学位論文要旨



No 121319
著者(漢字) 阿部,徹也
著者(英字)
著者(カナ) アベ,テツヤ
標題(和) DNAメチル基転移酸素欠損ES細胞におけるエピジェネティック修飾と遺伝子発見の変化
標題(洋)
報告番号 121319
報告番号 甲21319
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3032号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 教授 森,裕司
 東京大学 特任教授 八木,慎太郎
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
 東京大学 助教授 山内,啓太郎
 東京大学 助教授 田中,智
 東京大学 特任助教授 服部,中
内容要旨 要旨を表示する

DNAの配列変化を伴わずに細胞世代を越えて伝達される遺伝子の発現制御はエピジェネティック機構とよばれ、DNAメチル化やヒストン修飾がエピジェネティック機構の主役となる。DNAメチル化はDNAメチル基転移酵素 (Dnmt) によって行われる。ほ乳類では、Dnmt1がDNA複製においてメチル化パターンを維持する維持型メチル基転移酵素、Dnmt3a/3bが非メチル化DNAを新たにメチル化する新規型メチル基転移酵素であると考えられてきた。一方ヒストン修飾は、各ヒストンタンパクのアミノ末端側にある特定のアミノ酸残基がメチル化、アセチル化やリン酸化といった様々な化学修飾を受けることが知られている。DNAメチル化とヒストン修飾が遺伝子発現調節にどのように関わるかについてこれまでに多数の研究がなされている。しかし、DNAメチル化とヒストン修飾は相互に影響を与え合うのか、あるいは遺伝子の発現制御機構におけるDNAメチル化とヒストン修飾のヒエラルキーは存在するのか、といった問題については未解決である。本研究ではDnmt欠損ES細胞やヒストン修飾酵素欠損ES細胞を用いた、遺伝子領域におけるDNAメチル化機構と遺伝子発現調節に与えるDNAメチル化とヒストン修飾との相互作用の解明を行った。

第1章 DNAメチル基転移酵素欠損によるゲノムワイドDNAメチル化の変化

Restriction Landmark Genomic Scanning (RLGS) 法は、一度にゲノムワイドの約1,500遺伝子座のDNAメチル化状態を解析することが可能であり、Not Iをランドマーク酵素とすることで、遺伝子の転写調節領域に存在するCpGアイランドの解析を行うことが可能である。野性型、Dnmt1欠損、Dnmt3a欠損、Dnmt3b欠損、Dnmt3a/3b両欠損の各ES細胞のゲノムDNAをRLGS法で解析したところ、Dnmt1欠損ES細胞では野性型に比べて236遺伝子座が脱メチル化されていることが明らかになった。ここで新たに発見された236の遺伝子領域の存在は、ゲノムには通常メチル化されているCpGアイランドが多数存在することを示唆している。興味深いことに、これらの236遺伝子座はDnmt3a/3b両欠損ES細胞でも脱メチル化されており、Dnmt3a/3bもまた遺伝子領域ではDNAメチル化の維持に関わっていることが本研究ではじめて明らかにされた。しかも、これらの遺伝子領域における脱メチル化はDnmt1欠損ES細胞では不完全であったのに対し、Dnmt3a/3b両欠損ES細胞ではほぼ完全に脱メチル化されていた。一方、反復配列におけるDNA脱メチル化の度合いは、Dnmt3a/3b両欠損に比べてDnmt1欠損でより進行していた。これまでDnmtはin vitroの酵素活性に基づいて維持型、新規型メチル化酵素と分類されてきたが、以上の結果をふまえると細胞内でのDnmtの作用についてはこの分類は妥当ではない。本研究により、Dnmt1は反復配列のDNAメチル化により重要であるのに対して、遺伝子領域のDNAメチル化にはDnmt3a/3bがDnmt1に比べてよりも重要な役割を有することが明らかになった。

第2章 遺伝子発現制御におけるDNAメチル化とヒストン修飾の相互関係

Dnmt欠損により脱メチル化されることが明らかになった236遺伝子座のうち、特に遺伝子上流に位置する領域についてDNAメチル化状態と遺伝子発現との関連を調べた。その中でtransforming growth factor beta-induced (Tgfbi) はDNA脱メチル化に伴い発現が誘導される領域として同定された。DNAメチル化阻害剤である5-aza-2'-deoxycytizineで野性型ES細胞を処理することによっても発現が誘導されたことから、TgfbiはDNAメチル化により遺伝子発現が制御されていることが示された。Dnmt3a/3b両欠損によるDNA脱メチル化によってTgfbiの発現が誘導されたとき、ヒストン修飾はどのように変化するかを調べるため、クロマチン免疫沈降 (ChIP) 法によるヒストンH3リジン4 (H3K4) ジメチル化、トリメチル化の解析を行った。その結果、Tgfbi遺伝子領域ではDnmt3a/3b両欠損ES細胞においてはH3K4メチル化が亢進していることが明らかになった。H3K4のメチル化は遺伝子発現の活発化と関連していることが知られており、本結果により、DNA脱メチル化はH3K4メチル化を誘起し、遺伝子発現を促進する経路の存在が推察された。さて、ほ乳類においてH3K4メチル化に関わる酵素は複数明らかにされているが、それぞれどの酵素がどのような遺伝子領域で機能するかといった体系的な知見はこれまでに得られていない。そこで、ドメイン構造を元にして予測したヒストンメチル化酵素活性を有する可能性のある複数の遺伝子をDnmt3/3b両欠損ES細胞においてノックダウンし、それぞれのTgfbiの遺伝子発現への影響を調べた。Small interfering RNA (siRNA) によるノックダウンを行うと、mixed-lineage leukemia (MLL) 、BC035291、ecotropic viral integration site 1 (Evi1) 、retinoblastoma protein interacting zinc finger protein (Riz)のsiRNAの導入によってTgfbiの遺伝子発現の減少が誘導された。したがって、Tgfbi遺伝子の発現解析により、DNA脱メチル化によってH3K4メチル化活性が増加する経路の存在が示唆された。逆に、B lymphocyte-induced maturation protein 1 (Blimp1) /PR domain containing protein (Prdm1) によるノックダウンではTgfbiの発現増加がみられ、DNAメチル化によるヒストンH3K4メチル化系はさらに複雑であることも示された。

次に、H3リジン9 (H3K9) ジメチル化、トリメチル化、H3リジン27 (H3K27) ジメチル化、H3アセチル化についてChIP法により解析すると、Dnmt3a/3b両欠損によるTgfbi遺伝子領域の修飾状態の変化は、野性型ES細胞に比べH3K9、H3K27は高メチル化、H3、H4は低アセチル化状態になることが明らかになった。これまでH3アセチル化は遺伝子発現をしているクロマチンの弛緩した領域で、H3K9、H3K27のメチル化は遺伝子発現の抑制されたクロマチンの凝集した領域で主に観察されており、Dnmt3a/3b両欠損ES細胞のTgfbi遺伝子領域の結果はこれと異なる。Dnmt欠損によるDNA脱メチル化によって引き起こされたことから、これらのヒストン修飾の変化はDNAメチル化を介して遺伝子発現を制御する、より上位のシグナルとして機能しており、Dnmt3a/3b両欠損ES細胞においてTgfbi遺伝子領域のDNAメチル化を回復させようとしているのかもしれない。H3K9、H3K27メチル化酵素であるG9aの欠損ES細胞を解析したところ、Tgfbi遺伝子領域においてH3K9脱メチル化のみが誘導されることをChIP法により確認した。しかしこのとき、G9a欠損ES細胞では野性型と同様にDNA高メチル化状態が維持されていたことから、H3K9脱メチル化単独ではDNA脱メチル化のシグナルとはならないことが示された。そこでさらに、野性型とG9a欠損ES細胞の両方をヒストン脱アセチル化阻害剤であるTrichostatin A (TSA) によって処理してヒストンアセチル化を誘導したところ、野性型ES細胞ではTgfbi遺伝子領域のDNA高メチル化状態が維持されていたのに対し、G9a欠損ES細胞ではDNA脱メチル化が誘導されることが明らかになった。これらのことから、少なくともH3K9メチル化やH3アセチル化といった単独のヒストン修飾の変化だけでは不十分ではあるものの、これら複数のヒストン修飾状態の変化の組み合わせが、DNAメチル化/脱メチル化を誘導していることが示唆された。

以上の結果から、少なくとも特定の遺伝子領域における遺伝子発現のエピジェネティック制御では、H3K9、H3K27メチル化とH3アセチル化によるシグナルが上位にあり、DNAメチル化を介してH3K4メチル化を変えることによって遺伝子発現を調節するモデルが導き出された。

本研究によって、遺伝子発現のエピジェネティック制御においては、DNAメチル化とヒストン修飾が複数の酵素活性によって複雑かつ特異的な制御を受けること、またDNAメチル化とヒストン修飾は互いに影響を与え合い、協調して機能することが明らかになった。

審査要旨 要旨を表示する

哺乳類の発生や細胞分化の分子基盤として、DNAメチル化を中心としたエピジェネティクス情報が明らかになりつつある。これまでに、ゲノムにはDNAメチル化により不活性化される領域が多数存在していること、それらのメチル化状態は細胞の種類により異なり、メチル化と非メチル化領域の組み合わせは膨大であることが報告されている。本論文は、細胞特異的なDNAメチル化プロフィールが形成される機構に焦点を当て解析したのもので、以下の2章より構成されている。

第1章ではDNAメチル基転移酵素(Dnmt)を欠損した胚性幹細胞(ES細胞)におけるDNAメチル化状況について、ゲノムワイドに解析している。酵素活性が確認されたDnmtには、維持型酵素とされるDnmt1に加え、新規にメチル基を導入するDnmt3aおよびDnmt3bが知られている。Restriction Landmark Genomic Scanning (RLGS) 法は、一度に約1,500遺伝子座のDNAメチル化状態を解析することが可能で、Not Iをランドマーク酵素とすることで、遺伝子の転写調節領域に存在するCpGアイランドの解析をゲノムワイドに行うことができる。野性型、Dnmt1欠損、Dnmt3a欠損、Dnmt3b欠損、Dnmt3a/3b両欠損の各ES細胞のゲノムDNAをRLGS法で解析することによりDnmt1欠損ES細胞で236遺伝子座が脱メチル化されていることが明らかになった。また、Dnmt3a/3b両欠損ES細胞でも上記の236遺伝子座が脱メチル化されていた。つまり、Dnmt1とDnmt3a/3bはまったく同じゲノム領域を標的にしていることになる。興味深いことに、これらの遺伝子領域における脱メチル化は、Dnmt1欠損ES細胞では不完全であったのに対し、Dnmt3a/3b両欠損ES細胞ではほぼ完全に脱メチル化されていた。一方、反復配列におけるDNA脱メチル化は、Dnmt3a/3b両欠損に比べてDnmt1欠損でより著明であった。Dnmt1は反復配列のDNAメチル化により重要であるのに対して、遺伝子領域のDNAメチル化にはDnmt3a/3bがDnmt1に比べてよりも重要な役割を有することが明らかになった。

第2章では、第1章で検出された遺伝子座に注目し、遺伝子発現制御におけるDNAメチル化とヒストン修飾の相互関係が解析された。まずDnmtの標的として、第1章の結果をもとにtransforming growth factor beta-induced (Tgfbi) 遺伝子が同定された。同遺伝子は、DNA脱メチル化に伴い発現が誘導された。クロマチン免疫沈降法によるヒストンH3リジン4 (H3K4) ジメチル化、トリメチル化の解析が行われ、Tgfbi遺伝子領域ではDnmt3a/3b両欠損ES細胞においてもH3K4メチル化は亢進していることが明らかになった。siRNAにより、mixed-lineage leukemia (MLL) 、BC035291、ecotropic viral integration site 1 (Evi1) 、retinoblastoma protein interacting zinc finger protein (Riz)の発現をそれぞれ阻害すると、Tgfbiの遺伝子発現も減少することが示された。従って、DNA脱メチル化によってH3K4メチル化活性が増加する経路が存在すること、また、H3K4メチル化が、DNA脱メチル化に伴うTgfbi遺伝子発現に関与していることが示された。さらに遺伝子発現抑制シグナルであるH3リジン9 (H3K9) ジメチル化、トリメチル化、H3リジン27 (H3K27) ジメチル化、H3アセチル化について解析すると、Dnmt3a/3b両欠損によるTgfbi遺伝子領域の修飾状態は、野性型ES細胞に比べH3K9、H3K27が高メチル化、H3、H4が低アセチル化状態になることが明らかになった。したがって、これらのヒストン修飾はDnmt3a/3b両欠損により引き起こされたTgfbi遺伝子領域の脱メチル化状態を、再度DNAメチル化するためのシグナルとなっている可能性が考えられた。

本研究によってDNAメチル化の標的領域が明らかにされた。またDNA脱メチル化領域ではヒストン修飾が変化していること、発現誘導にはH3K4メチル化が関与していることが明らかになった。さらに、脱メチル化領域を再メチル化するためのヒストン修飾機構の存在が示唆され、細胞特異的なDNAメチル化模様形成の機構解明への重要な糸口の発見となった。本研究成果は基礎生物学として重要であるばかりでなく、ゲノム機能の制御を目指した応用分野でも重要な知見である。よって、審査委員一同は、本論分が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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