学位論文要旨



No 121395
著者(漢字) 平川,美菜子
著者(英字)
著者(カナ) ヒラカワ,ミナコ
標題(和) Guillain-Barre症候群における抗糖脂質抗体の診断的・病因的意義の解析 : 抗体活性に及ぼすリン脂質の影響
標題(洋)
報告番号 121395
報告番号 甲21395
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2643号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 助教授 郭,伸
 東京大学 助教授 坂井,克之
 東京大学 講師 三,義堅
内容要旨 要旨を表示する

Guillain-Barre症候群(Guillain-Barre syndrome,GBS)は、上気道炎や胃腸炎の1〜3週後に四肢の筋力低下、鍵反射消失、軽微な手袋靴下型の感覚障害が出現する自己免疫性末梢神経障害(ニューロパチー)である。GBS発症直後の約60%の患者血清中に、ガングリオシドなどの糖脂質に対する自己抗体の上昇が認められ、症状の改善とともに低下し消失する。このため、抗ガングリオシド抗体は、GBSの診断に大変有用なマーカーであるとともに、血漿交換治療の有用性からも、GBSの発症機序、病態に深く関与すると考えられる。ガングリオシドなどの糖脂質は、コレステロールやリン脂質からなる細胞膜上にクラスターを形成して存在していると考えられている。このため抗体の作用機序を考える際、糖脂質の周囲に存在するリン脂質による影響を考慮すべきであると思われる。よって、今回私はGBSの抗糖脂質抗体の診断的・病因的意義を解析するため、抗体活性に及ぼすリン脂質の影響について検討した。

GBS患者血清抗GM1 IgG抗体およびFisher症候群(FS)の抗GQ1b IgG抗体の反応性に及ぼす様々なリン脂質の効果を検討した。抗GM1-IgG抗体陽性のGBS30例と抗GQ1b-IgG抗体陽性のFS30例の急性期血清を対象とした。GBS例ではGM1抗原に、FS例ではGQ1b抗原に以下に示す様々なリン脂質を各々加えた抗原を用いて抗体活性をEnzyme-Linked immunosorbent assay(ELISA)法で分析した。マイクロタイタープレートの各ウェルにGM1抗原100ngおよびリン脂質1OOngを加えて固相化し、ブロッキングした後に40倍希釈の血清を加え、抗ヒトペルオキシダーゼ標識IgG二次抗体にて抗原抗体反応をみた。マイクロプレートリーダーを用いて492nmにおける吸光度を測定し、GM1抗原のみ200ngを各ウェルに加えた時の吸光度と比較検討した。同様にGQ1b抗原100ngおよびリン脂質100ngを各ウェルに加えて吸光度を測定し、GQ1b抗原200ngの時と比較検討した。何も固相化していないウェルを対照ウェルとし、それぞれの吸光度は対照のウェルの吸光度を引いた値で示している。対照を差し引いた吸光度が0.1以上を抗体陽性と判定した。患者血清の抗体価は2回のELISA法による検査で得られた吸光度の平均で示した。

用いたリン脂質はホスファチジン酸(phosphatidicacid;PA)、ホスファチジルイノシトール(phosphatidylinositol;PI)、ホスファチジルセリン(phosphatidylserine;PS)、リゾホスファチジルエタノールアミン(lysophosphatidylethanolamine;LPE)、スフィンゴミエリン(sphingomyelin;SM)、ホスファチジルエタノールアミン(phosphatidylethanolamine;PE)、ホスファチジルコリン(phosphatidylcholine;PC,lecitin)、リゾホスファチジルコリン(lysophosphatidylcholine;LPC)、カルジオリピン(Cardiolipin;CL)の9種類である。

ガングリオシドに対する抗体価とガングリオシドとリン脂質の混合抗原に対する抗体価の比較はWilcoxon signed-ranks testで統計的に有意差があるかどうかを判定した。p<0.01で有意差があると判定した。

抗GM1 IgG抗体はPA,PI,PS,LPE,PE,LPC,CLの各種リン脂質を加えた混合抗原に対して抗体活性は増強した。一方、抗GQ1b IgG抗体の平均値はPAを加えたときにわずかに高くなったものの統計的有意差を認めず、抗GQ1b抗体においては上記リン脂質を混合することによる抗体活性の明らかな増強は認められなかった。SMを加えたときには、抗GM1抗体と抗GQ1b抗体ともに、ほぼ全例で抗体価の低下がみられた。

抗GM1抗体と抗GQ1b抗体の反応性に及ぼす複数のリン脂質の増強効果がこのように大きく異なる要因の1つに、先行感染の病原体の違いによる可能性があげられる。抗GM1抗体の見られるGBS患者の先行感染の多くは消化器感染の原因であるCampylobacter jejuniであることが知られている。それに対して、抗GQ1b抗体の場合には先行感染は呼吸器感染であることが多い。先行感染のときにC.jejuniのリン脂質がGM1様エピトープと一緒にヒトの免疫システムに認識されて、このためガングリオシド単独に対するよりもガングリオシドとある種のリン脂質の混合抗原に対して高い活性を持つ抗体が作られるという可能性である。もう1つの要因として、ガングリオシドの物理化学的な特徴の違いが考えられる。GQ1bは強い負電荷をもつジシアロシル基を2つ持っているが、GM1は1つのシアル酸をもっているのみである。このため、酸性リン脂質の持つ負電荷の影響により、抗原抗体反応におけるGM1とGQ1bに対するリン脂質の効果に違いが出てくる可能性がある。

前者の可能性について検証するために、GM1とPAを混ぜたものをウサギに接種し、GM1に対してよりもGM1とPAの混合抗原に対してより活性をもつ抗体が作られるかどうかを調べた。その結果、GM1とPAを接種したウサギの血清中の抗体は、GM1単独の抗原に対するよりもGM1とPAの混合抗原に対して高い活性をもつというわけではなかった。また、呼吸器感染を先行感染とするGBS症例の抗GM1 IgG抗体と、消化器感染を先行感染とするFS症例の抗GQ1b IgG抗体に及ぼすリン脂質による抗体活性の影響を検討し、実際に先行感染の違いによってリン脂質の効果に違いがあるかどうかを調べた。その結果、抗GM1抗体と抗GQ1b抗体のいずれについても、先行感染の種類とリン脂質による抗体活性の増強の有無には関連がみられなかった。以上から前者の可能性は低いと考えられた。

後者の可能性について検証するため、GM1と同様に末端にGal-GalNAc基を有し、GQ1bと同様に末端にジシアロシル基を有するという2つの性質をあわせ持つGD1bに対する抗体の反応性に及ぼすリン脂質の効果を調べた。対象は抗GD1b IgG抗体陽性GBS30例である。GM1やGQ1bのときと同様にELISA法で抗体活性を測定した。抗GD1b IgG抗体における複数のリン脂質の混合による増強効果は、抗GM1抗体と抗GQ1b抗体の中間的な結果であった。さらに、抗GD1b抗体のなかでも、GM1,GA1にも陽性でGal-GalNAc基を認識する抗体の場合にはリン脂質による増強効果が認められ、一方ジシアロシル基をも認識してGD1bに特異的な抗体の場合には増強効果は乏しかった。よって、ジシアロシル基が抗体の認識に関わっている場合には増強効果が乏しいことが示唆された。

抗体活性に対するリン脂質の増強効果は、抗体との反応にかかわるジシアロシル基の有無に左右された。抗体の抗原に対する結合力を決定する重要な因子の1つとして、電荷によるイオン性相互作用が知られる。従って、リン脂質の持つリン酸基の負電荷は、抗原抗体反応に影響を及ぼすと考えられる。分子全体として負電荷を有するPA,PS,PI,CLなどの酸性リン脂質がいずれも増強効果を示すことも、このことを示唆する点である。以上のことから、電荷を持たないGal-GalNAc基を認識する抗体の反応性は、リン脂質の持つリン酸基の負電荷によって増強され、一方負電荷をもつジシアロシル基を認識する抗体の反応性は、既に負電荷が抗原抗体反応に関与しているため、リン脂質によって増強されないと考えられる。

一方SMを加えた時には抗GM1抗体も抗GQ1b抗体も抗GD1b抗体もいずれもほとんど全ての症例において抗体活性は低下した。SM存在下における抗体活性の低下はGBSおよび類縁疾患にみられる抗ガングリオシド抗体に共通すると考えられた。SMと同じくコリン基をもつPCも抗体活性を減弱させる傾向がみられることから、コリン基の存在が減弱作用に関わっている可能性が考えられる。

ガングリオシドは神経組織全般にわたって広く分布している。各々のガングリオシドについてみても、生化学的分析では広範な分布を示すことが多いが、免疫組織学的な検討からはしばしば特異的な部位に高濃度に局在が示されることがある。抗ガングリオシド抗体は、そのような特異的に高濃度に局在する部位に結合し、神経障害の分布を規定すると考えられている。細胞膜表面に存在するとされるSMによって抗ガングリオシド抗体が結合しにくくなるということは、抗体によって神経系が広範に障害されずにガングリオシドが高濃度に局在する部位だけに障害が限定されることの説明になる可能性がある。

以上のように、GBSにおける抗ガングリオシド抗体の活性に及ぼすリン脂質の効果は抗体の種類やリン脂質によって様々に異なっており、抗体の病理学的作用を考える上で膜上に共存するリン脂質の影響を考慮する必要がある。

また、抗ガングリオシド抗体はGBSの早期診断のマーカーにもなっており、その検出は大変重要である。よって、PAなどのリン脂質を混合抗原として用いるELISA法の抗体測定によって、抗体活性が増強され抗体の検出率が高くなるということは、GBS診断に大変有用な検査方法であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、Guillain-Barre症候群(GBS)の発症機序、病態に関与することが知られている抗糖脂質抗体の診断的・病因的意義を明らかにするため、抗糖脂質抗体活性に及ぼすリン脂質の影響の解析を試みたものであり、以下の結果を得ている。

GBS患者の抗GM1 IgG抗体およびFisher症候群患者の抗GQ1b IgG抗体の反応性に及ぼす様々なリン脂質の効果を検討した。抗GM1 IgG抗体の活性は、GM1にホスファチジン酸(PA),ホスファチジルイノシトール(PI),ホスファチジルセリン(PS),リゾホスファチジルエタノールアミン(LPE),ホスファチジルエタノールアミン(PE),リゾホスファチジルコリン(LPC),カルジオリピン(CL)の各種リン脂質を加えた混合抗原に対して増強した。一方、抗GQ1b IgG抗体活性はこれらのリン脂質添加による増強効果がないことが示された。

上記の抗体の反応性に及ぼすリン脂質の増強効果が異なる要因を解析した。抗GM1 IgG抗体陽性症例および抗GQ1b IgG抗体症例の先行感染について解析した結果、先行感染の病原体の違いによる可能性は否定的であると示された。またウサギにGM1とPAを接種する実験を行った結果、GM1に対してよりもGM1とPAの混合抗原に対して高い活性を持つ抗体は産生されず、先行感染のときにリン脂質がGM1様エピトープと一緒にヒト免疫系に認識されてガングリオシド単独に対するよりもガングリオシドとリン脂質の混合抗原に対して高い活性を持つ抗体が作られるという可能性は否定的であると示された。

上記の抗体の反応性に及ぼすリン脂質の増強効果が異なる要因を解析した。GM1やGQ1bのガングリオシドの物理化学的な特徴の違いによる可能性を検討し、GM1と同様に末端にGal-GalNAc基を有し、GQ1bと同様に末端にジシアロシル基を有するという2つの性質をあわせ持つGD1bに対する抗体の反応性に及ぼすリン脂質の効果を解析した。その結果、ジシアロシル基を認識する抗体の場合には増強効果が乏しいことが判明した。リン脂質の持つリン酸基の負電荷が抗原抗体反応に影響を及ぼすと考えられ、抗体活性に対するリン脂質の増強効果は、抗体の認識するエピトープの持つ電荷が重要であることが示された。

リン脂質のうちスフィンゴミエリン(SM)を混合抗原として加えたときには抗体活性は低下した。SM存在下における抗体活性の低下は、GBSおよび類縁疾患にみられる抗糖脂質抗体に共通すると示された。

抗糖脂質抗体はGBSの早期診断のマーカーにもなっており、PAなどのリン脂質を混合抗原として用いるELISA法の抗体測定によって、抗体活性が増強され抗体の検出率が高くなり、GBS診断に大変有用な検査方法であると示された。

以上、本論文はGBSにおける抗糖脂質抗体の反応性に及ぼすリン脂質の影響を明らかにした。本研究はGBSの発症および病態の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク