学位論文要旨



No 121277
著者(漢字) 佐藤,崇
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,タカシ
標題(和) 魚類ミトコンドリアゲノムの構造に関する比較研究
標題(洋)
報告番号 121277
報告番号 甲21277
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2990号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西田,睦
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 窪川,かおる
 国立科学博物館 動物研究部室長 松浦,啓一
 千葉県立中央博物館 動物学研究科上席研究員 宮,正樹
内容要旨 要旨を表示する

ミトコンドリアは遺伝情報の大半を担う核ゲノムとは別に,独自のゲノムをもつことでも知られている.多くの動物のミトコンドリアゲノム(mtゲノム)は,長さが16,000〜18,000塩基対の環状二本鎖構造をもち,13個のタンパク質,2個のリボゾームRNA(rRNA),22個の転移RNA(tRNA)の計37個の遺伝子をほぼ隙間なくコードしている.さらに,mtゲノムは母系遺伝を行い遺伝子の組み換えがないこと,核ゲノムに比べて進化速度が5〜10倍早いこと,イントロンがないことなどの点から,その部分塩基配列が系統解析のマーカーとして多くの動物群で用いられてきた.

このような研究により膨大な部分配列データが蓄積される一方で,実験技術の進展によりmtゲノム全長配列のデータが急速に増加してきた.それに伴い,大規模データを用いた高次系統解明が可能となり,多くの動物群で信頼度の高い系統樹が構築されるようになった.しかし,系統樹に基づいて,mtゲノムにコードされる遺伝子の構造的特徴やその違いを比較した研究は少ない.これらについての知見が増えることにより,mtゲノムを用いた系統解析の精度はさらに高まることが期待される.

動物においてmtゲノムの情報が最も充実しているグループは魚類である.その系統学的研究の進展も著しいため,魚類は上記のような研究対象に最適であると考えられる.本研究は,こうした魚類のミトコンドリアゲノムの構造的特性を系統進化学的視点から明らかにすることを目的に行われた.

魚類ミトコンドリアゲノムの構造

比較に用いる魚類として,条鰭類42目86亜目208科242属248種に軟骨魚類2種を加えた250種を選んだ.これは目レベルで100%,科レベルで約47.5%,種レベルで約1.04%の分類学的多様性を網羅していることになる.これらは未公開のものも含め,主にデータベースから得られたもので,データが不足していた分類群に関しては,本研究で新たにmtゲノム全長配列を決定した(20種).

13個のタンパク質遺伝子については,開始・終止コドンや遺伝子の全長,コドンの使用頻度などを比較し,その特徴を記載した.また,アミノ酸配列間の相同性に基づき整列させた250種の配列から,塩基とアミノ酸レベルの変異パターンについて比較・分析した.立体構造に関する研究がもっとも詳細に進められているCyt b(ユビキノールーシトクロムc酸化還元酵素サブユニットb)遺伝子に関しては,ウシの心筋から得られた構造的特徴を参考に,魚類における本遺伝子の高次構造と機能について考察を試みた.その結果,膜の表面部位に近い部分のアミノ酸配列が高く保存されていることが判明した.さらに膜貫通領域の内部には,ヒスチジンで固定されている領域の存在が明らかになった.これは酸化還元の中心となるヘム鉄が結合するリガンド部分と推測された.

転移RNA(tRNA)ならびにリボソームRNA(rRNA)遺伝子では,塩基配列を各遺伝子のステム・ループ領域ごとに整列させ,遺伝子の全長,各ループの長さや変異のパターンなどについて比較・分析した.また,tRNA遺伝子に関しては各ステムを構成する塩基結合の種類や結合頻度についても比較・分析し,これらの結果を統合することにより,魚類を代表する計24個のRNA遺伝子の二次構造モデルを作成することができた.

本研究で用いた250種の魚類の中から,さまざまな規模の遺伝子配置変動が計32例見つかった.これらの配置変動は,関連する遺伝子領域の重複と,その後のランダムな欠失によって生じたものであることが示唆された.ここで見つかった遺伝子配置変動の,魚類における進化パターンや系統マーカーとしての有用性について,さらに以下のような研究を行った.

魚類ミトコンドリアゲノムの遺伝子配置変動

魚類におけるmtゲノム全長配列を用いた既知の系統解析結果を統合し,条鰭類全体の大系統樹を作成した.この系統樹に個々の遺伝子配置をマッピングすることにより,配置変動の進化パターンを推察した.その結果,遺伝子配置変動は,目間や亜目間のような大きいレベルの分類群間で共有されるようなものはごくわずかで,科もしくは属レベルで共有されるものがほとんどであることが明らかになった.このことは,現在観察される遺伝子配置変動は,いずれも魚類の進化史上比較的最近に生じた現象であることを示唆している.

遺伝子配置変動が起こった系統では,塩基置換速度が速くなることが系統樹上で示唆された.そこで,魚類の中で配置変動を有するグループに対して塩基置換に関する相対速度テストを行い,配置変動と進化速度の間の相互関係に関して比較した.その結果,遺伝子配置変動が起きなかった種と起きた種の間でKa値(非同義置換サイトにおける非同義置換の数)に有意な差が認められ,遺伝子配置変動が起こったグループでは塩基置換速度が上昇していることが明らかになった.このような相関をもたらした要因として,1)何らかの生物学的な要因で塩基置換速度が増加し,遺伝子配置変動を誘発するような変異を起こしやすくなったか,あるいは2)mtゲノム上に配置変動へとつながる遺伝子重複が生じ,どちらかが偽遺伝子化してゲノム上から消失するために,塩基置換速度を増加させるような力が働いたという二つの可能性が考えられた.

魚類を含む脊椎動物のmtゲノムでは,RNAは一本につながった初期転写産物として合成される.そこから各タンパク質遺伝子やrRNA遺伝子の境界に位置するtRNA遺伝子をプロセッシングの際の目印(punctuation marker)とし,それぞれのmRNAへと切断される.しかし,遺伝子配置変動が生じている場合,必ずしもタンパク質遺伝子やrRNA遺伝子とtRNA遺伝子が隣接しているとは限らない.魚類において,タンパク質遺伝子やrRNA遺伝子の上流に位置するtRNA遺伝子が変動している25例について塩基配列を比較・検討したところ,すべての場合に偽遺伝子化したtRNA遺伝子が,二次構造の一部を保ったまま元の位置に残っていることが明らかになった.このことは,tRNA遺伝子がmRNAの切り出し機能をもつため,元の位置からtRNA遺伝子が移動した後も,最低限の二次構造を残しているという可能性が考えられた.

ソコダラ科魚類におけるミトコンドリアゲノムの局所的再編

遺伝子配置変動が見つかった魚類の中でも,いくつかのtRNA遺伝子のみが局所的に変動しており,さらに科内に複数タイプの変動がみつかったソコダラ科魚類を対象に,遺伝子配置変動が科内でどのように共有されるのか,高次系統関係を示すマーカーになるのかどうかを検討した.そのため,ソコダラ科内の4亜科を代表する4種のmtゲノム全長配列を新たに決定し,ベイズ法による系統解析を行った.

その結果,ソコダラ亜科のクレードを形成したムグラヒゲCoelorinchus kishinouyeiとサガミソコダラVentrifossa garmaniは,同じ遺伝子配置を共有していた.さらに,別亜科に属していながら一つのクレードを形成したバケダラSqualogadus modificatusとキタノイッカクダラTrachyrincus murrayiも特異な遺伝子配置を共有していることがわかった.これらの遺伝子配置共有は,塩基配列から推定された系統樹のトポロジーと整合することから,両者の単系統性を支持する分子マーカー(共有派生形質)になると考えられた.

ソコダラ科のように一つの高次分類群の中から複数の特異な遺伝子配置が報告された例はない.将来的には,他の新しい遺伝子配置が次々とみつかり,ソコダラ科内のさまざまな分類レベルにおける分子共有派生形質となる可能性も考えられる.

ガマアンコウ目魚類におけるミトコンドリアゲノムの大規模な変動

遺伝子配置変動が見つかった魚類の中でも,mtゲノムの全体に及ぶ大規模な変動が生じ,しかも目内に複数の異なる遺伝子配置が存在することが判明しているガマアンコウ目魚類について,全塩基配列を用いた系統解析を行い,それらの大規模な変異がどの時点で生じ,どのように変化を遂げてきたのかについて考察した.解析には,ガマアンコウ目の3亜科すべてを含む4種を用いた.

同目内には少なくとも3種類(B, P, T型)の遺伝子配置が存在することがわかった.これらの間には大きな違いがあるが,部分的にガマアンコウ目に特有の配置が共有されており,遺伝子配置変動の起点は,本目魚類の共通祖先にあったと考えられた.三つのタイプの配置は,形態データに基づく分類の枠を越えて,その類似性からアメリカ大陸に分布するタイプP,T型),アジア周辺に分布するタイプ(B型)の大きく二つに分けられた.この結果は塩基配列を用いた系統解析結果からも支持された.これらのことから,ガマアンコウ目の共通祖先で変動が生じ,その後アメリカとアジアにそれぞれ分布を広げる際に別々の遺伝子配置へと固定されていったと考えられる.

以上,本研究により魚類ミトコンドリアゲノムの個々の遺伝子に関する構造的特性や遺伝子配置変動の進化パターン,さらには系統マーカーとしての有用性に関する数多くの知見を得ることができた.これらの知見は,今後の系統推定のための進化モデル構築や集団構造解析に有用なサイトの探索に大きく貢献するだけではなく,ミトコンドリアゲノムそのものの進化を理解するための重要な情報を含んでいると考えられる.

審査要旨 要旨を表示する

真核生物の重要な細胞内器官であるミトコンドリアには核とは別の独自のゲノムがある。このミトコンドリア(mt) ゲノムの構造的特徴や個々の遺伝子の進化特性については、まだよく分かっていない点も多い。本論文は、系統進化学的研究の進展が著しい魚類を対象に選び、そうした研究の結果、得られている信頼性の高い系統枠を土台に、mt ゲノムの構造や種々の遺伝子の特性を系統進化学的視点から明らかにすることを目的におこなわれた研究結果をとりまとめたものである。

本論文は5章からなる。まず第1章で研究の背景と課題・目的を述べたあと、第2章で魚類のミトコンドリアゲノムの構造を詳細に分析している。魚類全体を幅広く網羅した 250 種のコンドリアゲノム全塩基配列データを用い、各遺伝子の特徴を詳細に記載している。タンパク質遺伝子については、塩基とアミノ酸レベルそれぞれの変異パターンについて、比較・分析されている。tRNA遺伝子およびrRNA 遺伝子については、配列を各遺伝子のステムおよびループ領域ごとに整列し、それぞれの変異パターン、さらに各ステムを構成する塩基結合の種類や頻度について検討し、魚類の RNA 遺伝子の二次構造モデルを提案している。

第3章では、魚類のミトコンドリアゲノムの遺伝子配置変動が分析されている。250 種の魚類の中から、規模はさまざまな32 例の遺伝子配置変動が見出された。これらの遺伝子配置変動は科もしくは属レベルで共有されるものがほとんどで、それよりも上位の分類群に共有されるものはないことが明らかになった。遺伝子配置変動はいずれも系統樹の枝の先に近いところに位置することから、現在、見出される配置変動は、魚類の進化史上比較的最近に生じた現象であると推察している。また、遺伝子配置変動が起こった系統では、塩基置換速度が速いことが示唆されたことから、魚類の中で配置変動を有するグループに対して塩基置換に関する相対速度テストを行い、配置変動と塩基配列進化速度の間の相互関係を検討している。その結果、遺伝子配置変動が生じたグループでは塩基置換速度が上昇していることを明らかにした。

ミトコンドリアゲノムでは、各タンパク質や rRNA 遺伝子の境界に位置する tRNA 遺伝子を目印とし、初期転写産物からそれぞれの mRNA へと切断される。第3章の後半では、魚類において、目印となるはずの tRNA 遺伝子が変動している 25 例について、塩基配列を比較・検討している。その結果、すべての事例で偽遺伝子化した tRNA 遺伝子が二次構造の一部を元の位置に残したまま保存されていた。このことより、遺伝子配置変動によってtRNA 遺伝子が元の位置から移動した後も、最低限のステム・ループ構造が遺伝子切り出し機能を果たすために残されている可能性を指摘している。

第4章では、科内に複数の遺伝子配置変動が見出されたソコダラ科魚類を対象に、遺伝子配置変動が科内でどのように共有されるのか、また高次系統関係を示すマーカーになるのかどうかを検討している。ソコダラ亜科のクレードを形成したムグラヒゲとサガミソコダラは、同じ遺伝子配置を共有していた。さらに、別亜科に属していながら 1 つのクレードを形成したバケダラとキタノイッカクダラも特異な遺伝子配置を共有していることが明らかになった。これらの遺伝子配置共有は、塩基配列から推定された系統樹のトポロジーと整合することから、有用な系統マーカー (共有派生形質) になるとしている。

第5章では、ミトコンドリアゲノムの全体に及ぶ大規模な変動が生じ、しかも目内に複数の遺伝子配置が認められたガマアンコウ目魚類に着目し、それらの大規模な変異がどのように進化してきたかを検討している。分析の結果、目内には 3 種類の遺伝子配置が存在し、それらは形態に基づく分類の枠を越えて、アメリカ大陸に分布するタイプとアジア周辺に分布するタイプの大きく 2 つに分けられた。この結果は塩基配列を用いた系統解析結果からも支持された。これらのことから、ガマアンコウ目の共通祖先で変動が生じ、その後アメリカとアジアにそれぞれ分布を広げる際に別々の遺伝子配置へと固定された可能性を論じている。

以上のように、本論文は魚類ミトコンドリアゲノムの構造的特性を、初めて詳細に明らかにしたものである。また、遺伝子配置変動のパターンも系統学的に詳しく分析し、魚類、ひいては脊椎動物のミトコンドリアゲノム構造の進化を理解する上で、重要な貢献をしている。なお、本論文の第2章から第5章は、西田睦、宮正樹らとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および考察をおこなったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

よって、審査委員一同は博士(農学)の学位を授与できると認める。

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