学位論文要旨



No 121284
著者(漢字) 佐藤,佳恵
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ヨシエ
標題(和) シログチおよびスケトウダラ普通筋ミオシンに関する原料科学的研究
標題(洋)
報告番号 121284
報告番号 甲21284
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2997号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 阿部,宏喜
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京海洋大学 助教授 石崎,松一郎
 東京大学 助教授 落合,芳博
内容要旨 要旨を表示する

水産練り製品は魚肉の加熱ゲル化特性を利用した食品であるが、加熱ゲル形成能は魚種によって大きく異なることが知られている。すなわち、スケトウダラ(Theragra chalcogramma)は資源量が多いため練り製品の原料魚として広く用いられているが、筋肉の潜在的な加熱ゲル形成能はやや弱いとされる。一方、シログチ(Pennahia argentata)肉は高い加熱ゲル形成能を有するものの本魚種の資源量は少なく、市場の需要を充分に満たすことができない。一方、筋肉の加熱ゲル化には主要構成タンパク質であるミオシンが重要な働きをすることが知られている。したがって、魚肉の加熱ゲル形成能の種特異性はミオシンの違いに起因すると考えられる。今まで、シログチおよびスケトウダラ普通筋ミオシンを対象に動的粘弾性や熱力学的性状が検討され、大きな違いが認められている。しかしながら、未だ両魚種の加熱ゲル形成能の違いを明確に説明する知見は得られていない。

本研究はこのような背景の下、シログチおよびスケトウダラ普通筋を対象に、まずミオシンATPaseの熱安定性および酵素化学的性状を調べた。次に、ミオシンの加熱に伴う構造変化を表面疎水性、プロテアーゼ消化性、濁度の変化などから調べた。さらに、ミオシンの頭部領域を含むサブフラグメントを調製し、その動的粘弾性と熱力学的性状を調べて両魚種間で比較した。得られた研究成果の概要は以下の通りである。

ミオシンの酵素化学性状

シログチおよびスケトウダラ普通筋に2倍量の0.45 M KCl溶液を加えて粗ミオシンを抽出し、10 mM Mg2+-ATP存在下の硫安分画で精製した。まず、Ca2+-ATPase活性を指標として貯蔵安定性および熱安定性を調べた。0.5 M KClおよび0.1 mM DTT存在下pH 7.0で0℃に貯蔵したシログチおよびスケトウダラ・ミオシンのCa2+-ATPase活性を0.05 M KClおよび1 mM CaCl2を含むpH 7.0の反応液中20℃で測定し、貯蔵4日間の残存活性から変性速度恒数(KD)を求めた。その結果、KDはそれぞれ2.7 × 10-6および13.0 × 10-6 s-1と算定され、シログチ・ミオシンはスケトウダラのそれの約5倍の貯蔵安定性を示した。さらに20 - 40℃で熱安定性を調べたところ、シログチ・ミオシンのKDはいずれの温度においてもスケトウダラ・ミオシンの約半分であった。0℃を含むKDのArrhenius plotから算出した活性化エネルギーはシログチおよびスケトウダラ・ミオシンでそれぞれ148.5および124.3 J/molであった。

次に、両魚種ミオシンのCa2+-ATPase活性をpH 7.0、0.05 - 0.6 M KClの範囲で調べた。シログチおよびスケトウダラ・ミオシンの活性はともに0.05 M KClで0.523および0.239 μmol Pi/min・mg myosinと最も高く、KCl濃度の増大に伴って低下した。いずれのKCl濃度においてもシログチ・ミオシンの活性はスケトウダラの約2倍であった。また、0.05 M KCl中、pH 5.5 - 8.0の範囲でのCa2+-ATPase活性のpH依存性は両魚種で類似した傾向を示し、シログチおよびスケトウダラ・ミオシンの至適pHはそれぞれ6.2および6.3と測定された。さらに生理機能を反映するアクチン活性化ミオシンMg2+-ATPase活性を0.05 M KCl、5 mM MgCl2、0.25 mg/mLミオシンおよび 0 - 0.15 mg/mLウサギF-actinを含むpH 7.0の反応液中、20℃で測定した。スケトウダラ・ミオシンのMg2+-ATPase活性はシログチのそれよりアクチンにより強く活性化され、Ca2+-ATPase活性とは逆の傾向を示した。アクチン活性化Mg2+-ATPase活性のHanes-Woolf plotsから算出したシログチ・ミオシンの最大反応初速度は0.165 μmol Pi/min・mg myosinと、スケトウダラの0.309 μmol Pi/min・mg myosinの約半分であった。しかしながら、アクチンとの親和性は両魚種でそれぞれ1.68および1.37 μMと類似した値を示した。

ミオシンの加熱に伴う構造変化

0.5 M KCl、pH 7.0中、20 - 80℃で30分間加熱処理を行った後0℃、2時間冷却したミオシン標品につき0.5 mMの8-anilino-1-naphthalene sulfonate(ANS)を加えて4℃でさらに15分間放置し、室温で蛍光強度を測定した。その結果、極大波長465 nmにおけるスケトウダラ・ミオシン非加熱標品の蛍光強度はシログチのそれの約1.2倍であった。一方、シログチ・ミオシンでは加熱に伴う疎水性残基の表面露出がスケトウダラに比べて大きく、60℃加熱標品の最大蛍光強度は非加熱標品のそれぞれ142%および106%であった。

また、非加熱標品および50℃までの加熱処理標品をpH 7.0、10℃、1/200重量比のα-キモトリプシンで処理してSDS-PAGE分析に供した。ミオシン分子は2本の重鎖と4本の軽鎖の6つのサブユニットからなる。N末端側の球状部分は頭部サブフラグメント-1(S1)と呼ばれ、C末端側の線維状部分は尾部ロッドと呼ばれる。プロテアーゼ限定分解の条件により、S1およびロッドのN末端側約半分を含むH-メロミオシン(HMM)を生じる。スケトウダラ・ミオシン重鎖の消化速度はシログチのそれより約8倍大きかった。シログチHMMは加熱処理標品においてもほとんど消化されなかったが、スケトウダラHMMは非加熱標品であっても多くの部位で切断された。以上のように、シログチ・ミオシンはプロテアーゼ消化性の点からも構造安定性が高かった。

さらに、加熱処理標品の重合体形成を検討した。両魚種ミオシンはともに30℃以上の加熱処理により濁度の増大がみられ、40℃および70℃で極大値を示した。シログチおよびスケトウダラ・ミオシンの最大濁度は70℃加熱標品でみられ、それぞれ非加熱標品の578%および410%であった。また、スケトウダラ・ミオシン非加熱標品の表面SH基量はシログチのそれの約1.2倍と測定されたが、両魚種とも加熱に伴い増大し、80℃加熱標品では同程度となった。総SH基量は両魚種とも80℃加熱標品において非加熱標品の90%となり、10%のSH基が酸化あるいは分子間SS結合を形成していると考えられた。なお、SDS-PAGEの条件を変えてSS結合の有無を調べたが、両ミオシン間で明確な差は認められなかった。

HMMおよびS1の動的粘弾性と熱力学的性状

シログチおよびスケトウダラ普通筋筋原線維を、HMM調製では0.5 M KClおよび1 mM CaCl2存在下、S1調製では0.05 M KClおよび1 mM EDTA存在下でα-キモトリプシン処理した後、10 mM Mg2+-ATP存在下の硫安分画に付した。S1はさらに陰イオン交換カラムなどを用いて精製した。約30 mg/mLのHMM標品につき5 - 80℃の昇温に伴う粘弾性変化を調べた。その結果、シログチHMMの貯蔵弾性率(G')および損失弾性率(G'')は56℃から80℃まで増大した。一方、スケトウダラHMMのG'は30℃から増大し始め、60℃からは増大傾向をやや大きくしたが、G''は33℃に極大値を示した後はほとんど変化しなかった。シログチおよびスケトウダラHMMの80℃におけるG'値はそれぞれ43および15 Paと、シログチHMMで著しく高かった。示差走査熱量測定(DSC)の結果、シログチおよびスケトウダラHMMはそれぞれ19 - 67℃および19 - 54℃の温度範囲でいずれも4つの転移温度(Tm)を示した。なお、スケトウダラHMMのTmはシログチHMMの対応するTmより低温側にあった。シログチHMMでは最も高温のTm(56℃)はG'が急激に増大する温度と一致した。一方、スケトウダラHMMの粘弾性の変化とTmの間にはとくに明確な相関はみられなかった。

次に、約20 mg/mLのS1標品の動的粘弾性の測定では、シログチS1のG'は38℃から80℃まで増大し続け、80℃における値は189 Paと測定された。これに対して、スケトウダラS1のG'の増大はシログチのそれに比べて小さく、80℃の値は57 Paに過ぎなかった。既報の両魚種ミオシンの粘弾性変化と比較すると、シログチS1のG'増大領域はミオシンが示す2つのG'増大領域中、高温度側のものに相当した。一方、スケトウダラ・ミオシンではこのような高温度側でのG'の増大はみられず、本結果は両ミオシンの違いをよく説明した。両魚種S1ともG''はG'と同様に38℃から増大する傾向がみられた。DSCの結果、シログチS1の熱容量ΔCpは35℃および43℃に極大値を示し、スケトウダラS1の極大値26℃および28℃よりも高温側にあった。両魚種S1標品ともDSC曲線と粘弾性変化の間に明確な対応関係はみられなかった。

以上、本研究により、Ca2+-ATPase活性を指標としたKDおよびプロテアーゼ消化性からシログチ・ミオシンの構造安定性はスケトウダラのそれより高いことが明らかになった。また、非加熱シログチ・ミオシンの表面疎水性や表面SH基量はスケトウダラのそれに比べて小さいが、加熱に伴う変化は大きいことが明らかとなった。さらに、シログチではS1がミオシンの高温度領域でのゲル化に寄与すること、スケトウダラではその効果が小さいことが示唆された。これらの結果は、シログチおよびスケトウダラ普通筋ミオシンの加熱ゲル化特性の違いの一端を説明するもので、食品化学上に資するところが大きいと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

水産練り製品の一般的な原料魚であるスケトウダラと高級練り製品の原料魚であるシログチとでは加熱ゲル形成能が異なる。これまでに、普通筋ミオシンおよびロッドの動的粘弾性や熱力学的性状の比較から両魚種の違いが示されているものの、未だ加熱ゲル形成の機構を明快に説明するに至っていない。

本研究はこのような背景の下、まずミオシンATPaseの温度安定性および酵素化学的性状を調べた。温度安定性はCa2+-ATPase残存活性として調べた。シログチ・ミオシンの0℃における変性速度恒数(KD)はスケトウダラの約1/5であった。さらに20 - 40℃の熱安定性を調べたところ、シログチ・ミオシンのKDはいずれの温度においてもスケトウダラの約半分であった。KDのArrhenius plotから得られた活性化エネルギーはシログチおよびスケトウダラ・ミオシンでそれぞれ148.5および124.3 J/molであった。シログチ・ミオシンのCa2+-ATPase活性はスケトウダラに比べて約2倍高いものの、KCl濃度およびpH依存性は両魚種間で類似していた。また、Hanes-Woolf plotから算出したシログチ・ミオシンのアクチン活性化Mg2+-ATPase活性の最大反応初速度はスケトウダラ・ミオシンの約半分であったが、アクチンとの親和性の指標となるKm値は両ミオシンで類似した値を示した。

次に、ミオシンの加熱に伴う構造変化を調べた。シログチ・ミオシン非加熱標品の表面疎水性および表面遊離SH基量はシログチの約0.8倍であった。両魚種とも加熱に伴い増大して80℃加熱標品では同程度となり、シログチ・ミオシンはスケトウダラ・ミオシンに比べて分子の疎水コアが緊密であることが示唆された。また、スケトウダラ・ミオシン重鎖の消化速度はシログチの約8倍であった。さらに、シログチH-メロミオシン(HMM)が加熱処理標品においてはほとんど消化されないのに対してスケトウダラHMMは非加熱標品であっても多くの部位で切断された。したがって、シログチ・ミオシンはプロテアーゼ消化性の点からも構造安定性が高いことが明らかとなった。さらに、シログチおよびスケトウダラ・ミオシン加熱標品の濁度は40℃および70℃に極大値を示した。70℃加熱標品でみられた最大濁度はそれぞれ非加熱標品の578%および410%であったことから、シログチ・ミオシンでは高温における重合体形成反応が高いことが示唆された。また、80℃加熱標品の総遊離SH基量は非加熱標品の90%となり、高温における重合体形成にはSS結合が関与すると考えられた。β-メルカプトエタノールの存在下および非存在下におけるSDS-PAGE分析から、スケトウダラ・ミオシンが低温においてもSS結合を介して高度に重合していることが示唆された。

次に、両魚種筋原線維をHMM調製では1 mM CaCl2存在下、サブフラグメント-1(S1)調製ではキレート試薬存在下でα-キモトリプシン処理した後、10 mM Mg2+-ATP存在下の硫安分画に付して精製した。動的粘弾性測定の結果、シログチHMMの貯蔵弾性率(G')は加熱に伴い56℃から大きく増大し、スケトウダラHMMのG'は5℃から漸増して60℃からは増大傾向をやや大きくした。シログチHMMは弱いゲルを形成したが、スケトウダラHMMは80℃で加熱したときもゾルに近い状態であった。示差走査熱量測定(DSC)の結果、両魚種HMMともに4つの転移温度(Tm)を示したが、スケトウダラHMMのTmはシログチの対応するTmより低温側にあり、スケトウダラHMMの熱安定性の低さが示された。動的粘弾性測定の結果、両魚種S1ともG'は38℃から大きく増大した。また、シログチS1が形成したゲルは強固であったが、スケトウダラS1のそれは弱かった。S1のDSCでは両魚種とも凝集を示す負のピークがみられ、その温度はシログチおよびスケトウダラS1でそれぞれ79および38℃であった。両魚種ともにS1と既報のロッドの加熱に伴うG'変化を合わせると概ね既報のミオシンのG'変化に一致し、両魚種ミオシン間のゲル形成過程の違いがS1の違いによって説明できることが明らかになった。

以上の結果は、シログチおよびスケトウダラ普通筋ミオシンの加熱ゲル化特性の違いを説明するもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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