学位論文要旨



No 121326
著者(漢字) 向後,泰司
著者(英字)
著者(カナ) コウゴ,ヤスシ
標題(和) マウスのゲノムワイドDNAメチル化に関する研究
標題(洋)
報告番号 121326
報告番号 甲21326
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3039号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 教授 森,裕司
 東京大学 特任教授 八木,慎太郎
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
 東京大学 助教授 山内,啓太郎
 東京大学 助教授 田中,智
 東京大学 特任助教授 服部,中
内容要旨 要旨を表示する

緒言

我々の体は様々な形態や機能を有した細胞群から構成されるが、元をたどれば、それら全ての細胞は全能性を有するただ一つの受精卵に由来する。細胞分裂、分化を繰り返しながら、最終的に様々な形態や機能を有する約200種類の細胞へ分化する。それらの細胞では同一の遺伝情報(ゲノム)を持ちながら、細胞の種類により異なる形質が維持されている。

DNAメチル化は組織特異的遺伝子発現、X染色体不活性化、ゲノムインプリンティング、トランスポゾンの不活性化、転写抑制を含む、哺乳動物の主要なエピジェネティック修飾の一つである。哺乳類の細胞においてDNAメチル化の標的となるのは主に5'-CG-3'配列(以下、CpG配列と記す)のシトシン残基で、クロマチン構造の変化や転写抑制と関係している。CpG islandはGC含量が高くかつCpG配列が高頻度に存在する領域である。CpG islandはハウスキーピング遺伝子の転写開始点に高頻度に位置し、組織特異的遺伝子と関連性があるとされている。従来CpG islandは通常の組織において非メチル化領域と認識されていた。しかし、今村らによってSphk1 近傍に細胞・組織に特異的にメチル化される領域(T-DMR)を有するCpG islandが存在することが発見されている。さらに大鐘らによってクローンマウスの異常がT-DMR中に見出されている。

そこで本論文ではCpG islandのメチル化状態に焦点を絞り、restriction landmark genomic scanning (RLGS)法によりゲノムワイドにDNAメチル化情報を解析した。また、その結果明らかになった精子特異的T-DMRについて、解析を試みた。

結果

第1章 幹細胞、体細胞および生殖細胞のDNAメチル化模様に関する研究         

幹細胞株(ES細胞、EG細胞、TS細胞:未分化、分化)、組織(脳、腎臓、胎盤)および精子のゲノムDNAのCpG islandに焦点を当てたDNAのメチル化状態の解析を行った。RLGSによって視覚化された1,500領域のうち、247領域(16%)の細胞および組織によってメチル化状態が異なる領域 T-DMRが発見された。これらの領域はES細胞、EG細胞、TS細胞それぞれの幹細胞特異的領域、胎盤、脳、腎臓それぞれの組織特異的領域が含まれる。さらに、細胞の分化は、脱メチル化、de novoメチル化からなる両方向の変化を必要とすることが示された。また、C57BL/6マウス由来ゲノムDNAのRLGSスポットにおいては精子が比較された細胞・組織中で最も低メチル化であることが示された。これは、以前の研究の精子のゲノムDNAは高メチル化であると考えられていた事と反する。胎盤においても以前の報告と異なり、高メチル化であることが示された。

第2章 精子特異的非メチル化領域Ant4の解析

第1章で記述したRLGSの247 T-DMRのうち、精子特異的非メチル化領域No.225の同定を試みた。その領域は染色体3qBに位置し、6つのエクソンからなり、320個のアミノ酸をコードするAnt4遺伝子座に位置する事が判明した。Ant4遺伝子座は、544bpの長さでCpG islandを有しており(-233~+311)、そのCpG islandはAnt4遺伝子の5'上流領域から第1エクソンに位置していた。精子、腎臓、肝臓、脳のバイサルファイトシーケンス解析によりCpG island中のすべてのCpGが腎臓、肝臓、脳で高度にメチル化されていることが示された。対照的に、精子においてCpG islandとその上流域のCpGは全体的にメチル化されていないことが明らかになった。さらにレーザーマイクロダイセクション法により精巣を構成する各種の細胞を単離し、DNAのメチル化状態の解析を行った。それにより、精粗細胞、精母細胞および精子細胞においてもCpG islandは全体的にメチル化されないことが判明した。また、in situハイブリダイゼーション解析によって全ての精母細胞においてAnt4 mRNAの強い発現が検出された。ルシフェラーゼリポーター解析によりAnt4遺伝子発現はDNAメチル化を介する遺伝子調節機構下にあること、脱メチル化と遺伝子発現および生殖細胞分化が相関していることが示された。前述したように、CpG islandは一部の例外を除いてメチル化されない領域としてみなされていた。しかし最近の研究で、一部のCpGがメチル化されたCpG islandが発見されていた。興味深いことに、本研究によって明らかになったCpG islandは全てのCpGがメチル化されていた。

第3章 精子特異的非メチル化領域Spesp1の解析

第1章で記述した精子特異的非メチル化領域No.32の同定を試みた。その領域は染色体9D上で2つのエクソンからなり、399個のアミノ酸をコードするSpesp1遺伝子座に位置することが判明した。Spesp1遺伝子座のCpG islandはその遺伝子の転写開始点近傍に518bpの長さで位置していた(-318bp~+200bp)。精子、腎臓、脳、EG細胞のリアルタイムPCR解析および精子、精巣、腎臓、脳、心臓、肝臓、脾臓、胃、皮膚、骨格筋、結腸、小腸、子宮、胎盤、卵巣、TS細胞、ES細胞、EG細胞、mGS細胞のパイロシーケンシング解析によって、精子および精巣において低メチル化、mGS細胞で中程度のメチル化、他の組織・細胞では高メチル化であることが示された。さらに、精子、精巣、腎臓、脳、mGS細胞、3T3細胞のバイサルファイトシーケンシング解析により、精巣および精子のCpG island全域で非メチル化、mGS細胞で中程度のメチル化状態、その他の細胞・組織で全域にわたってメチル化されていることが示された。Spesp1mRNAのRT-PCR解析およびルシフェラーゼリポーター解析により、Spesp1遺伝子はDNAメチル化を介する発現調節機構下にあることも明らかになった。以上、Ant4と同様にSpesp1においても、発現しない組織で全てのCpGがメチル化されていた。これらの結果はCpG islandの新しいクラスの存在を示している。

総括

進化の過程を経て現存する生物のCpG配列は生存に必要な部位のみが残ったと考られている。いくつかの例外を除きCpG islandはメチル化されないとみなされ、CpG islandを転写調節領域に持つ遺伝子はDNAメチル化による制御を受けていないと考えられていた。これに反して、本研究ではメチル化されるT-DMRを有するCpG islandが多数発見された。さらにCpG islandの全てのCpGがメチル化されている例も発見された。以上、CpG island におけるDNAメチル化パターンの形成が体の様々な細胞の発生、分化、遺伝子制御の基礎となるエピジェネティック事象のひとつであることが明らかになった。

審査要旨 要旨を表示する

哺乳類の体は様々な形態や機能を有した細胞から構成されている。それらの細胞では同一の遺伝情報(ゲノム)を持ちながら、細胞の種類により異なる形質が維持されている。DNAメチル化は、組織特異的遺伝子発現、X染色体不活性化、ゲノムインプリンティング、トランスポゾンの不活性化、などに関与している。CpG islandはGC含量が高くかつCpG配列が高頻度に存在する領域である。CpG islandはハウスキーピング遺伝子の転写開始点に高頻度に位置し、組織特異的遺伝子とも関連性があるとされている。かつて、CpG islandは通常の組織においてはメチル化されない領域であると認識されていた。本論文はCpG islandのメチル化状態に焦点を絞り、ゲノムワイドにDNAメチル化情報を解析したもので、以下の3章から構成されている。

第1章では、幹細胞、体細胞および生殖細胞などのゲノムワイドDNAメチル化解析により、細胞種特異的なDNAメチル化模様が発見された。幹細胞株(ES細胞、EG細胞、TS細胞それぞれの未分化および分化)、組織(脳、腎臓、胎盤)および精子のゲノムDNAのCpG islandに焦点を当てたRestriction landmark genomic scanning (RLGS)法により約1,500領域が解析され、247領域(16%)の細胞および組織によってメチル化状態が異なる領域(T-DMR)が発見された。この結果を基に、細胞の分化はDNA脱メチル化とメチル化の両方向の変化を伴うことが示された。また、C57BL/6マウス由来ゲノムDNAのRLGSスポットに関して言うと精子が比較された細胞・組織中で最も低メチル化であることも示された。

第2章では第1章で発見されたT-DMRのDNAメチル化情報を基にして、精子特異的非メチル化領域が解析され、新規遺伝子Ant4が発見された。Ant4遺伝子は染色体3qBに位置し6つのエクソンからなる。その5'上流領域から第1エクソンにかけてCpG islandが存在しているが、興味深いことに、このCpG island中のすべてのCpGが腎臓、肝臓、脳で高度にメチル化されていることがバイサルファイトシーケンス解析により示された。対照的に、精子においてこれらのCpG は全体的にメチル化されていないことが明らかになった。レーザーマイクロダイセクション法により精巣を構成する各種の細胞を単離し、DNAメチル化状態の解析を行ったところ、精粗細胞、精母細胞および精子細胞において非メチル化状態であることが判明した。また、リポーター解析によりAnt4遺伝子発現はDNAメチル化による遺伝子調節機構下にあることも明らかにされた。

第3章では、第1章のDNAメチル化情報を基に、Spesp1遺伝子が精子特異的非メチル化領域を持つことが発見された。Spesp1遺伝子は2つのエクソンからなり、染色体9D上に存在する。Spesp1遺伝子座にも遺伝子の転写開始点近傍に518塩基長のCpG islandが存在した。このCpG islandは、精子、腎臓、脳、EG細胞のDNAメチル化感受性リアルタイムPCR解析および精子、精巣、腎臓、脳、心臓、肝臓、脾臓、胃、皮膚、骨格筋、結腸、小腸、子宮、胎盤、卵巣、TS細胞、ES細胞、EG細胞、mGS細胞のパイロシーケンシング解析によって、精子および精巣において低メチル化、mGS細胞で中程度のメチル化、他の組織・細胞では高メチル化であることが示された。さらに、精子、精巣、腎臓、脳、mGS細胞、3T3細胞のバイサルファイトシーケンシング解析により、精巣および精子のCpG island全域で非メチル化、mGS細胞で中程度のメチル化状態、その他の細胞・組織で全域にわたってメチル化されていることが示された。Spesp1 mRNAのRT-PCR解析およびルシフェラーゼリポーター解析により、Spesp1遺伝子はDNAメチル化を介する発現調節機構下にあることも明らかになった。

本研究では、T-DMRを有するCpG islandが多数発見された。特に興味深いことは、発現が厳しく抑制された体細胞では、CpG islandの全てのCpGがメチル化されている様な生殖細胞特異的遺伝子、Ant4およびSpesp1、が発見されたことである。これらの結果はCpG islandの新しいクラスが存在すること、またDNAメチル化が生殖細胞の分化に大きく関わっていることを示している。本研究成果は基礎生物学として重要であるばかりでなく、生殖機能評価などの応用分野でも重要な知見である。よって、審査委員一同は、本論分が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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