学位論文要旨



No 121298
著者(漢字) 三石,正一
著者(英字)
著者(カナ) ミツイシ,ショウイチ
標題(和) 遺構保存用の親水性ポリマーが土壌中の水分移動に与える影響に関する研究
標題(洋)
報告番号 121298
報告番号 甲21298
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3011号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物・環境工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮,毅
 東京大学 教授 田中,忠次
 東京大学 教授 塩沢,昌
 東京大学 助教授 島田,正志
 東京大学 助教授 構口,勝
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

我が国では1960年頃から高度経済成長に伴う大規模な国土開発が展開された。その結果、発掘調査件数が一気に跳ね上がり、数多くの遺跡が発掘された。それらの中には日本の歴史を研究する上で価値の高い遺跡も多く、土地開発による環境破壊の反省、地域の歴史を認識するための共有財産、学術研究の還元などの観点から、発掘した遺跡の公園化や遺跡の一部分である遺構を露出展示する事例が増えてきた。遺構の露出展示時には乾燥による崩壊,塩類の析出,地衣類等という問題が発生し,これらを防止しなければならない。これらのうち遺構の乾燥による崩壊に対しては,土壌からの水分蒸発を抑制するポリマーを散布して防ぐ方法が普及しつつあるが,塩類の析出を防ぐことはできていない。このように,遺構の恒久的な露出展示方法を開発するためには,ポリマー散布後の土壌水移動の制御が必須であるが,その詳細なメカニズムについてはあきらかにされていない。そこで本研究では,遺構保存用の親水性ポリマーが土壌中の水分移動に与える影響を蒸発実験であきらかにすること,遺構保存用の親水性ポリマー散布後の土壌水分蒸発量の計算に表層輸送抵抗を組み込んだ蒸発式を用いて土壌水分蒸発量を予測することを目的とした.

土壌および供試ポリマーの物性値測定

供試土壌には東京都西東京市東京大学田無農場から採取した立川ロームを使用した.また供試ポリマーには遺構の露出展示時に用いられている,ポリシロキサン−ポリオキシアルキレンオリゴマー(分子量700;SAOと呼ぶ)と対象ポリマーとしてポリエチレングリコール(分子量400;PEGと呼ぶ)を用いた.

供試ポリマーと水分量の関係をあきらかにするために,水分量の違いによる熱伝導率,水ポテンシャルの変化を調べた.供試ポリマーの水分量の違いによる蒸気圧の変化をFig.1に示す.質量濃度が増加するに従い,蒸気圧も低下していった.またSAOよりPEGのほうが蒸気圧を低下させることがあきらかとなった.この結果から,PEGを土壌に散布するとSAOより水分蒸発量が減少することが予測された.

供試ポリマー散布後の土壌中の水分移動

土壌中の水分移動に供試ポリマーがどのような影響を及ぼすか調べるために,アクリルカラムに供試土を充填し,温度25℃,相対湿度70%に一定に設定した恒温恒湿チャンバー内で蒸発実験をおこなった.ポリマー散布試料の蒸発速度は無散布試料より低下し,15日目の無散布試料の蒸発速度と比較して,SAO散布試料は約40%,PEG散布試料は約50%低下していたことがわかった.また不飽和透水係数では,Control(無散布),PEG散布試料とも深さごとの不飽和透水係数に差はみられなかった.PEG散布試料では体積含水率が0.6cm3 cm-3以下では不飽和透水係数は一定になった.SAO散布試料は体積含水率が0.6cm3 cm-3あたりから各深さの不飽和透水係数に差があらわれた.また体積含水率の低下にともない,不飽和透水係数も低下していった.

供試ポリマー浸透深さの測定

土壌水蒸発に影響を与える供試ポリマーの浸透深さを調べるために,土壌水の水ポテンシャルを測定するWP4−T(Decagon Device, Inc.)を用いて,ポリマー散布後の土壌中の水ポテンシャルの時間変化を調べた.SAO散布試料の水ポテンシャルの時間変化(Fig.4)は,深さ1.5cm以降変化があらわれなかった.PEG散布試料は深さ1.5cmまで水ポテンシャルが変化していた(Fig.5).この結果から,SAOは深さ1cm,PEGは深さ1.5cmまで浸透していることがあきらかになった.また水ポテンシャルの測定と蒸発実験で得られた温度変化から,各深さの蒸気圧を算出した.Control,PEG散布試料については時間の経過とともに土中の蒸気圧は低下していったが,SAO散布試料の蒸気圧は上昇していった.深さ0.75cmの蒸気圧が特に上昇していた.水ポテンシャル分布から導き出されたSAOの浸透深さを裏付けるものと考えられる.

供試ポリマーが土壌の保水性に与える影響

供試ポリマーの浸透深さがあきらかになったので,供試ポリマーの質量に対する試料土の乾土質量の割合があきらになった.そこで供試ポリマーと土壌水分量の関係をあきらかにするために,水分量を調整した供試土に所定量の供試ポリマーを添加して,各試料の水ポテンシャルを測定した.ポリマーを添加した土壌の水ポテンシャルと体積含水率の関係をFig.6に示す.水ポテンシャルが−5Mpaの時のSAOおよびPEG試料の含水率をみてみると,SAOは0.22cm3 cm-3,PEG試料は0.48cm3 cm-3と約2倍の水分量であった.土壌にPEGを混入させるとSAOより土壌水分量を保つことがあきらかとなった.

供試ポリマー浸透層中の水分移動

5章の結果をもとに,ポリマー混合土壌の水通過抵抗係数を算出した.本研究では,ポリマー混合試料土の水の移動は水ポテンシャルによると仮定し,以下の式を用いてポリマー混合土壌の水通過抵抗係数を算出した(Fig.7).

ここでqは水のフラックス(cm s-1),K(φw)はポリマーによる水通過抵抗(cm s-1),φwは水ポテンシャル(cmH20),zは位置(cm)である.その結果,SAO混合試料の水通過抵抗係数は1×10-13cm s-1,PEG混合試料は1×10-12cm s-1となった.またポリマー混合試料には体積含水率の低下にともなう水通過抵抗係数の低下はみられなかった.

蒸発速度の計算

遺跡保存用の親水性ポリマー散布後の土壌面水分蒸発量の予測を,供試ポリマーによる水通過抵抗を組み込んだ蒸発モデルでおこなった.

ここでEは蒸発速度(m s-1),ρ*(T)は温度T(K)における飽和水蒸気濃度(g m-3),ρaは基準高度における空気中の水蒸気濃度(g m-3),TEは蒸発が起きている位置の温度(K),kEは地表面と基準高度間の水蒸気伝達係数(m s-1), Zdはポリマーが浸透している深さ(m),Dpはポリマー浸透層中の水蒸気拡散係数(m2 s-1)である.Control試料ではほぼ実測値を再現したが,ポリマー散布試料についてはどちらも計算値は実測値を大きく下回った.これはポリマー浸透層中では水蒸気移動だけでなく,液状水の移動も無視できないためであると考えられる.

結論

本研究は,遺構保存用の親水性ポリマー土壌散布後の土壌中の水分移動に及ぼす影響をあきらかにすることを目的として実験をおこない以下の結果を得た.

・蒸発実験により,蒸発速度および土中水分移動速度を把握することができた.

・ 水ポテンシャル分布からSAOの浸透深さは深さ1cm,PEGの浸透深さは深さ1.5cmであることがわかった.またSAO浸透層中の水通過抵抗係数は1×10-13cm s-1,PEG浸透層中の水通過抵抗係数は1×10-12cm s-1まで低下することがわかった.

・ PEGはSAOよりも水ポテンシャル,土中の蒸気圧を低下させ,土壌の保水性が増加させた.しかし土壌に散布してみると,SAOを散布した試料に蒸発速度や土壌中の水分移動速度の低下があらわれた.

・ このような結果となった理由として,供試ポリマーによって土壌間隙中での存在形態が異なるためであることが考えられる.

Fig.1 供試ポリマーの質量濃度に対する蒸気圧変化

Fig.2.蒸発速度

Fig.3.不飽和透水係数

Fig.4 水ポテンシャル分布(SAO散布試料)

Fig.5 水ポテンシャル分布(PEG散布試料)

Fig.6 ポリマー混合土壌の水ポテンシャルと体積含水率の関係

Fig.7 無散布試料の不飽和透水係数とポリマー散布試料の水通過抵抗係数

Fig.8 SAO散布試料の蒸発速度の実測値と計算値

審査要旨 要旨を表示する

我が国では1960年頃から高度経済成長に伴う大規模な国土開発が展開された。その結果、発掘調査件数が一気に跳ね上がり、数多くの遺跡が発掘された。それらの中には日本の歴史を研究する上で価値の高い遺跡も多く、発掘した遺跡の公園化や遺跡の一部分である遺構を露出展示する事例が増えてきた。しかし、遺構の露出展示時には、乾燥による崩壊、塩類の析出、地衣類繁茂等という問題が発生し、これらの防止がきわめて重要となった。その防止方法として、土壌にポリマーを散布して水分蒸発と乾燥を抑制する方法が普及しつつあるが、防止メカニズムや効果の詳細は明らかにされていない。

本研究の目的は、代表的な2種類の親水性ポリマーであるポリシロキサン−ポリオキシアルキレンオリゴマーとポリエチレングリコールを選び、それらが遺構における土壌中の水分移動に与える影響を明らかにし、これらの親水性ポリマー散布後の蒸発乾燥の抑制効果を理論的に予測することとした。

本論文は、9章で構成されている。第1章では、文化財保存という学術分野を概観し、特に都市開発の進展に伴って発掘調査件数が一気に跳ね上がり、またそれらの中で歴史的文化的価値が際立って高いものも含まれていることを指摘した。それにも関わらず、遺跡保存技術においては経験則に依拠するものが多く、科学的な根拠を有する遺構保存技術の必要性が高いこと、土壌物理学がその有効な手法となりうることを述べた。

第2章では、供試土壌と供試ポリマーの物性値について詳細な測定データを示した。 供試土壌には東京都西東京市東京大学田無農場から採取した立川ロームを使用した。また供試親水性ポリマーには、ポリシロキサン−ポリオキシアルキレンオリゴマー(SAO;分子量700)とポリエチレングリコール(PEG:分子量400)を用いた。SAOもPEGも溶液の水蒸気圧を低下させる効果を持つが、SAOよりPEGのほうが蒸気圧を低下させるので、PEGを土壌に散布するとSAOより水分蒸発量が減少することが予測された。

第3章では、供試ポリマー散布後の土壌中の水分移動を実験的に調べ、土壌水のマトリックポテンシャル低下効果を確かめたところ、最も著しく低下したのは対照試料(ポリマー無散布)、次にPEG散布試料、SAO散布試料の順番であり、蒸発抑制効果はSAOが最も大きかった。これは、第2章の予測と逆の結果となった。

第4章では、ポリマー散布による蒸発抑制効果の違いが現れる原因を調べるため、供試ポリマー浸透深さの測定を、WP4-T(Decagon Device. Inc)を用いて行った。その結果、散布ポリマーの浸透深さは、SAOが1cm、PEGは1.5cmであることがわかった。

第5章では、供試ポリマーが土壌の保水性に与える影響を調べ、土壌にPEGを混入させるとSAOより保水性が高まることがあきらかとなった。

第6章では、供試ポリマー浸透層中の水分移動を計算して比較した。土壌中のポリマー浸透層における水分は、水ポテンシャル勾配に比例して移動する。これは、通常の土壌水分移動がマトリックポテンシャル勾配に比例して移動するのとは異なる。そのため、水移動係数も、不飽和透水係数ではなく、水通過抵抗係数と定義する必要がある。この点が、従来の土壌物理学だけでは問題が処理できない理由となっていることを指摘し、親水ポリマーによって水ポテンシャルが低下した場合の水分移動の解析法を提示した。その結果、SAO混合試料の水通過抵抗係数は1×10-13cm s-1、PEG混合試料は1×10-12cm s-1となった。

第7章では、土壌面蒸発速度の予測を次式、

によって行った。ここでEは蒸発速度、ρ*(T)は温度Tにおける飽和水蒸気濃度、ρaは基準高度における空気中の水蒸気濃度、TEは蒸発が起きている位置の温度、kEは地表面と基準高度間の水蒸気輸送係数、Zdはポリマーが浸透している深さ、Dpvはポリマー浸透層中の水蒸気拡散係数である。その結果、対照資料(無散布)では、予測値と実測値は良く一致したが、ポリマー散布試料については予測値が実測値を大きく下回った。その理由として、ポリマー浸透層の水蒸気と液状水の挙動が予測と異なるためであるとし、親水性ポリマーを含む土壌水移動には未解決の問題があることを示唆した。

第8章では、総合考察を行い、SAOは界面活性機能をするので、SAOを散布した土壌では親水基が水を吸着してミセルを形成し、そのミセルが土壌間隙をふさぐので土壌中の水分移動速度が低下すると結論した。

以上要するに、本論文は室内実験、理論的解析を通じて、遺構保存用の親水性ポリマーが土壌中の水分移動に及ぼす影響を明らかにし、それが遺構の乾燥劣化、表面の塩分集積などの防止に寄与するメカニズムを明らかにしたものであり、学術応用上寄与するところが大きい。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク