学位論文要旨



No 121271
著者(漢字) 金,尚完
著者(英字)
著者(カナ) キム,サンワン
標題(和) カビの脱窒遺伝子の同定と異化型亜硝酸還元酵素の機能解析
標題(洋) Identification of the genes involved in fungal denitrification and characterization of dissimilatory Nitrite reductase
報告番号 121271
報告番号 甲21271
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2984号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 祥雲,弘文
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 助教授 堀之内,末治
 東京大学 助教授 若木,高善
内容要旨 要旨を表示する

序論

真核生物であるカビは、嫌気条件下では生育できない好気性微生物であると考えられてきた。これは、カビが酸素存在下において、ミトコンドリアの呼吸鎖電子伝達系を介した酸化的リン酸化により、生育に必要なエネルギーの大部分を得ているからであろう。しかし最近、「カビが脱窒する」ことが発見され、好気性微生物であるカビが嫌気条件下でどのように生存しているかが明らかにされつつある。それとともに、カビの脱窒による温室効果ガスの放出が問題視されてきており、カビ脱窒系の解明は地球温暖化防止にも繋がる有意義な研究である。

脱窒とは、硝酸や亜硝酸などを還元し、亜酸化窒素 (N2O) や二原子窒素のようなガス状の窒素化合物に変換する生物的な反応であり、窒素固定や硝化と共に、地球上の窒素サイクルを維持する上で重要な位置を占めている。

N2 → NH3 (窒素固定)

NH3 → NO2- → NO3- (硝化)

NO3- → NO2- → NO → N2O → N2 (脱窒)

これまで脱窒は細菌のみが持つエネルギー獲得手段だと考えられていたので、真核生物であるカビが脱窒能を持つということは大変興味深い。ただし、カビの脱窒反応の最終産物はN2Oである。

これまでのカビ脱窒系に関する研究成果の中で最も興味深いことは、ミトコンドリアにおける新たな嫌気呼吸系の存在を証明したことである。地球上に酸素が少なかったころ、好気呼吸を行っていた細菌が他の嫌気的細菌と共生し、現在のミトコンドリアになったという説があり、ミトコンドリアに脱窒系が存在するという発見はその説の有力な根拠の一つと成り得るからである。嫌気呼吸系の存在は、脱窒関連酵素のミトコンドリアへの局在、および硝酸還元酵素 (Nar)、亜硝酸還元酵素 (Nitrite reductase; Nir) の呼吸鎖電子伝達系と共役したATP合成について示すことで証明されている。

カビ脱窒系構成成分のうち、これまでに遺伝子の単離されたものは一酸化窒素(NO) 還元酵素であるP450norのみであり、上記の考察のほとんどが酵素活性によるものである。より詳細なところまでカビ脱窒系の研究を進めていく上で、脱窒関連遺伝子の単離は必要不可欠である。そこで私は、カビの脱窒研究が一番進んでいるFusarium oxysporumとCylindrocarpon tonkinenseを用いて、脱窒条件と非脱窒条件で培養したカビのcDNAをSSH(subtractive suppression hybridization)という方法で比較することによって、脱窒条件でのみ発現する遺伝子をクローニングした。クローニングした遺伝子の中で、ミトコンドリアに局在する脱窒系構成成分のひとつである、異化型亜硝酸還元酵素遺伝子 (nirK) を単離し、機能解析研究を行った。

結果と考察

脱窒条件で発現するカビ遺伝子の単離

F. oxysporumの場合は脱窒反応の電子受容体になる硝酸と亜硝酸の有無でSSH実験を行った。その結果、硝酸で特異的に発現する34種類のmRNAを単離した。その中にはp450nor, Nitrite reductase (Nir), Flavohemoglobin (Fhb), Alcohol dehydrogenase (Adh), Mitochondrial hypoxia responsible domain protein (Mhrdp), NADPH-dependent nitrate reductase (aNar), Hypothetical proteinなどがあった。亜硝酸で誘導されるmRNAとしては13種類を単離した。その中にはp450nor, Nir, Fhb, Adh, Mhrdp, Formate dehydrogenase[NADH]などがあった。硝酸と亜硝酸のSSH実験の両方で、p450nor, Nir, Fhb, Adh, Mhrdpの遺伝子を確認した。両方で発現する遺伝子ということは脱窒反応に関与する可能性が高いと考えられる。p450norはF. oxysporumで遺伝子が単離されている脱窒関連酵素では唯一のものである。Nirは今まで酵素活性で確認されたが遺伝子は今回の実験で初めて確認した。Fhbは脱窒反応中に生成される毒性物質であるNOを硝酸に変える反応に関与すると考えられる。Adhが発現するのは、脱窒培養条件と類似な条件で起こるアンモニア醗酵に関与するためであると考えられる。Mhrdpはその機能は不明だが、両方で発現するので脱窒反応に関与する新しい酵素である可能性がある。硝酸有無の実験で異化型硝酸還元酵素の発現を予想したが、data baseの異化型硝酸還元酵素とhomologyがある遺伝子は見つからなかった。しかし、同化型硝酸還元酵素 (aNar) の遺伝子を確認した。これはAdhの発現と同じくアンモニア醗酵に関与するためであると考えられるが、異化型硝酸還元酵素の存在がなかったことから、脱窒反応において同化型硝酸還元酵素が異化型硝酸還元酵素の機能を持つ可能性がある。その他にもHypothetical proteinなどの多くの遺伝子が確認されたが、脱窒反応への関与は不明である。

一方、C. tonkinenseは硝酸のみでは脱窒できない。しかし、アンモニウムを硝酸と一緒に培地に添加すると、脱窒できるようになることがわかっている。この現象を利用して、C. tonkinenseの場合は亜硝酸とアンモニアの有無でSSH実験を行った。その結果、亜硝酸で特異的に発現する6種類のmRNAを単離した。その中にはp450nor1, Nir, Formate transport protein, Carboxylesteraseなどがあった。アンモニアで発現するmRNAとしては13種類を単離した。その中にはSmall heat shock protein, Fhb, Mhrdp, 4-aminobutyrate aminotransferaseなどがあった。亜硝酸とアンモニウムのSSH実験の両方で一致するものはなかった。その理由はSSH実験用のmRNAを亜硝酸有無の場合は24時間、アンモニウム有無の場合は37時間培養したものを使ったため酵素の発現時間が違うのではないかと考えられる。亜硝酸の有無で単離したp450nor1とNirはF. oxysporumの結果と一致したがそれ以外は異なるものであった。アンモニウムの有無ではFhbとMhrdpがF. oxysporumの結果と一致した。アンモニウムの存在下で硝酸から脱窒反応を触媒する酵素は見付からなかった。

SSH実験で確認した遺伝子の発現パターンをノーザン分析した結果、脱窒条件で強く発現することを確認した。 興味深いことは、細菌から酵母、カビなど幅広い生物に存在しているNO dioxygenaseであるFhbの発現パターンがF. oxysporumとC. tonkinenseで違うことである。F. oxysporumではE. coliに報告されているFhbと同様に好気条件で発現した。脱窒条件でもさらに強く発現した。すなわち酸素と一酸化窒素が誘導剤として作用したと考えられる。C. tonkinenseのFhbは好気条件では発現せず、脱窒条件でのみ発現した。すなわち酸素は発現に影響がなく、一酸化窒素のみ誘導剤として作用したと考えられる。

大腸菌によるNirKタンパク質の生産と精製、Characterization

真核生物で初めてnirK遺伝子のクローニングを行った結果、 F. oxysporumとC. tonkinenseはイントロンを一つ持ち、ミトコンドリアターゲティングシグナル配列、膜結合領域を持ち、活性中心が銅であるタイプの異化型Nir(NirK)であることがわかった。

大腸菌で活性型の酵素を得るため、ミトコンドリアターゲティングシグナル配列、膜結合領域を除き、His-tagを付加したsNirK(F. oxysporumのsNirK:FS, C. tonkinenseのsNirK:CS)を大腸菌に生産させ、His-tagアフィニティーカラム、ゲルろ過カラムにかけ、精製を行った。精製したサンプルを用いてCharacterizationを行った結果、この組換え体はNir活性を示し、KmがFS:515 μM、CS:429 μM、VmaxがFS:303 U/mg、CS:476 U/mg、至適pHが6.5、至適温度がFS:40 ℃、CS:35 ℃のホモ18量体以上の構造を持つタンパク質であることがわかった。また、一部異なる点も見られたが、銅のキレーターで強く阻害されることもわかり、sNirKが既知の脱窒細菌のNirKと近い性質を持つことが示された。

まとめ

本研究で、カビの脱窒条件で特異的に発現している遺伝子を単離した。この中で重要な結果は、真核生物で初めて脱窒に関与するnirK遺伝子を単離したこととNirKの機能解析の結果、酵素活性を持ち、かつ、その性質は既知の脱窒細菌のNirKに似ていることである。この結果はカビ脱窒系解明に大きく貢献するものである。さらに脱窒条件で特異的に発現しているFhbなどの 脱窒への関与が示唆されたことが重要な結果であるといえる。

審査要旨 要旨を表示する

従来、真核生物であるカビは好気的生物であり、酸素のない嫌気的な条件下では生育できないと考えられていた。しかるに近年「カビが脱窒する」ことが発見され、カビ脱窒系に関して当研究室を中心に、生化学的、分子生物学的解明が進められている。その結果、カビ脱窒系はミトコンドリアに局在し、細菌脱窒系と同様に嫌気呼吸として働いていることが明らかとなっている。脱窒とは硝酸(NO3-)や亜硝酸(NO2-)などを還元し、二原子窒素(N2) や亜酸化窒素(N2O)のようなガス状の窒素化合物に変換する生物的な反応であり、窒素固定や硝化と共に、地球上の窒素サイクルを維持する上で重要な位置を占めている。細菌の完全な脱窒系はNO3-からN2までの4段階の過程から成り(下式)、還元に必要な電子は呼吸鎖電子伝達系より供給される。カビ脱窒系は最後の過程を持たないようで、

NO3- → NO2- → NO → N2O → N2    

最終産物はN2Oである。近年、カビの脱窒は国内外の土壌微生物学研究者も注目するところとなり、強力な温室効果ガスであるN2O発生源としての、自然界におけるカビ脱窒の寄与について関心が高まっている。カビ脱窒系に関するこれまでの成果の中で最も興味深いことは、ミトコンドリアにおける新たな嫌気呼吸系の存在を証明したことである。真核生物発生に関わる内部共生説はよく知られているが、ミトコンドリア脱窒(嫌気呼吸)系の発見はその説の有力な根拠の一つと成り得る。一方、カビ脱窒系構成成分のうち、これまでに遺伝子の単離されたものは一酸化窒素(NO) 還元酵素であるP450norのみであるが、ミトコンドリアの起源と進化などの興味ある課題を解明する上で、より多くの関連遺伝子の単離が欠かせない。申請者は、カビの脱窒研究が一番進んでいるFusarium oxysporumとCylindrocarpon tonkinenseを用いて、脱窒条件と非脱窒条件で培養したカビのcDNAをSSH(subtractive suppression hybridization)という方法で比較することによって、脱窒条件で特異的に発現する遺伝子をクローニングした。

いくつかの異なる条件におけるSSHにより、脱窒条件で必ず発現するものとして、F. oxysporumからは、p450nor, 亜硝酸還元酵素(Nir), フラボヘモグロビン(Fhb), アルコール脱水素酵素(Adh), mitochondrial hypoxia responsible domain protein (Mhrdp)などのしかるべき、あるいはもっともらしいタンパク質遺伝子を確認した。また脱窒と類似の条件で発現するアンモニア醗酵に関与すると予想される遺伝子として、Adhおよび同化型硝酸還元酵素 (aNar)を確認した。一方、C. tonkinenseからはp450nor1, Nir, Formate transport protein, Carboxylesteraseなどを単離した。これらより、p450nor1とNirのみが脱窒条件で2種のカビにおいて発現することが判明した。SSHによるこれらの解析から、脱窒系の重要な構成成分であるNir遺伝子(NirK)を単離することができた。KirKは細菌脱窒系に広く分布する銅含有型Nirであり、カビのNirKはそのオルソログであることが判明した。

SSH実験で確認した遺伝子の発現パターンをノーザン分析した結果、脱窒条件で強く発現することを確認した。 興味深いことは、細菌から酵母、カビなど幅広い生物に存在しているNO dioxygenaseであるFhbの発現パターンがF. oxysporumとC. tonkinenseで違うことである。F. oxysporumではE. coliに報告されているFhbと同様に好気条件で発現した。脱窒条件でもさらに強く発現した。すなわち酸素とNOが誘導剤として作用したと考えられる。C. tonkinenseのFhbは好気条件では発現せず、脱窒条件でのみ発現した。すなわち酸素は発現に影響がなく、一酸化窒素のみ誘導剤として作用したと考えられる。

真核生物で初めてnirK遺伝子のクローニングを行った結果、 F. oxysporumとC. tonkinenseはイントロンを一つ持ち、ミトコンドリアターゲティングシグナル配列、膜結合領域を持ち、活性中心が銅であるタイプの異化型Nir(NirK)であることがわかった。大腸菌で活性型の酵素を得るため、ミトコンドリアターゲティングシグナル配列、膜結合領域を除き、His-tagを付加したsNirK(F. oxysporumのsNirK:FS, C. tonkinenseのsNirK:CS)を大腸菌に生産させ、His-tagアフィニティーカラム、ゲルろ過カラムにかけ、精製を行った。精製したサンプルを用いてCharacterizationを行った結果、この組換え体はNir活性を示し、KmがFS:515 μM、CS:429 μM、VmaxがFS:303 U/mg、CS:476 U/mg、至適pHが6.5、至適温度がFS:40 ℃、CS:35 ℃のホモ18量体以上の構造を持つタンパク質であることがわかった。また、一部異なる点も見られたが、銅のキレーターで強く阻害されることもわかり、sNirKが既知の脱窒細菌のNirKと近い性質を持つことが示された。

以上本論文は、SSHという技術を駆使してカビの脱窒条件で特異的に発現する遺伝子の解析を行い、それら遺伝子をクローニングしただけでなく、真核生物で初めて、脱窒系の重要遺伝子nirKを単離し、学術上ならびに応用上貢献するところ大である。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学術論文として価値あるものと認めた。

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