学位論文要旨



No 121296
著者(漢字) 李,紅梅
著者(英字) Li Hong Mei
著者(カナ) リ,コウバイ
標題(和) 培養容器内酸素濃度の制御による高密度不定胚液体静置培養系の確立
標題(洋)
報告番号 121296
報告番号 甲21296
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3009号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物・環境工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 蔵田,憲次
 東京大学 教授 大政,謙次
 東京大学 助教授 山川,隆
 東京大学 助教授 芋生,憲司
 東京大学 講師 牧野,義雄
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

不定胚は植物の体細胞から生殖過程を経ずに,直接形成される胚状組織であり,一般の受精卵由来の胚と外見上同様な発生過程を経て植物体へと成長する.不定胚は,(1)増殖率が高い.(2)わずかな空間で多数の品種を増殖・保存できる.(3)生産が季節に左右されないなどの利点があるため,農業,園芸,林業などの分野の大量種苗生産方法の有力な候補として期待されている.しかし,不定胚から生産された苗は(1)変異率が高い.(2)収穫した不定胚が均一でない.(3)植物体への再生率が低い.(4)培養工程の省力化・自動化が不十分であるなどの問題があるため,現状では,実用化された例がまだ少ない.

不定胚形成および発育に関する既往の研究には,培養液の組成,pHなどの化学的要因の影響を調べた研究と,温度,光,通気ガス,せん断応力などの物理的要因の影響を調べた研究がある.本論文では,静置培養ではせん断応力による物理的ストレスが不定胚に加わらないことと,培地の溶存酸素濃度が不定胚の形成および発育に影響を及ぼすにことに着目し,培養容器内酸素濃度を不定胚発育段階別に制御することにより,大量種苗生産の目的生産物である魚雷型胚生産量の高い高密度不定胚液体静置培養系を確立することを目的とした.

高粘性液体培地を用いた不定胚液体静置培養の可能性の検討および液体静置培養での培養容器内酸素分圧の制御による魚雷型胚形成率の向上

低濃度寒天(0.5g/l)を含む高粘性液体培地を用いた不定胚液体静置培養の可能性を検討するため,三角フラスコを用いた液体振とう培養,三角フラスコを用いた液体静地培養およびシャーレを用いた液体静置培養の三つの試験区を設け,不定胚の発育を比べた.三角フラスコを用いた液体振とう培養では,不定胚の発育が速く,培養開始11日後,すでに多量の魚雷型胚が形成され,14日後には多量の子葉期胚が形成された.これに対して,三角フラスコを用いた液体静置培養では,不定胚の発育が遅く,培養開始14日後多量の球状胚および心臓型と少量の魚雷型胚しか形成されなかった.シャーレを用いた液体静地培養では,不定胚の発育が三角フラスコを用いた液体振とう培養より遅かったが,魚雷型胚が正常に形成され,また,魚雷型胚から子葉期胚への発育が抑制されたため,培養開始14日後の魚雷型胚形成率が三角フラスコを用いた液体振とう培養の魚雷型胚形成率の約1.8になった.

液体静置培養で培養容器内酸素分圧が不定胚の発育に及ぼす影響を調べるため,カルス懸濁液の入ったシャーレを酸素分圧20kPa,40kPa,60kPaの耐圧容器に設置して14日間静置培養を行い,各発育段階の不定胚数の経時変化を調べた.培養開始8日後までは,酸素分圧20kPa区と40kPa区の不定胚数に有意な差が見られなかった.培養開始9日目から11日後までは,酸素分圧40kPa区で心臓型胚から魚雷型胚への発育が促進され,11日後の魚雷型胚数は酸素分圧20kPa区より有意に多かった.培養開始12日目から14日後までは,酸素分圧20kPa区では魚雷型胚から子葉期胚への発育を抑制されたが,酸素分圧40kPa区では促進されたため,14日後の酸素分圧20kPa区の魚雷型胚数は酸素分圧40kPa区より有意に多かった.酸素分圧20kPa区および酸素分圧40kPa区の不定胚総数に有意な差がなかった.酸素分圧60kPa区で不定胚形成および発育は阻害され,14日後の不定胚総数は20kPa区より有意に少なかった.以上の結果から,魚雷型胚形成率を高めるため,カルス懸濁液を培養開始から8日後まで酸素分圧20kPa下で培養し,培養開始9日目から11日後まで酸素分圧40kPa下で培養し,培養開始12日目から14日後まで再び酸素分圧20kPa下で培養することを提案し,実験した結果,魚雷型胚形成率が酸素分圧を20kPaに一定にした培養の約1.3になった.

液体静地培養での培養容器内酸素濃度,培地の溶存酸素濃度,不定胚の呼吸速度および不定胚の発育率の関係

培養容器内の酸素が不定胚の発育に影響を及ぼす過程は次のように考えられる.(1)培養容器内酸素濃度の変化により,培地の溶存酸素濃度が変化する.(2)培地の溶存酸素濃度が不定胚の呼吸速度に影響し,逆に不定胚の呼吸速度が培地の溶存酸素濃度に影響する.(3)不定胚の呼吸速度が不定胚の発育率に影響する.この過程に関連する因子の関係を把握し,不定胚の発育に最適な溶存酸素環境を提供するのは重要である.本研究では,心臓型胚と魚雷型胚をそれぞれ培養容器内酸素濃度20%,30%,40%下で3日間培養し,培地の溶存酸素濃度,心臓型胚および魚雷型胚の呼吸速度,心臓型胚から魚雷型胚への発育率,魚雷型胚から子葉期胚への発育率を調べ,それらの関係を定量化した.培地の溶存酸素濃度は培養容器内酸素濃度の増加により,ほぼ直線的に増加した.心臓型胚および魚雷型胚とも,培地の溶存酸素濃度が高いほど,呼吸速度が高く,同じ溶存酸素濃度下で,魚雷型胚の呼吸速度は心臓型胚の呼吸速度より高かった.また,心臓型胚の呼吸速度が高いほど,心臓型胚から魚雷型胚への発育率が高く,魚雷型胚の呼吸速度が高いほど,魚雷型胚から子葉期胚への発育率が高かった.同じ溶存酸素濃度下では,魚雷型胚から子葉期胚への発育率が心臓型胚から魚雷型胚への発育率より高かった.

高密度液体静置培養での培養容器内酸素濃度の制御による魚雷型胚形成率の向上

高密度液体静置培養で魚雷型胚形成率を高めるため,心臓型胚と魚雷型胚の割合をモニタしながら,上記の培養容器内酸素濃度,培地の溶存酸素濃度および不定胚の発育率の定量的関係に基づいて,培養容器内酸素濃度を制御した.具体的には,培養容器内酸素濃度を培養開始から11日後までは20%,培養開始12日目から14日後までは40%,培養開始15日目から20日後までは30%に制御した.その結果,高密度培養で培養容器内酸素濃度を制御することにより,魚雷型胚形成率が酸素濃度を制御しない高密度培養より約 2培に高くなった.また,魚雷型胚数は,通常の培養密度の場合の約2.6倍になった.

結論

シャーレを用いた液体静置培養での魚雷型胚形成率は三角フラスコを用いた液体振とう培養での魚雷型胚形成率の約1.8倍であった.また,シャーレを用いた液体静置培養で培養容器内酸素分圧を不定胚発育段階別に制御することにより,魚雷型胚形成率を1.3倍高めることが可能であった.培養容器内の酸素濃度,培地の溶存酸素濃度,心臓型胚および魚雷型胚の呼吸速度,心臓型胚から魚雷型胚への発育率,魚雷型胚から子葉期胚への発育率の関係を定量化し,それに基づいて,高密度液体静地培養で培養容器内酸素濃度を制御することにより,魚雷型胚形成率を培養容器内酸素濃度を制御しない高密度培養の約2倍に高めることが可能であり,魚雷型胚数を通常の培養密度の場合の約2.6倍に高めることが可能であった.これにより,培養容器内酸素濃度の制御による高密度不定胚液体静置培養法の基礎が確立されたといえよう.

審査要旨 要旨を表示する

不定胚は植物の体細胞から生殖過程を経ずに、直接形成される胚状組織であり、増殖率が高く、培養工程の省力化・自動化が可能なことから、農業・園芸・林業などの分野の大量種苗生産方法の有力な候補として期待されている。しかし、変異率が高い、収穫した不定胚が不均一であるなどの理由から実用化された例がまだ少ない。不定胚経由での種苗生産を実用化するためには培養工学的な観点から解決すべき課題が山積している。本論文では、不定胚培養環境の諸要素のうち、せん断応力と溶存酸素濃度に着目し、効率的な不定胚培養方法を確立しようとするものである。すなわち、静置培養ではせん断応力による物理的ストレスが不定胚に加わらないこと、また、培地の溶存酸素濃度が不定胚の形成および発育に大きな影響を及ぼすにことから、培養容器内酸素濃度を不定胚発育段階別に制御することにより,大量種苗生産の目的生産物である魚雷型胚生産量の高い高密度不定胚液体静置培養系を確立することを目的とした.

本論文は5章からなる。

1章では、研究の背景と目的について述べた。

2章では、高粘性液体培地を用いた不定胚液体静置培養の可能性を検討し、液体静置培養での培養容器内酸素分圧の制御による魚雷型胚形成率の向上を目的とした実験について述べた。低濃度寒天(0.5g/l)を含む高粘性液体培地とシャーレを用いた液体静置培養では、通常の三角フラスコを用いた液体振とう培養に比べ、魚雷型胚形成率の約1.8になり、液体静置培養の有効性が示された。次に、カルス懸濁液の入ったシャーレを酸素分圧20kPa、40kPa、60kPaの耐圧容器に設置し、14日間静置培養を行い、酸素分圧60kPaでは不定胚形成が阻害されること、酸素分圧20kPaと40kPaとの比較では、培養初期には酸素分圧の影響を受けないが、後期には40kPaで、発育が促進されることを明らかにした。この結果から、培養期間中期に酸素分圧を40kPaにし、その他の期間は20kPaにすれば、魚雷型胚形成が促進されるが予想され、そのことを実験的証明した(魚雷型胚形成率が酸素分圧を20kPaに一定にした培養の約1.3になった)。

3章では、液体静地培養での培養容器内酸素濃度、培地の溶存酸素濃度、不定胚の呼吸速度および不定胚の発育率の関係について調べた。心臓型胚と魚雷型胚をそれぞれ培養容器内酸素濃度20%,30%,40%下で3日間培養し、培地の溶存酸素濃度、心臓型胚および魚雷型胚の呼吸速度、心臓型胚から魚雷型胚への発育率、魚雷型胚から子葉期胚への発育率を調べ、それらの関係を定量化した。

4章では、高密度液体静置培養での培養容器内酸素濃度の制御による魚雷型胚形成率の向上に関する実験について述べた。培養容器内酸素濃度を培養開始から11日後までは20%,培養開始12日目から14日後までは40%,培養開始15日目から20日後までは30%に制御した結果、魚雷型胚形成率が酸素濃度を制御しない高密度培養より約 2培に高くなった。また、魚雷型胚数は、通常の培養密度の場合の約2.6倍になった。

5章はでは、研究を総括し、今後の研究課題になどに関して論じた。

以上、本研究は、植物細胞培養での大きな問題であった、振とうあるいは攪拌によるせん断力の問題を高粘性培地を用いた静置培養という新たな発想で克服し、同時に、培養器内酸素濃度制御によって、魚雷型胚の生産を大幅に向上できることを示したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文に値するものと認めた。

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