学位論文要旨



No 121344
著者(漢字) 百瀬,愛佳
著者(英字)
著者(カナ) モモセ,ヨシカ
標題(和) 乳児腸内フローラのEscherichia coli O157:H7 非除機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 121344
報告番号 甲21344
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3057号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 伊藤,喜久治
 東京大学 教授 熊谷,進
 東京大学 助教授 遠矢,幸伸
 国立医薬品食品衛生研究所 室長 五十君,静信
 鹿児島大学 助教授 中馬,猛久
内容要旨 要旨を表示する

腸管感染症の起因菌としては多くの病原菌が知られているが、志賀毒素産生性大腸菌(Shiga toxin producing Escherichia coli: STEC)は、下痢症や出血性大腸炎を引き起こす重要な食品媒介性の病原菌として知られており、特に血清型がO157:H7のものは、ヒトで腸炎を引き起こす主要な原因の一つである。E. coli O157:H7感染に対する治療では、主に抗菌性物質が使用されており、早期の抗生物質治療はE. coli O157:H7の排除と溶血性尿毒症症候群の予防に効果的であるが、症状が悪化した後の抗生物質の使用は、消化管内での志賀毒素の生成、遊離を助長し、症状の悪化や溶血性尿毒症症候群の危険性を高めると考えられている。そこで注目されているものの一つに、腸内フローラの生体防御因子としての腸管感染防御機能の利用がある。STEC感染に対する感受性は成人では低く、乳幼児、子供、高齢者では高いが、その理由の一つとして、腸内フローラによる拮抗作用の欠如が考えられる。現在までに、腸内フローラが腸管感染症に対して拮抗的に働くことを示した論文は多く発表されているが、腸内フローラを構成するどの菌種、または菌種の組み合わせが腸管内で病原菌の定着、増殖を妨げているのかについては未だに明らかになっていない。

第一章では、E. coli O157:H7の感染に感受性が高いヒト乳児の糞便懸濁液を無菌マウスに投与してbaby-flora-associated(BFA)マウスを作出し、腸管からのE. coli O157:H7排除能を比較した。また、異なるE. coli O157:H7排除能を示した2群のBFAマウスの糞便より腸内菌を分離し、生物・生化学性状試験により菌種、生物型の同定を行って、それぞれの腸内フローラを構成する腸内菌の差異を比較した。さらに、その分離菌株を用いて様々なノトバイオートマウスを作製し、E. coli O157:H7排除に関わる菌群、菌種の解析を行った。

その結果、E. coli O157:H7の排除能を示したBFA-3マウスの腸内フローラは、健康な乳幼児で見られる腸内フローラ構成と類似しており、E. coli O157:H7の排除能を示さずキャリアとなったBFA-4マウスの腸内フローラはそれとは異なるものであった。また、BFA-3マウスの腸内フローラを構成する菌群のうち、enterobacteriaceaeがE. coli O157:H7の腸管からの排除に不可欠であり、enterococciとbifidobacteriaはenterobacteriaceaeの役割を支持、補助する役割を担っていることが明らかとなった。Enterobacteriaceaeやbifidobacteriaの菌種または生物型の違い、及びその組み合わせによりE. coli O157:H7の排除能に違いが見られることが示唆された。

第二章では、BFA-3から分離したenterobacteriaceae、enterococci、bifidobacteriaの3菌群投与により、E. coli O157:H7排除能を持つノトバイオートマウスGB-3を作製した。また、BFA-4から分離した通性、偏性嫌気性菌群を投与してE. coli O157:H7のキャリアとなるノトバイオートマウスGB-4を作製した。GB-3とGB-4は、それぞれBFA-3、BFA-4と同等のE. coli O157:H7排除能を示した。この2群のノトバイオートマウスにE. coli O157:H7を経口投与して消化管各部位におけるE. coli O157:H7の菌数を調べ、E. coli O157:H7排除に関わる消化管の部位の特定を行った。また、GB-3とGB-4の盲腸内容物を採取して盲腸懸濁液を調整し、それぞれの盲腸懸濁液中でのE. coli O157:H7の発育速度を比較した。さらに、GB-3とGB-4の腸内環境の比較を行い、その差異がE. coli O157:H7の動態に及ぼす影響についても解析を行った。

その結果、小腸におけるE. coli O157:H7の菌数にはGB-3とGB-4で有意差は認められなかったが、盲腸、大腸、糞便においてはE. coli O157:H7の菌数に投与後1、7日目で差が見られ、GB-3でGB-4と比較して有意に低い菌数が得られた。また、盲腸懸濁液中でのE. coli O157:H7の発育速度を比較したところ、GB-3の盲腸懸濁液中で有意な初期の発育速度の低下が見られた。GB-3とGB-4の腸内環境を比較した結果、pHや胆汁酸組成、濃度に有意差は見られなかったものの、有機酸組成に明確な違いが認められ、GB-3の下部消化管内容物からは酢酸と乳酸が、GB-4からは酢酸とプロピオン酸が検出された。この有機酸組成の差異は、in vitroでのE. coli O157:H7の発育速度には影響を与えなかったが、酢酸と乳酸の組み合わせは、嫌気条件下においてE. coli O157:H7の運動性を低下させる作用があることが明らかとなった。

第三章では、GB-3とGB-4の盲腸懸濁液中でのE. coli O157:H7の発育速度の違いを決定する要因を検索した。GB-3及びGB-4の2群のノトバイオートマウスの盲腸内容物、及びBFA分離菌株を用いて、拡散法と重層法によりE. coli O157:H7排除に関わる発育阻害物質の検索を行った。さらにGB-3とGB-4の盲腸内容物中のアミノ酸組成を比較し、その差異がE. coli O157:H7の発育速度に及ぼす影響について検討した。また、enterobacteriaceae分離株を用いて培養上清を調整し、その培養上清中でのE. coli O157:H7の発育を比較するとともに、enterobacteriaceae分離株とE. coli O157:H7の共培養を行って、栄養素の競合拮抗の検討も行った。

その結果、GB-3、GB-4どちらの盲腸内容物中にもE. coli O157:H7の発育を阻害する物質の存在を確認することは出来なかった。GB-3、GB-4の作製に使用したBFA分離菌株の中にも、E. coli O157:H7の発育を阻害する物質を産生すると思われる菌株は見つけられなかった。そこで、GB-3とGB-4の盲腸内容物中のアミノ酸含量、組成を比較したところ、プロリンの含量に最も大きな違いが見られ、GB-3の盲腸懸濁液にGB-4と同濃度になるようプロリンを添加すると、E. coli O157:H7のGB-3盲腸懸濁液中での発育速度はGB-4と有意差がなくなった。また、enterobacteriaceae分離株の培養上清中でE. coli O157:H7を培養したところ、BFA-3分離株の中でも特にE. coli 1の上清中でE. coli O157:H7の発育速度の低下が認められ、E. coli O157:H7との共培養においても、E. coli 1はE. coli O157:H7の増殖を抑制した。また、E. coli 1との共培養によるE. coli O157:H7の増殖抑制は、プロリン添加によって抑制の減弱が認められた。

以上より、GB-3においてenterobacteriaceae(特にE. coli)がE. coli O157:H7と栄養素を競合してE. coli O157:H7の初期発育速度を低下させ、さらにenterococciやbifidobacteriaが作る腸内環境によってE. coli O157:H7の運動性を低下させていることが、結果として腸管からのE. coli O157:H7の排除につながっていると考えられた。E. coli O157:H7と競合する栄養素として、特にプロリンを競合している可能性が示唆され、また運動性を低下させる腸内環境としては、嫌気条件下での酢酸と乳酸の組み合わせが重要であると考えられた。BFA-3においても、GB-3と同様のメカニズムによってE. coli O157:H7が排除されているものと考えられる。

これらの結果は、臨床面において腸管系病原菌による感染を防ぐ予防手段を模索する上で、ProbioticsやSynbioticsとして用いる候補株の選択や、PrebioticsやSynbioticsとして使用する成分の選択に大きく寄与するものと考える。

審査要旨 要旨を表示する

志賀毒素産生性大腸菌は下痢症や出血性大腸炎を引き起こす重要な食品媒介性の病原菌であり、特に血清型がO157:H7のものはヒトで腸炎を引き起こす主要な原因菌の一つである。乳幼児や子供は本菌感染に対する感受性が高いが、腸内フローラによる拮抗作用の欠如がその理由の一つと考えられる。腸内フローラが腸管感染症に対して拮抗的に働くことはよく知られているが、腸内フローラを構成するどの菌種、または菌種の組み合わせが病原菌の腸管内定着、増殖を妨げているのかについては明らかになっていない。

本論文では、乳児の腸内菌構成要因のうちEschirichia coli O157:H7の腸管からの排除に関わる菌種・菌群を特定し、その排除機構を明らかにすることを目的にしている。本論文は三つの章で構成されている。

第一章では、複数の乳児糞便懸濁液を無菌マウスに投与してbaby-flora-associated(BFA)マウスを作出し、腸管からのE. coli O157:H7排除能を比較した。また、異なるE. coli O157:H7排除能を示した2群のBFAマウスの糞便より菌を分離同定し、ノトバイオートマウスを作製してE. coli O157:H7排除に関わる菌群、菌種の解析を行った。その結果、E. coli O157:H7の排除能を示したBFA-3マウスの腸内フローラは、健康な乳幼児で見られる構成と類似しており、E. coli O157:H7の排除能を示さずキャリアとなったBFA-4マウスの腸内フローラはそれとは異なるものであった。また、BFA-3ではenterobacteriaceaeがE. coli O157:H7の腸管からの排除に不可欠であり、enterococciとbifidobacteriaは補助的な役割を担っていることが明らかとなった。Enterobacteriaceaeやbifidobacteriaの菌種の違い、及びその組み合わせにより、E. coli O157:H7の排除能に違いが見られることが示唆された。

第二章では、BFA-3とBFA-4の分離株それぞれを用いて、BFAと同等のE. coli O157:H7排除能を示すノトバイオートマウスGB-3とGB-4を作製した。GB-3とGB-4の比較によりE. coli O157:H7排除に関わる消化管部位の特定を行い、また、GB-3とGB-4の腸内環境の差がE. coli O157:H7に及ぼす影響についても解析を行った。その結果、投与E. coli O157:H7の菌数はGB-3の盲腸以降の部位において有意に低く、また、GB-3の盲腸懸濁液中でE. coli O157:H7の初期の発育速度の有意な低下が見られた。GB-3の盲腸内容物からは酢酸と乳酸が、GB-4からは酢酸とプロピオン酸が検出され、この有機酸組成の差はE. coli O157:H7の発育速度には影響を与えなかったが、酢酸と乳酸の組み合わせは嫌気条件下においてE. coli O157:H7の運動性を低下させた。

第三章では、GB-3とGB-4の盲腸内容物及びBFA分離株を用いてE. coli O157:H7に対する発育阻害物質の検索を行った。さらにenterobacteriaceae分離株とE. coli O157:H7との栄養素の競合拮抗の検討も行った。その結果、E. coli O157:H7の発育を阻害する物質、または菌株の存在は確認出来なかった。GB-3とGB-4の盲腸内容物中のアミノ酸組成を比較したところ、プロリンの含量に最も大きな違いが見られ、GB-3の盲腸懸濁液にプロリンを添加すると、E. coli O157:H7の発育速度はGB-4と有意差がなくなった。また、enterobacteriaceae分離株の培養上清中でのE. coli O157:H7発育速度の解析、及びenterobacteriaceae分離株とE. coli O157:H7との共培養試験において、BFA-3分離株の中でも特にE. coli 1がE. coli O157:H7の増殖を抑制した。E. coli 1との共培養によるE. coli O157:H7の増殖抑制は、プロリン添加によって減弱が認められた。

以上より、enterobacteriaceae(特にE. coli)がプロリンを始めとする栄養素を競合してE. coli O157:H7の初期発育速度を低下させ、さらに嫌気条件下での酢酸と乳酸の存在がE. coli O157:H7の運動性を低下させていることが、結果として腸管からのE. coli O157:H7の排除につながっていると考えられた。

以上、本論文は、腸管系病原菌感染に対する予防手段を検討する上で重要な知見を与え、Probiotics、PrebioticsやSynbioticsとして用いる菌株や成分の選択にも大きく寄与するものと考えられる。よって審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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