学位論文要旨



No 121396
著者(漢字) 北畠,正大
著者(英字)
著者(カナ) キタバタケ,マサヒロ
標題(和) 組換えワクシニアウイルスを用いたSARSワクチンの開発
標題(洋)
報告番号 121396
報告番号 甲21396
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2644号
研究科 医学系研究科
専攻 社会医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清野,宏
 東京大学 教授 吉田,謙一
 東京大学 助教授 井上,和男
 東京大学 助教授 俣野,哲朗
 東京大学 助教授 堀本,泰介
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景および目的

重症急性呼吸器症候群(Severe Acute Respiratory Syndrome;SARS)は21世紀最初に出現した新興感染症である。その被害は2002年中国広東省広州で最初の感染者が報告された後、世界29カ国へと広がり、感染者8098名、死者774名にも及んだ。日本では52件のSARS疑い例と16件のSARS可能性例が報告されたものの、最終的には感染者は認められず、SARSの大流行から逃れることができた。しかし、2003年7月5日に世界保健機構よりSARSの終息が宣言された後も、中国で数件のSARSの発症例が報告されており、依然としてSARSの再流行が懸念されている。

SARSの原因ウイルスは既知のコロナウイルスとは異なる新型のコロナウイルスであることが報告され、SARSコロナウイルス(SARS-CoV)と命名された。SARS-CoVは他のコロナウイルス科のウイルスと同様に約30000塩基の一本鎖(+)RNAをゲノムとし、spike、nucleocapsid、envelope、membraneの4種類の構造タンパク質により構成される。

現在までにSARSワクチンの候補としては不活化ワクチン、SARS-CoVの構造タンパク質を発現するDNAワクチンや非増殖性の組換えウイルスによるワクチンが報告されている。しかし、これらのワクチンの多くは複数回接種を前提としたワクチンであり、pandemicが起きた際に、短期間にワクチン効果を誘導するには十分とは言えない。

本研究は人での増殖性を示す弱毒性ワクシニアウイルスLC16m8を用いた組換えワクシニアウイルスによるSARSワクチンの開発を目的として行った。LC16m8株は橋爪らによってLister株より弱毒化された株であり、皮膚増殖性、中枢神経毒性が極めて低く、これまでに10万人以上の小児に接種され、重篤な副作用を示さなかったこと、免疫原性がワクチン株であるLister株と同等であったことから1975年に厚生省により天然痘ワクチンとしての認可を受けている。私はLC16m8株を組換えウイルスの母体とし、志田らによって開発された強力なプロモーターであるATI/p7.5ハイブリットプロモーターによりSARS-CoVspikeタンパク質を発現する組換えワクシニアウイルスRVV-Sを作製し、SARSワクチンとしての効果を検討した。

方法と結果

SARS-CoV spikeタンパク質を発現する組換えワクシニアウイルスRVV-Sの作製

SARS-CoV(Vietnam/NB-04/2003株)をVERO E6細胞中で2回継代したウイルスよりRNAを抽出単離し、逆転写反応によりcDNA合成した。合成したcDNAから全長のspikeタンパク質遺伝子を翻訳開始点の10塩基上流からクローニングし、ワクシニアウイルスの相同組換え用プラスミドベクターpSFJ1-10に挿入した。得られたクローンの中でurbani株と最も配列が近いクローンを基に4ヶ所に変異を導入し、urbani株のspikeタンパク質とアミノ酸配列が同一であり、ワクシニアウイルス前期プロモーターの転写終結配列(TTTTTNT)を含まないspikeタンパク質遺伝子を持つプラスミドpSFJ1-10-SARS-Sを作製した。LC16m8を感染させたウサギ初代腎臓細胞にpSFJ1-10-SARS-Sを導入することにより、ワクシニアウイルスのへマグルチニン(HA)遺伝子領域で相同組換えを引き起こさせ、組換えワクシニアウイルスRVV-Sを作製した。RVV-SはHAの発現が欠損するため、RVV-Sが形成するプラークは赤血球凝集反応を示さない。よって、赤血球凝集反応陰性のプラークをスクリーニングし、PCR法およびプラークハイブリダイゼーション法によりspikeタンパク質遺伝子の挿入を確認した。RVV-S感染によるspikeタンパク質の発現はウエスタンプロット法により解析した。結果、RVV-S感染細胞においてのみ、作製した2種類の抗spikeポリクローナル抗体によりspikeタンパク質の分子量と一致する約180kDaの位置にバンドが検出された。また、RVV-S感染によるspikeタンパク質発現は蛍光免疫染色法によっても認められた。これらの結果より、RVV-S感染によるspikeタンパク質の発現が示された。

RVV-S接種によるSARS-CoVに対する中和抗体の誘導

108 PFUのRVV-SまたはLC16m8をウサギ(NewZealandWhite種)の皮内より0週および6週に接種し、経時的に採血を行って、抗血清のspikeタンパク質に対する結合能を解析した。全長のHis標識spikeタンパク質を抗原としてELISAを行った結果、RVV-Sを接種したウサギ血清は接種2週間後よりspikeタンパクに対する抗原抗体反応が認められ、追加接種によりほぼ10倍の抗体価の上昇が認められた。また、SARS患者血清が反応することが報告されている3種類のspikeタンパク質由来のpeptideを抗原としてELISAを行った結果、RVV-S接種群では3種類すべての抗原に対して抗原抗体反応が認められた。一方、LC16m8を接種した群においてはほとんど反応が認められなかった。以上の結果より、RVV-Sは複数のエピトープを認識するspikeタンパク質に対する結合抗体を誘導することが明らかとなった。

次に抗血清のSARS-CoVに対する中和能をin vitroSARS-CoV中和試験により解析した。RVV-S接種群は接種1週間後からSARS-CoVに対する中和反応を示し、中和抗体価は接種3週間後には1:100以上まで上昇した。また、追加接種2週間後には中和抗体価はさらに約10倍上昇した。一方、LC16m8接種群はSARS-CoVに対する中和反応を示さなかった。また、RVV-S接種によるSARS-CoVに対する中和抗体の誘導は106,107 PFU接種群においても認められ、107 PFU接種群の中和抗体価は108 PFU接種群とほぼ同等であることが示された。一方、106 PFU接種群の中和抗体価は108 PFU接種群より低かったものの、同用量の追加接種により中和抗体価は約1:300まで上昇が認められた。以上の結果より、106 PFU以上のRVV-Sの接種によりSARS-CoVに対する中和抗体が誘導されることが示された。

ワクシニアウイルスに対する免疫を持つ個体に対するRVV-S接種によるSARS-CoVに対する中和抗体の誘導

108 PFUのLC16m8を0週および6週に接種したウサギに対し、108 PFUのRVV-Sを追加免疫(12週および18週に接種)することにより、SARS-CoVに対する中和抗体を誘導することが可能であるか検討した。LC16m8を接種した12週間後にはワクシニアウイルスに対する中和抗体価は1:4096という非常に高い値を示した。これらのウサギに108 PFUのRVV-Sを追加接種した結果、接種した3匹すべてにおいて接種2週間後からSARS-CoVに対する中和抗体が誘導された。またRVV-Sの2回目の接種によるブースト効果も認められ、中和抗体価はLC16m8を事前接種しなかった群と同等であった。以上の結果より、108 PFUのRVV-Sの接種はワクシニアウイルスに対する中和抗体の影響を受けずに、SARS-CoVに対する中和抗体を誘導できることが示された。

考察

本研究において、RVV-Sは単回接種により接種1週間後という非常に早期からSARS-CoVに対する中和抗体を強力に誘導すること、ワクシニアウイルスに対して免疫を持つ個体に対してもSARS-CoVに対する中和抗体を誘導できることを明らかにした。SARSにおいて致死率の高い高齢者の大部分は天然痘ワクチンとしてワクシニアウイルスを接種しており、ワクシニアウイルスに対する免疫を保持していると考えられるが、これらの人々に対してもRVV-Sはワクチンとしての効果が期待できる。また、LC16m8を使用した組換えワクシニアウイルスはLC16m8の弱毒化した性質を保持することが報告されていることから、RVV-Sも高い安全性を持つと予測される。よって、RVV-Sは高い安全性と効果を持つSARSワクチンとして、今後の臨床応用が期待される。また、LC16m8とATI/p7.5ハイブリットプロモーターを組み合わせた組換えワクシニアワクチンはSARSのみならず、インフルエンザなど種々の感染症に対しても有力なワクチンとなることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は天然痘ワクチンとして世界的に使用されてきたワクシニアウイルスを用いて、2003年に世界的流行を引き起こした新興感染症、重症急性呼吸器症候群(Severe Acute Respiratory Syndrome;SARS)に対する組換えワクチンの開発を試みたものであり、以下の結果を得ている。

SARS-CoV(Vietnam/NB-04/2003株)よりspikeタンパク質遺伝子をクローニングし、ワクシニアウイルス弱毒株LC16m8のへマグルチニン遺伝子領域内にspikeタンパク質遺伝子を挿入した組換えワクシニアウイルスRVV-Sを作製した。ウエスタンプロット法および蛍光免疫染色法によりRVV-Sはspikeタンパク質を発現することが示された。

108 PFUのRVV-Sをウサギ(New Zealand White種)の皮内より接種したところ、ウサギ血清は全長spikeタンパク質に対して抗原抗体反応を示した。また3種類のspikeタンパク質由来ペプチドに対するELISAを行ったところ、ウサギ血清は3種類すべての抗原に対して反応を示した。このことからRVV-S接種によりspikeタンパク質の複数のエピトープに対する抗体が誘導されると考えられた。

108 PFUのRVV-Sを接種したウサギ血清はin vitro SARS-CoV中和試験により、接種1週間後からSARS-CoVに対する中和反応を示した。また中和抗体価は接種3週間後には1:100以上まで上昇し、同用量のRVV-Sを追加接種したところ、SARS-CoVに対する中和抗体価は1:1000上昇することが示された。

107 PFUのRVV-Sを接種したウサギ血清のSARS-CoVに対する中和抗体価は108 PFU接種群とほぼ同等であることが示された。また106 PFUのRVV-Sを2回接種したウサギ血清のSARS-CoVに対する中和抗体価は約1:300まで上昇することが示された。

108 PFUのLC16m8を2回接種したウサギに108 PFUのRVV-Sを追加接種したところ、接種2週間後からSARS-CoVに対する中和抗体が誘導され、この中和抗体価はLC16m8を事前接種しなかった群と同等であることが示された。

以上、本論文は組換えワクシニアウイルスRVV-Sは未感作ウサギだけでなく、ワクシニアウイルスに対する免疫を保持するウサギに対してもSARS-CoVに対する中和抗体を誘導することを明らかにした。本研究はワクシニアウイルスによって構成される天然痘ワクチンを接種している人に対してもRVV-Sが有効なワクチンとなり得ることを示し、SARSのみならず様々な急性感染症に対するワクチン開発に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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