学位論文要旨



No 121267
著者(漢字) 丸山,真一朗
著者(英字)
著者(カナ) マルヤマ,シンイチロウ
標題(和) 原始光合成生物における光環境応答とその進化に関する研究
標題(洋)
報告番号 121267
報告番号 甲21267
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2980号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 田中,寛
 東京大学 教授 西山,真
 東京大学 教授 池内,昌彦
 東京大学 助教授 足立,博之
 東京大学 助教授 藤原,徹
内容要旨 要旨を表示する

真核生物は全て太古の地球上で起こった細胞内共生にその起源を辿ることができると言われているが、この細胞内共生という事象が実際にどのような宿主細胞で起こったことにより原始真核生物が誕生したのかは全く未知である。また、そのような原始真核生物に現存のシアノバクテリア様光合成原核生物が細胞内共生することによって植物系統の真核生物が生じたとされているが、この葉緑体祖先生物の起源や、ミトコンドリア様オルガネラを既に共生させていたと考えられる宿主細胞の姿は未だ想像の域を出ない。

太陽光は生物圏全体を支える光合成のエネルギー源であると同時に、細胞内における多くの生体分子の構造や活性に影響を与える。そのため、地球上の殆ど全ての生物が直接或は間接的に光環境に応答する機構を持つと考えられる。そして、光合成原核生物を細胞内共生させた原始真核生物においては、自らの光環境応答機構に加え、さらに共生体が持ち込んだ光シグナル伝達機構のみならず光合成活性制御機構までをも統合した新たなシグナル伝達ネットワークを構築する必要があったと考えられる。

既に絶滅したであろうこうした原始光合成生物の姿を知るためには、現存の生物種を従来の方法で系統分類するだけでは不十分であることは既に広く認められている。本研究に先立ち。直径約2μmという微小な単細胞性原始紅藻Cyanidioschyzon merolaeの全ゲノム配列を解読し1,2植物の起源に近い進化的に重要な系統群に関するゲノム情報を得た。これにより、これまでのゲノム科学の進展により我々の手許に氾濫していた膨大な情報を比較解析し、細胞内共生過程における光環境応答システムの進化を統一的に理解する道が開かれつつあると言える。本研究では、主に原始紅藻及びシアノバクテリアを材料とし、光合成生物に広く保存されている光環境応答機構に焦点を当て、植物細胞において宿主由来及び共生体由来と考えられるシグナル伝達経路を解析すると共に、高等植物からシアノバクテリアをも含めた比較ゲノム的視点からその進化的意義を考察した。

原始紅藻における植物型クリプトクロムを介した光環境応答機構

光合成生物は太陽光を光合成以外でも様々な形で利用しているが、特に高等植物には様々な光受容能を持つタンパク質が存在し、中でも青色光受容体であるクリプトクロムと赤色・近赤外光受容体であるファイトクロムが協調的にシグナル伝達を行うことで、植物体の光依存的な形態形成を制御していることが知られている。その一方で、下等植物では光受容体の機能はおろかそれらの進化的保存性すら殆ど明らかにされていない。

本研究では、C. merolaeの全ゲノム配列情報を用いて光受容体の探索をい、既知の光受容体としては幾つかのクリプトクロム遺伝子のみがコードされていることを見出した。これはC. merolaeが青色光シグナル伝達経路を中心とした非常にシンプルな光応答機構を有していることを示唆している。また、これらクリプトクロム遺伝子群には植物型及び機能未知のバクテリア型両方の遺伝子が含まれていたことから、C. merolaeは宿主由来及び共生体由来のシグナル伝達経路を解析するのに適した材料であると考えられた。さらに、C. merolaeを赤色光下(15 μmol m-2 s-1)で培養すると、通常培養条件(70μmol m-2 s-1白色光)に比べ生育が遅れるものの、増殖が可能であることを明らかにした。このことは、青色光シグナル伝達経路が生育そのものには必須ではなく、何らかの調節的な役割を持つことを示唆している。

そこで、C. merolae核コード遺伝子に対するマイクロアレイを用いてトランスクリプトーム解析を行い、青色光依存的な遺伝子発現制御機構を解析した。まず第一次的なスクリーニングとして過去にシアノバクテリアや植物細胞に関して報告されているような条件、即ち12時間暗順応後に1時間の青色光(15 μmol m-2 s-1)照射を行い、マイクロアレイを用いて青色光照射前後における核トランスクリプトームの変化を解析したところ、葉緑体型シャペロンタンパク質をはじめとする所謂「ストレス応答性」の遺伝子群のmRNA量が青色光照射後に上昇していることが示唆された。このことは、この条件においては、シグナル伝達として機能するような一次的な遺伝子発現変化と、暗条件から明条件への急激な変化に伴う光合成系を中心とした二次的な光応答とが区別できず混在したアウトプットとして検出してしまっていることを示している。

そこで、より青色光特異的と考えられる応答を検出するため、12時間の赤色光(15 μmol m-2 s-1)順応後、さらに微弱な青色光(0.l μmol m-2 s-1)を追加照射して1時間処理した細胞において、青色光照射前後におけるマイクロアレイ解析を行った。その結果、転写産物量の変化の度合いは小さくなったものの、前述した条件とは全く異なる転写産物量プロファイルが得られた。転写産物量が上昇した遺伝子には様々なカテゴリーに属するものが含まれていたが、その中でもユビキチン修飾に関与すると考えられる遺伝子群は、シロイヌナズナにおける青色光シグナル伝達経路の解析結果を想起させることから、植物細胞において青色光依存的にユビキチン/プロテアソーム系の遺伝子発現レベルでの制御が進化的に保存されてきた可能性が示唆された。

また、こうした青色光依存的転写誘導を受けると考えられる遺伝子群のプロモーター領域を抽出し、コンセンサス配列を探索した結果、パリンドローム様構造を含む10塩基程度のモチーフを見出した。このモチーフは青色光依存的シス因子として何らかの転写因子との相互作用を介して遺伝子制御に関与している可能性がある。しかし、このモチーフが転写誘導を受ける全ての遺伝子において完全に保存されていた訳では無いことから、異なる転写制御メカニズムによる発現調節が同時に行われている可能性も示唆された。逆に、全ゲノム配列中でこのモチーフをプロモーターと思われる領域に含むような遺伝子を探索したところ、抽出された推定プロモーター(約1kb)のうち約30%がこのモチーフを含むことが示された。このことから、C. merolaeにおいては青色光シグナルがグローバルな遺伝子発現を制御する光環境応答の初期過程において重要な役割を果たしていることが推察された。

シロイヌナズナにおいては、HY5及びHYHというbZIP型転写因子がヘテロ二量体を形成し、植物型クリプトクロムとCOP1ユビキチンリガーゼとを含む複合体により光依存的な分解制御を受けることで青色光遺伝子発現制御を担っていると考えられている。本研究により、C. merolaeにおいても同様の青色光依存的転写制御に関与すると考えられるbZIP型転写因子が見出された。このbZIP型転写因子は前述のHY5及びHYHとは一次配列レベルでの顕著な保存性は見られないが、C. merolaeの全ゲノム中にホモログとしては只一つしか見出されないことから、ホモニ量体として光応答性の転写制御に関与することが推測された。

シアノバクテリアにおけるバクテリア型クリプトクロムの機能

前述のように、C. merolaeは植物型とバクテリア型の青色光受容体を持つが、後者のバクテリア型クリプトクロム(クリプトクロムDASHとも呼ばれる)は動物・植物を含む真核生物及び原核生物にも広く保存されているにもかかわらず、その機能は全く未知である。この光受容体はオルガネラに局在して何らかの機能を果たすと考えられていたが、唯一葉緑体及びミトコンドリア両方への局在が示唆されていたシロイヌナズナのクリプトクロムDASHにおいて、局在に重要とされていたトランジット配列部分がゲノム情報の更新によりデータベースより削除される等、事態は混沌を極めている。

本研究では、シアノバクテリアSynechocystis sp. PCC 6803 GT株を用い、クリプトクロムDASH破壊株及び恒常的発現株を作製した。破壊株は通常培養条件下(白色光)及び非光合成条件下(青色光)での生育、マイクロアレイを用いた遺伝子発現解析等において野生株と顕著な表現型の差異を示さなかった。一方、恒常的発現株では顕著な生育阻害と色素組成変化による黄化の表現型が得られた。これらのことから、SynechocystisにおいてクリプトクロムDASHの適切な発現量調節が生育に大きな影響を与えることが示唆された。

また、C. merolaeにおいて二つのクリプトクロムDASH相同遺伝子を同定し、これらの部分配列を抗原として抗体を作製したが、十分な反応性を未だ得ることが出来ていない。そこでこれらとGFPとの融合遺伝子をタマネギ表皮細胞に導入して局在解析を行ったところ、両者の融合遺伝子ともにミトコンドリア局在と思われる蛍光パターンを示したことから、C. merolaeクリプトクロムDASHはミトコンドリアにおいて何らかの機能を有する可能性が示唆された。しかし、葉緑体への局在や機能の有無も今後詳細に解析して行く必要があると考えられる。

原始紅藻を用いた新たな遺伝子工学的手法の開発

C. merolaeの形質転換・遺伝子組み換え技術は急速に進展しており、遺伝学的解析も既に実行段階に入っているが、外来遺伝子を一過的或は恒常的に発現させ、迅速に機能解析を行う手法は未だ試みられていない。真核生物の初期進化に関する遺伝子機能解析にはこのような技術が必須であると考え、現在、マイクロインジェクションを用いた微小なC. merolae細胞への遺伝子導入技術の開発を行っている。

Matsuzaki M,MisumiO,Shin-I T,Mamyama S,et al.Genome sequence of the ultrasmall unicellular red alga Cyanidioschyzon merolae lOD.Nature.2004;428:653-657.Maruyama S,Misumi O,Ishii Y,Asakawa S,Shimizu A,Sasaki T,Matsuzaki M,Shin-i T,Nozaki H,Kohara Y,Shimizu N,Kuroiwa T, The minimal eukaryotic ribosomal DNA units in the primitive red alga Cyanidioschyzon merolae,DNA Res.2004;11:83-91.
審査要旨 要旨を表示する

序章では、研究の背景と目的を述べている。既に絶滅したであろう原始光合成生物の姿を知るためには、現存の生物種を従来の方法で系統分類するだけでは不十分であることは既に広く認められている。本研究に先立ち、本論文申請者は直径約2μmという微小な単細胞性原始紅藻Cyanidioschyzon merolaeの全ゲノム配列を解読し、植物の起源に近い進化的に重要な系統群に関するゲノム情報を得た。これにより、これまでのゲノム科学の進展により得られた膨大な情報を比較解析し、細胞内共生過程における光環境応答システムの進化を統一的に理解するツールが得られた。本研究では、主に原始紅藻及びシアノバクテリアを材料とし、光合成生物に広く保存されている光環境応答機構に焦点を当て、植物細胞において宿主由来及び共生体由来と考えられるシグナル伝達経路を解析すると共に、高等植物からシアノバクテリアをも含めた比較ゲノム的視点からその進化的意義を考察した。

第一章では、微小な単細胞性原始紅藻C. merolaeにおける青色光依存的な遺伝子発現制御機構の解析について述べている。全ゲノム配列情報を用いて光受容体の探索を行い、既知の光受容体としては幾つかのクリプトクロム遺伝子のみがコードされていることを見出した。また、これらクリプトクロム遺伝子群には植物型及び機能未知のバクテリア型両方の遺伝子が含まれていたことから、C. merolaeは宿主由来及び共生体由来のシグナル伝達経路を解析するのに適した材料であると考えられた。さらに、C. merolaeを赤色光下で培養すると、通常培養条件(白色光)に比べ生育が遅れるものの、増殖が可能であることを明らかにした。そこで、C. merolae核コード遺伝子に対するマイクロアレイを用いてトランスクリプトーム解析を行い、青色光依存的な遺伝子発現制御機構を解析した。青色光照射前後におけるマイクロアレイ解析を行った結果、青色光依存的と考えられる転写産物量プロファイルが得られた。転写産物量が上昇した遺伝子には様々なカテゴリーに属するものが含まれていたが、シロイヌナズナにおける青色光シグナル伝達経路の解析結果と同様の傾向を示す結果が得られたことから、植物の光応答における遺伝子発現レベルでの制御が進化的に保存されてきた可能性が示唆された。また、こうした青色光依存的転写誘導を受けると考えられる遺伝子群のプロモーター領域を抽出し、コンセンサス配列を探索した結果、パリンドローム様構造を含むモチーフ配列を見出した。

第二章では、原始紅藻及びシアノバクテリアにおけるバクテリア型クリプトクロム(クリプトクロムDASH)の機能解析について述べている。これまで動物・植物を含む真核生物及び原核生物にも広く保存されているにもかかわらず、その機能は全く未知であったが、本研究では、シアノバクテリアSynechocystis sp. PCC 6803 GT株を用い、クリプトクロムDASH恒常的発現株で顕著な生育阻害と色素組成変化による黄化の表現型を得た。これらのことから、SynechocystisにおいてクリプトクロムDASHの適切な発現量調節が生育に大きな影響を与えることが示唆された。また、C. merolaeにおいて二つのクリプトクロムDASH相同遺伝子を同定し、これらとGFPとの融合遺伝子をタマネギ表皮細胞に導入して局在解析を行ったところ、両者の融合遺伝子ともにミトコンドリア局在と思われる蛍光パターンを示したことから、C. merolaeクリプトクロムDASHはミトコンドリアにおいて何らかの機能を有する可能性が示唆された。

第三章では、マイクロインジェクションを用いた微小なC. merolae細胞への遺伝子導入技術の開発についてのべている。

以上要するに、本研究は原始紅藻及びシアノバクテリアを用いた青色光受容体及びそのシグナル伝達機構の解析であり、進化的な見地からもこれまで考えられていた以上に植物細胞において遺伝子レベルでの統一的な説明が可能であることを示す知見が得られ、学術上、応用上の寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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