学位論文要旨



No 121258
著者(漢字) 太田,信哉
著者(英字)
著者(カナ) オオタ,シンヤ
標題(和) 大腸菌の挿入因子 IS1 の転移と制御機構に関する分子遺伝学的研究
標題(洋)
報告番号 121258
報告番号 甲21258
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2971号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡邊,嘉典
 東京大学 教授 正木,春彦
 立教大学 助教授 関根,靖彦
 東京大学 講師 名川,文清
 東京大学 講師 大坪,久子
内容要旨 要旨を表示する

トランスポゾンは、原核生物から哺乳動物まで幅広く、それらのゲノム上に存在する転移性遺伝因子であり、ゲノム上のある部位から他の部位に転移挿入する。この転移反応により逆位、欠失などの様々なDNA組み換えをも引き起こすため、ゲノム再編成の主要な原因であることが分かっている。原核生物においては、挿入配列(IS)として大腸菌で最初に見いだされたが、IS1 はその1つであり、多薬剤耐性、エントロトキシン遺伝子の転移による伝播に関わっている重要な因子である。IS1 (768 bp) は、両端に約 30 bp の逆向き反復配列 (IR) を、内部には互いにオーバーラップする2つのオープンリーディングフレーム (orf; insA, B'-insB) をこの順で持つ。IS1 の転移反応を司る酵素トランスポゼース(Tnp)は、insA の下流域にあるアデニンクラスターにおいて翻訳時に -1 方向にフレームシフトすることにより InsA-B'-B 融合タンパク質の形で産生される。フレームシフトが起きない場合は、IS1の転移抑制タンパク質である InsA が産生される。本研究の目的は、らん藻、古細菌をも含む細菌群に存在する IS1 とは近縁であるが、構造的に多様なファミリーメンバーにコードされている Tnp 内の保存領域の情報に基づいて、Tnp のドメイン構造とその機能を解析し、IS1 の転移と制御機構を解明することである。

トランスポゾンの転移反応は、Tnp による自身の末端逆向き配列 IR への認識結合、2 つの Tnp 分子と両末端 IR を含む複合体 (トランスポソゾーム) の形成、各 IR 末端と転移の標的 DNA 間での DNA 鎖連結反応、に大別される。本論文では先ず、 IS1 ファミリーのメンバーにコードされる Tnp の N 末領域にはジンクフィンガー (ZF) とヘリックス-ターン-ヘリックス (HTH) モチーフが、C末領域には組み換え反応の活性中心のDDE モチーフを成す可能性のある酸性アミノ酸残基が、さらにその他いくつかの領域にヘリックス構造が保存されていることを述べる。次に、末端逆向き配列 IR への結合には、ZF と HTH モチーフをそれぞれ持つ 2 つのドメインが関わり、組み換え活性には、DDE モチーフを持つドメインが関わっていることを述べる。さらに、N 及び C 末両領域にトランスポソゾーム内で形成されると考えられるホリデー構造を持つ DNA に結合し、特異的な複合体を形成する活性があること、この活性に ZF モチーフを含むドメインとそのすぐ下流のヘリックス領域が関わっていることを述べる。そして、翻訳フレームシフトが起こらないときに生じる転移抑制タンパク質 InsA は Tnp のN末領域にあるドメインを共有し、これらが IS1 の転移の制御に深く関わっていることを述べる。

新規 IS1 ファミリーメンバーの同定と、それらにコードされる Tnp のアミノ酸配列の比較による機能的ドメインの推定

これまでにグラム陰性菌において、大腸菌の IS1 と相同性のある数多くの因子が見いだされており、 1 つのファミリーを成していることが明らかにされている。しかし、それらの配列の殆どは IS1 のそれとほぼ同じであり、それゆえ IS1 Tnp の機能的部位を推定することを非常に困難にしてきた。 そこで、IS1 とは遠縁の IS1 ファミリーメンバーを同定することを試みた結果、らん藻を含む真正細菌のみならず古細菌までIS1 ファミリーのメンバーが広く分布していることが分かった。全てのメンバーにおいて、IS1 と同様の構造的特徴が見いだされたが、超好熱性古細菌より見いだしたメンバーには、IR が非常に長いこと、および orf を1つしか持たないこと、といった違いが見られた。全てのメンバーの Tnp のアミノ酸配列に基づいて系統樹を描いたところ、真正細菌、らん藻 ・メタン細菌、そして、超好熱性古細菌、由来のメンバーがそれぞれクラスターを形成することが分かった。それらがコードする Tnp は多様であり、中にはアミノ酸配列レベルで20 % 程度しか類似性を示さないものもあったが、これらの Tnp の N 末領域には ZF とHTH モチーフが、さらに C 末領域には触媒活性中心を成すDDE モチーフを構成する可能性のある酸性アミノ酸残基が、その他いくつかの領域にヘリックス構造が保存されていることが分かった。

IS1 Tnpにおける活性中心の同定: DDE モチーフの存在

多くのトランスポゾンの Tnp やレトロウイルスのインテグラーゼ (Int) などの活性中心は、RNase H で見いだされたそれに類似し、3 つの酸性アミノ酸を含む DDE モチーフと呼ばれている。IS1 はトランスポゾンの中で最も小さなものであり、その Tnp は DDE モチーフを持たず、・ ファージの組み換え酵素の活性中心であるHRY モチーフを持つとされてきた。本研究で見出した IS1ファミリーメンバーのTnpのアミノ酸配列をアライメントしたところ DDE モチーフを成す可能性のあるいくつかの酸性アミノ酸残基が保存されているが、HRY モチーフを成すと考えられているアミノ酸残基は、保存されていないことが分かった。また、IS1 ファミリーメンバーの Tnp の 2 次構造を予測し、すでに高次構造が明らかにされている転移性ファージ Mu とトランスポゾン Tn5 の Tnp、および、レトロウイルス HIV-1 の Int タンパク質の 2 次構造と比較したところ、非常に類似している領域が存在することが分かった。このことは、IS1 Tnpが DDE モチーフを持つ可能性を強く示唆する。そこで、IS1 Tnpの全ての酸性アミノ酸に変異を導入したTnp を作成し、それらの転移活性を調べたところ、特定の3つの酸性アミノ酸 (D, D, E) に変異を導入したTnpは IS1 の転移を促さないことが明らかになった。この結果は、見出された3つの酸性アミノ酸が IS1 の転移に重要な役割を担っており、DDE モチーフを成していることを示唆する。実際、コンピュータープログラムによって推定される DDE モチーフを含む領域の 3 次構造は、高次構造が明らかにされている Tnp や Int タンパク質のものと非常に良く似ていることが分かった。ここで明らかにした IS1 の DDE モチーフは、2番目の D と 3 番目の E の間が 25 アミノ酸残基と、他の転移性因子のものと比べ非常に短い点で異なっている。それゆえ、長い間IS1においては転移反応の活性中心としての DDE モチーフの存在が指摘されなかったと考えられる。

IS1 Tnp による末端逆向き配列 IR 特異的結合に関わる 2 つのモチーフ (ZFとHTH) の同定

多くのトランスポゾンの Tnp による自身の末端の認識に HTH モチーフが関わっていることが分かっている。IS1ファミリーのメンバーがコードする Tnp、及び、転移抑制タンパク質 InsA(TnpのN末に相当)、には自身の末端の認識に関わっている可能性のある HTH モチーフが存在することが分かった。 加えて、IS1ファミリーメンバーがコードする Tnp の N 末端領域には ZF モチーフを構成すると考えられる4つのシステイン残基(C2C2)が保存されていることを見出したが、このモチーフも自身の末端の認識に関与している可能性が考えられた。そこで、HTH または ZF のいくつかのアミノ酸残基のそれぞれに変異を導入したTnpを作成し、転移頻度を調べたところ、これらのTnp変異体は IS1 の転移能を喪失していることが分かった。また、これらの Tnp 変異体、あるいは、同じ変異を持つ InsA が、IR 内にあるプロモーターからの insA, B'-insB の発現抑制能を喪失すること、さらに、精製した InsA 変異体タンパク質は、in vitro で IR 配列を含む DNA 断片に結合しないことを示した。 また、プラズマ発光法で InsA に亜鉛原子が 4 つのシステイン残基を介して配位結合していることを、キレート剤で亜鉛イオンを除くと InsA は IR 配列に結合しなくなることを示した。これらの結果は、 IS1 Tnpが HTH と ZF モチーフをそれぞれ含む2つのドメインの関わりによって自身の末端を認識・結合し、転移を促すこと、InsA が両ドメインを持つため IS1 の転移を抑制するタンパク質として機能すること、を示唆する。2つのドメイン構造は IS1 TnpがIRに方向性を持った結合によりDDEモチーフを含む領域をIRの末端に位置させるのに必要なものと考えられる。他のトランスポゾンのTnpの自己末端の認識にHTHモチーフのみが必要とされているが、これらも実際にはIS1 Tnpと同様、IRに方向性を持った結合するために必要な 2 つのドメインが関与している可能性が考えられる。

IS1 Tnpにおける転移中間体構造特異的なDNA結合活性とその活性に関わるドメインの同定

トランスポゾンの転移は、Tnpが両 IR に結合した後、Tnpの 2 量体形成により、両 IR が近接した形の安定な複合体であるトランスポソゾームを形成することによって起こると考えられている。このような複合体において Tnp は、IR 特異的 DNA 結合活性に加え、転移中間体中の少なくとも 4 本のDNA鎖が交叉した、ホリデー様構造に特異的な DNA 結合活性を持つことにより、安定な複合体であるトランスポソゾームを形成しているのではないかと考えた。そこで、IR を含まないホリデー構造をとるX 字形の基質を作成し、これを用いて Tnp が結合するかどうか調べた。その結果、Tnp は X 字型DNA に結合し、2つのTnp分子が結合した複合体を形成することを見出した。また、TnpはX 字型のみならず、Y 字型DNA にも結合すること、この場合には 1 つの Tnp 分子が結合した複合体を形成すること、さらに、IR配列を持たない 2 本鎖 DNA には結合しないが、バルジ構造を持つ 2 本鎖 DNA には結合することが分かった。これらの結果は、Tnp が折れ曲がった 2 本のDNAを認識するという構造特異的 DNA結合活性を保持していることを示唆する。このことは、Tnpが IR 特異的 DNA 結合活性に加え、構造特異的 DNA 結合活性を保持することにより、安定な複合体であるトランスポソゾームを形成するという上記の仮説を支持する。

次に、Tnpのどの領域が上記の活性に関わっているか、いくつかのTnp欠失変異体を用いてX 字型あるいは Y 字型DNA への結合を調べた。その結果、Tnpの N 及び C 末領域が、両基質への結合に関わっていることが分かった。また、N 末領域においては ZF モチーフ、および、ZFとHTHモチーフの間に存在するヘリックス領域が、C 末領域においては DDE モチーフの存在する領域が、この活性に関わることが分かった。

大腸菌における環状 IS1 の高頻度転移の機構

これまでにIS1 は、大腸菌K-12 株細胞内でTnpを過剰産生すると高頻度に転移するが、同時に環状 IS1 分子を生じることが示されている。この環状 IS1 分子は、もともとの IS1 に接していたどちらかの 5~9 bp の配列を両 IR で挟み込んだ構造のサークルジャンクションを持つが、このサークルジャンクションを含む領域を運ぶプラスミドは Tnp を過剰産生すると IS1 の場合より遥かに高頻度で転移することが示されている。本研究において、環状 IS1 が K-12 株中ではTnpを過剰産生しなくとも転移すること、また、環状 IS1は染色体上に IS1 が存在しない K-12 株以外の大腸菌 EcoR46 株中においては転移しないが、この株に IS1 を導入すると転移することを見出した。これらの結果は、環状 IS1 が大腸菌 K-12 株染色体上に数コピー存在する IS1 から産生されるTnpの作用によって転移することを示している。この環状 IS1 の転移は、IS1 の転移抑制タンパク質である InsA によって強くは阻害されない。このことは、環状 IS1 が染色体上の IS1 由来のInsA の存在下で、わずかに産生されるTnpの作用によって転移することを示唆している。環状 IS1 が K-12 株中で少量の Tnp の作用で転移することができるのは、環状 IS1 分子が効率的にトランスポソゾームを形成できる構造をとっているためと考えられる。

また、環状 IS1 は、N 末の IRへの結合に関わるドメイン内の重要なアミノ酸に変異を導入したTnpを過剰産生した場合、Tnp を過剰産生しなかった場合と同程度の頻度で転移するが、C 末の DDE モチーフを構成するアミノ酸に変異を導入した Tnp を過剰産生した場合、Tnp を過剰産生しなかった場合より低い頻度で転移することが分かった。このことは、DDE モチーフの Tnp 変異体が環状 IS1 の転移を阻害することを示している。このようなドミナントネガティブ効果は、他のトランスポゾンのTnpやレトロウイルスのIntタンパク質のDDE モチーフ変異体でも観察されており、IS1 Tnp中のDDEモチーフが触媒活性中心を成すという本研究で得られた結果をさらに支持するものである。

審査要旨 要旨を表示する

トランスポゾンは、ゲノム上のある部位から他の部位に転移挿入する遺伝因子である。トランスポゾンの転移は、トランスポゼース(Tnp)による自身の末端逆向き配列 IR への結合、2 つの Tnp 分子と両末端 IR を含む複合体 (トランスポソゾーム) の形成、各 IR 末端と転移の標的 DNA 間での DNA 鎖連結反応、に大別される。本研究の目的は、大腸菌の挿入因子IS1にコードされているTnpのドメイン構造とその機能を解析し、IS1 の転移と制御機構を解明することである。

本研究において、IS1 Tnp の N 末、及びC末領域で見出されたいくつかのアミノ酸モチーフがIR配列への結合、及び、転移組み換え活性に関わるドメインを形成していることを明らかにした。また、IS1 Tnp内の2つのドメインによりホリデー構造を持つ DNA に結合することを見出し、この活性がトランスポソゾームの安定化に関わっていることを明らかにした。Tnpは、IS1内部の2つのコード領域において翻訳フレームシフトを介して産生されるが、翻訳フレームシフトが起こらないときに生じるタンパク質 InsA が Tnp のN末領域にあるドメインを共有し、これらが IS1 の転移の制御に関わっていることを指摘したものである。

IS1 Tnp 内のアミノ酸モチーフの存在。これまでに見出されていたIS1ファミリーメンバーの多くは大腸菌の IS1 の配列とほぼ同じであったが、さらにIS1ファミリーメンバーを検索した結果、らん藻を含む真正細菌のみならず古細菌までIS1 とは遠縁のメンバーが分布していること、それらがコードするTnp の N 末領域にはジンクフィンガー (ZF) とヘリックス-ターン-ヘリックス (HTH)モチーフが、さらに C 末領域には転移組換え反応の活性中心のDDE モチーフを成すと思われる酸性アミノ酸残基が保存されていることを見出した。

Tnpの触媒活性中心DDE モチーフの同定。推定されたIS1 Tnp の高次構造と、すでに構造が解明された他のいくつのトランスポゾンの Tnpやレトロウイルスのインテグラーゼの高次構造を比較したところ、DDEモチーフを含む領域が非常に類似していることが分かった。そこで、全ての酸性アミノ酸に変異を導入したTnpの転移活性を調べたところ、特定の3つの酸性アミノ酸 (D, D, E) のTnp変異体は IS1 の転移を促さないことが分かった。この結果は、特定の3つの酸性アミノ酸がDDE モチーフを成していることを示す。ここで見出された DDE モチーフは、D とE の間が他の転移性因子のものと比べ非常に短く、それゆえIS1においてDDE モチーフの存在が指摘されてこなかったと考えられる。

IS1 Tnp におけるIR配列への結合に関わるモチーフの同定。IS1 Tnp、及び、InsAタンパク質のN末領域には、HTH モチーフと共に、明らかにZF モチーフを成す4つのシステイン残基が保存されている。本研究において、各モチーフのTnp変異体が IS1 の転移能を喪失すると共に、精製した InsA 変異体タンパク質がIR 配列を含む DNA 断片への結合能を喪失していることを示した。これらの結果は、IS1 Tnpが、他のトランスポゾンのTnpとは異なり、HTH と ZF モチーフを含む2つのドメインの関わりにより自身の末端に結合し転移を促すこと、InsA が両ドメインを持つため IS1 の転移を抑制することを示唆する。

IS1 Tnpにおけるホリデー構造特異的DNA結合活性とその活性に関わるドメインの同定。トランスポゾンは、両 IR に結合したTnpの 2 量体形成により生じる両 IR が近接した形のトランスポソゾーム内で転移組換え反応を起こすと考えられている。そこで、4 本のDNA鎖が交叉したホリデー構造をとるX 字形DNAにTnp の N 及び C 末領域が結合するかどうか調べた結果、それぞれの領域がX 字型DNA に2分子で結合した形の複合体を形成することが分かった。このホリデー構造の認識に、N 末領域においては ZF モチーフとそのすぐ下流のヘリックス領域が、C 末領域においては DDE モチーフ領域が関わっていることを示した。IR DNAに特異的に結合するTnpが、構造特異的 DNA 結合活性をも保持していることは、安定で活性のあるトランスポソゾームの形成に関わっていることを示唆する。

大腸菌における環状 IS1 の高頻度転移。大腸菌K-12 株細胞内でTnpを過剰産生するとIS1 は高頻度で転移するが、その時にIS1が環状化した分子が生じる。本研究において、この分子は高頻度で転移する能力を持つため、Tnpを過剰産生しなくてもK-12 株染色体上に存在するIS1 から生ずるわずかなTnpの作用によって転移することを見出した。さらに、この環状 IS1 の転移は、DDE モチーフの Tnp 変異体の存在下では阻害されることを見出した。このようなドミナントネガティブ効果は、他の転移性因子のDDE モチーフ変異体でも観察されており、IS1 Tnp中のDDEモチーフが触媒活性中心であるという本研究での結果を支持するものである。

以上本論文は、大腸菌の挿入因子IS1 と近縁の、構造的に多様なファミリーメンバーにコードされているトランスポゼース(Tnp) 内の保存領域の情報に基づいて、Tnp のドメイン構造とその機能を解明し、IS1 の転移と制御機構を明らかにしたもので、学術上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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