学位論文要旨



No 121367
著者(漢字) 日野,るみ
著者(英字)
著者(カナ) ヒノ,ルミ
標題(和) EBウイルス関連胃癌の分子生物学的・病理学的検討 : 胃癌細胞を用いたEBウイルスによる細胞死抑制
標題(洋)
報告番号 121367
報告番号 甲21367
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2615号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 教授 渋谷,正史
 東京大学 教授 笹川,千尋
 東京大学 助教授 川邊,隆夫
 東京大学 講師 北山,丈二
内容要旨 要旨を表示する

<序論>Epstein-Barr virus(EBウイルス)は、1964年バーキットリンパ腫の癌細胞中から発見され、ヒトから分離された初めてのがんウイルスとして注目された。1980年代後半からバーキットリンパ腫、上咽頭癌以外の癌とEBウイルスとの関連が次々と報告された。1990年以降、PCR(polymerase chain reaction)法、さらにin situ hybridization(ISH)法による検索により、EBウイルスが一部の胃癌の中に存在する事が証明され、EBウイルス関連胃癌として注目されるようになった。各国での報告によると、EBウイルス関連胃癌は胃癌全体の5〜18%とされている。本邦でも胃癌全体の約10%にEBウイルスが関連していると報告されており、年間約5000例発生していると推定されている。

EBウイルス関連胃癌は一般の胃癌と比較して、男性に多く、噴門部から体上部の胃底腺領域に多い。癌および周囲にリンパ球浸潤が多いことを反映し、内視鏡的には表面が陥凹、境界不明瞭で分厚い病変が多い。組織学的にEBウイルス関連胃癌は、低分化ないし中分化型腺癌の組織像をとり、リンパ球浸潤を伴う症例が多い。この様にEBウイルス胃癌は、胃癌の中でも臨床的・病理学的に特異な一群を形成しており、そのその発癌機構、癌維持機構、悪性化に独自なものがあることが予想される。しかし、EBウイルスの胃上皮細胞への進入経路、発癌機構、癌維持機構、悪性化などに関して、詳細はあまり解明されておらず、分子生物学的検討の余地が多く残されている。

<目的>本研究では、EBウイルス関連胃癌でのEBウイルスの役割を明らかにすべく、培養細胞株を用いて検索した。EBウイルスの感染の有無での胃癌細胞株の生物学的検討をすることにより、EBウイルスが胃癌細胞株に及ぼす影響を検討した。その生物学的検討から得られた結果をもとに、分子生物学的検討、病理組織学的検討を加え、EBウイルスの胃癌における役割を解明しようと試みた。

<材料と方法>材料として、ヒト胃癌細胞株6種(MKN-1,MKN-7,MKN-74,NU-GC-3,TMK1,AGS)と、それらのEBウイルス持続感染株を用いた。手術材料として、東京大学医学部附属病院で外科的に切除されたEBウイルス関連胃癌27例、EBウイルス非関連胃癌90例、計117例を用いた。生物学的検索方法としては、NTT法TUNEL法、wounding assay、matrigel invasion assayを用いた。その結果をもとに、さらに網羅的遺伝子発現解析、western blotting、quantitative real time RTPCR、EBウイルス関連蛋白発現細胞株での検索、RNAi、免疫組織化学的染色、methylation specific PCR(MSP)法を用いて検討した。

<結果>生物学的検討結果として、定常状態の培養条件(FCS10%)では、EBウイルス持続感染細胞と元細胞株との間に有意な違いがなかった。しかし、FCS濃度を減少させ、特にFCSO%では、、EBウイルス持続感染細胞と元の細胞株との間に顕著な違いが出現した。MTT法では、FCSO%条件(serum deprivation状態)下で、MKN-1,AGS,NU-GC-3においてEBウイルス持続感染細胞の方が、元の細胞株より有意に増殖率が高かった(各P=0.0447,0.0339,<0.0001)。TUNEL法で、MKN-1,TMK1においてEBウイルス持続感染細胞の方が元細胞株より有意に陽性細胞が少なかった(各P=0.0033,0.0151)。Wounding assayでは、MKN-1、MKN-7、NU-GC-3において、EBウイルス持続感染細胞の方が元の細胞株より細胞の伸び出しが有意に大きかった(各P=0.0323,0.0480,0.0031)。

生物学的検討において、EBウイルス持続感染細胞が元の細胞株に対して、低栄養条件下で、増殖能、移動能が亢進し、抗アポトーシス現象を有意に生じていたが、6種の胃癌細胞株の中で、その3点ともすべてに有意差を示していたのは、MKN-1であった。そこでMKN-1について、低栄養条件(FCSO%)で96時間培養した状態のものについてAffymetrix社のGeneChip(網羅的遺伝子発現解析)によって解析した。抗アポトーシス関連遺伝子で、EBウイルス持続感染細胞が元の細胞株と比較して、有意に発現が多かった遺伝子の中で特にsurvivinについてさらに分子生物学的に検索した。GeneChipにおけるsurvivinの結果は、quantitative real time RTPCRにおいても再現性が確認された。さらにsurvivinに対するsiRNAでEBウイルス持続感染細胞におけるsurvivin発現を抑制することで、TUNEL陽性細胞の数が格段に増加し、ほとんど元細胞株と同じような状態にまでなった。Survivinを発現させる責任遺伝子はEBウイルスの潜伏感染type Iに関連した遺伝子(EBNA1,EBER1,BARF0)の中では明らかにならなかった。手術切除検体を用いた免疫組織化学的検索において、進行癌では、EBウイルス関連胃癌が陰性胃癌に対して、survivinの陽性率が有意に高かった(P=0.0307)。

<考察>生物学的検討結果から、EBウイルス持続感染胃癌細胞では、低栄養条件下で元の細胞株より優位に増殖し、移動し、アポトーシス抵抗性を生じることがわかった。この違いについて明らかにすることは、胃癌におけるEBウイルスのこれまであまり分かっていない役割を解明する手がかりになると考えた。特にアポトーシス抵抗性については、これまで報告されているEBウイルス関連胃癌の手術検体を用いたアポトーシスに関する結果、すなはち、EBウイルス関連胃癌は陰性胃癌に対してアポトーシスが有意に低率であるという結果をよく再現していると考え、その機構解明を重要な課題としてさらに本研究を進めていった。SurvivinはIAP familyの一つで、抗アポトーシス効果をもつ代表的な遺伝子である。GeneChipやquantitative real time RTPCRで、EBウイルス持続感染細胞と元細胞株間においてsurvivin発現の差がみられており、serum deprivation 72〜96時間では、EBウイルス持続感染細胞は元細胞に対して12〜25倍の発現の差を生じた。このことから、EBウイルス持続感染細胞におけるserum deprivation誘導性アポトーシスへの抵抗性に関して、survivinはかなり重要な位置を占めることが予想された。RNAiでsurvivinを抑制した時にみられた、EBウイルス持続感染胃癌細胞でのアポトーシス抵抗性の減少は、survivinとアポトーシスの関係を明らかにしただけでなく、MKN-1のEBウイルス持続感染胃癌細胞株においてsurvivinは抗アポトーシス作用の中心的役割を果たしていると考えられた。さらにこのことは、survivinの発現が高値であるEBウイルス関連胃癌にsurvivinを標的とした治療の可能性を示した。Survivinは腫瘍特異的に発現していることから、すでに他の腫瘍において、治療に向けての研究が精力的に進んでいる。現階段では、抗survivin効果を期待して、オリゴヌクレオチドや細胞周期を阻害するflavopiridolを用いた治療が、アメリカの臨床試験phase IまたはIIの階段まできている。EBウイルス関連胃癌にもこれらの治療法が応用できる可能性がある。Survivinの発現に関わるEBウイルス関連蛋白およびRNAの検索では、EBNA1,BARF0,EBER1の3者ともserum deprivation条件下でのsurvivinの発現には関与していないという結果になった。EBウイルス関連腫瘍である鼻咽頭癌で、ウイルス蛋白であるLMP1がsurvivinの発現を制御しているという報告もみられる。しかし、EBウイルス関連胃癌ではLMP1は発現しない潜伏感染状態Latency Iをとり、本研究で用いたEBウイルス胃癌細胞株であるMKN-1においてもLMP1の発現は見られなかった。Survivinの発現に関する機構の解明が課題となった。EBウイルス関連蛋白手術切除検体を用いた免疫組織化学的検索から、EBウイルス関連胃癌の進行にsurvivinの発現が関連していることが予想された。

<まとめ>生物学的検討において、EBウイルス持続感染細胞株が元の細胞株に対してserum deprivation条件下で、増殖能、移動能が冗進し、アポトーシス抵抗性を生じていることが分かった。アポトーシス抵抗性についてさらに分子生物学的に検索した。Serum deprivation条件下、元細胞でのsurvivinの発現は減少していくのに対し、EBウイルス持続感染細胞はsurvivinの発現が維持されていた。結果として、EBウイルス持続感染細胞株と元細胞株間で、survivinの発現に有意な差がみられた。RNAiでsurvivinを抑制した時にアポトーシス陽性細胞数の増加がみられた。手術切除検体を用いた免疫組織化学的検索では、進行癌に関して、EBウイルス関連胃癌が陰性胃癌に対して、survivinの発現頻度が有意に高かった。このことや、前述の培養細胞を用いた研究から、EBウイルス関連胃癌の進行または悪性化にsurvivinの発現が強く関係していると考えられた。また、EBウイルス関連胃癌の中で進行癌がsurvivinを標的とした治療の対象となりうると考えられた。今後はこの治療の可能性を追求するほか、EBウイルス関連胃癌でのsurvivinの発現に関する機構の解明が課題と考えている。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、胃癌の中では現在原因が明確になっている唯一の癌,EBウイルス関連胃癌を対象として,モデルの作成とEBウイルスの胃癌における役割の解明に取り組んだ研究である.ヒト胃癌細胞株に薬剤耐性遺伝子組み込みEBウイルスを感染させ,細胞生物学的な変化,発現プロファイルの変化を照応させ、EBウイルスによって引き起こされる胃癌細胞への変化を解析し、下記の結果を得ている.

6種類のEBウイルス持続感染細胞株と元細胞株を生物学的に比較検討(MTT法、TUNEL法、Wouding sssay、Invation assay)した結果、serum deprivation条件下で、EBウイルス持続感染細胞株が元の細胞株に対して、増殖能、移動能が亢進し、アポトーシス抵抗性を生じていることを明らかにした。

生物学的検討で得られた結果の中でも、特にEBウイルス感染による胃癌細胞のアポトーシス抵抗性の獲得に注目し、網羅的遺伝子発現解析により、EBウイルス感染によって有意差を生じるアポトーシス関連遺伝子発現の解析を行った。その結果、FCS0%条件下96時間培養後、EBウイルス持続感染細胞は元細胞(MKN-1)と比較して、アポトーシス抵抗性の役割を有するIAP(Inhibitor of apoptosis protein)ファミリーの中のsurvivinという遺伝子の発現が有意に多い事が明らかになった。Real time quantitative RT-PCRにてそのsurvivinの有意差の再現性は確認された。

Serum deprivation条件下EBウイルス持続感染細胞(MKN-1)において有意に発現の多かったsurvivinについて、アポトーシスとの関連を確認する為、siRNAでsurvivinを抑制した時のアポトーシスの状態を検討した。その結果、survivinが抑制されたEBウイルス持続感染細胞において、TUNEL陽性細胞(アポトーシスに陥った細胞)の数が格段に増加し、ほとんど元細胞株と同じような状態にまでなった。この結果は、survivinとアポトーシスの関係を明らかにしただけでなく、EBウイルス持続感染胃癌細胞株においてsurvivinは抗アポトーシス作用の中心的役割を果たしているということも示した。さらにこのことは、survivinの発現が高値であるEBウイルス関連胃癌にsurvivinを標的とした治療の可能性を示した。

EBウイルス側のsurvivin発現に関連する責任遺伝子の同定のために、各EBウイルス遺伝子を組み込んだplasmidを作成し、細胞にtransfection後survivinの発現を検討した。その結果、検討したEBウイルス潜伏感染type Iに関連した3つの遺伝子、EBNA1,BARF0,EBER1では、survivinの発現との明らかな関連はみられなかった。

手術症例(117例)でのsurvivinの免疫組織化学的検討では、77.8%のEBウイルス関連胃癌にsurvivinの発現が認められた。進行癌に関しては、EBウイルス陰性胃癌に比べて、EBウイルス関連胃癌は、survivin陽性率が有意に高いという結果(P=0.0307)を得た。この結果から、EBウイルス関連胃癌の進行または悪性化にsurvivinの発現が関連していることが予想された。

以上、本論文はEBウイルス感染による胃癌細胞のアポトーシス抵抗性の獲得を示し、その機序にsurvivinが重要な役割を果たしていることを示した。また、手術材料を用いた検討から、EBウイルス関連胃癌の進行または悪性化にsurvivinが関与している可能性、さらに、survivinを標的とした治療の可能性を示した。本研究はEBウイルス関連胃癌におけるEBウイルスの役割の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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