学位論文要旨



No 121316
著者(漢字) 山浦,悠一
著者(英字)
著者(カナ) ヤマウラ,ユウイチ
標題(和) 森林景観における生物多様性の保全にむけて : ランドスケープの視点の有効性の検討
標題(洋)
報告番号 121316
報告番号 甲21316
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3029号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生圏システム学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 加藤,和広
 東京大学 教授 樋口,広芳
 岩手県立大学 教授 由井,正敏
 岩手県立大学 助教授 石田,健
 岩手県立大学 助教授 宮下,直
内容要旨 要旨を表示する

1章 研究の背景と目的

従来森林は木材の生産を第一目的として管理され,そこでは個々の林分の局所的な状況が専ら注目されてきた。しかし,近年の木材生産物の価格の低下に伴い,森林は生物多様性を保全する場として注目されるようになった。ランドスケープエコロジーの発展に伴い,生物多様性の保全を考慮して森林管理を行なうためには,林分の空間的配置をも考慮するべきだと指摘されるようになった。また,元来の生息地が消失したランドスケープでの生物多様性の保全は,残存生息地パッチを取り巻く農地や植林地などのマトリックスの管理によっても行なわれるべきだとも指摘されるようになった。しかし,以下の未解決の問題点が存在するため,生物多様性の保全に配慮した森林管理にランドスケープの視点を導入し,また植林地マトリックスも管理の対象とすることの有効性は未だ不明である。(1)そもそも森林におけるランドスケープの視点の有効性を扱った研究は少ない。(2)元来の生息地である広葉樹林の植林地による消失・分断化が,生物に及ぼす影響を扱った研究は少ない。(3)生息地の分断化それ自体の影響(配置の効果)の検討はあまり進んでいない。(4)日本において植林地の生物の分布を扱った研究は少なく,さらに植林地を含め,マトリックスにおける生物の分布に周囲の生息地の消失・分断化が及ぼす影響を扱った研究は存在しない。

そこで本研究では鳥類を実証研究の対象分類群とし,以下の4つの実証研究を行なった。栃木県市貝町の里山景観を対象とし,(1)パッチ内の鳥類の出現に周囲の植林地の存在が及ぼす影響を探った。これにより,ランドスケープにおける植林地の生態学的な機能について考察した。次に,長野県中部の山麓地帯を対象とし,(2)植林地による落葉広葉樹林の消失・分断化が落葉広葉樹林の鳥類に及ぼす影響,(3)植林地の鳥類に周囲の落葉広葉樹林の消失・分断化が及ぼす影響を調査した。(4)最後に,植林地の鳥類分布に影響を及ぼす要因を,生息地,ランドスケープ,空間的自己相関の観点から明らかにすることを試みた。

2章 里山景観における越冬期の鳥類群集にランドスケープ状況が及ぼす影響

栃木県市貝町の里山林で越冬期に鳥類調査を行なった。既知の種生態に基づいて種を以下の5つのグループに割り当てた。林床で採食を行なう林床探索者,低木層で採食を行なう低木利用者,樹冠や樹幹で採食を行なう樹冠利用者,針葉樹の球果を採食する種子食者,林縁で出現頻度が高い林縁グループ。各グループの鳥類の出現の有無と,林分の植生構造(林分変数),及び,林分の周囲200mの雑木林の面積やスギ・ヒノキ植林地の面積といったランドスケープの状況(状況変数)の関係を,ロジスティック回帰分析を用いて検討した。モデル選択には赤池情報量規準(AICC)を用い,複数の候補モデルから各パラメーターの値を推測した。

分析の結果,林床探索者の出現の有無は主として林分変数によって説明されたが,種子食者の出現の有無は状況変数によって主として説明された。低木利用者と樹冠利用者は,林分変数と状況変数両方によって説明された。周囲の植林地の面積が多いほど,種子食者と低木利用者が出現しやすくなったが,これらのグループは植林地への親和性が比較的高いことが示された。以上の結果から,植林地を含めたマトリックスを好適にすることは,鳥類多様性保全の有効な策になる可能性が示された。パッチが開放地ではなく植林地によって取り囲まれることによって,2つのグループがパッチを占有する確率が上昇したことの理由としては,植林地が補完的な採食場所を提供すること,及び採食が可能で捕食圧の低い効率的な移動通路として機能していることが考えられた。

3章 植林地によって引き起こされる生息地の消失と分断化が鳥類に及ぼす影響

長野県中部の面的に広がるカラマツ植林地の内部に残存する落葉広葉樹林を対象とした。残存落葉広葉樹林パッチ内の越冬期と繁殖期の鳥類の出現状況に,周囲の残存落葉広葉樹林の消失と分断化が及ぼす影響を検討することを目的とした。

生息地の量や配置を示すランドスケープ変数が鳥類の出現状況に及ぼす効果は,サンプリングサイト間の空間的な自己相関やランドスケープ構造と共変動する生息地構造の影響を考慮しないと過大推定してしまう可能性が指摘されている。そこで,trend surface analysis(TSA)とprincipal coordinates of neighbor matrices(PCNM)を用いてサイト間の空間構造を表現する空間変数,植生調査の結果からサイトの植生の構造や種組成を表す生息地変数を作成した。変動分割法を用いて,空間変数と生息地変数が説明する鳥類の変動を除去した後に,ランドスケープ変数の効果を定量化した(ランドスケープ変数の純粋効果)。また,一般性のある鳥類―ランドスケープ変数の関係性を見出すため,類似の生態学的特性を有した種をまとめたグループを解析の対象とした。解析は,最小自乗法を用いた線形回帰分析で行なった。

この結果,鳥類の出現状況は主として生息地変数と空間変数によって説明され,ランドスケープ変数の効果,特に純粋効果は非常に小さかった。さらに,ほとんどの鳥類は,生息地が消失及び分断化すると,つまり,周囲の落葉広葉樹林の量が少なくなりさらにそれらがばらばらになると出現頻度が増した。

ランドスケープ効果が小さい理由としては,植林地が採食が可能で捕食圧が低いマトリックスと考えられるために,植林地マトリックスは個体の移動を阻害せず,個体は生息地選択を適切に行なっていることが考えられる。生息地が消失及び分断化すると鳥類の出現頻度が増したことについては,そのような影響を受けた鳥類にとっては,周囲のカラマツ植林地が質の高い生息地として機能していることが原因として考えられた。

4章 マトリックスにおける鳥類に周囲の生息地の消失と分断化が及ぼす影響

第三章と同一の調査地域を対象とし,同一の手法を用いて,カラマツ植林地の鳥類の出現状況にカラマツ植林地よりも一般に質の高い生息地として考えられる周囲の落葉広葉樹林の消失と分断化が及ぼす影響を探った。その結果,第三章同様に,ランドスケープ変数の効果は生息地変数及び空間変数に比べると小さく,多くの鳥類は周囲の落葉広葉樹林が消失及び分断化すると出現頻度が増加した。しかし,いくつかの鳥類の出現状況に関するモデルに対してランドスケープ変数と生息地変数の間に有意な交互作用項が見つかり,ランドスケープ構造が変化することで植生の構造や種組成などの局所的な条件が鳥類に及ぼす効果が変化することが示唆された。落葉広葉樹林が消失することで鳥類が出現しやすくなっていたことは,第三章同様,カラマツ植林地が質の高い生息地として機能したためと考えられた。一方,落葉広葉樹林の分断化が進むことで鳥類が出現しやすくなったことについては,複数の候補メカニズムが挙げられた。

5章 カラマツ植林地と落葉広葉樹林の鳥類群集の決定要因の検討

第三章,第四章で用いたデータセットを用い,植林地及び落葉広葉樹林の鳥類群集に影響を及ぼす植生構造を特定することを試みた。また,これまでランドスケープ構造の効果の過大推定を導く要因として除去してきた空間変数の効果も図化して,空間効果についても考察することとした。線形の制約的序列化手法であるredundancy analysis(RDA)を用いて種―環境の関係性を調査した。また,partial RDAを用いて純粋な空間効果を抽出した。

その結果,越冬期と繁殖期を通じて植林地の鳥類群集に大きな影響を及ぼしていた生息地の要因として,林分高,つる植物の存在,標高が挙げられた。両林相で越冬期の鳥類群集は樹冠探索者及び樹冠探索者によって優占されていたが,繁殖期になると,下層植生を利用する種が漂鳥もしくは長距離渡り鳥として渡来した。それに伴い,繁殖期のカラマツ植林地では,低木の数やササの被度,カラマツ立ち枯れ木などが鳥類の出現状況により強く影響するようになった。また,空間変数は生息地変数と同程度の説明力を有しており,鳥類群集の空間的な変動において,10kmを超えるような大スケールでの空間的自己相関構造が認められた。

6章 総合考察

植林地による落葉広葉樹林の消失・分断化が落葉広葉樹林及び植林地内の鳥類分布に及ぼす影響は,従来知られていなかった。結果は,どちらの林相の鳥類に対しても,落葉広葉樹林の消失・分断化の影響は小さく,鳥類分布は局所的な生息地構造によって決定されていた。これはいくつかの既往研究とも一致し,カラマツ植林地のような鳥類の生息にとって比較的適したマトリックスによる生息地の消失・分断化の影響は,顕在化しにくいと思われる。したがって,このようなマトリックスが広がる景観における森林管理では,局所的な生息地構造に第一に注目すべきだろう。一方で本研究では,10kmを越すような大スケールの空間的自己相関構造が見出された。このことは,大地形や生物地理学的要因な大スケールの要因について考慮する必要があることを示唆するとともに,生息地の消失・分断化の効果が今回のスケールよりも大きなスケールで生じている可能性を表すものかもしれない。したがって,ランドスケープ効果の小ささの一般性を検討するために,異なるスケールや植林地タイプ,ランドスケープ構造の範囲で調査を行なう必要があるだろう。

また,林分構造が複雑な植林地は多くの鳥類の生息地として機能しうることが今回の研究から示唆され,これは既往研究とも一致した。また,構造が単純なカラマツ植林地も繁殖期にはいくつかの種の好適な生息地として機能する可能性が示された。したがって,森林景観全体の鳥類多様性を保全する上で,植林地マトリックスを適切に管理していくことは重要な役割を担うことになるだろう。

審査要旨 要旨を表示する

近年、森林は野生生物の生息地ととしてもとらえられるようになり、生物多様性に配慮した森林管理が注目され始めている。一方でランドスケープエコロジーの発展に伴い、森林景観で生物多様性の保全を行なうには、生息場所としての質が高いと考えられる林分の空間的配置を考慮するとともに、大面積を占める植林地もまた管理の対象とすべきだと指摘されるようになった。申請者の研究は、ランドスケープエコロジーに立脚した森林管理がどの程度の重要性を持つものであるか、植林地が広がる事例地域での研究を通じて検討することを目指したものである。

まず、伝統的な里地里山の景観が残存する北関東の丘陵地において、越冬期の里山林の鳥類群集にランドスケープの状況が及ぼす影響を研究した。結果の一般性を高めるために、個々の種を対象とするのではなく既知の種生態に基づいて種を5つのグループに割り当て、これを分析の単位とした。この5グループの出現の有無とパッチの周囲200mのスギ・ヒノキ植林地の面積の関係性を検討したところ、周囲の植林地の面積が多いほど、種子食者と低木利用者が出現しやすくなる傾向が認められた。この原因として、植林地が補完的な採食場所を提供することや、より開放的な農地などと比べると植林地が採食が可能で捕食圧の低い効率的な移動通路として機能していることの可能性が考えられた。

そこで、専ら植林地によって引き起こされた落葉広葉樹林の消失と分断化が、落葉広葉樹林内の鳥類に及ぼす影響について調査した。長野県中部のカラマツ植林が広く分布する一帯を調査地とし、落葉広葉樹林パッチ内の鳥類の出現状況と、パッチの周囲の落葉広葉樹林の分布状況の関係を調査したところ、周囲の落葉広葉樹林の分布状況がパッチ内の鳥類に与える影響は小さいことが示された。結果に基づき、この地域の鳥類の多くにとって、カラマツ植林地が落葉広葉樹林よりも質の高い生息地として機能している可能性があることについて考察した。

同じ調査対象地において、カラマツ植林地内の鳥類の出現状況に周囲の落葉広葉樹林の分布状況が及ぼす影響についても検討した。その結果、周囲の落葉広葉樹林の分布状況は植林地内の鳥類の状況をあまり説明しなかった。説明される部分に関しては、周囲の落葉広葉樹林が減少すると一部の鳥類の出現頻度が増加する傾向が認められた。一方で、カラマツ植林地の鳥類群集の種組成は、林分高、低木の数やササの被度、カラマツ立ち枯れ木の分布状況などに対応して変化していることが示された。また、分析にあたり、鳥類の分布状況に内在する空間構造が存在するか否かの判断と、存在する場合にはそれによって種組成の空間的な変動が説明される程度の推定を試みた結果、10kmを超える規模の空間分布パターンの存在を仮定することで、鳥類群集の種組成の空間的な変動の相当程度が説明できることも示された。こうした空間パターンを論文中では空間構造と呼んでいるが、これによって説明される種組成の変動の大きさは、植生の組成や構造によって説明された鳥類群集の種組成の変動と同程度と大きなものであった。

以上の結果に基づいて、植林地が広がる景観におけるランドスケープ要因の重要さや、ランドスケープマトリクスとして位置づけられる植林地の管理のあり方について検討を行った。その結果、カラマツ植林地のようにそれ自体が鳥類の生息場所として比較的良好に機能するような植林地であれば、それによる落葉広葉樹林の消失や分断化は鳥類群集に対してそれほど重大な影響は与えないという結論に至った。鳥類の生息場所としての価値がより低いスギ・ヒノキ植林地も、より開放的な空間よりは一部の鳥類の生息にとって有用であると考えられたこと、鳥類の生息地としての植林地の機能はその植生構造に応じて変化し得ることも踏まえ、森林景観全体の鳥類の種多様性を保全する上で、植林地マトリクスを適切に管理していくことは有効な選択肢となると考えられると結論づけられている。

ランドスケープの視点に立脚して地域レベルで生物の生息状況を改善しようという試みは、まさに今始まったばかりであり、具体的な情報が現場では求められている。本論文は、特にランドスケープマトリクスの持つ機能が重要となり得ることを事例を通じて実証したこと、そのためのデータ解析手法を提示してその有効性を示したことにおいて、景観生態学的のみならず応用面においても大きな価値を有すると認められる。また、大規模な空間スケールにおける分布の自己相関構造が無視できない影響をもっている可能性を示し、今後生態的現象の階層性との関連から新たな研究を行う土台を築いた面もある。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文としての価値を有するものと認めた。

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