学位論文要旨



No 121351
著者(漢字) 吉川,圭介
著者(英字)
著者(カナ) ヨシカワ,ケイスケ
標題(和) カイニン酸誘発てんかんモデルを用いたラット海馬における脂質メディエーターの産生プロファイリング
標題(洋) Profiling of eicosanoid production in the rat hippocampus during kainate-induced seizure
報告番号 121351
報告番号 甲21351
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2599号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 講師 森島,真帆
 東京大学 教授 鶴尾,隆
 東京大学 教授 新家,眞
 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 助教授 武井,陽介
内容要旨 要旨を表示する

側頭葉てんかんの病態では、脳内におけるグルタミン酸濃度上昇、グルタミン酸受容体の活性化が起こり神経細胞毒性が引き起こされることが知られている。グルタミン酸受容体はイオンチャンネル型と代謝調節型の2つのグループに分類される。イオンチャンネル型はさらに3つのグループに分類され、それぞれカイニン酸型、AMPA型、NMDA型に分けられる。興奮毒性を引き起こすことが知られているカイニン酸は動物に投与することにより、てんかん性のけいれん発作を引き起こし、海馬を中心とした神経細胞死を引き起こすことが知られている。

プロスタグランジン(PG)やロイコトリエン(LT)などのエイコサノイドは細胞膜よりホスホリパーゼA2(PLA2)などにより産生されるアラキドン酸に由来し、アラキドン酸はシクロオキシゲナーゼ(COX)や5-リポキシゲナーゼ(5-LO)などの酵素により様々なPGやLTに変換され(スキーム1)、それぞれ特異的なGタンパク質共役型受容体に結合し生理活性を発揮する。哺乳類のCOXには少なくとも2つのアイソザイムが報告されており、COX-1は多くの細胞種で恒常的に発現しているが、COX-2は通常での発現は弱く、種々の刺激で誘導される。このことより、一般的にはCOX-1は構成型酵素、COX-2は誘導型酵素と考えられている。しかし、近年誘導型酵素であるCOX-2は神経系においては、生理的条件においても発現していることから神経活動や脳機能における役割が示唆されている。

カイニン酸誘発てんかんモデルにおいて、脳におけるエイコサノイドの産生増加やCOX-2など関連酵素の発現上昇が報告されている。またCOX阻害剤については、一方ではCOX阻害剤がカイニン酸誘発けいれん発作を抑制すること、また他方ではCOX阻害剤がけいれん発作を増悪させることが報告されている。さらにはCOX阻害が神経細胞死、またそれとは反対に神経細胞保護に関わる可能性もそれぞれ報告されている。このように本モデルにおけるエイコサノイドの機能については矛盾する報告が多い。そのためカイニン酸誘発てんかんモデルにおけるエイコサノイドの生理機能を明らかにするために、本研究ではエイコサノイド産生や関連する酵素のプロファイリングと、またそれらの役割を担う細胞の同定を目的とした。

本モデルにおける時間経過も含めた網羅的なプロファイリングのために、LC-ESI-MS/MS (liquid chromatography-electrospray ionization-tandem mass spectrometry)の手法を用いた。この手法により1つのサンプル(組織、細胞)から十数種のエイコサノイドを一斉定量することが可能であり、それぞれのエイコサノイドの絶対的な産生量の測定ができるだけではなく、相対的な比較が可能となった。さらに本研究では、COX-1、COX-2の2つのアイソザイムのカイニン酸誘発エイコサノイド産生における役割を明らかにすることも目的とし、2つのアイソザイムの各PG産生における寄与を評価した。また、海馬におけるエイコサノイド産生の責任細胞を同定するために、海馬ニューロンやアストロサイトの初代培養系におけるエイコサノイド産生も評価した。

カイニン酸を腹腔内投与したラット海馬におけるエイコサノイド産生は二相性を示した。それらは投与後1時間以内に急激に海馬において産生される初期相とその後24時間あたりまで低いレベルで持続する後期相により構成された。産生されるエイコサノイドはPGF2α、PGD2、PGE2、TxB2、6-keto-PGF1αの順番に多く、LTは産生量が少なかったため以後はPG類に着目して研究を進めた。

初期相が海馬に特徴的かどうかを調べるため、大脳皮質と比較した結果、海馬で見られた初期相は大脳皮質では見られなかった。カイニン酸受容体は脳の特に海馬に発現が多いため、PG産生の初期相は海馬に特徴的であると考えられた。また、カイニン酸受容体のアンタゴニストの脳室内投与実験の結果、アンタゴニストにより海馬でのPG産生が抑制されたため、海馬におけるPG産生はカイニン酸受容体を介したものであると考えられた。

アラキドン酸代謝に関わる酵素の発現プロファイリングの結果、COX-2mRNAの一過性な発現上昇がノザンブロット解析において見られた。またウエスタンプロット解析によりCOX-2タンパク質はカイニン酸投与後3時間以降増加した。初期相、及び後期相のPG産生におけるCOXアイソザイムの寄与の違いを調べるために、COX阻害剤を用いた検討を行った。用いた阻害剤はNS398とインドメタシンであり、これらはそれぞれCOX-2特異的な阻害剤及びCOX-1、-2を両方阻害する阻害剤である。初期相はNS398によって6-keto-PGF1α、PGF2α、PGE2が、ほぼ完全に阻害されたが、PGD2とTxB2については部分的な阻害しか見られなかった。一方インドメタシンによって5種類のPGはすべて完全に阻害された。これらのことより、初期相における6-keto-PGF1α、PGF2α、PGE2産生は、ほとんどがCOX-2に依存していること、またPGD2とTxB、についてはCOX-1,COX-2の両方の寄与があると考えられた。また後期相については、初期相よりもCOX-2の寄与の増加、もしくは、初期相におけるCOXアイソフォームの寄与をわずかに残すことが示唆された。

海馬におけるPG産生を行う細胞を同定するために、海馬ニューロンとアストロサイトの初代培養を行った。海馬ニューロンとアストロサイトどちらも、A23187(カルシウムイオノフォア)によりTxB2、PGD2、PGE2の産生増加が見られた。しかしin vivoのラット海馬において産生がもっとも高かったPGF2αについては産生増加は見られなかった。またどちらの細胞においても、カイニン酸添加によりPG産生の増加は見られなかった。

これらの検討により本研究では、カイニン酸誘導けいれん刺激時のラット海馬において二相性のPG産生が見られること、またその初期相におけるCOXアイソザイムの異なる寄与を明らかにした。急激な産生である初期相と数時間から十数時間以上も持続する後期相から構成される二相性のPG産生は本研究において新規な概念として提唱するものであり、カイニン酸投与により海馬において急激にPG類が産生され、それらが時間依存的な制御を受けて変化していることが示された(図1)。

初期相はCOX-2 mRNAの発現上昇よりも早い時間で起こるため、これらは脳では定常的に発現していると考えられているCOX-2及びCOX-1によると考えられる。COX-2 mRNAは3〜6時間で一過性の発現上昇が見られ、その後COX-2タンパク質の増加がおこる。これらのCOX-2 mRNA、タンパク質の増加が後期相に寄与していると考えられる(図1A)。

さらに、初期相においてはPGの種類により、COX-1とCOX-2のそれぞれの寄与があることを見出した。6-keto-PGF1α、PGF2α、PGE2はCOX-2に依存した産生であり、PGD2とTxB2についてはCOX-1、COX-2の両方の寄与が見られる。これまで生理的にも病的にも脳においてはCOX-2が主要な働きをおり、COX-1の寄与は少ないと考えられていたが、今回COX-1の脳における役割が新たに示された。カイニン酸シグナルにより、PG産生細胞の細胞内カルシウム濃度を上昇、それによりPLA2が活性化してアラキドン酸の産生増加に伴い、COX-1,COX-2により種々のPG産生が起こると考えられる。また後期相においてはカイニン酸、カイニン酸受容体を介したPG産生の活性化の寄与は不明であるが、主として増加したCOX-2によりPG産生が特徴付けられると考えられる。

海馬ニューロンとアストロサイトを用いた初代細胞実験系において、A23187によりPG産生は増加したが、カイニン酸による反応は見られなかった。これらについては初代培養の細胞ではカイニン酸受容体の発現が低くなっている可能性が考えられる。またin vivoの海馬組織において最も産生の高かったPGF2αについては、カイニン酸、A23187どちらにおいても産生増加が見られなかった。これについては、エイコサノイド産生の中間化合物であるPGH2、LTA4などは細胞間を移動し、異なる細胞間の働きによる産生が報告されており、海馬においてもミクログリア、血管内皮細胞などの細胞の協力により産生されているということも考えられる。

脳は脂質の宝庫といわれているが、脂質の脳における役割などは未解明の部分が多い。脂質メディエーターの詳細なプロファイルにより、カイニン酸誘発てんかんモデルや、さらには脳における脂質メディエーターの役割を明らかにしてゆくことができると考えられる。また各種酵素や受容体の脳内局在、遺伝子改変マウスにおける病態像の違いなどが今後の課題である。

スキーム1 アラキドン酸カスケード

ホスホリパーゼA2(PLA2)、シクロオキシゲナーゼ(COX)、リポキシゲナーゼ(LO)、プロスタグランジン(PG)、ロイコトリエン(LT)、ヒドロキシエイコサテトラエン酸(HETE)、血小板活性化因子(PAF)

図1 カイニン酸刺激による二相性PG産生モデル

A 二相性のPG産生とCOX-2の発現レベル

B 初期相の産生メカニズム

C 後期相の産生メカニズム

審査要旨 要旨を表示する

本研究は側頭葉てんかんの動物実験モデルであるカイニン酸誘発てんかんモデルにおける脂質メディエーターの産生の詳細なプロファイリングを行った。網羅的なプロファイリングのために、LC-ESI-MS/MS (liquid chromatography-electrospray ionization-tandem mass spectrometry)の手法を用いた。その結果、下記の結果を得ている。

カイニン酸を腹腔内投与したラット海馬におけるプロスタグランジン(PG)産生は二相性を示した。それらは投与後1時間以内に急激に海馬において産生される初期相とその後24時間あたりまで低いレベルで持続する後期相により構成された。これらは本研究において新規な概念として提唱するものであり、カイニン酸投与により海馬において急激にPG類が産生され、それらが時間依存的な制御を受けて変化していることが示された。

PG産生の鍵酵素であるシクロオキシゲナーゼ(COX)には少なくとも二つのアイソザイムが存在し、初期相、後期相におけるそれぞれの役割を調べた結果、初期相の6-keto-PGF1α、PGF2α、PGE2産生は、ほとんどがCOX-2に依存していること、またPGD2とTxB2についてはCOX-1,COX-2の両方の寄与があると考えられた。後期相については、初期相よりもCOX-2の寄与の増加、もしくは、初期相におけるCOXアイソフォームの寄与をわずかに残すことが示唆された。これまで生理的にも病的にも脳においてはCOX-2が主要な働きをおり、COX-1の寄与は少ないと考えられていたが、本研究においてCOX-1の脳における役割が新たに示された。

海馬におけるPG産生を行う細胞を同定するために、海馬ニューロンとアストロサイトの初代培養を行った。海馬ニューロンとアストロサイトどちらも、A23187(カルシウムイオノフォア)によりTxB2、PGD2、PGE2の産生増加が見られた。しかしin vivoのラット海馬において産生がもっとも高かったPGF2αについては産生増加は見られなかった。またどちらの細胞においても、カイニン酸添加によりPG産生の増加は見られなかった。

以上、本論文においてカイニン酸誘発てんかんモデルにおいてラット海馬におけるPG産生を詳細にプロファイリングした。PG産生の二相性の新規な概念を提唱し、また、脳における新たなCOX-1の役割を見出した。本研究は脳神経におけるエイコサノイドの生理活性の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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