学位論文要旨



No 121335
著者(漢字) 金谷,倫子
著者(英字)
著者(カナ) カナヤ,ノリコ
標題(和) 犬の腫瘍におけるアデノウイルスベクターを用いたp53遺伝子治療に関する研究
標題(洋) Studies on adenovirus-mediated p53 gene therapy in canine tumors 
報告番号 121335
報告番号 甲21335
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3048号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々木,伸雄
 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 助教授 西村,亮平
 東京大学 助教授 大野,耕一
 東京大学 助教授 中山,裕之
内容要旨 要旨を表示する

p53遺伝子は、そのコードするタンパクが転写因子として働くことにより細胞周期の停止およびアポトーシスを誘導することから、代表的な癌抑制遺伝子として知られている。p53の変異は、腫瘍の種類を問わず、ヒトの悪性腫瘍において最も高頻度に認められる遺伝子異常である。P53が腫瘍細胞においてアポトーシスを誘導する能力を利用し、アデノウイルスベクターを用いて野生型p53遺伝子を導入する遺伝子治療が考案されて以来、その抗癌療法としての臨床応用が期待されている。

近年、小動物の寿命が延びたことに伴って腫瘍症例の増加がみられ、根本的な治療法のない腫瘍に罹患した症例も多く、腫瘍性疾患は小動物臨床において最も大きな問題となっている。とくに、多くの固形腫瘍は、抗癌剤に対する反応性が低く、また放射線感受性も低いため、外科的切除が不可能な場合には治療の選択肢がないのが現状である。犬のさまざまな腫瘍において高頻度にp53遺伝子変異が報告されており、その腫瘍発生や腫瘍進行との関連が示唆されている。

本研究においては、既存の治療による有効性が乏しい犬の悪性腫瘍に対するp53遺伝子治療の開発を目的として一連の研究を行った。

第1章:犬の骨肉腫および悪性黒色腫由来細胞株におけるアデノウイルスベクターによるp53遺伝子導入の細胞増殖抑制効果

p53遺伝子の変異が高頻度で検出される骨肉腫、およびその変異に関するデータは乏しいが遺伝子治療の応用が望まれる悪性黒色腫の2種類の悪性腫瘍に着目し、これら腫瘍に由来する細胞株において、アデノウイルスベクターを用いたp53遺伝子導入の細胞増殖抑制効果を検討した。はじめに、これら細胞株におけるp53遺伝子変異とP53の機能を調べたところ、骨肉腫由来細胞株であるPOSおよびHOSにおいてp53遺伝子の変異とP53によって誘導されるP21WAF1の発現欠如によって示されるP53の機能喪失が認められた。他の骨肉腫細胞株(OOS)および悪性黒色腫由来の5つの細胞株(CMM1, CMM2, CMeC, KMeC, LMeC)においてはp53遺伝子の変異やP53の機能喪失は認められなかった。次に、これら細胞株にイヌ野生型P53を発現するアデノウイルスベクター(AxCA-cp53)を感染させ、細胞増殖率をMTTアッセイによって測定した。その結果、いずれの細胞株においても、AxCA-cp53を感染させた細胞では、コントロールのLacZ発現アデノウイルスベクター(AxCA-LacZ)を感染させた細胞と比較して、有意な細胞増殖抑制効果が認められた。また、AxCA-cp53を感染させた細胞においては、アデノウイルスベクターによって導入されたp53 mRNAの発現が認められ、P53タンパクの発現増強も確認された。さらに、野生型P53タンパクによって誘導されるタンパクであるP21WAF1およびBaxの発現誘導も認められた。これらの結果から、アデノウイルスベクターによって腫瘍細胞に発現させたP53タンパクは生物学的活性を持つことが示された。さらにフローサイトメトリーを用いたアポトーシスの解析により、AxCA-cp53感染細胞ではアポトーシス細胞の増加が認められ、細胞増殖抑制効果はp53遺伝子導入によるアポトーシス誘導によるものであることが示唆された。個々の細胞株における細胞増殖抑制効果とp53遺伝子の変異との関連を検討したところ、p53遺伝子の変異が認められない腫瘍細胞においてもp53遺伝子導入による細胞増殖抑制効果が認められることが明らかとなった。

第2章:犬の骨肉腫細胞移植ヌードマウスモデルにおけるアデノウイルスベクターによるp53遺伝子導入の抗腫瘍効果

本章では、犬の骨肉腫細胞をヌードマウスマウスに移植して形成させた移植腫瘍においてp53 遺伝子導入による抗腫瘍効果を検討した。マウスの背部皮下にp53 遺伝子変異を持つ犬骨肉腫細胞株(POS, HOS)細胞を移植し、移植腫瘍を形成させた。はじめに、感染効率を検討するため、移植腫瘍内にAxCA-LacZを局所注射し、・ガラクトシダーゼ陽性細胞を検索したところ、アデノウイルスベクターの感染領域は注射針の刺入部位に限局することが示された。そこで、腫瘍内にウイルス液を注入する際には、腫瘍塊の中心部の一箇所に注入するのではなく、針の先端を動かしながら複数箇所に注入することとした。移植腫瘍が直径5〜6mmに成長した後、AxCA-cp53(1×109 PFU/mouse)、AxCA-LacZ(1×109 PFU/mouse)、またはPBS(100・l/mouse)(各群3〜4頭)を上記の方法を用いて腫瘍内に注射し、経時的に腫瘍サイズを測定した。その結果、AxCA-cp53投与群では、AxCA-LacZまたはPBS投与群と比較して、腫瘍の成長が有意に抑制されていた。AxCA-cp53を注射した腫瘍では、アデノウイルスベクターに由来するp53 遺伝子mRNAの発現が確認され、またP53によって誘導されたと考えられるp21WAF1 mRNAの発現も検出された。次に、TUNEL染色によってアポトーシスを起こした細胞を検出したところ、AxCA-cp53を注射した腫瘍組織においては、AxCA-LacZおよびPBSを注射した腫瘍組織と比較して、より多くのTUNEL陽性細胞が観察された。このことから、移植腫瘍に対するp53 遺伝子導入の抗腫瘍効果は、腫瘍細胞のアポトーシスによるものであることが示唆された。以上の結果は、第1章において認められたp53 遺伝子導入の腫瘍細胞株に対する細胞増殖抑制効果がマウス移植腫瘍組織において再現されることを示したものであり、さらにアデノウイルスベクターによるp53 遺伝子治療が臨床応用可能であることを示唆するものと考えられた。

第3章:犬の自然発症腫瘍症例におけるアデノウイルスベクターを用いたp53遺伝子治療の安全性と有効性に関する検討

本章においては、犬の自然発症腫瘍症例において、アデノウイルスベクターを用いたp53遺伝子治療の安全性と有効性を検討した。適応症例としては、外科的切除が不可能であり、放射線療法や化学療法に対する反応性が低いことが示されている悪性腫瘍に罹患した犬を選択し、その中で飼い主の承諾が得られた場合にのみ試験を行った。犬の自然発症腫瘍症例9例を用い、その病理組織学的診断は、肺癌(1頭)、線維肉腫(2頭)、扁平上皮癌(1頭)、悪性黒色腫(2頭)、血管周囲腫(1頭)、骨肉腫(1頭)、および移行上皮癌(1頭)であった。この9頭中、1頭に腫瘍細胞のp53遺伝子変異が認められ、他の1頭に腫瘍細胞におけるP53タンパクの過剰発現が認められた。2週間に1回、AxCA-cp53(1〜5×1010 PFU/dog)を腫瘍内に局所注射し、それを1サイクルとし、可能な症例ではサイクルを繰り返した。アデノウイルスベクター投与後は、アデノウイルスの排泄が認められなくなるまで隔離入院とし、投与2週間後に直接測定もしくは、超音波検査またはX線CT検査による測定を行い、腫瘍の大きさを客観的に評価した。投与2週間後の観察において、AxCA-cp53投与に対する反応性は、9頭中8頭でStable disease(SD)、1頭でProgressive disease (PD)であった。9頭中4頭では2サイクル目の治療が可能であり、2サイクル目のAxCA-cp53投与に対する反応性は、4頭中1頭でPartial response(PR)、1頭でSD、2頭でPDであった。2サイクル目の治療でPRが認められた症例は鼻腔内の骨肉腫に罹患した症例であり、AxCA-cp53による遺伝子治療により腫瘍体積が50%以上縮小したことがCT検査によって明らかとなった。また、この例においては、遺伝子治療前には鼻出血、くしゃみ、喘鳴等の症状が認められていたが、それらは治療後に著しく改善された。遺伝子治療をうけた9頭において認められた副作用としては、食欲不振(2頭)、発熱(2頭)、嘔吐(1頭)、白血球数増加(6頭)、CRP上昇(5頭)、ALP上昇(5頭)、BUN上昇(2頭)があったが、いずれも軽度であり、4日以内に消失した。AxCA-cp53を投与した9頭中7頭において、投与部位組織にアデノウイルスベクター由来p53 mRNAの発現が確認された。また、9頭中4頭において、AxCA-cp53の腫瘍内注射直後に末梢血液中にアデノウイルスベクターゲノムが検出されたが、それらは72時間後には検出限界値以下となった。

本研究では、全章にわたってイヌp53遺伝子発現アデノウイルスベクターを用い、第1章ではその腫瘍細胞株における細胞増殖抑制効果を示し、第2章ではそのヌードマウス移植腫瘍に対する成長抑制効果を明らかにすることができたが、第3章の犬の自然発生悪性腫瘍においてはその抗腫瘍効果は9頭中1頭にしか認められなかった。このことは自然発症腫瘍の末期症例は腫瘍サイズが大きいため、アデノウイルスベクターを腫瘍内に注射しても腫瘍全体にP53タンパクを発現させることが困難であることが主な原因であると考えられた。今後、投与法の改良により、臨床症例においても腫瘍組織において広範囲にP53タンパク発現を誘導することが可能となれば、腫瘍のさらなる縮小効果が得られるものと考えられた。

悪性腫瘍に対する遺伝子治療の臨床応用に関しては、依然として解決しなければならない問題が多いことは確かであるが、本研究により、臨床獣医学への遺伝子治療の導入に関する新たな知見が得られたものと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

p53遺伝子は、そのコードするタンパクが転写因子として働くことにより細胞周期の停止およびアポトーシスを誘導することから、代表的な癌抑制遺伝子として知られている。P53のこの作用を利用し、アデノウイルスベクターを用いて野生型p53遺伝子を腫瘍細胞に導入する遺伝子治療が考案されて以来、その臨床応用が期待されている。本研究の目的は、既存の治療による有効性が乏しい犬の悪性腫瘍に対するp53遺伝子治療の開発である。

第1章では犬の骨肉腫および悪性黒色腫由来細胞株におけるアデノウイルスベクターによるp53遺伝子導入の細胞増殖抑制効果を検討した。犬骨肉腫由来細胞株であるPOSおよびHOSにおいてはp53遺伝子の変異とP53の機能喪失が認められた。他の骨肉腫細胞株および悪性黒色腫由来の5つの細胞株においてはp53遺伝子の変異やP53の機能喪失は認められなかった。これら細胞株にイヌ野生型P53を発現するアデノウイルスベクター(AxCA-cp53)を感染させ、細胞増殖率を測定した。その結果、すべての細胞株において、AxCA-cp53を感染させた細胞では、対照であるLacZ発現アデノウイルスベクター(AxCA-LacZ)を感染させた細胞と比較して、有意な細胞増殖抑制効果が認められた。またアデノウイルスベクターによって導入されたP53タンパクの発現増強が確認され、P21WAF1の発現誘導も認められた。さらにAxCA-cp53感染細胞ではアポトーシス細胞の増加が認められた。

第2章では、犬の骨肉腫細胞(POS, HOS)をヌードマウスマウスに移植して形成させた移植腫瘍においてp53遺伝子導入による抗腫瘍効果を検討した。その結果、AxCA-cp53投与群では、AxCA-LacZまたはPBS投与群と比較して、腫瘍の成長が有意に抑制された。AxCA-cp53を注射した腫瘍では、導入されたp53 遺伝子mRNAの発現が確認され、またP53によって誘導されたp21WAF1 mRNAの発現も検出された。AxCA-cp53を注射した腫瘍組織においては、AxCA-LacZおよびPBSを注射した腫瘍組織と比較して、より多くのアポトーシスの指標であるTUNEL陽性細胞が観察された。

第3章においては外科的切除が不可能であり、放射線療法や化学療法に対する反応性が低い腫瘍症例9例に対しp53遺伝子治療を行った。病理組織学的診断は、肺癌(1頭)、線維肉腫(2頭)、扁平上皮癌(1頭)、悪性黒色腫(2頭)、血管周囲腫(1頭)、骨肉腫(1頭)、および移行上皮癌(1頭)であった。この9頭中、1頭に腫瘍細胞のp53遺伝子変異が認められ、他の1頭にP53タンパクの過剰発現が認められた。2週間に1回、AxCA-cp53(1〜5×1010 PFU/dog)を腫瘍内に局所注射し、それを1サイクルとし、可能な症例ではサイクルを繰り返した。投与2週間後、AxCA-cp53投与に対する反応性は、9頭中8頭でStable disease (SD)、1頭でProgressive disease (PD)であった。2サイクル目の治療が可能であった4頭の反応性は、1頭でPartial response (PR)、1頭でSD、2頭でPDであった。2サイクル目の治療でPRが認められた骨肉腫症例では、治療により腫瘍体積が50%以上縮小し、臨床症状の著しい改善が認められた。遺伝子治療をうけた9頭において認められた副作用としては、食欲不振(2頭)、発熱(2頭)、嘔吐(1頭)、ALP上昇(5頭)であったが、いずれも軽度であった。AxCA-cp53を投与した9頭中7頭において、投与部位組織にアデノウイルスベクター由来p53 mRNAの発現が確認された。

以上要するに本研究は犬のp53遺伝子治療の可能性を細胞レベルならびにヌードマウスモデルで確認し、さらに臨床例にまで応用したものであり、臨床上その貢献は少なくない。よって審査委員一同はこの論文が博士(獣医学)として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク