学位論文要旨



No 121318
著者(漢字) 奈良岡,準
著者(英字)
著者(カナ) ナラオカ,ヒトシ
標題(和) 成長ホルモンの慢性暴露が心臓機能に及ぼす影響に関する研究
標題(洋)
報告番号 121318
報告番号 甲21318
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3031号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 東條,英昭
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 助教授 松本,芳嗣
 東京大学 助教授 内藤,邦彦
 東京大学 助教授 山内,啓太郎
内容要旨 要旨を表示する

近年ゲノム創薬による研究成果から、各種の生体因子や抗体がバイオ医薬品として様々な疾患に適応されている。しかしながらバイオ医薬品の安全性評価は化学合成品と異なり、従来の評価法だけでは必ずしも十分な知見が得られるとは限らず、非常に重要な問題となっている。ヒト成長ホルモン(GH)は様々な生理機能を有しており、バイオ医薬品として既に多くの成長ホルモン分泌不全の患者への補充療法として用いられている。また近年様々な生理機能を利用して他の病態への適応について報告があり、慢性心疾患への適応などが報告されている。しかし一方ではGH分泌異常患者において心血管系に異常が多いとの報告があり、その作用機構は不明な部分が多く、通常のGHレベルの患者へのGHの利用、特に心臓への影響は十分な検討を行う必要がある。しかしながら通常のマウスへのGHの長期投与を行っても中和抗体などの影響により、慢性的な影響を正確に評価するのは困難である。本研究は、バイオ医薬品であるGHの持続投与による慢性的な影響を知る目的で、 ヒトGHならびマーカー遺伝子のEGFPを恒常的に発現するCAG/EGFP-mWAP/hGHトランスジェニックマウス(以後、GH-Tgマウスと略称)を用いて行ったものである。本研究の第1章では、GH-Tgマウスを用いてGHの心臓への影響について臨床病理学的および組織病理学的に検討した。第2章では第1章で得られた結果を基に、より長期のGHの暴露期間が心臓へどのように影響するのかを調べ、併せて進行性心筋障害において早期検出可能な心臓特異的バイオマーカーの探索についても検討した。第3章では心臓におけるGHの作用と脂肪酸輸送との関連に着目し、慢性的なGH暴露と脂肪酸Transporterタンパク質群の発現およびそれらの局在の関係を調べ、さらに、GHによる脂肪酸Transporterタンパク質群の制御機構について解析した。

第1章 GH-Tgマウスの表現型の解析

GH-Tgマウスおよび対照マウスの血漿を8、12および16週齢時に採取し、GHおよび各種の心リスクバイオマーカーを測定した。またGH-Tgマウスの各種臓器の重量測定ならびに組織病理学的な解析を行った。中性脂肪濃度、LDLコレステロール(LDL)濃度および過酸化脂質(LPO)濃度において、GH-Tgの雄で増加傾向が認められたのに対して、GH-Tgの雌では減少していた。組織学的には肝臓で脂肪滴と思われる空胞化がGH-Tgの雄で早期から認められた。心臓はGH-Tgの雄で体重比臓器重量が加齢に伴い増加し心肥大を呈していた。組織学的には心筋の変性壊死が認められた。これらの結果から、GHの慢性暴露により心リスクが雄で高くなり、一方、雌では低くなることが判明した。 この様にGH慢性暴露により脂質代謝ならびに抗酸化能に性差が生じた原因として、雄に特有なGHのパルス様分泌パターンの消失が影響したものと考えられた。

第2章 GH-Tgマウスの心臓への影響および心筋傷害バイオマーカーH-FABPの推移について

第1章では、GH-Tgマウスの心臓の組織において心筋傷害が認められたものの、軽微な傷害しか認められなかった。そこで、第2章では慢性GH暴露の心臓への影響を知る目的で、36週齢のGH-Tgマウスを用いて検討した。また、このような慢性暴露による進行性の心筋傷害の影響を最小限に留めるためには、心臓特異的かつ高感度なバイオマーカーが必要であるが未だ確立されていない。そこで、心臓型脂肪酸結合タンパク(H-FABP)の進行性心筋傷害におけるバイオマーカーとしての有用性を検討した。GH-Tgマウスの血漿を8、12、16、36週齢に採取し、アスパラギン酸アミノトランスフェラーゼ(AST)活性、乳酸脱水素酵素(LDH)活性、クレアチンキナーゼ(CK)活性およびH-FABP濃度について測定した。また各週齡時に心臓を採取し、マーカーの推移と組織変化、電子顕微鏡下での変化を検討した。36週ではGH-Tgマウスで心筋の線維化が認められ、また、ミトコンドリアの形態異常が認められた。AST活性、LDH活性およびCK活性については36週から増加したが、H-FABPは12週時に軽微な組織変化に伴い増加したことから、H-FABPは進行性の慢性心筋傷害を予測するマーカーとして診断学上有用であることが示唆された。

第3章 GH−Tgマウスの心筋細胞における脂肪酸Transporterタンパク質群の発現と局在ならびにその制御機構に関する解析

GHの心臓への影響については、脂肪酸代謝の異常が示唆されているが、その詳細なメカニズムは不明である。そこで、脂肪酸代謝、特に心筋細胞への脂肪酸の取込に関与する脂肪酸Transporterタンパク質群とGHの関係を検討することを試みた。初めに正常マウスの心筋細胞におけるCD36、脂肪酸輸送タンパク質1(FATP1)および脂肪酸輸送タンパク質4(FATP 4)の組織の局在および細胞内転移の制御について検討した。その結果、CD36は血管周囲に、FATP1はび漫性に、FATP4はアクチン部位に存在していた。Phosphatidilinositol(PI)3キナーゼ活性およびAMP活性化タンパクキナーゼ活性の阻害剤を投与した実験から、FATP4の発現はPI3キナーゼにより制御されていることが判明した。つぎにGH-Tgマウスにおける各脂肪酸Transporterタンパク質群の遺伝子発現について調べたところ、FATP4のみに増加が認められた。また、GHおよびインスリン受容体に関しては36週齢では著しく低下していた。さらに、心臓における脂肪酸Transporterタンパク質の膜画分中の局在について対照とGH-Tgマウスを比較した。その結果、CD36は対照では加齢に伴い減少するのに対して、GH-Tgマウスでは、若齢から対照の老齢マウスと同程度であった。一方、FATP4は対照では加齢に伴い増加するのに対して、GH-Tgマウスでは、対照の若齢よりも高く、対照の老齢よりも低いレベルを示し、対照と異なる局在を示していることから、膜移行の制御に異常が認められていると考えられた。そのため、脂肪酸Transporterタンパク質の制御機構に関係するインスリンシグナルについて解析を行ったところ、GH-Tgマウスでは外来性インスリン投与によるインスリン受容体およびインスリン受容体基質-1のチロシンリン酸化の低下が認められた。 またリン酸化チロシンとPI3キナーゼ p85 subunitの結合を検討した結果、インスリン投与で、GH-Tgマウスは対照より減少していた。この結果からGHの慢性投与により、インスリンシグナル伝達が阻害された結果、脂肪酸Transporterタンパク質の細胞膜上への移行に異常が認められたと考えられた。

以上、本研究から、GH-Tgマウスでは、GHの慢性暴露により雄で顕著に肝臓機能に影響することが認められ、心肥大とあわせて心リスクを増大させていくことが判明した。また、暴露期間の延長により、心筋の線維化および心筋細胞のミトコンドリアの形態異常を誘発することが認められた。その異常の原因として、慢性GH暴露によって、インスリンシグナル伝達が阻害され,心筋細胞の細胞膜上の脂肪酸輸送タンパク質群が減少し、脂肪酸取込を減少させた結果、慢性的なエネルギー不足を引き起こし,変性壊死が引き起こされていると考えられた。これらの結果は、通常のGHレベルの患者に対し治療を目的にGHを投与する上で、重要な情報を提供するものであり、一方、GH分泌異常患者における心臓への影響を軽減させる治療においても、有用な情報になると考えられた。さらに、血中のH-FABPが今回のような進行性心筋傷害における特異的かつ高感度なバイオマーカーとして有用であることが明らかになり、H-FABPを用いることでGHの慢性投与における心臓へのリスクを軽減させ、バイオ医薬品としてGHが様々な疾患へ適応されていくことに貢献するものと考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

ヒト成長ホルモン(GH)は様々な生理機能を有しており,バイオ医薬品として既に成長ホルモン分泌不全の患者への補充療法として用いられている.また近年様々な生理機能を利用して慢性心疾患への適応などが報告されている.一方ではGH分泌異常患者において心血管系に異常が多いとの報告があり,その作用機構は不明な点が多い.しかし通常のマウスへのGHの長期投与は中和抗体などの影響により,慢性的な影響を正確に評価するのは困難である.本研究は,GHの持続投与による慢性的な影響を知る目的で,GHならびマーカー遺伝子のEGFPを恒常的に発現するCAG/EGFP-mWAP/hGHトランスジェニックマウス(以後,GH-Tgマウスと略称)を用いて行ったものである.

第1章では,GH-Tgマウスおよび対照マウスから,8,12および16週齢時に血漿を採取し,ヒトGHおよび各種の心リスクバイオマーカーを測定した.また各種臓器の重量測定ならびに組織病理学的な解析を行った.中性脂肪濃度,LDLコレステロール濃度および過酸化脂質濃度において,GH-Tgの雄で増加傾向が認められたのに対して,GH-Tgの雌で減少していた.肝臓は,脂肪滴と思われる空胞化がGH-Tg雄で早期に認められた.心臓はGH-Tgの雄で体重比臓器重量が加齢に伴い増加し,心筋の変性壊死が認められた.この様な雄での異常の原因として,雄に特有なGHのパルス様分泌パターンの消失が影響したものと考えられた.

第2章では,36週齢のGH-Tgマウスを用いて慢性GH暴露の心臓への影響を検討した.まず心臓特異的かつ高感度なバイオマーカーを検索するために,心臓型脂肪酸結合タンパク(H-FABP)のバイオマーカーとしての有用性を検討した.GH-Tgマウスの血漿を8,12,16,36週齢に採取し,各種バイオマーカーの活性ならびに濃度を測定し,組織変化を電子顕微鏡で観察した.36週ではGH-Tgマウスの心筋で線維化が認められ,またミトコンドリアの形態異常が認められた.AST活性,LDH活性およびCK活性については36週から増加したが,H-FABPは12週時に軽微な組織変化に伴い増加したことから,H-FABPは進行性の慢性心筋傷害を予測するマーカーとして有用であることが示唆された.

GHの心臓への影響については,脂肪酸代謝の異常が示唆されているが,その詳細なメカニズムは不明である.そこで,第3章では,脂肪酸代謝,特に心筋細胞への脂肪酸の取込に関与する脂肪酸輸送タンパク質群(FATPs)とhGHの関係を検討した.その結果,CD36は血管周囲に,脂肪酸輸送タンパク質1(FATP1)はび漫性に,脂肪酸輸送タンパク質4(FATP4)はアクチン部位に存在していた.PI3キナーゼ活性およびAMP活性化タンパク質キナーゼ活性の阻害剤を投与した実験から,FATP4の発現はPI3キナーゼにより制御されていることが判明した.つぎにGH-TgマウスにおけるFATPsの遺伝子発現について調べたところ,FATP4のみに増加が認められた.またGHおよびインスリン受容体に関しては36週齢で著しく低下していた.一方,FATP4はGH-Tgマウスで,対照の老齢よりも低いレベルを示し,膜移行の制御に異常が認められた.そこで,FATPsの制御機構に関係するインスリンシグナルについて解析を行ったところ,GH-Tgマウスでは外来性インスリン投与によるインスリン受容体およびインスリン受容体基質-1のチロシンリン酸化の低下が認められた. またリン酸化チロシンとPI3キナーゼ p85 subunitの結合を検討した結果,インスリン投与で,GH-Tgマウスは対照より減少していた.この結果からGHの慢性投与により,インスリンシグナル伝達が阻害された結果,脂肪酸輸送タンパク質の細胞膜上への移行に異常があったと考えられた.

以上,本研究から慢性GH暴露によってインスリンシグナル伝達が阻害され,心筋細胞の細胞膜上の脂肪酸輸送タンパク質群が減少し,脂肪酸取込が低下した結果,慢性的なエネルギー不足を引き起こし,変性壊死が生じると考えられた.さらに血中のH-FABPが進行性心筋傷害における特異的かつ高感度なバイオマーカーとして有用であることが明らかになった. 以上本研究の成果は,学術上貢献するところが少なくない.

よって,審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

UTokyo Repositoryリンク