学位論文要旨



No 121334
著者(漢字) 岡,竜也
著者(英字)
著者(カナ) オカ,タツヤ
標題(和) マスト細胞脱顆粒機構における細胞骨格系の関与
標題(洋)
報告番号 121334
報告番号 甲21334
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3047号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 尾崎,博
 東京大学 教授 西原,真杉
 東京大学 教授 局,一博
 東京大学 助教授 桑原,正貴
 東京大学 助教授 堀,正敏
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

マスト細胞はアレルギー疾患において重要な役割を担う細胞であり、様々な組織に渡って小血管や細静脈の近傍に位置していることが知られている。マスト細胞の脱顆粒反応は、細胞表面に発現している高親和性IgE受容体 (FcεRI) に抗原特異的IgEが結合し、これらの複合体 (IgE/FcεRI) が抗原により架橋されることで活性化される。このIgEの濃度は、アレルギー疾患の患者の血清では1μg/mlに達することも珍しくない。血清IgE値が高い個体において様々なアレルギー性疾患が併発することから、IgEそのものが「アトピー素因」であるという概念が提唱されている。最近の研究では、抗原の非存在下においてIgE単独でマスト細胞の生存延長、サイトカイン産生、遊走能増加などが起こることが報告され注目されている。

一方、抗原で活性化されたマスト細胞内ではIP3が産生され、細胞内Ca2+濃度が増加し、脱顆粒反応が誘起される。細胞内Ca2+濃度の増加機構は、大きく二つに分けることができる。それらは、IP3による小胞体からのCa2+放出と、細胞外からのCa2+流入である。細胞外からのCa2+流入は、小胞体のCa2+枯渇が引き金となって起こるため、容量依存性Ca2+流入と呼ばれている。細胞外液にCa2+が存在しないと脱顆粒は全く起こらないことから、外液からの持続的なCa2+流入、つまり容量依存性Ca2+流入がマスト細胞の脱顆粒反応に非常に重要であることが知られている。しかし、その活性化機構は未だ明らかになっていない。

ところで、細胞骨格の研究は、「骨格としての形態維持機構」にはじまり、「運動などの細胞機能」といった、より高次レベルでの研究に向かった。しかし、近年まったく新たな視点から、細胞内Ca2+濃度調節機構に細胞骨格が関与している可能性が示唆されている。例えば細胞膜直下に存在する線維状アクチンが、小胞体と細胞膜間の情報伝達の担い手となり容量依存性Ca2+流入チャネルの活性化機構に関与している可能性などが示唆されている。さらにFcεRIが存在する細胞膜上のlipid raftに線維状アクチンの末端が接触し、受容体の活性化に関与している可能性なども考えられているが、詳細は明らかになっていない。

【目的】

本研究では、まずIgE単独の脱顆粒反応への影響を確認することを第一の目的として実験を行った。さらに、線維状アクチンと微小管の二つの細胞骨格に着目し、細胞骨格のマスト細胞Ca2+情報伝達系への関与を明らかにすることを第二の目的とした。

【結果と考察】

抗原非存在下における単量体IgEの脱顆粒誘起

近年、抗原の非存在下においてもIgE単独でマスト細胞の生存延長、サイトカイン産生、遊走能増加などが報告されており注目されている。しかし、IgE単独の脱顆粒反応への関与は報告されていない。そこで、IgEの脱顆粒誘起能について調べた。

IgE (anti-DNP IgE) をラット白血病好塩基球由来株化マスト細胞 (RBL-2H3細胞) およびマウス骨髄由来培養マスト細胞 (BMMC) に処置すると、500 - 5000 ng/mlの濃度で細胞内Ca2+濃度の増加、および脱顆粒が起こった。非特異的に重合してしまっているIgEはFcεRIを架橋してしまうことが知られているため、マスト細胞にIgEを処置する前にHPLCで単量体IgEを精製した。すると、精製した単量体IgEを用いても、RBL-2H3細胞、BMMC共に細胞内Ca2+濃度が増加し、脱顆粒が起こった。以上の結果より、高濃度のIgEは抗原が存在しなくても脱顆粒を起こすことがわかった。

IgEにより増加する線維状アクチンのマスト細胞活性化抑制作用

IgEによるマスト細胞の活性化機構における細胞骨格の関与を調べるため、IgEで刺激したRBL-2H3細胞の、線維状アクチン量を測定した。すると、細胞内Ca2+濃度の増加や脱顆粒を誘起したよりも低い濃度のIgE (5 - 5000 ng/ml) で、線維状アクチン量の増加がみられた。この50 ng/ml IgEによる線維状アクチン量の増加を、アクチン重合阻害薬であるcytochalasin D (300 nM) は抑制した。さらに、cytochalasin Dを処置した細胞では、単独では脱顆粒を起こさなかった50ng/mlのIgEでも細胞内Ca2+濃度が増加し、脱顆粒が起こった。

以上の結果から、単独では脱顆粒反応を起こさない低濃度のIgEで刺激した細胞でも、線維状アクチン量の増加が起こっており、この線維状アクチンがマスト細胞の活性化を抑制する負のフィードバック機構を担っている可能性が示唆された。FcεRIはlipid raftに存在する受容体であるが、細胞膜直下に多く存在する線維状アクチンの一端が、lipid raftに接触していることが知られている。これらの知見から、線維状アクチンはその末端がlipid raftに結合することで、lipid raftに存在するFcεRIの凝集を抑制し、マスト細胞の活性化を制御している可能性が示唆された (図1)。

抗原により増加する線維状アクチンの細胞内Ca2+濃度制御

抗原でマスト細胞を刺激した際の線維状アクチンの役割について検討した。50 ng/ml IgEを感作させたマスト細胞を抗原で刺激すると、IP3が産生され、小胞体からCa2+が放出された。このとき線維状アクチン量も増加していた。Cytochalasin Dを前処置したマスト細胞を抗原で刺激すると、線維状アクチン量の増加が抑制されると同時に、産生されるIP3量が有意に増加した。さらにcytochalasin Dを前処置した細胞では、抗原刺激による小胞体からのCa2+放出速度が増加されることで小胞体のCa2+枯渇状態が促進され、容量依存性Ca2+流入が増強された。

以上の結果から、抗原で刺激された際に増加するマスト細胞の線維状アクチンは、IP3産生を抑制する負のフィードバック機構を担っていることが示唆された。さらに、抗原刺激時に持続的に産生されるIP3が、小胞体にとりこまれたCa2+を再度放出することで小胞体のCa2+枯渇を維持し、容量依存性Ca2+流入を促進することがわかった (図2)。

微小管の容量依存性Ca2+流入活性化機構への関与

線維状アクチンと共に重要な細胞骨格である微小管の脱顆粒情報伝達系への関与を調べた。微小管脱重合薬であるnocodazoleおよびcolchicineはマスト細胞の脱顆粒反応を抑制した。Nocodazoleやcolchicineを前処置したマスト細胞では、抗原で刺激することにより起こる小胞体からのCa2+放出は正常に誘起されたが、それに続くCa2+流入が著しく抑制された。Nocodazoleを前処置したマスト細胞では、小胞体Ca2+ポンプATPase阻害薬であるthapsigarginおよびcyclopiazonic acidによる容量依存性Ca2+が、nocodazoleの処置時間に依存して抑制された。さらに、nocodazoleを処置したマスト細胞では、核の近傍に存在する中心体から放射状に存在する微小管構造が消失するとともに、核近傍に多く局在していた小胞体の分布像が消失した。また、同一細胞において小胞体分布の変化を経時的に確認すると、nocodazoleの処置時間にともない小胞体の分布が変化することが確認された。最後にラット受身皮膚アナフィラキシー反応を用いて、in vivoにおけるアレルギー反応に対するnocodazoleおよびcolchicineの作用を確認したところ、これらの薬剤はアレルギー反応を抑制した。

以上の結果より、微小管は小胞体の位置を正常に保つことにより、小胞体の「Ca2+枯渇」という情報を細胞膜の容量依存性チャネルに伝える情報伝達系に関与していることが示唆された。さらに、容量依存性Ca2+流入の抑制を標的としたアレルギー反応制御の可能性が示された。

図1 比較的低濃度のIgEを処置したマスト細胞でもアクチン重合が起こり、これが細胞の活性化を抑制する負のフィードバック機構を担っている可能性が示唆された。

図2 抗原刺激時に増加する線維状アクチン (Fアクチン) が、IP3産生量を抑制する負のフィードバック機構を担っていることが示唆された。

図3 微小管は小胞体の位置取りを正常に保つことで、容量依存性Ca2+流入の活性化機構に関与している可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

マスト細胞(肥満細胞)はアレルギー疾患において最も重要な細胞で、その脱顆粒反応は、細胞表面に発現している高親和性IgE受容体 (FcεRI) にIgEが結合し、これらの複合体が抗原により架橋されることで活性化される。血清IgE値が高い個体において様々なアレルギー性疾患が併発することから、IgEそのものがアトピー素因であるという概念も最近提唱されている。これを裏付けるものとして、抗原の非存在下においてIgE単独でマスト細胞の生存日数を延長したり、サイトカイン産生や遊走能を亢進することなどが報告されている。

一方、抗原で活性化されたマスト細胞内ではIP3が産生され、細胞内Ca濃度が増加し、脱顆粒反応が誘起される。細胞内Ca濃度の増加機構は、IP3による小胞体からのCa放出と細胞外からのCa流入の2つの機構によってもたらされる。細胞外からのCa流入は、小胞体のCa枯渇が引き金となって起こるため、容量依存性Ca流入と呼ばれている。

ところで、細胞骨格の研究は、骨格としての形態維持機構の研究にはじまって運動などの細胞機能といった研究へと進展した。しかし、最近では細胞内Ca濃度調節機構といった情報伝達系に細胞骨格が関与している可能性が示唆されるようになった。

本研究では、まずIgE単独の脱顆粒反応への影響を確認することを第一の目的とし、さらに、線維状アクチンと微小管の2つの細胞骨格に着目し、細胞骨格のマスト細胞Ca情報伝達系への関与を明らかにすることを第二の目的として実験を行い、以下の成績を得た。

抗原非存在下における単量体IgEの脱顆粒誘起

これまで、IgE単独の脱顆粒反応への関与は報告されていないことから、IgEの脱顆粒誘起能について調べた。IgE (anti-DNP IgE) をラット白血病好塩基球由来株化マスト細胞 (RBL-2H3細胞) およびマウス骨髄由来培養マスト細胞 (BMMC) に処置すると、高濃度で細胞内Ca濃度の増加、および脱顆粒が起こった。精製した単量体IgEを用いても、RBL-2H3細胞、BMMC共に細胞内Ca濃度が増加し脱顆粒が起こった。以上の結果より、高濃度のIgEは抗原が存在しなくても脱顆粒を起こすことがわかった。

IgEにより増加する線維状アクチンのマスト細胞活性化抑制作用

IgEによるマスト細胞の活性化機構における細胞骨格の関与を調べるため、IgE刺激時の線維状アクチン量を測定した。すると、細胞内Ca濃度の増加や脱顆粒を誘起するよりも低い濃度のIgEで、線維状アクチン量の増加がみられた。このIgEによる線維状アクチン量の増加を、アクチン重合阻害薬であるcytochalasin Dは抑制した。さらに、cytochalasin Dを処置した細胞では、単独では脱顆粒を起こさなかったIgE処置により細胞内Ca濃度が増加し、脱顆粒が起こった。以上の結果から、単独では脱顆粒反応を起こさない低濃度のIgEで刺激した細胞でも、線維状アクチン量の増加が起こっており、この線維状アクチンがマスト細胞の活性化を抑制する負の制御を担っていることが示唆された。

抗原により増加する線維状アクチンの細胞内Ca濃度制御

IgEを感作させたマスト細胞を抗原で刺激すると、IP3が産生され、小胞体からCaが放出された。このとき線維状アクチン量も増加していた。Cytochalasin Dを前処置したマスト細胞を抗原で刺激すると、線維状アクチン量の増加が抑制されると同時に、産生されるIP3量が有意に増加した。さらにcytochalasin Dを前処置した細胞では、抗原刺激による小胞体からのCa放出速度が増加されることで小胞体のCa枯渇状態が促進され、Ca流入が増強された。以上の結果から、抗原で刺激された際に増加するマスト細胞の線維状アクチンは、IP3産生を抑制する負の制御を担っていることが示唆された。

微小管の容量依存性Ca流入活性化機構への関与

線維状アクチンと共に重要な細胞骨格である微小管の脱顆粒情報伝達系への関与を調べた。微小管脱重合薬であるnocodazoleおよびcolchicineはマスト細胞の脱顆粒反応を抑制した。Nocodazoleやcolchicineを前処置したマスト細胞では、抗原で刺激することにより起こる小胞体からのCa放出は正常に誘起されたが、それに続くCa流入が著しく抑制された。Nocodazoleを前処置したマスト細胞では、小胞体CaポンプATPase阻害薬であるthapsigarginおよびcyclopiazonic acid処置によって生じる容量依存性Ca流入が、nocodazoleの処置時間に依存して抑制された。さらに、ラット受身皮膚アナフィラキシー反応を用いて、in vivoにおけるアレルギー反応に対するnocodazoleおよびcolchicineの作用を検討したところ、これらの薬剤はアレルギー反応を抑制した。

以上のように本研究は、マスト細胞において微小管は小胞体の位置を正常に保つことにより、小胞体のCa枯渇という情報を細胞膜のCa流入機構に伝える経路に関与していること、さらに、Ca流入の抑制を介したアレルギー反応制御系の存在を指摘したものであり、学術上寄与するところは少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位に値するものと判断した。

UTokyo Repositoryリンク