学位論文要旨



No 121286
著者(漢字) 中嶋,美冬
著者(英字)
著者(カナ) ナカジマ,ミフユ
標題(和) 魚類における左右非対称捕食による左右ニ型の頻度依存淘汰と個体群動態についての理論的研究
標題(洋) A theoretical study of population dynamics and frequency dependent selection due to asymmetric predation in laterally dimorphic fishes
報告番号 121286
報告番号 甲21286
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2999号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 白木原,國雄
 東京大学 教授 渡邊,良朗
 横浜国立大学 教授 松田,裕之
 京都大学 教授 堀,道雄
 東京大学 助教授 平松,一彦
内容要旨 要旨を表示する

序論

生物多様性の保護が世界的な緊急課題となっている現在では、その多様性が維持される仕組みの理解が求められている。その仕組みのひとつとして、集団中の遺伝子や形質の頻度によって適応度が変化して起こる「頻度依存淘汰」が挙げられる。本研究では、魚類の右利きと左利きと呼ばれる種内二型を題材として、種内多型のうち少数派であるものの適応度が高くなる頻度依存淘汰が捕食によって起こり、多型が維持されることを、理論的に示すことを目的とした。

魚類の種内二型(左右性)とは、体の前後軸を中心線とする右体側と左体側とで、一方が他方より構造的・機能的に優位にあることを言う。その左右のずれは特に下顎の接続部で顕著であり、左接続部がより前側・腹側・外側にあるために顎が右に開き体が左に曲がる個体を「左利き」、その逆を「右利き」という。この二型はタンガニイカ湖をはじめとした幾つかの水域で数十魚種において確認されている。左右性は1遺伝子座2対立遺伝子に支配される左利き優性のメンデル遺伝と考えられている。また、左右性について以下のような興味深い事実が報告されている。

種内の利き比率は数年の周期を持って振動する。

捕食者の利き比率は被食者のそれと変動周期は同じだが位相がずれている。

捕食者は、自分とは反対の利きの餌個体を主に捕食している。

自分と反対の利きの餌個体を捕食することを交差捕食(Cross Predation)、逆に捕食者が自分と同じ利きの被食者を食べることを並行捕食(Parallel Predation)と定義する。

本研究では、交差捕食が魚類の左利きと右利きの共存を維持し、利き比率を振動させる要因であるという仮説を立てた。すなわち、以下のような頻度依存淘汰が起きていると考えた。餌種に左利きが多いとき、それを捕食する種では右利きが有利となり多数派になるため、やがて餌種で左利きが減少して右利きが増え、捕食者では左利きが有利となって増加する。つまり被食者と捕食者において多数派の利きの入れ替わりが繰り返されると予想される。

上記の仮説を検証するため、まず個体群動態モデルを構築した。対象とした食物網は1捕食者1被食者の系および雑食(複数の栄養段階を捕食)のある3種系(図1参照)である。このモデルは各種の右利きと左利きの個体群の動態を記述するものであるために、1種について2本の数式が必要であり、数学的に式を解析するのが困難であった。さらに多くの種について検討するため、遺伝様式を限定してしまう代わりに1種について1本の数式で表すことができる、1遺伝子座2対立遺伝子のメンデル遺伝を表した遺伝子頻度変動のモデルを構築した。まず、同じ栄養段階の種の利き比率がどう振動するかを見るために1捕食者2被食者の系について、次に個体群動態モデルと同じく雑食のある3種系について、最後に6種からなる2栄養段階の食物網について解析を行った。また、遺伝子頻度のランダムな変動である遺伝的浮動を考慮したシミュレーションを行い、それが利き比率振動に与える影響を調べた。

個体群動態モデル

モデルの対象とした食物網は1捕食者2被食者系および雑食を含む3栄養段階の系(図1参照)。

個体群動態モデルの詳細を、1捕食者2被食者系を例にして以下に示す。また式中の記号の説明は表1に記した。

数学的解析および数値シミュレーションに際しては、食物網に関わらず、全種に右利きと左利きがいるとし、交差捕食は並行捕食よりも捕食効率が高いとした。

まず、1捕食者1被食者の系については、唯一の共存平衡点は種内の利き比率が1/2、すなわち各種で右利き:左利き=1:1となる点であった。この平衡点は大域安定であることを、リアプノフ関数から示した。線形近似して局所安定性を解析したところ、この平衡点は中立安定であった。このとき、数値シミュレーションの結果では、種内での利き比率は周期的に振動し、捕食者と被食者では1/4周期の遅れがあった(図2)。これは通常のロトカボルテラの被食者・捕食者系と同様であり、また自然界での利き比率の振動を再現していた。

雑食のある3種系でも同様に共存平衡点では各種内の利き比率が1/2であった。この平衡点は不安定渦状点であった。数値シミュレーションの結果、平衡点の周囲にリミットサイクルが出現した。このとき、種内での利き比率は周期的に振動し、3種の位相はずれていた。被食者には右利きと左利きがいるが捕食者2種ではそれぞれどちらかの利きしかいない系は安定ではなく、捕食者が二型になるか絶滅した。

遺伝子頻度動態モデル

種iにおいて、劣性である右利きは対立遺伝子liに、優性である左利きは対立遺伝子Liに支配されており、それぞれの対立遺伝子の適応度はwl,i、wL,iとする。種iの右利き遺伝子頻度をpiとすると、そのダイナミクスは以下のように表すことができる。

dpi / dt = pi (wl,i−wi) = pi(1−pi)(wl,i−wL,i)

対立遺伝子の適応度は個体の適応度に依存する。左利き個体と右利き個体の適応度をそれぞれfi、giとすると、wL,i = pigi + (1−pi)gi および wl,i = pifi + (1−pi)gi と表される。fi、giは個体群動態モデル右辺の大括弧内と同様に定義した。

まず、1捕食者2被食者の系においては、共存平衡点では各種内の利き比率が1/2であった。リヤプノフ関数は見つかっておらず、大局安定性は未だ示されていない。系の挙動は個体群動態モデルと同様に、被食者と捕食者でともに利き比率の周期的な振動が見られ、また被食者2種の位相は一致していた。これは遺伝的浮動を考慮した数値シミュレーションにおいてもほぼ同様であった。遺伝的浮動の効果は振動周期と振幅に表れた。時系列解析の結果、遺伝的浮動による遺伝子頻度の不確実性が大きいと周期は長くなり、また振幅が大きくなることがわかった。内的自然増加率が大きい種や捕食圧が高い種においても同様であった。並行捕食効率が交差捕食効率に近づくと、周期性のない不規則な振動が得られた。

雑食のある3種系においては、個体群動態モデルでの結果を数学的に裏付ける解析結果を得た。すなわち、共存平衡点では各種内の利き比率が1/2であり、この平衡点は不安定渦状点であった。計算機実験の結果、平衡点の周囲にリミットサイクルが出現した。遺伝的浮動の効果は、1捕食者2被食者の系と同様であった。また、野外で得られたデータとは逆に、並行捕食のほうが交差捕食よりも小さいと仮定した場合、共存平衡点は鞍点であり、右利きと左利きの個体群は共存しないことがわかった。

最後に、6種からなる2段階の食物網(3捕食者3被食者系)における、捕食を通じた利き比率の振動への間接効果について、遺伝子頻度動態モデルを用いた数値シミュレーションによって検討した。捕食者は被食者を共有せず、被食者間にのみ競争がある場合にも、利き比率振動の周期性はやや失われた。その傾向は内的自然増加率が小さい被食者と、死亡率が小さい捕食者で顕著であった。さらに捕食者のうち1種が被食者2種を利用する食物網では、周期性は大きく失われた。しかしより複雑な食物網である、捕食者3種のうち2種が被食者を共有する食物網においては、周期性は回復した。このように、同じ食物網内にいる種の個体密度の増減が各種の利き比率振動に間接的に働き、予想外の効果をもたらすことがわかった。

考察

本研究では、交差捕食を介した頻度依存淘汰によって、左右二型が維持されその比率が振動することが示唆された。先行研究では利き比率の振動は少数派の有利さが表出する時間遅れによって起こるとしていたのに対し、本研究では捕食者と被食者のサイクルによって起こることを示した。

また、交差捕食が食物網内の他種の個体密度や利き比率に予想外の影響を与えること、および、どちらかの利きしかいない種を含んだ食物網は不安定であることが示唆された。したがって、種苗放流等でこのような種が既存の食物網に侵入した場合、直接には関係のない種にも利き比率や個体数の変化などの影響を及ぼすと考えられる。

生物個体の左右非対称性については以下の3つが知られている:左右どちらか特定の側が集団の絶対多数でより発達する「定向性非対称」(directional asymmetry)、本来左右対称と考えられている形態に見られるわずかな「対称性のゆらぎ」(fluctuating asymmetry)、集団の中に左利きと右利きが共存する「分断性非対称」(antisymmetry)。魚類の左右性は、分断性非対称の一例と考えられる。他の例では非対称性の維持には性淘汰が関与していると考えられているのに対し、左右性は捕食によって維持されていることが本研究によって示唆された。

交差捕食が多く見られる理由は明らかではないが、餌に向かう際や捕食者から逃げる際の進行方向と利きが関係していると考えられる。オオクチバスでは頭が左(右)を向く右(左)利き個体は、左(右)へダッシュしたほうが右(左)へ行くよりも速いという実験報告がある。また、生餌を用いて釣獲した実験を行ったところ、釣り上げられた個体は得意な方向へダッシュしていたことが示唆された。

現在では魚類以外の水生動物にも左右性があると考えられており、本研究で示した頻度依存淘汰が自然界の広い範囲で起きている可能性がある。二型が維持される仕組みをより深く理解するために、左右性の起源などの解明が待たれる。

図1 雑食のある3栄養段階の系。

最高捕食者種x、中間捕食者種y、被食者種zのそれぞれに右利き(R)と左利き(L)がいる。実線は雑食、太線は交差捕食、細線は並行捕食を表す。

表1 個体群動態モデル中の記号の説明

図2 個体群動態モデルにおける1捕食者1被食者系のシミュレーションから得られた、各種内の右利き個体の比率(A)とその際の右利きと左利きを合わせた総個体密度(B)。

実線と点線はそれぞれ捕食者と被食者。

審査要旨 要旨を表示する

生物多様性の保全が世界的な緊急課題となっている.この保全のためには生物多様性が維持されるメカニズムの理解が重要である.

本論文は,魚類の右利きと左利きと呼ばれる種内二型を題材として,種内多型が維持されるメカニズムについて理論的に考察した.左右性は1遺伝子座2対立遺伝子に支配される左利き優性のメンデル遺伝と考えられている.また捕食者は自分とは反対の利きの餌を主に捕食していること,つまり交差捕食が生じていること,種内の利き比率は数年の周期を持って振動することが報告されている.本論文では,交差捕食が魚類の左利きと右利きの共存を維持し,利き比率を振動させる要因であるという仮説を立てた.すなわち,以下のような頻度依存淘汰が起きていると考えた.餌種に左利きが多い時,それを捕食する種では右利きが有利となり多数派になるため,やがて餌種で左利きが減少して右利きが増え,捕食者では左利きが有利となって増加する.つまり被食者と捕食者において多数派の利きの入れ替わりが繰り返される.この仮説を基に構築した個体群動態モデルおよび遺伝子頻度動態モデルを用いて野外で観察された利き比率の変動様式(周期と位相のずれ)を再現可能かどうかを調べた.

個体群動態モデルとして,生態学でよく用いられるロトカボルテラの被食者・捕食者モデルを基本にして,右利きと左利きを含むように拡張した1捕食者1被食者の2種系(4者系)モデルを作成した.さらに雑食(複数の栄養段階を捕食)のある3種系モデルを作成した.系の振る舞いを解析的にあるいは数値シミュレーションを用いて検討した.全ての系において,唯一の共存平衡点は種内の利き比率が1/2,すなわち各種で右利き:左利き=1:1となる点であった.1捕食者1被食者の系では,平衡点は中立安定型であり,大域的には安定(平衡点の周りでの振動型)であった.捕食者と被食者には1/4周期の遅れが見られ,野外で観察された変動を再現できた.雑食のある3種系でも共存平衡点は存在し,この平衡点は局所的に不安定であったが,シミュレーションではリミットサイクルが現れ,全ての種において右利きと左利きは共存し.種内の利き比率は周期的に振動した.被食者には右利きと左利きがいるが捕食者2種には一方の利きしかいない系は安定ではなく,捕食者が二型になるか絶滅した.

遺伝子頻度動態モデルとして,1遺伝子座2対立遺伝子で右利きが劣性であるメンデル遺伝を想定したモデルを構築した.1捕食者2被食者の系では共存平衡点では各種内の利き比率が1/2であった.被食者と捕食者ともに利き比率の周期的な振動が見られ,被食者2種の位相は一致していた.これは遺伝的浮動を考慮した場合でもほぼ同様であった.遺伝的浮動の効果は振動周期と振幅に表れた.遺伝的浮動による遺伝子頻度の不確実性が大きいと周期は長くなり,振幅が大きくなることが分かった.内的自然増加率が大きい種や捕食圧が高い種においても同様であった.雑食のある3種系でも共存平衡点では各種内の利き比率が1/2であった.この平衡点は局所不安定,シミュレーションではリミットサイクルが出現した.また野外で得られたデータとは逆に,同じ利きを捕食する方が効率が良い場合,右利きと左利きの個体群は共存しないことが分かった.6種からなる2段階の食物網(3捕食者3被食者系)では,捕食を通じた利き比率の振動への間接効果について検討した.捕食者は被食者を共有せず,被食者間にのみ競争がある場合にも,利き比率振動の周期性はやや失われた.その傾向は内的自然増加率が小さい被食者と死亡率が小さい捕食者で顕著であった.捕食者のうち1種が被食者2種を利用する食物網では周期性は大きく失われた.しかし捕食者3種のうち2種が被食者を共有する食物網においては周期性は回復した.同じ食物網内にいる種の個体密度の増減が各種の利き比率振動に間接的に働き,予想外の効果をもたらすことが分かった.

本論文は左右性という種内多型が交差捕食によって維持されるという仮説を新たに提示し,理論生物学の手法を用いて詳細な検証を試みた.さらに,系が不安定になる条件を明記し,種内多型を維持する種苗放流の必要性を示唆した.

審査委員会では,遺伝子頻度動態モデルと個体群動態モデルの関係,野外での左右性の変動と個体数変動の関係などに関する質問が出されたが,申請者は的確に回答した.本論文により交差捕食の定義が明確になったとの指摘があったように,学術的価値の高い研究となっていることは全員の一致した見解であった.討議はむしろ今後の課題に集中し,理論の野外検証に一層努めてほしいとの意見が出された.

以上のように,本論文を高く評価する意見が相次いだ.審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として十分に価値あるものと認めた.

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