学位論文要旨



No 121311
著者(漢字) 金,秀蓮
著者(英字)
著者(カナ) キム,スヨン
標題(和) 環境耐性植物の創製に関する研究
標題(洋)
報告番号 121311
報告番号 甲21311
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3024号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西澤,直子
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 教授 吉村,悦郎
 東京大学 教授 篠崎,和子
 東京大学 助教授 山川,隆
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

2050年には世界人口が89億人に達すると予測されており、21世紀の最も重要な課題の一つとして、増加する人口に見合う安全な食糧の確保が考えられる。急激な人口の増大の反面、土壌の流亡、砂漠化、塩類集積、アルカリ土壌化、酸性土壌化など、多方面にわたる土壌破壊が進行し、さらに地球温暖化など気象条件の不安定化に伴う干ばつ、洪水、塩害の増大なども予測されている。このような主に人間活動に起因した地球環境の悪化は、食糧生産に適した土地をさらに減少させることとなり、地球規模の食糧危機の到来が懸念されている。地球上には地質年代的な不良土壌がある上に、人為的な不良土壌の面積が急速に拡大している。これらの不良土壌は地球上の陸地の約67%を占めるといわれ、高塩類蓄積アルカリ土壌、石灰質アルカリ土壌、酸性土壌、重金属集積土壌などがある。食糧問題に対応するためにはこれらの耕作放棄土壌や不良土壌を耕作可能な土壌として活用しなければならない。そのためには不良土壌に耐性の穀物品種の開発に向かわざるを得ない。本研究では、上記の不良土壌のうち石灰質アルカリ土壌と重金属集積土壌に着目し、それらの土壌に耐性を示す植物の作出を行った。

石灰質アルカリ土壌と植物−鉄欠乏耐性植物の創製

石灰質アルカリ土壌では土壌pHが高く、鉄が不溶態となって沈殿し、植物が吸収できなくなるため、欠乏症はまず、葉脈間が黄白化する鉄欠乏クロロシスとして現れ、枯死に至る。イネ科以外の単子葉植物や双子葉植物は三価の鉄を還元して、二価鉄イオンの形で吸収するStrategy-Iという鉄獲得機構を持つ。三価鉄を還元するステップが鉄吸収に必須であることから、本研究では、石灰質アルカリ土壌における鉄欠乏に耐性である植物を創製するために、この三価鉄還元酵素に着目しタバコとダイズに遺伝子導入を行った。

鉄欠乏耐性タバコの作出

合成遺伝子 (VARIANT 372)の導入

VARIANT 372酵素は高pHでも高い三価鉄還元活性を持つ。このVATIANT 372遺伝子は当研究室の大木ら(2004)により、酵母の三価鉄還元酵素遺伝子(FRE1)をタバコが繁用するコドンに書き換え、さらにPCRによってランダムな変異を導入することにより進化工学的に作成された。この遺伝子のタバコへの導入も大木らにより試みられたが、VARIANT 372導入タバコは、その再生過程で葉片が濃緑色となるような異常を示し、再生体が得られなかった。この原因として、VARIANT 372 タンパク質の強力な還元活性に伴う培地中のFe, Zn, Cuなどの重金属元素の過剰還元による、重金属のカルス葉片への過剰集積が考えられた。本研究では、遺伝子導入の際に用いる培地の鉄と他の微量元素の濃度を1/2や1/10に減らすことによって、再生体を得ることに成功した。 また、石灰質アルカリ土壌を用いてVARIANT 372導入タバコの鉄欠乏耐性を検定した結果、形質転換体は鉄欠乏耐性を示し、鉄の吸収が促進されていることが明らかになった。

ニコチアナミン合成酵素遺伝子の導入

鉄欠乏耐性をさらに増強するためには、鉄の吸収とともに体内での移行や利用性を増強する必要があると考えられた。そこで、VARIANT372遺伝子とオオムギのニコチアナミン合成酵素遺伝子 (HvNAS1)を組み合わせることを考えた。ニコチアナミン(NA)は鉄(二価, 三価)や他の二価金属のキレーターであり、植物における金属元素の恒常性の維持に関与すると考えられている。まず、CaMV35SプロモーターによってHvNAS1を過剰発現するタバコにVARIANT 372遺伝子を再導入するという方法をとり、再導入されたタバコの鉄欠乏耐性の検定、金属含量の測定、収量の測定などを行った。得られた結果から、種子や新葉の鉄・亜鉛含量を高めるためにはHvNAS1遺伝子との組み合わせが有効であることがわかった。しかし、同時に遺伝子導入法やプロモーターの改善の必要性も明らかになった。

根特異的鉄欠乏応答性プロモーターの利用

Ids3 (Iron deficiency specific clone no.3)は本研究室でオオムギから単離された、鉄欠乏のオオムギの根で発現が強く誘導される遺伝子であり、ムギネ酸合成酵素をコードしている。このIds3の5'上流領域はタバコにおいても鉄欠乏応答性を示すことが確認されている。鉄欠乏に応答して高pH条件でも高い三価鉄還元酵素活性を示すタバコを作出するため、Ids3の5'上流領域2.2 kbの下流にVARIANT 372遺伝子を組み込みタバコに導入した。この際、前述の結果に基いて植物体内における鉄の移行や利用性の向上を考え、HvNAS1遺伝子をタンデムにつないで導入した。アルカリ土壌を用いて形質転換タバコの鉄欠乏耐性の検定を行ったところ、耐性を示す系統が得られた。さらに、Positron-Emitting Tracer Imaging System (PETIS)法により耐性を示す系統(INV-8)と野生型 (WT)タバコにおける52Feの経時的な吸収及びその移行を計測した。その結果、高pHにおいても形質転換タバコは野生型に比べ根から多くの鉄を吸収し、吸収した鉄を積極的に地上部へ移行していることが分かった。

鉄欠乏耐性ダイズの作出−マーカーフリーベクター

通常の形質転換植物の多くは、遺伝子導入の確認のために植物由来ではないマーカー遺伝子が入っていることから、有用な作物が作出されても人体への影響が懸念され、一般に受け入れられ難いのが現状である。また、ダイズは双子葉植物としては最も重要な作物のひとつであり、主要穀類の中でもとりわけタンパク質と脂質が多いことから、食品素材や加工原料として利用されるばかりでなく、タンパク質あるいは油脂源として工業的にも極めて重要な作物である。そこで、本研究では上記のIds3の5'上流領域下流にVARIANT 372遺伝子とHvNAS1遺伝子をタンデムにつないだコンストラクトをマーカーフリーベクターに組み込み、これを用いて鉄欠乏耐性ダイズの作出を試みた。マーカーフリーベクターとは、マーカー遺伝子による目的遺伝子導入の有無の検定が終了した後に、形質転換植物の染色体中のマーカー遺伝子を取り除くことが可能なベクターである。現在、安定した形質転換系の確立と形質転換効率の向上に努めている。

重金属集積土壌と植物−重金属過剰耐性とニコチアナミン

鉄、亜鉛、マンガン、銅、ニッケルのような金属元素は植物によって土壌から吸収される。しかしながら、これらの金属元素は植物の生育に必須な栄養素として重要な役割を果たす一方で高濃度では毒性を示す。植物はこれらの毒性を回避するための様々な機構を持つ。最近、金属元素の輸送と解毒にNAが関与することが示唆された。NAはNASによるS-アデノシルメチオニンの3分子重合により生合成される。そこで本研究では、CaMV35SプロモーターによってHvNAS1遺伝子を過剰発現するシロイヌナズナとタバコを作成し、これらの形質転換植物を用いて、重金属の毒性回避に関わるNAの役割を調べた。

HvNAS1遺伝子を過剰発現させた形質転換シロイヌナズナとタバコの内生NA含量をHPLCによって測定した。その結果、HvNAS1を過剰発現する形質転換体のNA濃度は野生型と比べて高く、形質転換シロイヌナズナの系統15-3は野生型の約5倍、形質転換タバコの系統S1では約10倍だった。系統間ではHvNAS1遺伝子の発現量が高いほどNA濃度が高かった。次に重金属過剰培地を用いて重金属過剰耐性を検定した。形質転換シロイヌナズナでは、過剰の鉄、マンガン、亜鉛、銅、カドミウムやニッケルに対して耐性がみられ、特にニッケル過剰耐性が顕著であった。また、形質転換タバコではニッケルのみに強い耐性を示すことが明らかになった。そこで、北海道雨竜郡幌加内町で採取した蛇紋岩由来のニッケル過剰土壌を用いて耐性検定を行った。野生型は形質転換タバコに比べて草丈が低く、古い葉に葉脈間クロロシス様の症状を示し、最終的にはネクローシスによる斑点を示した。これに対して、形質転換植物ではこのようなニッケル過剰症状が見られず正常に生育した。これらの結果によりNAは過剰な重金属、特にニッケルの過剰に対し、植物に耐性を与えることが明らかになった。HvNAS1過剰発現タバコは、バイオマスが大きいことから、ファイトレメディエーションへの利用が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

はじめに

2050年には世界人口が89億人に達すると予測されており、21世紀の最も重要な課題の一つとして、増加する人口に見合う食糧の確保が考えられる。地球上には地質年代的な不良土壌がある上に、人為的な不良土壌の面積が急速に拡大している。食糧問題に対応するためにはこれらの耕作放棄土壌や不良土壌を耕作可能な土壌として活用しなければならない。本論文は不良土壌に耐性の穀物品種の開発を目指したものである。

石灰質アルカリ土壌と植物 − 鉄欠乏耐性植物の創製

石灰質アルカリ土壌では土壌pHが高く、鉄が不溶態となって沈殿し、植物が吸収できなくなるため、欠乏症はまず、葉脈間が黄白化する鉄欠乏クロロシスとして現れ枯死に至る。そこで本研究では、石灰質アルカリ土壌における鉄欠乏に耐性である植物の創製を目的とした。

鉄欠乏耐性タバコの作出

合成遺伝子 (VARIANT 372)の導入

VARIANT 372酵素は、進化工学の手法により作成した高pHでも高い活性を持つ三価鉄還元酵素である。この人工遺伝子をタバコへ導入し、再生体を得ることに成功した。石灰質アルカリ土壌を用いて鉄欠乏耐性を検定した結果、形質転換体では鉄の吸収が促進されており、石灰質アルカリ土壌における鉄欠乏に耐性を示すことが明らかになった。

ニコチアナミン合成酵素遺伝子の導入

鉄欠乏耐性をさらに増強するためには、鉄の吸収とともに体内での移行や利用性を増強する必要があると考えられた。そこで、VARIANT372遺伝子とオオムギのニコチアナミン合成酵素遺伝子 (HvNAS1)を組み合わせることを考えた。ニコチアナミン(NA)は鉄(二価, 三価)や他の二価金属のキレーターであり、植物における金属元素の恒常性の維持に関与すると考えられている。CaMV35SプロモーターによってHvNAS1を過剰発現するタバコにVARIANT 372遺伝子を再導入するという方法をとり、再導入されたタバコの鉄欠乏耐性の検定、金属含量の測定、収量の測定などを行った。その結果、種子や新葉の鉄・亜鉛含量を高めるためにはHvNAS1遺伝子との組み合わせが有効であることがわかったが、同時に遺伝子導入法やプロモーターの改善の必要性も明らかになった。

根特異的鉄欠乏応答性プロモーターの利用

Ids3 (Iron deficiency specific clone no.3)は本研究室でオオムギから単離された鉄欠乏のオオムギの根で発現が強く誘導される遺伝子であり、ムギネ酸合成酵素をコードしている。鉄欠乏に応答して高pH条件でも高い三価鉄還元酵素活性を示すタバコを作出するため、Ids3の5'上流領域2.2 kbの下流にVARIANT 372遺伝子とHvNAS1遺伝子をタンデムにつないで導入した。アルカリ土壌を用いた検定により耐性を示す系統(INV-8)が得られた。さらに、Positron-Emitting Tracer Imaging System (PETIS)法によりINV-8は高pHにおいても非形質転換体に比べ根から多くの鉄を吸収し、吸収した鉄を積極的に地上部へ移行していることが分かった。

鉄欠乏耐性ダイズの作出−マーカーフリーベクター

ダイズは双子葉植物としては最も重要な作物の1つである。しかしながら、ダイズは鉄欠乏に対する耐性が低く、収量増大のためにも、鉄欠乏耐性ダイズの創製が望まれる。通常の形質転換植物の多くは、遺伝子導入の確認のために植物由来ではないマーカー遺伝子が入っていることから、有用な作物が作出されても人体への影響が懸念され、一般に受け入れられ難いのが現状である。本研究ではマーカーフリーベクターを用いて鉄欠乏耐性ダイズの作出を試みた。現在、安定した形質転換系の確立と形質転換効率の向上に努めている。

重金属集積土壌と植物−重金属過剰耐性とニコチアナミン

Fe, Zn, Mn, Cu, Cd, Niなどの重金属は土壌や水に高濃度で蓄積すると、動物や植物を介して人間の健康に問題を引き起こす。また、植物自身もそのような環境では生育が困難となる。しかしながら、植物はこれらの過剰毒性に対し様々な防御のメカニズムを持つと考えられる。本研究では、CaMV35SプロモーターによってHvNAS1遺伝子を過剰発現するシロイヌナズナとタバコを作成し、これらの形質転換植物を用いて、重金属の毒性回避に関わるNAの役割を調べた。HvNAS1遺伝子を過剰発現させた形質転換シロイヌナズナとタバコの内生NA含量をHPLCによって測定した。その結果、HvNAS1を過剰発現する形質転換体のNA濃度は非形質転換体と比べて高く、系統間ではHvNAS1遺伝子の発現量が高いほどNA濃度が高かった。重金属過剰培地を用いた重金属過剰耐性の検定では、形質転換シロイヌナズナは、過剰のFe, Mn, Zn, Cu, CdやNiに対して耐性がみられ、特にNi過剰耐性が顕著であった。また、形質転換タバコではNiのみに強い耐性を示すことが明らかになった。さらに、蛇紋岩由来のNi過剰土壌を用いて耐性検定を行った。非形質転換体は草丈が低く、古い葉に葉脈間クロロシス様の症状を示し、最終的にはネクローシスによる斑点を示した。これに対して、形質転換植物ではニッケル過剰症状が見られず正常に生育した。これらの結果によりNAは過剰な重金属、特にニッケルの過剰に対し、植物に耐性を与えることが明らかになった。HvNAS1過剰発現タバコは、バイオマスが大きいことから、ファイトレメディエーションへの利用が期待される。

以上、本論文は植物の鉄吸収機構を明らかにすることにより、石灰質アルカリ土壌に耐性の植物を創製し、二価金属キレーターであるニコチアナミンを高生産することにより、重金属耐性植物を創製することに成功したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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