学位論文要旨



No 121388
著者(漢字) 江口,和
著者(英字)
著者(カナ) エグチ,ヤワラ
標題(和) 強磁場による神経組織機能再建に関する基礎的研究
標題(洋)
報告番号 121388
報告番号 甲21388
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2636号
研究科 医学系研究科
専攻 生体物理医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 教授 牛田,多加志
 東京大学 講師 田中,栄
 東京大学 助教授 中川,恵一
 東京大学 講師 山本,希美子
内容要旨 要旨を表示する

神経再生と機能再建は整形外科や脳神経医学分野において重要な課題である。近年、分子生物学的アプローチをはじめとした臨床神経医学に対する多岐にわたる研究が成されているが、いまだ満足な結果は得られていない。

一方、近年10 Tオーダーの強磁場の常温での実験環境が得られるようになり、これまで非磁性物質として問題にされなかった生体物質に対する強磁場作用が次第に明らかにされようとしている。1980年代からテスラ(T)(10,000gauss=1 T)レベルの強磁場下で、様々なたんぱく質や生体物質や生体組織の磁場配向現象について報告された。例えばコラーゲンやフィブリンなどの細胞外マトリックスをはじめ赤血球などの浮遊細胞や平滑筋細胞、血管内皮細胞、骨芽細胞などの付着細胞が磁力線に平行または垂直に配向する。細胞の足場となる細胞外マトリックスや細胞に対する磁場効果を積極的に利用して、骨硬組織をはじめ、血管、神経および靭帯、腱のような生体内で配向性を有する組織形成を制御するなど再生医療への応用が期待される。しかし、磁場を神経再生や機能再建に応用しようとする研究は数少ない。また、生体を構成する様々な細胞の磁場配向のメカニズム、神経機能に対する影響など磁場曝露による生体作用についての詳細な理解は得られていないのが現状である。

そこで本論文では、強磁場という新たな物理刺激によるアプローチを用いて、神経組織機能再建への医療応用を図ることを目的として、8T水平型超伝導マグネットを用いて、末梢神経を構成するグリア細胞であるシュワン細胞に対する磁場配向のメカニズムについて検討した。次に磁場配向技術を用いた医療応用として、磁場配向コラーゲンによる末梢神経再生に対する効果について検討した。さらに、磁場曝露の安全性を確認するため、カエル坐骨神経およびラット坐骨神経の神経伝導に対する磁場作用について検討した。

シュワン細胞の磁場配向

生後2日目の新生児ラット坐骨神経より採取したシュワン細胞の磁場配向について検討し、さらに磁場配向のメカニズムを解明するため、細胞骨格の磁場配向における役割について検討した。結果として、シュワン細胞が約60時間の8T磁場曝露により磁場と平行に配向することが示された。また細胞骨格actin染色において、ストレスファイバーが磁場方向に配向することが示された。さらにROCK/Rhoキナーゼ阻害剤であるY27632を加えることにより、細胞体の円形化、ストレスファイバーの形成低下、細胞突起の伸張などの形態変化が現れ、8T磁場曝露による磁場配向が抑制された。Rhoは低分子量Gタンパク質の1つであり、アクチン細胞骨格を制御している。Y27632はRhoのエフェクター分子であるROCK/Rhoキナーゼに対し選択的抑制作用を持ち、ストレスファイバー形成と細胞接着斑の形成を抑制する。ストレスファイバーが磁場方向に配向すること、ROCK/Rhoキナーゼを抑制し、ストレスファイバーをブロックすることにより、磁場配向が抑制されたことから、シュワン細胞の磁場配向メカニズムとして、磁気トルクなどの外部刺激情報がROCK/Rhoキナーゼを介して細胞内部に伝わりストレスファイバーなど細胞骨格の応答および細胞配向が起こることが示された。

磁場配向コラーゲンを用いた神経再生に対する効果

磁場配向コラーゲンを足場として、共存培養したシュワン細胞の配向性とニワトリ胚後根神経節の軸索伸長の誘導について検討した。さらにラット坐骨神経架橋モデルを用いたin vivo実験にて配向性を有するコラーゲンおよびシュワン細胞が人工神経として神経再生に有効かを検討した。結果として、I型コラーゲンの重合過程に8T強磁場を約2時間印加することにより、約100nmのコラーゲン線維が約数〜数十μmの線維束を形成しながら磁場と垂直方向に配向することを示した。磁場配向コラーゲンとシュワン細胞の共存培養において、配向コラーゲンを足場として、シュワン細胞が配向することを明らかにした。シュワン細胞は末梢神経のグリア細胞であり、配向コラーゲンにてシュワン細胞配向を形成する手法は神経再生足場として期待できる。次にニワトリ後根神経節の配向コラーゲン上培養において、磁場配向したコラーゲン線維がコンタクトガイダンスとして指向性のある軸索伸張を誘導することを明らかにした。

ラット坐骨神経を用いたin vivoモデルにおいて、術後12週における組織学的、機能的評価から磁場配向コラーゲンは再生神経を誘導することが示された。一方、術後8週、12週における肉眼的評価からシュワン細胞を移植した群とシュワン細胞を移植しない群との間に再生組織に有意な差は認められず、シュワン細胞移植の有用性は認められなかった。原因として、新生児ラットの坐骨神経から培養した同種シュワン細胞を移植したため、ホストの免疫反応によって移植シュワン細胞が死滅したことが示唆される。また移植に用いたシリコンチューブが外部との栄養分のやり取りを遮断したことやI型コラーゲンがシュワン細胞生存にとって不利であったことなどが示唆される。本法の利点としては、(1)磁場配向コラーゲンにより、約2時間の磁場曝露によりシュワン細胞配向が可能、(2)磁場配向コラーゲンにて、配向性を有する細胞・組織を生体外で作成、移植が可能であり、再生医療への応用が可能、(3)人工神経など微細構造においても配向組織を作成可能、などを挙げることができる。今後の課題としては、シュワン細胞移植を臨床応用する場合、(1)自家シュワン細胞を移植に用いる、(2)架橋材料として体内吸収性で透過性のあるpolyglycolic acidなどを用いる、(3)シュワン細胞の増殖・分化を維持するためラミニンや神経栄養因子などを添加する、などさらなる検討が必要であろう。

以上から、磁場配向コラーゲンはin vitro実験においてコンタクトガイダンスとして後根神経節の軸索伸長とシュワン細胞の配向を誘導でき、さらにラット坐骨神経切断モデルを用いたin vivo実験の検討から、磁場配向コラーゲンが坐骨神経再生および神経機能回復を促進することが示され、磁場配向コラーゲンは神経再生足場として神経架橋材料として有用であることが示された。

神経伝導に対する強磁場影響

in vitro実験として、ウシガエル(Rana catesbeiana)の坐骨神経標本をin vivo実験としてラットの坐骨神経を用いて8T強磁場下における神経伝導について検討した。

カエル坐骨神経を用いた実験では、8T磁場に3時間曝露することによって、Aα線維、Aδ線維、C線維の各成分の神経伝導速度は変化しないことが示された。この結果から8T磁場が電流パターンに直接影響を与え、伝導速度に変化を及ぼすことはないと考えられる。また連発刺激によるAα線維神経疲労に対する磁場影響を検討したが、磁場影響は認められなかった。このことから、強磁場はATP産生に関わるNa+,K+ポンプ機能へ影響を与えないことが示唆された。一方、相対不応期における作用として、磁場曝露により運動神経Aα線維の活動電位ピークが徐々に上昇し、1.0〜1.1msという相対不応期の早期に臨界値が存在することを示した。絶対不応期にNaチャネルが不活性化した直後の膜興奮回復期に磁場影響を受けやすいことが示唆される。磁場曝露により膜透過性や膜電位が変化し、神経興奮回復期における閾値低下が生じたことが示唆される。

ラット坐骨神経を用いた実験では、Aδ-fiber、C-fIberなど伝導速度の遅い痛覚成分の活動電位は磁場強度に依存して可逆的に増加した。磁場強度に依存して興奮膜の閾値が低下に伴い、閾値の高い痛覚成分の活動電位が出現することが示唆された。しかし、伝導速度の速いAα/β成分の伝導速度および振幅は磁場曝露により有意な変化を認めなかった。リン脂質2重層が反磁性作用を受け神経興奮膜のNa、Kチャネル機能変化により神経興奮性が増大した可能性がある。ランビエ咬輪のみにチャネルが集中的に局在する運動神経に比べ、痛みを司る無髄神経のC線維では興奮膜全体にNa+,K+チャネルが分布し、膜全体のイオンチャネル数が多いため、選択的に磁場などの物理刺激を受けやすいことが推測される。

結論

シュワン細胞が60時間、8T磁場曝露にて磁場方向に配向することが示され、反磁性トルクなどの刺激がROCK/Rhoキナーゼを介して細胞内部に伝わり、細胞骨格の反応および細胞磁場配向が起こることが示された。磁場配向コラーゲンがin vitro実験において、コンタクトガイダンスとしてシュワン細胞配向および後根神経の軸索伸長を誘導し、ラット坐骨神経切断モデルを用いたin vivo実験において、磁場配向コラーゲンは神経再生を誘導した。神経機能に対する作用として、ウシガエル坐骨神経の相対不応期における神経興奮性が3時間の8T磁場曝露により徐々に増大した。さらにラット坐骨神経の感覚神経の興奮性が磁場強度に応じて可逆的に増大した。神経興奮膜が反磁性作用を受けNa、Kチャネル機能が変化し、閾値が低下したことが示唆された。

以上、本研究結果は、神経再生・機能再建に対する強磁場の作用の解明と応用に関する先駆的な研究として、今後の強磁場の神経再生など医療応用に貢献するものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は強磁場という新たな物理刺激を用いて神経組織機能再建への医療応用を図ることを目的として、8T(テスラ)超伝導マグネットを用いて神経再生に対する効果および神経機能に対する安全性を検討するために試みたものであり、下記の結果を得ている。

生後2日目の新生児ラット坐骨神経より採取したシュワン細胞の磁場配向について検討したところ、シュワン細胞が約60時間の8T磁場曝露により磁場と平行に配向することが示された。また細胞骨格actin染色において、ストレスファイバーが磁場方向に配向することが示された。さらに低分子量Gタンパク質の1つであり、アクチン細胞骨格を制御しているRhoのエフェクターであるROCK/Rhoキナーゼの阻害剤であるY27632を加えることにより、細胞体の円形化、ストレスファイバーの形成低下、細胞突起の伸張などの形態変化が現れ、8T磁場曝露による磁場配向が抑制された。シュワン細胞の磁場配向メカニズムとして、磁気トルクなどの外部刺激情報がROCK/Rhoキナーゼを介して細胞内部に伝わりストレスファイバーなど細胞骨格の応答および細胞配向が起こることが示された。

I型コラーゲンの重合過程に8T強磁場を約2時間印加することにより、約100nmのコラーゲン線維が約数〜数十μmの線維束を形成しながら磁場と垂直方向に配向することが示された。磁場配向コラーゲンとシュワン細胞の共存培養において、配向コラーゲンを足場として、シュワン細胞が配向することが示された。またニワトリ後根神経節の配向コラーゲン上培養において、磁場配向したコラーゲン線維がコンタクトガイダンスとして指向性のある軸索伸張を誘導することが示された。

ラット坐骨神経架橋モデルを用いたin vivo実験にて配向性を有するコラーゲンおよびシュワン細胞が人工神経として神経再生に有効かを検討したところ、術後12週における組織学的、機能的評価から磁場配向コラーゲンは再生神経を誘導することが示された。一方、術後8週における肉眼的評価からシュワン細胞を移植した群とシュワン細胞を移植しない群との間に再生組織に有意な差は認められず、シュワン細胞移植の有用性は認められなかった。磁場配向コラーゲンが坐骨神経再生および神経機能回復を促進することが示され、磁場配向コラーゲンは神経再生足場として神経架橋材料として有用であることが示された。

神経伝導に対する磁場安全性について、ウシガエル(Rana catesbeiana)坐骨神経標本を用いたinvitro実験にて検討したところ、8T磁場に3時間曝露することによって、Aα線維、Aδ線維、C線維の各成分の神経伝導速度は変化しないことが示された。また連発刺激によるAα線維神経疲労に対する磁場影響を検討したが、磁場影響は認められなかった。一方、相対不応期における作用として、磁場曝露により運動神経Aα線維の活動電位ピークが徐々に上昇し、1.0〜1.1msという相対不応期の早期に臨界値が存在することが示された。絶対不応期にNaチャネルが不活性化した直後の膜興奮回復期に磁場影響を受けやすいことが示唆された。

ラット坐骨神経を用いたin vivo実験にて神経伝導に対する影響を検討したところ、Aδ-fiber、C-fiberなど閾値が高く伝導速度が遅い痛覚成分の活動電位は磁場強度に依存して興奮膜の閾値が低下し、可逆的に振幅が増大することが示された。一方、伝導速度の速いAα/β成分の伝導速度および振幅は磁場曝露により有意な変化を認めなかった。リン脂質2重層が反磁性作用を受け神経興奮膜のNa、Kチャネル機能変化により神経興奮性が増大した可能性がある。

以上、本研究結果は、神経再生・機能再建に対する強磁場の作用の解明と応用に関する先駆的な研究として、今後の強磁場の神経再生など医療応用に貢献するものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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