No | 121261 | |
著者(漢字) | 金子,雅昭 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | カネコ,マサアキ | |
標題(和) | プロテインホスファターゼ耐性型 p38 変異体の単離と解析 | |
標題(洋) | ||
報告番号 | 121261 | |
報告番号 | 甲21261 | |
学位授与日 | 2006.03.23 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(農学) | |
学位記番号 | 博農第2974号 | |
研究科 | 農学生命科学研究科 | |
専攻 | 応用生命工学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | はじめに 細胞を取り巻く環境中には高浸透圧、UV、熱ショックなどといった刺激が満ちており、それらは細胞にとって深刻な影響を与えうる。例えば、細胞外の浸透圧が細胞内より高くなると、脱水が生じ、細胞内の恒常性を維持できなくなる。しかし、そうなることを回避すべく細胞は、グリセロール等の可溶性低分子(適合溶質)を生合成し浸透圧差を是正しようとする。このように外界からの刺激に細胞が適応できるのは、刺激をシグナルの形で細胞内に伝達する機構が細胞に備わっているからである。 MAPK MAPK(mitogen-activated protein kinase)経路は、真核生物一般に保存された、タンパク質のリン酸化を介したシグナル伝達機構である。MAPK経路は一般的に、MAPキナーゼキナーゼキナーゼ(MAPKKK)、MAPキナーゼキナーゼ(MAPKK)、MAPキナーゼ(MAPK)の3つのキナーゼから構成されている。増殖因子、高浸透圧、UV、熱といった細胞外の刺激に応じて、細胞内でMAPKKK→MAPKK→MAPKの順に連鎖的にリン酸化反応が進む。リン酸化により活性化されたMAPKは、細胞質から核内に入り、応答反応を担う遺伝子の転写を誘導し、応答反応を引き起こす。MAPKは、構造上の特徴として活性化ループにThr(トレオニン)-X-Tyr(チロシン)配列を持ち、活性化にはこのThrとTyrの両残基がリン酸化されることが必要である。 哺乳類細胞におけるMAPKファミリーは大きく分けてERK(extracellular signal-regulated kinase)、JNK(c-Jun NH2-terminal kinase)、p38、ERK5の4つがある。ERKは増殖因子、細胞分化因子により活性化されるのに対し、p38とJNKはUV、熱、高浸透圧といった物理化学的ストレスあるいはサイトカインにより活性化される。ERK5は増殖因子等や物理化学的ストレスどちらによっても活性化される。本研究で取り扱うp38は、炎症性サイトカイン(IL-1やTNFなど)の産生、免疫応答、細胞分化、生存、細胞死など極めて多くの生命現象に関わっている。p38には4つのアイソフォーム(α、β、γ、δ)が存在し、このうちαとβは組織普遍的に発現がみられる。近年、p38は炎症反応を統括する分子として注目されており、p38に阻害効果のある薬剤が精力的に開発されている。 MAPKを不活性化するプロテインホスファターゼ MAPKは細胞の運命を決定づける因子である。したがって、応答反応後、その活性は速やかに不活性化される必要がある。プロテインホスファターゼは、MAPK経路を構成するプロテインキナーゼの脱リン酸化を介して、経路を負に制御することで過剰なシグナルを抑制する。MAPKに働くホスファターゼは、大別するとリン酸化Tyrに作用するチロシンホスファターゼ(リン酸化Tyr、Thrの両方に作用するDSP(dual specificity phosphatase)を含む)とリン酸化Thrに作用するセリン/トレオニンホスファターゼがある。 哺乳類の2C型セリン/トレオニンホスファターゼファミリーは、p38、JNKを脱リン酸化する他、上流のMAPKKK(TAK1)、MAPKK(MKK4、MKK6)をも脱リン酸化することが知られている。哺乳類のMAPKに作用するチロシンホスファターゼとしては、PTP-SL/STEP(主に造血細胞で発現)やHePTP/LC-PTP(主に神経細胞で発現)があり、これらはERKとp38を脱リン酸化している。DSPは高い基質特異性を持つホスファターゼである。ERK 、p38、JNKを脱リン酸化するCL100/MKP1やMKP4、ERKだけを脱リン酸化するMKP3、反対にp38とJNKだけを脱リン酸化するMKP5、M3/6などが例として挙げられる。 変異体を作製する意義、本研究の目的 機能獲得型(恒常的に活性を持つ)変異体は、経路の構成因子の同定などといったシグナル伝達経路の解析において有効なツールと成り得る。キナーゼに複数のアイソフォームが存在する場合、変異を導入してそれぞれ独立に活性化させることで、個々のアイソフォームの役割を明らかにすることもできる。 リン酸化によって活性化されるキナーゼの場合には、一般にセリンやトレオニンといった被リン酸化残基をグルタミン酸やアスパラギン酸といった酸性アミノ酸残基に置き換えることで、そのキナーゼにおける機能獲得型変異体を得ることができる場合が多い。しかしMAPKの場合においては、Thr-X-Tyr配列に対し同様の置換を行っても機能獲得型変異体を作り出すことはできないことが報告されている。また上流のキナーゼに無関係に機能しうる変異体を探索するという手法もある。しかしMAPKの基質は、転写因子やさらに下流のキナーゼ等、多岐にわたるため、この手法では本来の基質「スペクトル」とは異なったキナーゼが得られる可能性がある。以上のような様々なアプローチが、p38の機能獲得型変異体を得るために適用されてきたが、未だ有用なものが得られていない。そこで本研究ではリン酸化状態を維持しつづける変異体、すなわちプロテインホスファターゼに対し耐性を示す変異体の作出を試みた。最近、T細胞における免疫応答反応において、活性化に寄与するThr-X-Tyr以外の被リン酸化残基の存在が報告されるなど、p38自体の活性化とそれに続く応答には未知の部分が多く残されていると考えられる。それらを明らかにする上で、機能獲得型変異体が役立つことが期待される。 結果と考察 プロテインホスファターゼに耐性を示すHog1p変異体の単離 酵母におけるp38のホモログは浸透圧応答経路のMAPK、Hog1pである。Hog1pはp38と同様に2C型セリン/トレオニンホスファターゼPtc1p、およびチロシンホスファターゼPtp2/3pにより脱リン酸化され不活性化される(Fig.1)。Hog1pの活性化に必要な2つのリン酸化残基のうち、Ptc1pはリン酸化Thrを、Ptp2/3p はリン酸化Tyrをそれぞれ標的とする。またPtc1pとPtp2/3pの両方を遺伝子破壊すると、Hog1pの過剰な活性化により致死となることが知られている。 以上を利用すると、一方のホスファターゼを遺伝子破壊した株においてのみ致死性を示すHog1p変異体を検索することで、他方のホスファターゼによる脱リン酸化に耐性を示すものが取得できるはずである(Fig.2、Ptc1pに対して耐性を持つHog1p変異体の場合を示す)。そこでスクリーニングは次の手順で行った。 (1)PCRによる複製エラーを利用して変異を導入したHOG1 ORF群を、各ホスファターゼ破壊株中でプラスミドから発現させ、野生型のHOG1に比べ有意に生育不良にさせるものを選抜。 (2)(1)で得られた変異体が上流のMAPKKであるPbs2pに依存した活性を持つことを確認。 実際のスクリーニングの結果、Ptc1pに対して耐性を示すと考えられるHog1p変異体のみが取得された。変異体のDNAシークエンスを確認したところ、Hog1p 全長415アミノ酸残基のうち、140Val、206Ile、あるいは359Pheに、それぞれ1アミノ酸置換変異(それぞれV140A、I206T、F359L、F359S)を有することが判明した。これらの残基をp38の構造に当てはめると、140Valと206Ileは活性化ループを挟む位置にあることが予想された。特に206Ileはp38に限らず、ERKやJNKといったMAPK一般においても保存されており、MAPKに保存された機能に関わるアミノ酸残基であることがうかがわれる。一方359PheはHog1pに特異的なアミノ酸残基であった。 これらのHog1p変異体は、スクリーニングの結果と一致して、Ptc1pとPtp2/3pが存在するin vivoにおいて、無刺激の状態でもThr残基のリン酸化が亢進していた。また浸透圧刺激時においても野生型に比べ高いリン酸化状態にあり、その後の脱リン酸化も野生型に比べ遅延していた。 p38α変異体の解析 Hog1p変異体で変異の確認された残基140Valと206Ileは、p38αにおいてはそれぞれ146Ile、212Ileである。そこでHog1pにおける変異体(V140A、I206T)と相同な変異を導入したp38α変異体(それぞれI146A、I212T)を作製した。培養細胞に発現させ、そのリン酸化状態を調べたところ、I212TについてはThr残基のリン酸化の亢進が顕著に見られた。また刺激応答後の脱リン酸化も遅延していた。 またプロテインホスファターゼに対する耐性も検討した。ここではp38に直接作用することが知られている2C型セリン/トレオニンホスファターゼPP2Cαについて解析した。細胞内で共発現させたところ、野生型は脱リン酸化が進行したのに対し、変異体においては脱リン酸化の度合いは軽微だった。in vitroにおいて精製PP2Cαを作用させても、やはり変異体はホスファターゼによる脱リン酸化に抵抗性を示した。 さらにp38αの基質ATF2のリン酸化をモニターするルシフェラーゼアッセイにおいて、この変異体は野生型に比べ高い活性を有していた。この高いキナーゼ活性により、p38変異体は細胞毒性を有することも確認された。 まとめ 酵母を用いた遺伝学的なアプローチにより2C型セリン/トレオニンホスファターゼ耐性型Hog1pを取得した。この変異体はin vivoでThr残基のリン酸化が亢進していた。これと相同な変異を導入したp38α変異体においても、やはりThr残基のリン酸化が亢進していた。これは2C型セリン/トレオニンホスファターゼが変異体を脱リン酸化できないことに依ると示唆される。またp38α変異体は高いキナーゼ活性を有していた。また本研究では、スクリーニング条件に適合するチロシンホスファターゼ耐性型Hog1pは取得されなかった。これはチロシンホスファターゼが2C型セリン/トレオニンホスファターゼとは異なったHog1pの活性制御様式を取るためと考えられる。 これらのp38α変異体を利用して、p38αの活性制御に2C型セリン/トレオニンホスファターゼの果たす役割を明らかにすると共に、p38α活性化の強度と持続時間によって細胞の応答がどのように制御されているのかを明らかにしていきたい。また、相同な変異をp38の各アイソフォームに導入することによって、アイソフォーム毎の機能の違いを明らかにすることができると期待している。 Fig.1 MAPキナーゼとホスファターゼ Fig.2 スクリーニングの原理 | |
審査要旨 | 細胞を取り巻く環境中には高浸透圧、UV、熱ショックなどといった刺激が満ちており、それらに応答し適応することは細胞にとって根源的な問題である。このような物理科学的ストレスに対する応答反応を統括する分子として、一連のMAPK分子群がこれまでに同定されている。その中の一つp38は、昨今の研究結果から、多彩な生理現象への関与が示唆され、その研究成果は病理学的や薬理学的にも有用な知見に繋がることが見込まれる。p38の機能を解析する手段の一つとして、機能獲得型変異体を利用したものが挙げられ、現にこれまでにいくつかのp38の機能獲得型の形質を示すと思われる変異体が単離されている。本研究は、機能獲得型変異体を取得する方針として、不活性化因子であるプロテインホスファターゼに着目し、これに耐性を示す変異体を探索することで目的の変異体を取得しようという独自のアプローチを試みたものである。本論文は序論と2部からなる。 序論では、研究の背景と目的を述べている。MAPK一般について概説した後、p38の生理的な役割やp38に関する最近の知見などについて詳説し、さらに酵母における相同分子Hog1pについてふれた。次にMAPKを負に制御するホスファターゼについて、その種類、特性を解説し、最後に機能獲得型変異体を取得する意義について述べ、現在までの関連する研究の報告を挙げつつ、本研究の目的を明らかにした。 第1部では、酵母における解析の結果と考察を示している。酵母におけるp38のホモログは浸透圧応答経路のMAPK、Hog1pであり、Hog1pはp38と同様に2C型セリン/トレオニンホスファターゼPtc1p、およびチロシンホスファターゼPtp2/3pにより脱リン酸化され不活性化される。Ptc1pとPtp2/3pの両方を遺伝子破壊すると、Hog1pの過剰な活性化により致死となる実験的事実に基づき、ホスファターゼに耐性を示す変異体を探索する手段としてホスファターゼの指向性の違いを利用したスクリーニング系を構築した。ランダムに変異を導入したHog1p変異体群に対し、このスクリーニング系を適用した結果、Ptc1pに対し特異的に耐性を示すHog1p変異体V140A、I206T、F359L、F359Sが単離された。一方で、Ptp2/3p特異的に耐性を示すHog1p変異体は単離されておらず、その理由を考察した。Hog1pとp38を含む他のMAPKのアミノ酸配列の比較から、変異の確認された残基140Valと206Ileは活性化ループを挟む位置にあることが予想され、MAPKに保存された機能に関わるアミノ酸残基であると推察される。これらのHog1p変異体がPtc1pに対し特異的に耐性を示す直接的な証拠として、リン酸化Thrおよびリン酸化Tyrに対する特異的抗体を用いた解析により、in vivoにおいてThr残基のリン酸化が亢進することを確認した。またPtc1pに対し特異的に耐性を示すHog1p変異体として、V140A、I206T以外に、F359L、F359SといったHog1pのC末端領域に変異を有するものが取得されたことから、この理由を調べるべく、種々のHog1p C末端欠失変異体を作成し、解析に用いた。その結果、C末端の欠失のみによりPtc1pへの特異的な耐性の獲得につながることを示し、これを説明するモデルとして3つ提唱した。 第2部では、培養細胞における解析の結果と考察を示している。Hog1pにおける変異体(V140A、I206T)と相同な変異を導入したp38変異体(それぞれI146A、I212T)を作製し、培養細胞中でのリン酸化状態を調べたところ、I212TについてThr残基のリン酸化の亢進が顕著に見られ、また刺激応答後の脱リン酸化も遅延することを確認した。またプロテインホスファターゼに対する耐性について、p38に直接作用することが知られている2C型セリン/トレオニンホスファターゼPP2Cαを用いた解析、具体的にはin vivoにおいて共発現、またはin vitroにおいて精製PP2Cαを作用させるという2つのアッセイを行い、p38変異体はホスファターゼによる脱リン酸化に抵抗性を示すことを明らかにした。またp38の基質ATF2のリン酸化をモニターするルシフェラーゼアッセイにおいて、p38変異体は野生型に比べ高い活性を有し、この高いキナーゼ活性により、p38変異体は細胞毒性を示すことも確認した。これらの結果を踏まえ、本研究で取得されたp38変異体が機能獲得型の形質を示す理由について、各ホスファターゼの特性と関連付けて考察し、最後にこのp38変異体を用いての今後の展望について述べている。 以上、本研究はホスファターゼ耐性型Hog1pおよびp38変異体の単離・作出を通して、シグナル伝達機構の解析におけるツールを提供しただけでなく、Hog1pおよびp38の制御機構について新たな知見を得たものとして、学術上または応用上寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位として価値あるものとして認めた。 | |
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