学位論文要旨



No 121341
著者(漢字) 松浦,忍
著者(英字)
著者(カナ) マツウラ,シノブ
標題(和) 犬の造血幹細胞へのmdr1遺伝子導入による薬剤耐性誘導に関する研究
標題(洋) Studies on induction of chemoresistance by transfer of mdr1 gene in canine hematopoietic stem cells
報告番号 121341
報告番号 甲21341
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3054号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 教授 佐々木,伸雄
 東京大学 教授 尾崎,博
 東京大学 助教授 中山,裕之
 東京大学 助教授 大野,耕一
内容要旨 要旨を表示する

リンパ腫は犬において最も発生頻度の高い悪性腫瘍の一つであり、その症例のほとんどが致死的な経過をたどることから、小動物臨床において大きな問題となっている。本疾患に対する治療法の第一選択は多剤併用化学療法である。獣医学領域においては、1970年代から1990年代にかけて化学療法プロトコールの改良によってその治療成績が向上し、1991年に導入されたシクロフォスファミド、ドキソルビシン(ヒドロキシダウノルビシン)、ビンクリスチン(商品名:オンコビン)およびプレドニゾロンを組み合わせたCHOPプロトコールではその生存期間の中央値が約1年となったが、その後に開発されたプロトコールではこれ以上の成績が得られず、現在の治療方針による限界が見えてきている。そこで、高用量化学療法の導入が考えられるが、抗癌剤の投与量の増大に伴い、骨髄抑制を中心とした副作用の増強が問題となる。そこで、高用量化学療法を用いた場合の骨髄抑制回避の手段として自家骨髄移植に着目した。

自家骨髄移植では、治療初期に採取・保存した自家骨髄細胞を高用量化学療法時に症例に戻すことによって末梢血液中の血球数を回復させることを目的とする。従来の自家骨髄移植は全骨髄細胞の移植を基本に行われてきたが、近年、造血幹細胞に発現しているCD34に対する抗体を利用して単離した幹細胞による移植が主流となりつつある。造血幹細胞は自己複製能および多分化能を有する細胞であり、少数の細胞の移植でその個体の造血機能を維持することが可能となる。 

高用量化学療法において考慮すべきもう一つの問題点は、造血幹細胞自身の抗癌剤に対する感受性・耐性の程度である。移植した造血幹細胞およびそれに由来する血球が抗癌剤によって容易に死滅してしまう場合には、自家骨髄移植の効率が大きく損なわれる。そこで、本研究では、多剤耐性遺伝子であるmdr1(multidrug resistance1)遺伝子を移植する造血幹細胞に導入することによって、造血幹細胞に薬剤耐性を賦与したいと考えた。mdr1遺伝子はABCB1ファミリーの細胞膜タンパクであるP-糖タンパク(P-gp)をコードする。P-gpは、ATP依存的に薬剤の細胞外排出を選択的に行い、代表的な薬剤耐性関連タンパクとして注目されている。また、リンパ腫に対して主として用いられている抗癌剤であるドキソルビシン、ビンクリスチン、ミトキサントロン、ビンブラスチンなどはP-gpによって細胞外に排出されことが知られている。

本論文における一連の研究は、mdr1遺伝子導入による犬の造血幹細胞の薬剤耐性誘導システムを構築することを目的として行ったものである。第1章においては、犬のmdr1遺伝子をコードするレトロウイルスベクターを作製し、これを感染させることによって犬の腎臓由来培養細胞株にP-gpを発現させた。第2章では、自家骨髄移植および遺伝子治療に用いる犬のCD34+造血幹細胞を骨髄から単離する方法を検討し、それら細胞の多分化能を解析した。第3章では、単離した犬のCD34+造血幹細胞にレンチウイルスベクターを用いてmdr1遺伝子を導入し、薬剤耐性誘導効果を検討した。

第1章:犬の培養細胞株におけるレトロウイルスベクターを用いたmdr1遺伝子導入による薬剤耐性誘導

造血幹細胞を用いた遺伝子治療では、細胞の増殖分化後も導入遺伝子の発現が維持されるシステムが必要であるため、宿主ゲノムに組み込まれるレトロウイルス系の遺伝子導入ベクターを用いた。ここでは、Moloney murine leukemia virusゲノムをもとにして作製されたレトロウイルスベクターにイヌmdr1遺伝子を組み込み(pLNCcMDR1)、RD114 ウイルスのエンベロープタンパクを発現するパッケージング細胞を用いて犬細胞に対して高い感染効率を有する組み換えベクターウイルスを作製した。このpLNCcMDR1 レトロウイルスベクターを犬腎由来細胞株であるMDCK細胞に感染させ(MDCK/cmdr1細胞)、イムノブロット法によって解析したところ、P-gpの発現が確認された。P-gpの機能の評価には、P-gpによって排出される蛍光色素であるRhodamine 123 (Rh123) の排出能機能をフローサイトメトリーで解析した。その結果、MDCK/cmdr1細胞の細胞内蛍光強度は遺伝子を導入していないMDCK細胞の蛍光強度の15分の1に低下していた。このことから、MDCK/cmdr1細胞においてはP-gpによって薬剤が能動的に排出されることが示された。さらに、リンパ腫の治療に実際に用いられる抗癌剤に対する薬剤耐性度をIC50(50% inhibitory concentration)によって評価したところ、MDCK/cmdr1細胞は親株のMDCK細胞に比べ、ドキソルビシンに対して25倍、またビンクリスチンに対して59倍の薬剤耐性度を示すことが明らかとなった。

第2章:犬の骨髄由来CD34陽性造血幹細胞の単離およびその多分化能の解析

本章では、自家骨髄移植およびそれを用いた遺伝子治療の開発のため、犬における骨髄由来造血幹細胞の単離とその多分化能の解析を行った。吸入麻酔下で実験犬の上腕骨および大腿骨から骨髄を吸引し、得られた骨髄細胞から比重遠心法によって骨髄単核細胞を得た。この骨髄単核細胞から犬CD34+造血幹細胞を単離するため、ブロッキング血清(イヌ、ヤギ、マウス、ウシ)、一次抗体(1H6および2E9、PE標識、ビオチン標識、未標識)、および磁気ビーズ標識二次抗体 (抗PE抗体、抗ビオチン抗体、抗マウスIgG抗体)の種類および反応時間を検討した。その結果、イヌ血清をブロッキングに用い、未標識1H6抗体を15分間反応させ、 二次抗体として抗マウスIgG抗体のを10分間反応させた場合、90%以上の純度の犬CD34+造血幹細胞を単離することができた。

培養液としてIMDMおよびRPMI1640の2種類の培養液を検討したが、いずれにおいてもCD34分子の発現低下が認められ、幹細胞としての性状が維持されないことが示された。そこで、無血清培地にイヌSCF (stem cell factor)を添加した培地を用いて培養を行ったところ、3日間の培養でもCD34の消失は認められなかった。次に、メチルセルロース混合コロニー形成法を用い、単離した犬CD34+造血幹細胞の多分化能を評価した。培地に、rhSCF、rhGM-CSF、rhIL-3、rhIL-6、rhG-CSF、rhEPO、およびイヌのPHA-LCM (PHA刺激白血球培養上清)を添加したメチルセルロース培地で犬の骨髄由来CD34+細胞を培養した結果、14日目には、CFU-GEMMをはじめ、CFU-GM、CFU-G、 CFU-M、 BFU-E といった多系統のコロニーが形成され、単離した犬の骨髄由来CD34+細胞が造血幹細胞特有の多分化能を有することが明らかとなった。

第3章:犬のCD34+造血幹細胞におけるレンチウイルスベクターを用いたmdr1遺伝子導入による薬剤耐性誘導

第1章で用いたレトロウイルスベクターは、細胞分裂の盛んな細胞株に対しては高い遺伝子導入効率を示したが、細胞分裂をあまり行わないCD34+造血幹細胞に対しては低い遺伝子導入効率しか示さないことがわかった。そこで、本章では、非分裂細胞にも感染が可能なレンチウイルスベクターを用い、犬のCD34+造血幹細胞へのmdr1遺伝子導入を試みた。はじめに、その遺伝子導入効率を検討するため、GFP(green fluorescent protein)を発現するレンチウイルスベクター(pWPXL-GFP)を犬の骨髄由来CD34+細胞に感染させたところ、感染48時間後には10〜20%の細胞がGFP陽性となり、そのほとんどの細胞がCD34マーカーを維持していた。これら細胞のメチルセルロース培地コロニー形成能を調べたところ、非感染細胞と同様に多様なコロニーの形成が認められ、10〜20%のコロニーがGFP陽性であったことから、本システムは犬CD34+細胞への遺伝子導入に有用であると判断された。次に、イヌmdr1遺伝子を組み込んだレンチウイルスベクター(pWPXL-cMDR1)を作製し、同様にして犬の骨髄由来CD34+細胞への遺伝子導入を行った。その結果、感染後48時間後には免疫染色でP-gpの発現が認められるようになった。さらに、Rh123の排出能を調べたところ、pWPXL-cMDR1を導入した犬の骨髄由来CD34+細胞ではRh123を排出する細胞が約30%増加していることが明らかとなった。次いで、pWPXL-cMDR1ベクターを導入した犬CD34+細胞のドキソルビシン存在下におけるメチルセルロースコロニー形成を検討した。その結果、ドキソルビシン治療時における血中濃度に相当する範囲では、mdr1遺伝子導入犬CD34+細胞を用いた場合には、非導入犬CD34+細胞と比較して、有意にコロニー形成率の増加が認められ、また通常のコロニー形成法において認められた多様な系統のコロニーが形成されることがわかった。

本研究においては、はじめに犬のmdr1遺伝子導入系を立ち上げ、次いで犬の骨髄由来CD34+造血幹細胞を単離する方法を確立し、最後にmdr1遺伝子の導入によって犬の骨髄由来CD34+造血幹細胞に抗癌剤耐性を賦与することに成功した。こられの成果は、犬においてCD34+造血幹細胞を用いた自家骨髄移植および遺伝子治療を臨床応用するための基盤をかたち作るものであり、臨床的に大きな問題となっているリンパ造血系腫瘍性疾患に対する治療に新たな展開をもたらすものと考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

リンパ腫に対する第一選択治療法は多剤併用化学療法であるが、近年この治療法での生存期間の中央値は1年で頭打ち状態となっており、治療方針による限界が見えてきている。そこで、自家骨髄移植併用高用量化学療法による治療法が考えられる。自家骨髄移植では、治療初期に採取・保存した骨髄細胞を症例に戻すことによって末梢血血球数を回復させることが可能である。近年は全骨髄細胞に代わり、CD34+造血幹細胞移植が主流となりつつある。CD34+造血幹細胞は自己複製能/多分化能を有する細胞であり、少数の細胞の移植でその個体の造血機能を維持するできるため、遺伝子治療の開発のためにも用いられる。

高用量化学療法において考慮すべきもう一つの問題点は、造血幹細胞の抗癌剤に対する感受性・耐性である。そこで、本研究では、多剤耐性遺伝子であるmdr1(multidrug resistance1)遺伝子を移植する造血幹細胞に導入することによって、造血幹細胞に薬剤耐性を賦与したいと考えた。mdr1遺伝子は薬剤の細胞外排出を選択的に行うP-糖タンパク(P-gp)をコードする。リンパ腫の治療に用いられているドキソルビシン、ビンクリスチンなどの抗癌剤はP-gpによって細胞外に排出される。本論文における一連の研究は、mdr1遺伝子導入による犬の造血幹細胞の薬剤耐性誘導システムを構築することを目的として行ったものである。

第1章:犬の培養細胞株におけるレトロウイルスベクターを用いたmdr1遺伝子導入による薬剤耐性誘導

造血幹細胞を用いた遺伝子治療では、細胞の増殖分化後も導入遺伝子の維持が必要であるため、宿主ゲノムに組み込まれるレトロウイルス系の遺伝子導入ベクターであるMoloney murine leukemia virusゲノム由来ベクターを用いて、イヌmdr1遺伝子をコードするRD114エンベロープシュードタイプのウイルスベクターを作製した(pLNCcMDR1)。このウイルスベクターをMDCK細胞(犬腎由来細胞株細胞)に感染させたところ(MDCK/cmdr1細胞)、イムノブロット法によってP-gpタンパクの発現が確認された。P-gp特異的に排出される蛍光色素Rhodamine 123 (Rh123)の排出機能を測定したところ、MDCK/cmdr1細胞ではMDCK細胞に比べ排出量が15倍増加していることが明らかになった。さらに、IC50(50% inhibitory concentration)を調べたところ、MDCK/cmdr1細胞はMDCK細胞に比べ、ドキソルビシンに対して25倍、またビンクリスチンに対して59倍の薬剤耐性度を示すことが明らかとなった。

第2章:犬の骨髄由来CD34陽性造血幹細胞の単離およびその多分化能の解析

犬CD34+造血幹細胞を単離するための最適な条件の検討には、骨髄単核細胞をブロッキング血清(イヌ、ヤギ、マウス、ウシ)、一次抗体(1H6および2E9、PE標識、ビオチン標識、未標識)、および磁気ビーズ標識二次抗体 (抗PE抗体、抗ビオチン抗体、抗マウスIgG抗体)と反応させ、得られたCD34+細胞の純度を測定した。その結果、イヌ血清をブロッキングに用い、未標識1H6抗体を15分間反応させ、 二次抗体として抗マウスIgG抗体を10分間反応させると、90%以上の純度の犬CD34+造血幹細胞が単離できることが分かった。次に、単離した細胞をrhSCF、rhGM-CSF、rhIL-3、rhIL-6、rhG-CSF、rhEPO、およびイヌのPHA-LCM (PHA刺激白血球培養上清)添加メチルセルロース培地で培養した結果、14日目には、CFU-GMをはじめ、CFU-G、 CFU-M、 BFU-E といった多系統のコロニーが形成され、造血幹細胞特有の多分化能が認められた。

第3章:犬のCD34+造血幹細胞におけるレンチウイルスベクターを用いたmdr1遺伝子導入による薬剤耐性誘導

第1章で用いたレトロウイルスベクターはCD34+造血幹細胞のような非分裂細胞に対して遺伝子導入効率が低いため、本章では、レンチウイルスベクターを用いて遺伝子導入を試みた。はじめに、その遺伝子導入効率を検討するため、GFP(green fluorescent protein)を発現するレンチウイルスベクター(pWPXL-GFP)を犬のCD34+細胞に感染させたところ、48時間後には18.32%の細胞がGFP陽性となり、これら細胞のメチルセルロース培地コロニー形成法では、10〜20%のコロニーがGFP陽性であった。次に、イヌmdr1遺伝子を組み込んだレンチウイルスベクター(pWPXL-cMDR1)を作製し、同様に遺伝子導入を行ったところ、感染後48時間後には免疫染色でP-gpの発現が認められ、さらに、Rh123の排出能は非導入CD34+細胞に比べ、30%増加していた。次いで、、mdr1遺伝子導入した犬CD34+細胞をドキソルビシン存在下のメチルセルロースで培養したところ、コントロールベクター(pWPXL-GFP)導入細胞と比較して、有意にコロニー形成率の増加が認められ、非感染細胞と同様に多様なコロニーの形成が認められた。

本研究においては、はじめに犬のmdr1遺伝子導入系を立ち上げ、次いで犬の骨髄由来CD34+造血幹細胞を単離する方法を確立し、最後にmdr1遺伝子の導入によって犬の骨髄由来CD34+造血幹細胞に抗癌剤耐性を賦与することに成功した。こられの成果は、犬においてCD34+造血幹細胞を用いた自家骨髄移植および遺伝子治療を臨床応用するための基盤をかたち作るものであり、臨床的に大きな問題となっているリンパ造血系腫瘍性疾患に対する治療に新たな展開をもたらすものと考えられ、博士(獣医学)の学位を授与するに値するものと認められた。

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