学位論文要旨



No 121253
著者(漢字) 富田,武郎
著者(英字)
著者(カナ) トミタ,タケオ
標題(和) リンゴ酸脱水素酵素の補酵素特異性に関する構造生物学的研究
標題(洋)
報告番号 121253
報告番号 甲21253
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2966号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西山,真
 東京大学 教授 祥雲,弘文
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 助教授 大西,康夫
 東京大学 助教授 葛山,智久
内容要旨 要旨を表示する

Thermus属細菌は高温で生育する高度好熱菌である。本菌が生産する酵素は高い耐熱性を持つことから、本菌は利用価値の高い安定酵素の資源といえる。さらに、同菌の全タンパク質を対象とした構造生物学的研究もスタートしており、X線結晶構造解析によって決定されるタンパク質の立体構造情報を基にして、基質特異性の改変、高活性化など、産業利用に適した性質を有する酵素の創生が期待されている。

当研究室では、これまでにThermus flavus AT-62株よりTCAサイクルの最後の反応を担うリンゴ酸脱水素酵素(Malate Dehydrogenase, MDH)の遺伝子をクローン化し、同酵素の酵素学的諸性質を明らかにすると同時に、タンパク質工学的研究及びtMDH-NADH複合体のX線結晶構造解析を通して、高い熱安定性を持つメカニズムをはじめとする同酵素の構造-機能相関を明らかにしてきている。

MDHは、真核生物での細胞局在から細胞質MDH、ミトコンドリアMDH、葉緑体MDHに分類される。細胞質、ミトコンドリアMDHはNAD(H)依存酵素でありTCAサイクルの中で機能する一方で、葉緑体MDHはNADP(H)依存酵素であり光合成の過程のうち炭酸固定において機能していることが知られている。当研究室では以前にアミノ酸配列から細胞質型に分類されるT. flavus 由来のMDH (tMDH)において、その補酵素特異性を決定すると推定されたループ領域のアミノ酸配列を葉緑体MDHのものに置換した変異体EX7 (Glu41Gly/Ile42Ser/Pro43Gln/Gln44Arg/Ala45Ser/Met46Phe/Lys47Ala)を作製し、同酵素の補酵素特異性をNAD(H)からNADP(H)へほぼ完全に変換することに成功している。

本研究では、tMDHがNAD(H)とNADP(H)を識別する仕組みの詳細、ならびに補酵素特異性の変換が行われた構造的基盤を明らかにするため、tMDH-NADPH複合体およびEX7-NADPH複合体、そしてEX7-NADH複合体のX線結晶構造解析を行った。さらに、葉緑体MDHやEX7のNADP(H)依存性を決定付けているアミノ酸配列を他のNAD(H)依存酵素への適用することが可能かどうかを調べるため、乳酸脱水素酵素(Lactate Dehydrogenase, LDH)へそのアミノ酸配列を導入し補酵素特異性の変換について解析した。

tMDH-NADPH複合体における補酵素結合様式1

tMDHはNAD(H)を補酵素として利用する一方で、少し高濃度の添加を必要とするもののNADP(H)も補酵素として利用することができる。tMDHの補酵素特異性について更なる知見を得るためにtMDH-NADPH、tMDH-NADP+複合体の結晶構造解析を行った。100 mM Tris-HCl (pH8.0-9.0)、20-25% PEG 4000の条件下において0.4 x 0.2 x 0.2 mmのサイズのtMDHの柱状結晶を得た。同結晶に1 mM NADPHまたは1 mM NADP+を一晩ソーキングした後、クライオ条件(−173℃)において回折データの収集を行った。それぞれ1.65、2.08〓分解能のデータセットを収集し、tMDH-NADH複合体の立体構造をサーチモデルとして分子置換法により位相を決定し、構造を精密化した後、最終構造を得た。全体構造は既に構造が決定されているtMDH-NADHとほぼ同一であったが、予想外なことにNADP(H)は通常とは逆の方向、すなわちアデニン部分が活性中心の近くに、そしてニコチンアミド部分がtMDH-NADH複合体においてアデニン部分が結合していた部位に向いて結合していた(図1)。これは、NADP(H)が分子内に擬対称性をもつことが原因となっている。この逆位型複合体が結晶中のartifactか否かを確かめるため、結晶作製条件に近い高濃度のNADP+を用いて反応を行ったところNADP+に対して2.61 mMのKiで阻害が観察された。このことからNADP(H)は高濃度ではtMDHに逆位に結合し、阻害剤として働くことが示された。また、NAD+の場合もより高濃度域ではあるがtMDHが阻害されたことから、NAD(H)も逆位に結合し、阻害剤として働く可能性が示された。これは、今までに知られていなかった補酵素濃度による活性(代謝)調節の存在を示唆する新しい発見といえる。

tMDHの補酵素特異性変換体EX7の補酵素特異性変換機構

100 mM Tris-HCl(pH8.0-9.0)、20-25% PEG4000、1 mM DTTの条件下において0.30 x 0.15 x 0.15 mmのサイズのEX7の柱状結晶を得た。得られた結晶に1mM NADPHまたは1 mM NADHを一晩ソーキングした後、クライオ条件において回折データの収集を行った。それぞれ2.00〓分解能のデータセットを収集し、tMDH-NADH複合体の立体構造をサーチモデルとして分子置換法により位相を決定し、構造を精密化した後、最終構造を得た。

EX7-NADPH複合体中の中で、置換されたSer42とSer45がNADPHの2'-リン酸基と水素結合を形成していた。特にSer42は結合距離2.5〓の短い水素結合を形成しており、部分的に共有結合性を持つと考えられた。さらに、Gly10とGly12は水分子を介した水素結合により、2'-リン酸基を安定化していた。しかし、NADPHのアデニン部分の電子密度が観察されなかったことからこの部分が複合体中で揺らいでおり、酵素によって認識されていないと考えられた。その一方で、シュミレーションにおいてNADPHの2'-リン酸基とイオン結合すると予想されたArg44の側鎖は電子密度マップ中に電子密度が観察されなかった。しかしながら、同残基はNADP(H)依存MDH(葉緑体MDH)の間で保存されていることや、Arg44をもたない変異体EX3(Glu41Gly/Ile42Ser/Ala45Ser)がNADPHに対する親和性が大きく低下していることから、2'-リン酸基の安定化に寄与すると考えられた。そこで、実際にEX7からArg44を野生型のGln44へ戻した変異体EX6を作製し、解析したところEX7に比べてNADPHに対する親和性が低下した。また、EX3にArg44を導入した変異体EX4を作製し、解析したところNADPHに対する親和性の上昇が見られた。このことから、結晶構造中ではArg44の側鎖は様々なコンフォメーションを持ちながら、NADPHの2'-リン酸基とイオン結合をしていると考えられた。これらの結果から、EX7においてNADPHの2'-リン酸基は i) Glu41Glyによる立体障害および電荷の反発の解消、ii) Ser42による強い水素結合を含めた多数の水素結合、iii) Arg44とのイオン結合、によって安定化されていると考えられた。一方、Flaveria bidentis由来の葉緑体MDHのNADPHとの複合体の結晶構造がCarrらによって決定されている。この複合体において、NADPHの2'-リン酸基はSer81とSer84と水素結合を形成し、安定化されていた。しかし、EX7-NADPHで見られた短い水素結合や

水分子を介した水素結合は見られず、その代わりにアデニン部分が認識されている(図2)。これらのことから葉緑体MDHではEX7と異なり、2'-リン酸基に加え、アデニン部分も認識することでNADPHの安定化を行っていると考えられた。これらの結果、EX7のNADPHの2'-リン酸基を安定化する大まかな機構はSer42、Arg44、Ser45を中心としたアミノ酸残基が関わるという点で大まかには葉緑体MDHのものと同様であるが、詳細な点においては両者は異なる機構で2'-リン酸基を安定化していることが明らかとなった。

葉緑体MDHの補酵素特異性決定配列のT. thermophilus HB27株由来LDHへの導入

EX7と補酵素との複合体の結晶構造解析の結果からEX7では葉緑体MDHとは異なり、NADPHの2'-リン酸のみを強力に認識し、アデニン部分の認識を必ずしも必要としないことが明らかとなった。そこで、葉緑体MDHからEX7へ導入された7アミノ酸からなるループ領域が別のNAD(H)依存性酵素の補酵素特異性の変換にも適用できないかと考えた。幾つかのNAD(H)依存性酵素の立体構造情報を検討し、ループを導入できる可能性があるものとしてLDHおよびグリセルアルデヒド-3-リン酸脱水素酵素(Glyceraldehyde-3-phosphate dehydrogenase, GAPDH)を選び、先のループ領域のアミノ酸配列を組み込んだそれぞれの酵素遺伝子(LDH-EX7、GAPDH-EX7)を作製した。そのうち、GAPDH-EX7はどのような検討を行っても不溶性タンパク質として大腸菌体内に蓄積したことから、以降は対象をLDH-EX7に絞り研究を行った。野生型LDHにおいて、NADHはNADPHに比べて130倍も高い触媒効率を持つのに対して、LDH-EX7は約4倍の触媒効率でNADPHの方をよく認識することがわかった。今回のLDHを用いた変異導入においては、MDHで見られたような完全なNADP(H)型酵素への変換には至らなかったが、導入された変異の効果はこれまでLDHで試された変異のどれよりも優れており、補酵素特異性をNAD(H)からNADP(H)に変換するに当たりMDHのNADPH認識機構の一部を導入することの有効性が示されたといえる。NAD(H)依存性のBacillus stearothermophilus 由来のLDHの立体構造をテンプレートとした分子シュミレーションによりLDH-NADH複合体、LDH-EX7-NADPH複合体の立体構造のモデルを作製したところ、LDHはMDHの場合と同様にAsp52がNADHのアデニンリボースを認識しているのに対して、LDH-EX7ではSer53とNADPHの2'-リン酸基が水素結合を形成していた。しかし、EX7においての2'-リン酸基の認識に重要であったArg44とSer45に対応するArg55とSer56は2'-リン酸基と結合するには離れすぎた位置に存在しており、これらは2'-リン酸基の認識には関与していない可能性が考えられた。更なるNADPHへの特異性の向上を目指すには2'-リン酸基に近接したアミノ酸残基を2'-リン酸基とイオン結合、水素結合しうるアミノ酸残基を導入することが有効であると考えられた。

図1. tMDH-NADH複合体とtMDH-NADPH複合体の補酵素結合様式の比較

図2. EX7-NADPH複合体と葉緑体MDH-NADPH複合体の2'-リン酸基結合サイトの比較

Tomita, T., Fushinobu, S., Kuzuyama, T., and Nishiyama, M. (2005) Biochem. Biophys. Res. Commun. 334, 613-618.
審査要旨 要旨を表示する

細胞質型リンゴ酸脱水素酵素(Malate Dehydrogenase, MDH)はTCAサイクルにおいてNAD+を用いてリンゴ酸からオキサロ酢酸への変換を触媒する酵素である。これまでに好熱菌Thermus flavus AT-62株由来の細胞質型リンゴ酸脱水素酵素のNADHとの複合体の結晶構造解析からtMDHがNAD(H)に対する高い特異性を持つ機構は明らかになっているものの、tMDHがNAD(H)とNADP(H)を識別する分子機構は明らかになっていない。本研究では好熱菌T. flavus AT-62株由来の野生型リンゴ酸脱水素酵素、および補酵素特異性改変体のNADH、NADPHとの複合体の結晶構造解析を行い、補酵素識別機構の解明を試みている。また、そこで得られた知識を基に、これまで補酵素特異性の変換が難しいとされていた乳酸脱水素酵素(Lactate Dehydrogenase, LDH)の補酵素特異性をNAD(H)からNADP(H)へと変換することを試みている。

第一章は序論である。第二章では、tMDH-NADPH、tMDH-NADP+複合体の結晶構造をそれぞれ1.65、2.08〓分解能で決定している。全体構造は既に構造が決定されているtMDH-NADH複合体とほぼ同一であったが、予想外にNADP(H)は通常とは逆の方向、すなわちアデニン部分が活性中心の近くに、ニコチンアミド部分がtMDH-NADH複合体においてアデニン部分が結合していた部位に向いて結合することを見いだした。このことはNAD(P)(H)は高濃度ではtMDHに逆位に結合し、阻害剤として働くことを示唆していると考えられた。そこで溶液中においても「逆位」に結合し、酵素活性を阻害するのかどうか解析し、NADP+に対して2.6 mMのKiで阻害が起こることを観察した。また、NAD+の場合もより高濃度域ではあるが活性の阻害を確認した。同阻害は、NADP(H)が分子内に擬対称性を持つことが原因となっていることから、このような「逆位」の結合が、基本的にはどのNAD(P)(H)依存酵素においても、起こりうる可能性があると提案している。これらは、これまでに知られていない補酵素濃度による酵素活性の調節、あるいは代謝調節機構の存在を示唆する新しい発見といえる。

第三章では、tMDHの補酵素特異性改変体EX7とNADPH、NADHとの複合体の結晶構造をそれぞれ2.00〓分解能で決定している。EX7-NADPH複合体中で、置換されたSer42、Ser45がNADPHの2'-リン酸基と水素結合を形成していることが明らかとなった。また、2'-リン酸基結合部位近傍に野生型酵素では見られないいくつかの水分子が導入されており、これらを介したEX7との水素結合ネットワークも2'-リン酸基の安定化に寄与していることが示唆された。結晶構造中でNADPHのアデニン部分が観察されなかったため、この部分がヒポキサンチンに置換された補酵素NHDPHを用いた解析を行った結果、tMDHがアデニンを特異的に認識しているのに比べて、EX7がアデニンを認識していないことが示された。さらに結晶構造中で側鎖の観察されなかったArg44のNADPHの認識における役割を調べるため、部位特異的変異を導入し、解析を行った結果、Arg44が2'-リン酸基の認識に寄与していることが示唆された。また、EX7-NADPH複合体とEX7-NADH複合体の結晶構造を比較した結果、両者でEX7の構造はほとんど変化していなかったがEX7は補酵素の2'-リン酸基の有無を識別する結果、ニコチンアミド部分の安定性、親和性の違いへと反映されていることが明らかとなった。

第四章ではtMDHの補酵素特異性変換に有効であった葉緑体MDH由来の7アミノ酸配列をThermus thermophilus HB27由来のLDHの相当領域と交換することによってLDHの補酵素特異性をNAD(H)からNAPD(H)へと変換することを試みている。その結果、野生型LDHでは、NADHを使った反応はNADPHのものと比べて130倍も高い触媒効率を持つのに対して、それが逆転し、約4倍の触媒効率でNADPHの方をよく認識するように補酵素特異性がシフトした酵素の創生に成功している。

補章では、高度好熱菌T. thermophilus のリジン生合成に関わるアミノ基転移酵素LysNの結晶構造解析を行っている。その結果、LysNがいくつかの疎水性アミノ酸残基を用いて疎水性側鎖を持つ基質を認識することが明らかとなった。その一方で、これらのアミノ酸残基はフレキシブルなループ領域に存在しており、このことが幅広い大きさの基質に対応できる機構であることが示された。

以上、本論文はtMDHの結晶構造決定を通じて、同酵素の補酵素特異性の分子基盤を明らかにすると同時に、そこで得られる知識が他の関連酵素に応用可能であることを示したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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