学位論文要旨



No 121362
著者(漢字) 稲村,健太郎
著者(英字)
著者(カナ) イナムラ,ケンタロウ
標題(和) 肺癌の亜型分類と生物学的特徴 : 腸型肺腺癌の組織学的および免疫組織化学的特徴の解明と網羅的遺伝子発現解析による肺扁平上皮癌の亜型分類
標題(洋)
報告番号 121362
報告番号 甲21362
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2610号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 連携教授 中村,卓郎
 東京大学 助教授 中島,淳
 東京大学 助教授 滝沢,智
 東京大学 講師 福嶋,敬宜
内容要旨 要旨を表示する

肺癌は腺癌、扁平上皮癌、大細胞癌、小細胞癌の4種類の組織型に大別され、それぞれ固有の発育伸展様式を示し、抗癌剤や放射線に対する感受性や臨床的予後にも差がみられる。肺癌の病理像および臨床像は多彩であり、同じ組織型のものでも、発育様式や臨床予後などに差のあるものや、特徴的組織像を呈するものがあり、適切な亜型に分類して理解したり治療したりする必要がある。

亜型への分類には形態レベルや臨床レベルの分析のみならず、遺伝子・染色体レベル、遺伝子発現レベル、蛋白質発現レベルなど様々なレベルでの分析が必要である。本研究では肺腺癌の亜型のひとつである腸型肺腺癌に注目して、形態レベルおよび蛋白質発現レベルでその特徴を明らかにし、次にマイクロアレイを用いて肺扇平上皮癌の遺伝子発現レベルでの亜型分類を試みた。

[腸型肺腺癌の組織学的および免疫組織化学的特徴の解明]

肺腺癌は、4大組織型の中で一番多く肺癌全体の40-50%を占める。肺腺癌は病理組織学的にいくつかの亜型にわけることができ、その中には腸型肺腺癌という大腸癌に組織像が類似したものが存在する。原発性肺腺癌と大腸癌肺転移の鑑別で特に問題となるのはこの腸型肺腺癌であり、この鑑別は治療方針・予後の違いにおいて重要である。これまで原発性肺腺癌と大腸癌肺転移との鑑別は検討されてきたが、肺腺癌全体を対象としており、頻度の低い腸型肺腺癌が含まれるか否かは不明である。本研究では腸型肺腺癌に注目して大腸癌肺転移との鑑別を検討するとともに、通常型肺腺癌と比較することで腸型肺腺癌の特徴を調べた。腸型肺腺癌7例、大腸癌肺転移14例、通常型肺腺癌30例に対してCDX-2、CK7、CK20、TTF-1、SP-A、NapsinA、MUC2の免疫染色を施行した。CDX-2は、腸管の形成に関与するhomeobox遺伝子で、正常腸管や大腸癌で発現している。MUC2は正常腸管や大腸癌で発現がみられる腸型粘液である。大腸癌肺転移、腸型肺腺癌および通常型肺腺癌における陽性率はそれぞれ、CDX-2が100:71:3%、CK7が0:100:100%、CK20が86:43:0%、TTF-1が0:43:93%、SP-Aが0:14:73%、NapsinAが0:0:90%、MUC2が57:43:0%であった。腸型肺腺癌はCDX-2、CK20、MUC2で陽性がみられ、腫瘍発生の過程における腸上皮への分化が蛋白質発現レベルでも証明された。TTF-1、SP-A、NapsinAは通常型肺腺癌より陽性率が低く、通常の肺分化とは別の方向へ分化していることが示唆された。しかしCK7は腸型肺腺癌でも発現が保たれており、通常型肺腺癌と同様に陽性を示した。CK7は大腸癌肺転移では陰性であることから、鑑別に有用な肺発生マーカーとなると考えられる。

[網羅的遺伝子発現解析による肺扁平上皮癌の亜型分類]

肺扇平上皮癌は、4大組織型の中では2番目に多く肺癌全体の約30%を占める。肺扇平上皮癌の発生にはタバコなどの発癌物質の吸引が大きな原因となっている。肺腺癌は分化度が臨床予後と比較的良く相関し、また悪性度の高い組織学的パターンも知られている。一方、肺扁平上皮癌は分化度などの組織学的分類が存在するが、臨床的予後との相関は明瞭ではなく、有用性は高くない。悪性度や予後と相関する臨床的に有用な分類作成が求められている。近年、ヒトゲノムプロジェクトの急速な進展に伴い、マイクロアレイ解析によりほとんどすべての遺伝子の発現レベルを同時かつ包括的にモニタリングすることが可能となった。さまざまな腫瘍についてマイクロアレイ解析により、病理学的分類や既存の検査所見や予後と相関した発現パターンを示す遺伝子群が同定されてきた。肺癌においてもマイクロアレイ解析はいくつか報告されているが、発現プロファイルによる肺扁平上皮癌の分類は報告されていない。そこで、マイクロアレイを用い発現プロファイルによる肺扁平上皮癌の新たな分類作成と生物学的意義の推定を試みた。40368プローブを搭載したcDNAマイクロアレイを使用し、肺扇平上皮癌48例、対照として肺腺癌9例、および別人の正常肺組織30例の遺伝子発現を網羅的に調べた。得られた遺伝子発現データの解析には従来から使われてきた階層クラスタリング法に加えて、Non-negative Matrix Factorization(NMF)という新しいアプローチを用いた。階層クラスタリング法は入力する遺伝子の選択による影響を受けやすいという欠点があるのに対し、NMFは入力する遺伝子による影響を受けにくく、さらにクラスタリングの定量的評価が可能であり、最近注目されている手法である。肺扇平上皮癌、肺腺癌、正常肺を階層クラスタリングすると、肺扁平上皮癌内で発現差がみられる遺伝子群を抽出することができた。この遺伝子群を用いて肺扇平上皮癌を再度階層クラスタリングすると、明瞭な2群(SCC-AとSCC-B)にわかれた。追加の独立した階層クラスタリングも類似したクラスタリングを示し、NMFを用いたアプローチでも定量的に2群に分類することの妥当性が示され、その2群は階層クラスタリングで分類されたものと同じであった。NMFによるアプローチを含む追加解析によりSCC-A群とSCC-B群の2群分類妥当性が確認できた。この2群の生命予後を比較したところ、ログランク検定では有意な差はみられなかったが(P=0.071)、術後6年における生存率はSCC-A群が40.5%、SCC-B群が81.8%で有意な差が認められた(P=0.014,Z検定)。 SCC-A群とSCC-B群で生命予後以外の臨床データおよび病理所見を比較したが、有意に異なるものは無かった。この2群で有意に発現が異なる遺伝子を統計学的に選択し、遺伝子機能単位レベルでの解析を行ったところ、予後の悪いSCC-A群では細胞増生、細胞周期に関連する遺伝子群が特徴的に高発現していた。予後の良いSCC-B群で特徴的に高発現みられた遺伝子には細胞増生機能は目立たなかったが、PI3キナーゼ下流にあるAKT2はSCC-B群で特徴的に高発現しており、SCC-B群の発癌・進展機構に関与している可能性がある。今後、独立した実験によりこの亜型分類を検証し、また臨床像との関連をさらに追及していく必要があるが、本研究は肺扁平所上皮癌の新たな分類作成への重要なステップになるだろう。

本研究では形態レベルおよび蛋白質発現レベルで腸型肺腺癌の腸分化を示し、階層クラスタリングとNMFを用いた解析により遺伝子発現レベルで肺扇平上皮癌を予後に差のある2群に分類することができた。今後、この多彩な病理像および臨床像を呈する肺癌を様々なレベルで分析し、臨床的に有用な亜型に分類していくことが望まれる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は多彩な病理像および臨床像を呈する肺癌の亜型分類と生物学的特徴を明らかにするため、肺癌の亜型のひとつである腸型肺腺癌を大腸癌肺転移、通常型肺癌と比較するとともに、マイクロアレイを用いて肺扁平上皮癌の遺伝子発現プロファイルによる亜型分類を試みたものであり、下記の結果を得ている。

腸型肺腺癌7例、大腸癌肺転移14例、通常型肺腺癌30例に対してCDX-2、CK7、CK20、TTF-1、SP-A、Napsin A、MUC2の免疫染色を施行したところ、大腸癌肺転移、腸型肺腺癌および通常型肺腺癌における陽性率はそれぞれ、CDX-2が100:71:3%、CK7が0:100:100%、CK20が86:43:0%、TTF-1が0:43:93%、SP-Aが0:14:73%、NapsinAが0:0:90%、MUC2が57:43:0%であった。腸型肺腺癌の腸上皮への分化が蛋白質発現レベルで証明され、肺腺癌に特徴的なマーカーの発現の減弱・消失も明らかになった。CK7は腸型肺腺癌でも発現が保たれ、大腸癌肺転移では陰性であることから、両者の鑑別における有用性が示された。

cDNAマイクロアレイを使用し、肺扁平上皮癌48例、肺腺癌9例、および別人の正常肺組織30例の遺伝子発現を網羅的に調べた。肺扁平上皮癌、肺腺癌、正常肺の階層クラスタリングにより肺扁平上皮癌内で発現差がみられる遺伝子群を抽出し、これを用いた階層クラスタリングにより肺扁平上皮癌は明瞭な2群(SCC-AとSCC-B)に分かれた。追加の独立した階層クラスタリングも類似したクラスタリングを示し、Non-negative Matrix Factorizationを用いたアプローチでもSCC-A、SCC-Bへの2群分類の妥当性を示した。この2群分類の生命予後は、ロングランク検定では有意な差はみられなかったが、術後6年における生存率はSCC-A群が40.5%、SCC-B群が81.8%で有意な差が認められた。SCC-A群では細胞増生、細胞周期に関連する遺伝子群が特徴的に高発現していた。SCC-B群で特徴的に高発現していた遺伝子には細胞増生機能は目立たなかったが、PI3キナーゼ下流にあるAKT2が特徴的に高発現していた。

以上、本論文は腸型肺腺癌の蛋白質発現レベルでの腸分化を明らかにするとともに、マイクロアレイ解析により肺扁平上皮癌を予後に差のある2群に分類できる可能性を示した。本研究は肺癌の亜型分類と生物学的特徴の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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