学位論文要旨



No 121264
著者(漢字) 竹下,典男
著者(英字)
著者(カナ) タケシタ,ノリオ
標題(和) 糸状菌 Aspergillus nidulans のミオシン様ドメインを持つキチン合成酵素の機能解析
標題(洋)
報告番号 121264
報告番号 甲21264
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2977号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 足立,博之
 東京大学 助教授 堀内,裕之
内容要旨 要旨を表示する

糸状菌Aspergillus nidulansは、遺伝学的手法が利用可能であるのに加えて分子生物学的手法が早くから確立されていたことからこれまでに多くの知見が蓄積されており、近年、ゲノム配列も公開されたことからその研究はさらに急速に進むと予想される。また高い菌体外タンパク質分泌能を持つAspergillus oryzaeなどの産業上有用な菌のみならず、Aspergillus fumigatusなどの病原菌のモデル生物としても利用されている。糸状菌の高い分泌能や感染能と菌糸状の形態とは密接に関係していることが示唆されており、糸状菌の形態形成の機構を明らかにすることは、産業上、医薬開発上への応用が期待でき、また生物の形態形成に関する基礎的な知見を得る上でも重要である。

筆者の所属するグループは、糸状菌の形態形成の機構を解明することを目的として、細胞壁成分であるキチンに着目して解析を行っている。糸状菌の細胞表層は細胞壁によって覆われており、多くの糸状菌はその細胞壁の主要構成成分の1つとしてSaccharomyces cerevisiae等の大部分の酵母とは異なりキチンを持つ。キチンはN-アセチルグルコサミンがβ-1,4結合で繋がった重合体であり、非常に堅い構造となることから糸状菌の形態形成に果たす役割は重大であると考えられる。そして、キチン合成酵素の糸状菌菌糸内の特定の場所への局在化とその活性の厳密な時間的、空間的制御は非常に重要であることが予想される。しかし、糸状菌においてこれらのメカニズムについてはこれまでほとんど未解明のままであった。筆者の所属するグループは、これまでにA. nidulansから6種のキチン合成酵素遺伝子を単離し、その機能の解析を行っている(Fig.)。

csmA(chitin synthase with a myosin motor-like domain)遺伝子は、キチン合成酵素ドメイン(約750アミノ酸)のN末端側に、アクチンケーブル上を走るモータータンパク質であるミオシンに類似した構造のミオシン様ドメイン(約800アミノ酸)を持つタンパク質(CsmA.;1852アミノ酸)をコードしており、筆者の所属するグループによって初めて単離された(Fig.)。csmAの破壊株では、菌糸の途中が膨らむバルーンや菌糸の中に新たに菌糸が生じる菌糸内菌糸の形成が見られることから、CsmAが細胞壁合成の極性の維持に関わることが示唆され、その機能に両ドメインが必要であることも示されている。近年、ミオシン様ドメインを持つキチン合成酵素遺伝子の存在が、他の糸状菌や菌糸型の形態をとる真菌において明らかとなり始めており、このタイプの遺伝子はゲノム配列の公開されている中でAshbya gossypii以外の全ての子のう菌類の糸状菌において2種類ずつ存在し、それら遺伝子のコードするタンパク質はそれぞれクラスVとVIに分類される(Fig.)。その中にはその生物の病原性に必須であるものも含まれている。このタイプのキチン合成酵素遺伝子は、接合菌類や担子菌類の糸状菌にも存在するが、酵母Saccharomyces cerevisiae、Schizosaccharomyces pombeには存在しないことから、ミオシン様ドメインを持つキチン合成酵素が糸状菌に普遍的に存在し、糸状菌特有の機能を持つことが予想される。そこで本研究ではCsmAの機能解析を行い、更にA.nidulansにもう一つ存在するミオシン様ドメインを持つキチン合成酵素をコードする遺伝子csmBを単離し、その機能とCsmAとCsmBの機能的相関についての解析を行った。

CsmAの存在状態と発現制御1)

CsmAの細胞内での存在状態を解析するため、そのC末端に9コピーのHAのタグが付加され正常な機能を有するCsmA-HAを、野生型CsmAの代わりに発現できる株(CA2株)を作製した。抗HA抗体でWestern解析を行なったところ、SDS-PAGE上でそのアミノ酸配列から予想されるサイズに近い約210kDaの位置にバンドが見られた。また培養時間の経過に伴いCsmA-HAがキチン合成酵素ドメインとミオシン様ドメインの間で切断されて存在することが示唆された。一方、csmAが低浸透圧条件下で高発現することを示し、それまで単離されていなかったcsmAのプロモーター領域の単離、配列決定を行い数種の発現制御に関わる配列の存在を示唆した。

CsmAの局在とミオシン様ドメインの機能解析2)

糸状菌の先端生長には、細胞壁キチンの極性的な合成が必須である。一方、アクチン細胞骨格は菌糸の極性を決定するうえで重要な役割を担っている。CsmAはミオシン様ドメインを介してアクチン細胞骨格と極性的なキチン合成をつなぐタンパク質であることが予想されたことから、CsmAの菌糸内での局在とミオシン様ドメインの機能について解析を行った。まず、CsmAとアクチンの関連について検討するため、CA2株において抗HA抗体と抗アクチン抗体を用いた間接蛍光抗体法によりそれぞれの局在を解析し、CsmA-HAが菌糸先端と隔壁形成部においてアクチンと非常に近接した部位に局在化していることを示した。抗HA抗体を用いた免疫沈降実験ではアクチンがCsmA-HAと共沈するが、ミオシン様ドメインを欠失させたものとは共沈しないことから、CsmAのミオシン様ドメインがin vivoでアクチンと結合することが示唆された。また間接蛍光抗体法において、ミオシン様ドメインを欠失させた変異型CsmA-HAは菌糸先端、隔壁形成部に局在化せず、CsmAの正常な局在化にミオシン様ドメインが必要であることを示した。次に、ミオシン様ドメインのモーター活性について検討するため、ミオシン様ドメインにおけるモーター活性に必須と考えられるATP結合部位に変異を導入した変異体を野生型CsmAの代わりに発現する株を作製した。しかし、表現型や変異型CsmAの局在に異常が見られず、ミオシン様ドメインのモーター活性がCsmAの局在化、機能に必須ではないことが示唆された。そこで、ミオシン様ドメインとアクチンとの結合の重要性を検討した。ミオシン様ドメインのアクチン結合領域と予想される部位に変異を導入した変異体を野生型CsmAの代わりに発現する株を作製した。表現型はcsmA破壊株と類似しており、変異型CsmAの局在も異常であった。更に、ミオシン様ドメインをin vitroで合成し、F-アクチンとのpull-down実験を行うことにより、上記の変異を有するミオシン様ドメインとF-アクチンとの親和性が低下していることを示した。以上のことから、ミオシン様ドメインの機能にはアクチンと結合することが重要であることが示唆され、CsmAがミオシン様ドメインとアクチンの結合を介して、アクチン細胞骨格依存的に細胞内で局在化し極性的な細胞壁合成に関わることが示唆された。

csmBの機能解析、csmAとcsmBの機能的相関関係の解析3)

これまで一つの生物においては、クラスVとVIに分類されるキチン合成酵素をコードする遺伝子のどちらか一方の破壊株が作製され解析されているものの、二重破壊株の作製は報告されておらず、両者の機能的関わりは不明であった。そこでA.nidulansにおけるミオシン様ドメインを持つキチン合成酵素をコードするもう一つの遺伝子csmBを単離し、それ自身の機能と、またcsmAとの機能的相関についての解析を行った。まずcsmB破壊株を作製したところ、csmA破壊株と類似した表現型が見られ、両者の機能の類似性が示唆された。次に、csmAとcsmBの二重破壊を試みたが、合成致死となることが示された。そこで、csmBが破壊され、csmAの発現が制御可能な株を作製した。この株をcsmAの発現を抑制する条件で生育させたところ、著しい生育の遅れが見られ、単独破壊株で見られる表現型の他に先端生長に重篤な異常が見られた。このことから、CsmAとCsmBが先端生長において相補的な機能を持つことが示唆された。逆に、csmBが破壊された株でcsmAの発現量を増加させても、csmBの破壊による形態異常を抑圧することはできず、両者の機能が異なることも示唆された。csmAとcsmBはプロモーター領域を共有するように染色体上に位置し、csmBは低浸透圧条件下でcsmAと同様にそのmRNA量が多いことが示された。CsmBの機能をタンパク質レベルで検討するため、そのC末端に3コピーのFLAGタグが付加されほぼ正常な機能を有するCsmB-FLAGを野生型CsmB代わりに発現する株を作製した。そして、CsmB-FLAGが菌糸先端と隔壁形成部位においてアクチン近傍に局在化することを示し、CsmA-HAとも近接した領域に局在化することを示した。更に、CsmBのミオシン様ドメインとF-アクチンとの結合をin vitroで示した。これらのことから、CsmBもCsmAと同様にミオシン様ドメインとアクチンの結合を介して局在化し極性的な細胞壁合成に関わること、csmAとcsmBの条件的二重変異株の表現型を考え合わせると、その両者の菌糸先端における機能が正常な先端生長に必須であることが推定された。

糸状菌の先端生長には、細胞壁キチンの極性的な合成が必須であり、一般的に糸状菌の細胞壁のキチン含量は、酵母S. cerevisiaeのものよりずっと多い。これらのことから、糸状菌はキチン合成を時空間的により厳密に制御するために、特有の機構を持っている可能性がある。CsmAとCsmBはミオシン様ドメインを有することで極性の決定に関わるアクチン細胞骨格と相互作用し、より複雑な糸状菌特有のキチン合成を可能にする極めて重要なタンパク質であることが考えられる。

Fig.Cartoon depicting chitin synthases of Aspergillus nidulans and phylogenetic tree of class V and VI chitin synthases.

Takeshita,N.,Ohta,A.,Horiuchi,H.(2002)Biochem.Biophys.Res.Commun.298,103-109.Takeshita,N.,Ohta,A.,Horiuchi,H.(2005)Mol.Biol.Cell,16,1961-1970.Takeshita,N.,Yamashita,S.,Ohta,A.,Horiuchi,H.(2006)Mol.Microbiol.in press.
審査要旨 要旨を表示する

第1章では、CsmAの細胞内での存在状態と発現制御について述べている。糸状菌Aspergillus nidulansのキチン合成酵素であるCsmAは、当研究室において初めて発見されたミオシン様ドメイン(MMD)を有する特徴的な酵素であり、糸状菌にのみ普遍的に存在し、糸状菌特有の機能を持つことが予想される。細胞壁成分であるキチンは、非常に堅い構造となることから糸状菌の形態形成に果たす役割は重大であると考えられ、キチン合成酵素の菌糸内の特定の場所への局在化とその活性の厳密な時空間的制御は非常に重要であることが予想される。しかし、糸状菌においてこれらのメカニズムについてはこれまでほとんど未解明のままであった。本研究では、CsmAにHAのタグが付加され正常な機能を有するCsmA-HAを、野生型CsmAの代わりに発現できる株(CA2株)を作製した。抗HA抗体を用いたWestern解析によりCsmAが約210kDaのタンパク質として生産されていることを示した。糸状菌においてキチン合成酵素をタンパク質レベルで検出したことは、本研究が最初であった。また、それまで単離されていなかったcsmAのプロモーター領域の配列決定を行うことで、数種の発現制御に関わる配列の存在を示唆した。そして、csmAが低浸透圧条件下で高発現することを示した。

第2章では、CsmAの局在とミオシン様ドメインの機能解析について述べている。アクチン細胞骨格は菌糸の極性を決定するうえで重要な役割を担っており、CsmAはミオシン様ドメインを介してアクチン細胞骨格と極性的なキチン合成をつなぐタンパク質であることが予想されたことから、CsmAの菌糸内での局在、ミオシン様ドメインとアクチンとの関わりについて解析を行っている。CA2株において抗HA抗体と抗アクチン抗体を用いた間接蛍光抗体法によりそれぞれの局在を解析し、CsmA-HAが菌糸先端と隔壁形成部においてアクチンと非常に近接した部位に局在化していることを示した。また、CsmAのミオシン様ドメインがアクチンと結合することをin vivoとin vitroで示唆した。さらに、ミオシン様ドメインのアクチン結合領域と予想される部位に変異を導入した変異体を野生型CsmAの代わりに発現する株を作製することで、CsmAの機能と局在化に、ミオシン様ドメインとアクチンとの結合が重要であることを示唆した。今回の結果は、CsmAがミオシン様ドメインとアクチンの結合を介して、アクチン細胞骨格依存的に細胞内で局在化し極性的な細胞壁合成に関わるというモデルを支持するものである。

第3章では、csmBの機能解析、csmAとcsmBの機能的相関関係の解析について述べている。近年、ミオシン様ドメインを持つキチン合成酵素遺伝子の存在が、他の糸状菌において明らかとなり始めており、このタイプの遺伝子はゲノム配列の公開されているほぼ全ての子のう菌類の糸状菌において2種類ずつ存在する。これまで一つの生物においては、2つ存在するこのタイプの遺伝子のどちらか一方の破壊株が作製され解析されているものの、二重破壊株の作製は報告されておらず、両者の機能的関わりは不明であった。そこでA. nidulansにおけるミオシン様ドメインを持つキチン合成酵素をコードするもう一つの遺伝子csmBを単離し、それ自身の機能と、またcsmAとの機能的相関についての解析を行っている。まずcsmB破壊株を作製し、csmA破壊株と類似した表現型が見られたことから、両者の機能の類似性を示唆した。次に、csmAとcsmBの二重破壊が合成致死となることを示した。そこで、csmAとcsmBの条件的二重変異株を作製し、これらが著しい生育の遅れや、単独破壊株で見られる表現型の他に先端生長に重篤な異常を示すことを明らかにした。このことから、CsmAとCsmBが先端生長において重複した機能を持つことを示唆した。CsmBの機能をタンパク質レベルで検討するため、そのC末端に3コピーのFLAGタグが付加されほぼ正常な機能を有するCsmB-FLAGを野生型CsmB代わりに発現する株を作製した。そして、CsmB-FLAGが菌糸先端と隔壁形成部においてアクチン近傍に局在化することを示し、CsmA-HAとも近接した領域に局在化することを示した。更に、CsmBのミオシン様ドメインとF-アクチンとの結合をin vitroで示した。これらの結果は、CsmBもCsmAと同様にミオシン様ドメインとアクチンの結合を介して局在化し極性的な細胞壁合成に関わること、その両者の菌糸先端における少なくともどちらか一方の機能が正常な先端生長に必須であることを示唆するものである。

以上要するに、本研究は糸状菌におけるミオシン様ドメインを持つキチン合成酵素の機能解析であり、CsmAとCsmBはミオシン様ドメインを有することで極性の決定に関わるアクチン細胞骨格と相互作用し、より複雑な糸状菌特有のキチン合成を可能にする極めて重要なタンパク質であること提唱する知見となっており、学術上応用上寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位として価値あるものと認めた。

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