質に顕著な変化は誘導しなかった。

第二章では小腸上皮様に分化させたCaco-2細胞に、細胞毒性を示さない濃度である50mM のCdCl2を添加して培養した後、DNA microarrayを用いた遺伝子発現プロファイル解析を行い、腸管上皮での炎症反応に関わる因子への影響に着目して調べた結果を述べている。その結果、炎症性サイトカインであるIL-8 のmRNAについて有意な発現増加が観察された。一方、TNF-α, IFN-γ, IL-1βなど、他の炎症性サイトカイン発現に対するカドミウムの影響は認められなかった。

第三章では、腸管上皮細胞における炎症性サイトカイン遺伝子発現へのカドミウムの影響をin vivoで確かめるため、カドミウムをマウスに経口投与し、腸管組織での遺伝子発現変動を調べた。その結果、カドミウム投与3時間経過後から、IL-8のマウスhomologueであるMIP-2の急激な発現変化が認められた。このことから、カドミウムによる腸管での炎症性サイトカインIL-8発現誘導は、培養細胞系のみならず実際の腸管組織においても起こることが示された。

第四章では、腸管上皮におけるカドミウムによるIL-8分泌亢進機構を解析するため、real-time PCR法及びELISA法を用いた分析を行い、カドミウム処理によってIL-8 mRNA 発現レベル及びIL-8 タンパク質の分泌誘導が起こるかどうか調べている。まずレポーターアッセイを用いてカドミウムに対して応答する因子を検索し、NF-κB consensus elementの存在がIL-8応答に重要であることを示した。このことは、NF-κB阻害剤処理や、NF-κB 応答配列mutant vectorの導入Caco-2細胞およびNF-κB応答配列ノックダウン細胞でのIL-8転写活性の減少によって確認された。さらに、カドミウムがNF-κBのsubunitであるp65の核内移行及びI-κBの分解を促進することをwestern blotting法で確認し、カドミウムによる腸管上皮細胞でのIL-8分泌亢進は転写レベルでの調節であり、その機構はI-κB分解を介するNF-κB活性化によるものであることを明らかにした。

第五章では、放射活性カドミウムを用いてCaco-2細胞へのカドミウム取り込み測定系を構築し、カドミウム取り込みへの食品成分の阻害効果について述べている。その結果、卵黄タンパク質分解ペプチド(yolk peptide)とcasein calciumpeptideに顕著なカドミウム取り込み阻害効果が観察された。ゲルろ過クロマトグラフィーの分析から、yolk peptideの阻害効果においては、ペプチドによるカドミウム吸着が主要な機構であることが示された。

以上要するに、本研究は、カドミウムの腸管上皮細胞における炎症性サイトカインIL-8の産生誘導現象及びその機構としてNF-κB経路の重要性を提示するとともに、カドミウムの腸管吸収を抑制しうると考えられるペプチド性食品成分とその抑制機構の一端を明らかにしたもので、学術上応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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