学位論文要旨



No 121340
著者(漢字) 松井,利康
著者(英字)
著者(カナ) マツイ,トシヤス
標題(和) マウス生後血管形成におけるSox17およびSox18の相補的な役割
標題(洋)
報告番号 121340
報告番号 甲21340
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3053号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 九郎丸,正道
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 東條,英昭
 東京大学 助教授 中山,裕之
 東京大学 助教授 金井,克晃
内容要旨 要旨を表示する

近年、血管内皮細胞の発生、増殖、分化および形態形成に関与する遺伝子の同定と機能解析が飛躍的に進み、血管形成における分子機構の多くが解明されてきた。しかしながら、血管形成における複雑な分子機構を、標的遺伝子の発現制御により調節する転写因子の役割は、未だ断片的にしか解明されておらず不明な点が多い。最近、ヒトSOX18遺伝子の点変異が、劣性および優性のリンパ水腫/毛細血管拡張/先天性貧毛疾患の原因であることが報告され、転写因子Soxのヒト先天性疾患への関与が明らかにされた。Sox(Sry-related HMG box gene)ファミリーは、哺乳類の精巣決定遺伝子SryのDNA結合ドメインであるHMGボックスに高い相同性を示す一連の転写因子群であり、様々な細胞の分化決定に重要な役割を果たすことが明らかとなっている。Soxファミリーは、その一次構造から幾つかのサブグループ(A-H)に分類することができる。このうちSox18は、Sox7およびSox17と共にサブグループFに属している。マウスSox18遺伝子の変異は、ヒトSOX18変異と同様に、4つのアレル変異体Ra、Ra(Ja)、RaglおよびRaOpを含めて、ragged変異マウスにおける出血、チアノーゼ、水腫および乳糜性腹水を伴う血管系異常、ならびに貧毛および被毛異常を伴う毛包発生異常の原因となる。その一方で、Sox18遺伝子欠損マウスは生存率、繁殖能力とも正常であり、軽度の被毛異常のみで、血管系の異常は示さない。Soxファミリーでは、同じサブグループに属すメンバーが、同一の細胞種で共発現し、相補的に機能することが報告されている。したがって、Sox18遺伝子欠損マウスの血管系における表現型の消失は、Sox17および/あるいはSox7が、Sox18の機能損失を相補する可能性を強く示唆する。しかしながら、胎仔期および生後期のマウス血管新生におけるSox17の発現様式および機能は未だ明らかにされていない。以上の経緯を背景として、本研究では、マウス血管新生におけるSox17の役割およびSox18に対する相補的機能の解明を目的として、Sox17+/-/Sox18-/-二重遺伝子改変マウスを作出し、Sox18-/-マウスとの表現型の比較解析を行った。

第1章では、Sox17遺伝子の胎仔期の新生血管における発現を検討し、SoxサブグループFメンバー(Sox7、Sox17およびSox18)の発現様式について比較検討するために、マウス胎仔でのwhole mount in situ hybridization法による発現解析を行った。その結果、マウスSox17は、胎齢8.5日(E8.5)の後腸胚性内胚葉、E9.5-10.5の胆嚢原基での一過性の発現に加えて、E9.5以降の背側大動脈、体節間の血管および体部の一部の新生血管の内皮細胞において発現することが明らかにされた。マウス胎仔期の後腸胚性内胚葉、胆嚢原基および血管内皮細胞におけるSox17の発現は、カエル(Xenopus tropicalis)でのSox17・の発現様式に類似しており、両種の間でのSox17発現細胞種の高い保存性が推察された。Sox17遺伝子は、脊椎動物の内胚葉形成に共通して重要な機能を担っており、機能の高い保存性が報告されている。したがって、血管内皮細胞でのSox17の発現は、血管新生における機能を反映していると思われる。一方、Sox7およびSox18の新生血管の内皮細胞における発現は、マウスを含めた様々な脊椎動物種において以前に報告されている。本研究においても、マウスSox7およびSox18は、E8.5の背側大動脈、体節間の血管および体部の新生血管における内皮細胞で発現することが確認された。本研究で行われた、マウス胎仔期におけるSoxサブグループFメンバーの発現解析により、Sox7、Sox17およびSox18の血管内皮細胞での共発現が初めて明らかとなった。このことは、血管新生でのSoxサブグループFメンバーの相補的な役割を強く示唆する。

そこで第2章では、血管新生におけるSox17およびSox18遺伝子の相補的機能を明らかにするために、Sox17+/-/Sox18-/-二重遺伝子改変マウスを作出し、それらの表現型をSox18-/-マウスと比較検討した。その結果、一部のSox17+/-/Sox18-/-マウスが生後発生期に致死することを見出した。また、成体まで生存したSox17+/-/Sox18-/-マウスにおいて、雄個体は繁殖能力を有するのに対し、全ての雌個体が不妊を呈した。Sox17+/-/Sox18-/-マウスは、生後7日齢(P7)では、メンデルの遺伝法則に従ってSox18-/-マウスとほぼ同比率で認められるが、P21までに約57%が致死となる。そこで、表現型の肉眼解剖および組織学的所見に基づいて、2つの群(強い表現型群: 生後に致死する個体、弱い表現型群: 成体まで生存する個体)へ分類した。

生後致死を示す、強い表現型群のSox17+/-/Sox18-/-マウスは、P7において肝臓の重度な変性・萎縮に加えて、腎臓髄質外帯の形成不全を示した。Sox17+/-/Sox18-/-マウス肝臓では、辺縁部を走行する肝静脈および中心静脈は消失し、血管内皮マーカーPECAM-1を用いた組織定量学的解析において、血管密度はSox18-/-マウスの55%程度と著しく減少していた。また、Sox17+/-/Sox18-/-マウスの肝細胞は、一部領域で空胞変性を伴う虚血性壊死像を示し、変性領域は生後日齢の経過に伴い、肝葉全体へと波及していた。一方、Sox17+/-/Sox18-/-マウス腎臓では、P7からP14において、様々な程度の水腎症を伴った著しい髄質外帯の形成不全が見られた。Sox18-/-マウスの腎臓髄質外帯では、尿細管と並走する直血管および直血管から構成される血管束が存在するが、Sox17+/-/Sox18-/-マウスでは血管束が全く形成されず、尿細管および毛細血管の異常な走行が認められた。さらに、Sox17+/-/Sox18-/-マウス腎臓髄質外帯の血管密度は、Sox18-/-マウスに比べて有意に減少し、尿細管上皮細胞は、肝細胞と同様に虚血性壊死像を呈した。しかしながら、腎臓髄質外帯の形成異常とは対照的に、Sox17+/-/Sox18-/-マウスの皮質領域(糸球体を含む)および髄質内帯は正常に形成されており、血管密度の変化も見られなかった。成体まで生存する弱い表現型群のSox17+/-/Sox18-/-マウスは、肝臓、腎臓に加えて、雌雄生殖器における血管異常を示した。性成熟期以降のSox17+/-/Sox18-/-雄マウスの陰嚢は突出、腫大しており、蔓状静脈叢の走行異常および拡張が認められた。さらに、Sox17+/-/Sox18-/-マウスの卵巣は、Sox18-/-マウスに比べて萎縮し、発育卵胞および黄体の形成不全が認められた。発育卵胞周囲では、毛細血管の著しい減少が観察された。以上の結果より、Sox18遺伝子欠損下での1アレルのSox17遺伝子欠損が、生後期の肝臓、腎臓髄質外帯および雌雄生殖器における器官/領域特異的な血管形成異常の原因となることが明らかとなった。生後発生期(P3-P7)の肝臓、腎臓におけるSoxサブグループFメンバーの発現解析により、Sox17およびSox18は肝臓の洞様毛細血管、腎臓髄質外帯の直血管で共発現を示した。これらの知見は、血管内皮細胞におけるSox17およびSox18の協調的な機能が、生後期の血管新生に必須であること、さらにSox17がSox18の機能損失を相補できることを示している。

第3章では、マウスSox17およびSox18の生後血管形成における役割を解明することを目的として、着目した血管形成関連因子(Tie-1、Tie-2およびVcam-1)の発現について、Sox18-/-マウスとSox17+/-/Sox18-/-マウスの間で比較検討を行った。血管内皮細胞は、主としてVEGFシグナル系に依存した増殖をするが、Sox17+/-/Sox18-/-マウスの血管内皮細胞は増殖(BrdU標識法)および維持(TUNEL法)において明らかな異常を示さず、Sox17、Sox18を介した血管形成機構はVEGFシグナル系から独立して機能する、もしくは下流に位置すると推察された。これは、SOX18がVEGF/ FLK-1シグナルの下流で機能する可能性を指摘した、以前の仮説とも一致している。一方、肝臓におけるAng-1過剰発現マウスとSox17+/-/Sox18-/-マウスとの表現型の類似性(血管の減少および拡張)、生後発生期の腎臓髄質外帯の血管束形成における、ANG/TIE-2シグナル因子とSox17、Sox18の発現様式の類似性から、Sox17、Sox18により制御される血管新生とANG/TIE-2シグナル系との関係が示唆された。しかしながら、Sox17+/-/Sox18-/-マウス肝臓および腎臓において、Tie-2の発現に変化は見られなかった。Tie-2とは対照的に、血管形成関連因子Vcam-1の発現はSox17+/-/Sox18-/-マウスで有意に減少したが、Vcam-1遺伝子欠損マウスは生後期における血管形成異常を示さないことから、血管異常の直接的な原因ではないと考えられる。生後期の器官/領域特異的な血管形成におけるSoxサブグループFメンバーの役割、Sox17およびSox18により制御される血管形成機構と既知のシグナル系との関係の解明には、SoxサブグループFメンバーの新規標的遺伝子の単離、同定も含めて、さらなる解析が必要であろう。

総括すると、本研究により、マウスSox17遺伝子はSox18と協調して生後期の血管形成に重要な役割を果たすことが初めて明らかとされた。Sox17+/-/Sox18-/-マウスにおける器官/領域特異的な血管形成異常は、哺乳類の血管形成におけるSoxサブグループFメンバーの相補性を示す直接的な証拠であり、SoxサブグループFメンバーの発現様式の多様性が、器官/領域特異的な血管形成に関与する可能性を強く示唆する。

審査要旨 要旨を表示する

Sox(Sry-related HMG box gene)ファミリーは、哺乳類の精巣決定遺伝子SryのDNA結合ドメインであるHMGボックスと高い相同性を示す一連の転写因子群であり、様々な細胞の分化決定に重要な役割を担う。このうち、Sox17およびSox18は、Sox7と共にサブグループFに属している。近年、ヒトSOX18の変異が先天性リンパ水腫/毛細血管拡張/貧毛疾患の原因であることが報告され、遺伝性疾患への関与が明らかにされた。ヒトSOX18変異と同様に、マウスSox18のragged変異は、血管系ならびに毛包発生異常の原因となる。その一方で、予想に反してSox18欠損マウスは生存率、繁殖能力とも正常であり、血管系の異常は示さない。Soxファミリーは、同じサブグループに属すメンバーが同一の細胞種で共発現し、相補的に機能することが報告されており、Sox18欠損マウスにおける表現型の消失は、Sox17および/あるいはSox7の機能相補を強く示唆する。以上の経緯を背景として、本研究では、Sox17+/-/Sox18-/-二重遺伝子改変マウスを作出し、血管新生におけるSox17の役割およびSox18に対する相補的機能を解明することを目的としている。

第1章では、胎仔期の新生血管におけるSoxサブグループFメンバーの発現様式についての比較検討がなされた。その結果、マウスSox17、Sox18およびSox7は、胎齢9.5日以降の新生血管の内皮細胞において共発現することが初めて示され、血管新生で相補的に機能する可能性が強く示唆されている。

そこで、第2章では、血管新生におけるSox17およびSox18遺伝子の相補的機能を明らかにするために、Sox17+/-/Sox18-/-二重遺伝子改変マウスが作出され、それらの表現型とSox18-/-マウスとの比較検討がなされた。その結果、約57%のSox17+/-/Sox18-/-マウスが、生後21日齢(P21)までに致死することが示された。また、成体まで生存したSox17+/-/Sox18-/-マウスにおいて、雄個体は繁殖能力を有するのに対し、全ての雌個体が不妊を呈した。P7においてSox17+/-/Sox18-/-マウスは、肝臓の変性・萎縮に加えて、腎臓髄質外帯の形成不全を示した。肝臓では、洞様毛細血管の拡張を伴って、血管密度はSox18-/-マウスの半分程度と著しく減少していた。一方、腎臓では髄質外帯の血管密度が有意に減少し、直血管から構成される血管束の形成不全が見られた。さらに、成体まで生存したSox17+/-/Sox18-/-マウスは、肝臓および腎臓の表現型に加えて、雌雄生殖器における血管異常を示した。精巣蔓状静脈叢では走行異常および拡張が認められ、卵巣では毛細血管の形成不全による萎縮が観察された。以上の結果より、Sox18欠損下での1アレルのSox17欠損が、肝臓、腎臓および雌雄生殖器における器官/領域特異的な血管形成異常の原因となることが明らかになった。これらの知見は、Sox17およびSox18の協調的な機能が、生後期の血管新生に必須であること、さらにSox17がSox18の機能損失を相補できうることを示している。

第3章では、マウスSox17およびSox18の生後血管形成における役割を解明することを目的として、着目した血管形成関連因子(Tie-1、Tie-2およびVcam-1)の発現についての比較検討が行われた。Sox17+/-/Sox18-/-マウスは血管拡張を伴った血管密度の著しい減少を示すことから、Sox17、Sox18とANG/TIEシグナル系との関係が示唆された。しかしながら、Sox17+/-/Sox18-/-マウスの肝臓および腎臓において、Vcam-1発現の有意な減少は見られたが、Tie-1およびTie-2発現に変化は認められなかった。生後期の器官/領域特異的な血管形成におけるSoxサブグループFメンバーの役割、Sox17およびSox18により制御される血管形成機構と既知のシグナル系との関係の解明には、新規標的遺伝子の単離、同定も含めて、さらなる解析が必要であろう。

総括すると、本研究により、マウスSox17はSox18と協調して生後期の血管形成に重要な役割を果たすことが初めて明らかとされた。Sox17+/-/Sox18-/-マウスにおける器官/領域特異的な血管形成異常は、哺乳類の血管形成におけるSoxサブグループFメンバーの相補性を示す直接的な証拠であり、発現様式の多様性が器官/領域特異的な血管形成に関与する可能性が強く示唆された。これらの成果は、獣医学学術上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)の学術論文として価値あるものと認めた。

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