学位論文要旨



No 121270
著者(漢字) 米山,京
著者(英字)
著者(カナ) ヨネヤマ,ミヤコ
標題(和) 活性化型 TOR 変異体を用いた酵母 TOR 経路の生理機能の解析
標題(洋)
報告番号 121270
報告番号 甲21270
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2983号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 豊島,近
 東京大学 教授 山本,正幸
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
 東京大学 助教授 加藤,久典
 東京大学 助教授 前田,達哉
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

細胞の成長と増殖は、増殖因子などの増殖刺激に加え、栄養状態に応じても制御されている。細胞外の栄養状態を検知し、細胞の成長を制御する機構の主要な因子がTOR(Target Of Rapamycin)である。プロテインキナーゼであるTORは、真核生物に広く保存されており、哺乳類にはmTOR、酵母にはTor1p、Tor2pの二つが存在する。

Tor1p、Tor2pは、機能的に異なる二つのTOR複合体を形成し、様々な生理的制御に関わっている。TORC1(TOR Complex 1)は、Tor1もしくはTor2p、Kog1p、Lst8p、Tco89pの4つのタンパク質で構成されており、ラパマイシンに感受性を示す。TORC1は、タンパク質の翻訳、リボソームの生合成、オートファジー、転写因子の活性化、細胞周期、栄養源トランスポーターの選別と代謝回転などを制御している。TORC2(TOR Complex 2)は、Tor2p、Avo1p、Avo2p、Tsc11p、Lst8p、Bit61p、Slm1p、Slm2pの8つのタンパク質で構成されており、ラパマイシンに非感受性を示す。TORC2は、アクチン骨格系の局在化を制御している。この2種類のTOR複合体は、サブユニット構成に差異はあるものの、哺乳類においても保存されている。

TORは細胞の大きさと増殖を制御することから、癌に代表されるような増殖性疾患と関連して研究が進められている。腫瘍細胞でのmTOR自体の異常は知られていないものの、ある種の癌抑制遺伝子の欠損によって引き起こされたmTORの活性化が、細胞の腫瘍化に繋がることを示す証拠がある。実際に、TORを標的分子とする免疫抑制剤ラパマイシンの、抗癌剤としての臨床治験も始まるなど、発癌におけるmTORの関与は臨床的にも関心を集めている。

これまでに、ラパマイシンによってTORC1の機能を阻害した場合に細胞に引き起こされる応答や、TORの機能を欠損もしくは低下させた変異細胞の表現型の解析から、TORが制御していると考えられる種々の生理反応が報告されてきた。しかしながら、これらが実際にTORによって制御されているのか、あるいはTORは単にこれらの反応に許容的な役割を果たしているのかは明らかにされていない。また、栄養源がシグナルとしての役割を持つこと自体は疑いの無い事実だと思われるが、栄養源のシグナルが実際にTORの活性調節を介して種々の応答反応を制御しているか否かも定かではない。

我々はこの点に着目し、遺伝学的解析の容易な酵母を用いてTORの機能獲得型変異体を作製し、この変異体を用いて栄養源のシグナルが細胞の応答反応を制御するメカニズムを明らかにすること目的として本研究を行った。

活性化型TOR2遺伝子の候補の単離

修士課程において、ラパマイシンに対する耐性を指標に、活性化型であると考えられる変異型TOR2遺伝子を15クローン取得した。この中にはlst8ts変異の致死性を抑圧できる変異型TOR2遺伝子が5クローン存在した。5つの中で、lst8ts致死性の抑圧能とラパマイシン耐性が共に強い変異型TOR2遺伝子を一つ(TOR2-LM)選び、以降の解析に用いることにした。TOR2-LMで変異していたアミノ酸残基はmTORには保存されていなかったが、Tor1pには保存されていた。そこで相同な変異をTOR1遺伝子にも導入し、TOR1-LMを作製した。

TOR1-LM変異とTOR2-LM変異は

TOR複合体構成因子の欠損による致死性を抑圧する

TOR複合体構成因子をコードするKOG1とLST8はどちらも必須遺伝子であり、欠損変異株は致死となる。kog1ts株とlst8Δ株を用いて、TOR1-LMもしくはTOR2-LMがこれらの致死性を抑圧できるかどうかを調べた。その結果、TOR1-LMはkog1tsの温度感受性による致死性を抑圧する事ができたが、lst8Δの致死性を抑圧する事ができなかった。一方、TOR2-LMは、lst8Δの致死性を抑圧する事ができ、kog1tsの温度感受性による致死性を弱く抑圧した。これらの結果は、TOR1-LMがTORC1機能の欠損を、TOR2-LMがTORC1機能とTORC2機能の欠損を抑圧することを示し、これらの変異が活性化型であることを示唆している。

TOR1-LM変異株とTOR2-LM変異株は栄養飢餓条件下の生存率が著しく低下する始めに、TOR1-LM、TOR2-LMそれぞれの変異遺伝子をゲノムに組み込んだ変異株を作製した。さらに、2つの変異を合わせ持つ二重変異株(TOR1-LM TOR2-LM)、TOR2-LMのみの効果を見るためにTOR2-LMを持たせた上でTOR1を破壊した株(tor1Δ TOR2-LM)も作製し、以下の解析を行った。

まず、アミノ酸を欠乏させた培地において、TOR1-LM変異株とTOR1-LM TOR2-LM二重変異株の生育が悪化した。これは、TOR1-LMが正常な飢餓応答を行う事ができず、貧栄養状態に適応できなかった為であると考えられ、TOR1-LMが恒常的活性化型であるという予想と矛盾しない。さらに、各株を窒素源飢餓培地に移したところ、TOR1-LMでは著しい生存率の低下が引き起こされた。これもまたTOR1-LMが恒常的活性化型であることを裏付けている。ラパマイシン添加培地における生育も検討したところ、活性化型の変異株は全てラパマイシンに対して弱い耐性を示していた。また、TOR1-LM株とTOR1-LM TOR2-LM二重変異株の生育を悪化させたアミノ酸欠乏培地にラパマイシンを添加すると、これらの株の生育が回復した。

TOR1-LM変異とTOR2-LM変異によるTORC1経路への影響

次にこれらの株を用いて、変異がTORC1依存的応答反応へ及ぼす影響について調べた。代表的なTORC1の下流因子として、Atg13pとNpr1pを用いた。オートファジーの誘導に重要なAtg13pは、TORC1依存的にリン酸化され制御されており、ラパマイシン添加時や飢餓時には脱リン酸化される。栄養源トランスポーターの選別と代謝回転に重要なNpr1pも同様である。上記変異株を窒素源飢餓条件下においたところ、TOR1-LM株とTOR1-LM TOR2LM二重変異株ではAtg13pとNpr1pの脱リン酸化が抑制されていることが示された。対照として行ったラパマイシンの添加に対しても変異体は耐性を示し、Atg13pとNpr1pは共にリン酸化状態を維持していた。

また、野生株では飢餓時やラパマイシン添加時にはグリコーゲンの蓄積が引き起こされる。上記変異株を窒素源飢餓条件下においたところ、TOR1-LM株とTOR1-LM TOR2LM二重変異株では、グリコーゲンの蓄積が野生株に比して阻害されていた。

これらの結果は、TOR1LM変異が恒常的活性化型であることを示すものである。

まとめ

はじめに述べたように、腫瘍細胞におけるmTORの活性化型変異は未だ報告がなく、本研究で単離した変異型TORは、あらゆる系を通じて、機能獲得型・恒常的活性化型のTOR変異体の唯一の例である。さらに、栄養シグナルが実際にTORの活性調節を介して種々の応答反応を引き起こしていることを示した最初の報告でもある。

今後はこの変異体が、キナーゼ活性が亢進するような変異型であるのか、または活性の制御がかからない脱抑制の状態にあるために活性化型であるのかを生化学的に確かめる必要がある。また、TOR1-LM変異株を用いた、遺伝子発現のマイクロアレイ解析を行うことにより、活性化状態のTORが細胞に引き起こす応答反応を、栄養シグナルの引き起こす他の応答とは区別して網羅的に調べることが可能になった。

また、mTORに関しても同様な恒常的活性化型変異体を単離することができれば、これまで示唆されていたように、mTORの活性化が細胞の腫瘍化を引き起こすか否かを明らかにすることができよう。一般にシグナル伝達因子の活性化型変異体が、経路解明のための研究ツールとして特に有効であったことを踏まえ、本研究で得られた恒常的活性化型TOR変異体が、TOR経路の全容解明に大きく資することを期待したい。

審査要旨 要旨を表示する

細胞の増殖は、増殖因子などの増殖刺激に加え、栄養状態に応じても制御されている。細胞が栄養源を検知するための情報伝達経路において中心的な役割を果たし、細胞の成長を調節している情報伝達因子が、Target of Rapamycin、TORである。免疫抑制剤、抗癌剤として知られるラパマイシンが、細胞の成長や増殖を阻害して、飢餓応答反応を引き起こすことから、その標的タンパク質として同定された。酵母、分裂酵母、線虫、ショウジョウバエ、哺乳類、シロイヌナズナなどの真核生物において、その構造と機能は高度に保存されている。酵母にはTor1pとTor2pが存在し、Tor1pまたはTor2pと、Lst8p、Kog1pからなるTORC1と、Tor2p、Lst8p、Avo1, 2, 3pからなるTORC2という2つの複合体を形成している。TORC1はラパマイシンに感受性であり、タンパク質合成を制御すると示唆され、一方のTORC2はラパマイシンに非感受性であり、アクチン細胞骨格形成を制御すると示唆されている。本論文は、TORの活性を制御する機構を分子レベルで明らかにすることを目的に、酵母を用いて活性化型TORの単離とその解析を行い、これをまとめたものである。

第一章では、活性化型TOR2の単離について述べている。これまでのTOR経路に関する研究は、ラパマイシン処理や機能欠損変異によるTORの活性低下に伴う効果を検討する手法が中心であった。しかしながらその手法では、飢餓条件下に置かれた細胞が引き起こす飢餓応答反応が、TORを必ず介したTOR依存的な反応であるのか、あるいはTORが間接的・非制限的な役割を果たした反応であるのかについては、結論が出せていない。そこで遺伝学的解析の容易な酵母を用いて、栄養飢餓状態においてもその活性を失うことのない、TORの機能獲得型変異体の取得を試みたことを述べている。本論文中に書かれている原理に従い、ラパマイシンに対する耐性を指標としてスクリーニングを行ったところ、活性化型の候補である変異型TOR2を15クローン単離することに成功したことを報告している。

第二章では、第一章で得られた変異型TOR2のプラスミドを用いた遺伝学的な解析について述べている。得られた変異型TOR2の15クローンの中から、最も活性が強いと思われた1クローン(TOR2-LM変異体)を選択し、TOR2-LMと相同な変異をTOR1に導入したTOR1-LMを作製して、これも加えて以降の解析を行っている。TORC1の構成因子であるKog1pと、TORC1、TORC2両複合体の構成因子であるLst8pは共に生存に必須のタンパク質であり、その機能を欠損すると致死となる。2種のkog1温度感受性変異株に、TOR1、TOR1-LM、TOR2、TOR2-LMプラスミドを導入し、これらの株の制限温度条件下における生育を回復できるかどうかを見たところ、TOR1-LMは両変異株の生育を回復させ、TOR2-LMは一方の変異株の生育を回復させた。また、lst8遺伝子破壊株にも上記のプラスミドを導入したところ、TOR2-LMのみが破壊株の生育を回復させることができたことを報告している。この結果から、LM変異体は低下したTOR複合体の活性を回復させることができる変異体であり、活性化型である可能性が高いことを論じている。

第三章では、LM変異を酵母のゲノムに組み込んだ変異株を作製し、この株を用いた生化学的な解析について述べている。Tor1pにLM変異を持つ株は野生株に比して、貧栄養培地における生育が悪化し、窒素飢餓条件下における生存率が著しく悪化していた。窒素源飢餓条件下におけるグリコーゲンの蓄積という飢餓応答に欠陥があったことから、TOR1-LM変異体は、栄養飢餓条件下にあっても活性を失わない、恒常的な活性を持つ可能性があると示唆されることを論じている。このことを明らかにするために、分子レベルでの解析を行っている。TORC1の下流因子を用いてTORC1の活性状態を検証したところ、窒素源飢餓状態においてもTORC1の活性を維持していることを示し、さらにキナーゼアッセイを行うことにより、Tor1pとTor2pの両LM変異体は、野生型のTor1pとTor2pよりもキナーゼ活性が亢進していること報告している。

考察では、本研究で単離した変異型TORが、あらゆる系を通じて、機能獲得型・活性化型TOR変異体の唯一の例であること、この変異体を用いることにより、栄養シグナルが実際にTORの活性調節を介して種々の応答反応を引き起こしていることを示した最初の報告であることを述べている。さらに、本研究を通じて得られた結果から推測できること、今後の課題、展望について論じている。

以上、本論文は、TORの活性化型変異を単離し、これを用いてこれまで未知であったTORの活性制御機構について解析したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク