学位論文要旨



No 121397
著者(漢字) 小川,陽子
著者(英字)
著者(カナ) オガワ,ヨウコ
標題(和) 合成レチノイドAm80による心臓移植後の急性拒絶反応抑制および移植後冠動脈病変形成抑制についての研究
標題(洋) A Synthetic Retinoid,Am80,Inhibits Acute Rejection and Graft Vasculopathy in Cardiac Transplantation
報告番号 121397
報告番号 甲21397
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2645号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 本,眞一
 東京大学 教授 赤林,朗
 東京大学 教授 山崎,力
 東京大学 助教授 宮田,哲郎
 東京大学 助教授 平田,恭信
内容要旨 要旨を表示する

背景と目的

心臓移植は世界的に末期重症心不全患者に対する治療法の一つとして選択されている。免疫抑制剤やレシピエント、ドナーの選択、術後管理の改善により移植後5年生存率は70-80%と上昇したが、移植後の合併症は急性拒絶反応、感染、悪性腫瘍、慢性拒絶反応、免疫抑制剤の副作用と多岐にわたる。急性拒絶に対する治療法のさらなる改善が望まれている一方で、移植後急性期の治療成績の改善とともに、慢性期に形成される移植心冠動脈病変が生命予後にかかわる極めて重大な問題となっている。移植後5年以内には約半数の移植患者に何らかの血管病変を認め、その羅患率および程度は年々増加するが、今のところ有効な予防法は確立していない。移植心冠動脈病変は、びまん性で遠位部にまで及ぶ病態のため、血管形成術やバイパス手術による治療は困難であり、再移植以外に確実な治療法が存在しないのが現状である。従って、移植心冠動脈病変の予防と治療法の開発は移植医療における極めて重要な課題となっている。ところが、移植心冠動脈病変形成にかかわる分子病理学的機序については、アロ反応性T細胞や液性免疫の関与や、各種サイトカイン、PDGF等の液性因子による血管平滑筋細胞の増殖や細胞外器質の沈着が示唆されているものの、解明は十分に進んでいない。

我々の研究室では、血管病態における血管平滑筋細胞の形質変換や機能制御について研究を行ってきた。成熟した血管平滑筋細胞は収縮に特化した形質を示すが、外的傷害に応じて形質変換をおこし、蛋白合成や増殖・遊走能を持つ「合成型」と呼ばれる形質を示すようになる。合成型平滑筋細胞は、遊走・増殖するだけでなく、各種の増殖因子、コラーゲンなどの細胞外基質と基質分解酵素を産出し、血管壁の組織再構築(リモデリング)に主要な役割を果たす。従来の研究によって、移植心冠動脈病変においても、形質変換した平滑筋細胞の増殖が重要であると考えられている。我々は平滑筋形質変換の分子機構に関して遺伝子転写調節機構に着目して研究を行い、転写因子Kruppel-like factor 5(KLF5/BTEB2)を同定した。成体の動脈壁においてはKLF5の発現はほとんど認めないが、外的ストレスにて再誘導され、動脈硬化病変や再狭窄病変で強い発現が認められる。我々はKLF5ヘテロ接合体ノックアウトマウスの解析により、この転写因子が外的傷害による新生内膜増生に必須であること、また心臓線維芽細胞で発現し心肥大・線維化にも関与することを明らかとした。さらに、KLF5がPDGF-A遺伝子を直接制御することを示した。我々はKLF5機能を修飾する化合物を探索し、合成レチノイドAm80がKLF5の転写活性化能と発現を抑制することを見いだした。Am80は平滑筋細胞の増殖を選択的に抑制する。我々はAm80経口投与によって、大腿動脈カフ傷害モデル及びステント留置モデルにおいて新生内膜増生が抑制されることを明らかとした。Am80はKLF5標的遺伝子であるPDGF-Aの発現も抑制していた。また、Am80は免疫調節作用を持つことも報告されており、例として、ラット脳炎モデルおよび実験的関節炎モデルにて炎症反応の抑制が確認されている。In Vitroの解析では、Am80はナイーブCD4陽性T細胞の分化過程においてタイプ2ヘルパーT細胞(Th2細胞)優位性を促すことが報告されている。また、ある種の合成レチノイドはマウス異所性心臓移植モデルにおいて、グラフト生着を延長させることが示されている。

本研究では、Am80が(1)平滑筋細胞増殖抑制、(2)KLF5阻害と形質変換の抑制、(3)PDGF-Aの発現抑制、(4)各種血管病態モデルにおける新生内膜増生の抑制、(5)免疫調節の各作用を併せ持つことから、Am80が心臓移植に対する治療薬として、急性拒絶と、慢性期における移植心冠動脈病変の抑制作用を示す可能性を考えて検討し、さらにAm80の病態形成機序における分子作用についても検討することを目的とした。

方法

Am80の急性拒絶反応に対する抑制効果、(2)Am80の慢性拒絶反応(移植心血管病変)に対する抑制効果の各々につき、マウス異所性心臓移植モデルを作成して検討した。急性モデルには7-10日で移植片拒絶が完成するMHC非適合の組み合わせを用い、系統差による影響を抑えるために2種類の組み合わせを用いた(ドナー:C57BL/6(H-2b)又はC3H/He(H-2k)、レシピエント:BALB/c(H-2d))。移植心血管病変の検討のための慢性モデルには、MHCマイナー抗原非適合によって、弱い同種免疫反応にて移植片拒絶に陥らず長期に移植片生着をし、約1ヶ月にて移植心血管病変を形成する組み合わせを用いた(ドナー: AKR(H-2k)、レシピエントC3H/He(H-2k))。Am80はカルボキシメチルセルロース水溶液を担体として1日量1mg/kgを経口投与し、6日間の投薬後1日の休薬期間を置きこれを繰り返した。

Am80投与による急性拒絶反応に対する抑制効果について、Am80投与群におけるグラフト生着率をカプランマイヤー生存曲線およびログランクテストにより評価し、その背景となる免疫学的機序につき、RT-PCRによるグラフト中のサイトカイン発現の評価、混合リンパ球反応、組織学的検討を行った。急性拒絶反応における移植片拒絶は日ごとの経皮的な拍動の確認の上で、開腹にて拍動の停止を確認した時点を移植片の廃絶(拒絶)とした。Am80投与による慢性拒絶反応(移植心血管病変)に対する抑制効果について、移植後一ヶ月の時点でグラフトを摘出して移植心血管病変の形成を各群で計測し、血管径を一因子として統計処理を行い、さらに各群について組織学的に検討を行った。

結果

マウス異所性心臓移植モデルの作成において、総手術時間は90〜120分、虚血時間は30〜60分、成功率は80-90%であり、すべてのモデルにおいて、経皮的に良好なグラフト拍動が確認された。

急性モデルにおいて、コントロール(Am80非投与)群では心グラフトは8.3±0.3日(ドナー:C57BL/6マウス[n=6])および8.0±0.4日(C3H/HeNマウス[n=8])で完全に拒絶された。Am80投与群のグラフト生着期間は、C57BL/6マウスは14.8±2.4日(n=6、P=0.011対同系統コントロール群)、C3H/HeNマウスは19.5±1.8days(n=8、P=0.000)と生着期間の延長が認められた。移植片拒絶の時点で病理学的に両群ともに国際心肺移植学会によるグレード3B-4の著明なリンパ球浸潤と心筋細胞傷害を認めた。移植片拒絶時点における心グラフトに発現するIFN-γ(Th1サイトカイン)およびIL-6はmRNAレベルで共にAm80群で有意に低下していた。また、Th2サイトカインは有意差はないもののAm80群で増加しており、in vivoにおいてもAm80がTh2優位性を誘導することが示唆された。なお、CD40や副刺激分子B7-2の発現はAm80投与群にてやや増加していた。混合リンパ球反応にて、Am80添加によりアロ反応性リンパ球増殖は濃度依存的に抑制された。これらの結果により、Am80は免疫学的機序を介してアロ反応性を低下させ、急性拒絶反応を抑制することが示唆された。

慢性モデルの移植心の心筋内には著明な繊維化が認められ、免疫組織学的に新生内膜にCD4、CD8陽性細胞をまばらに認めるものの、大多数の細胞はこれらに陰性であった。新生内膜にはαSMA陽性細胞を多数認め、このモデルが移植後冠動脈病変の研究に妥当であることが示された。心筋内冠状動脈を解析したところ(各々91、101動脈断面)、新生内膜増殖による血管狭窄率は、Am80投与群細動脈でコントロール群に比して有意に低下していた。しかし、全血管径を含めた解析ではAm80投与群およびコントロール群の狭窄率に有意差は認めなかった。

考察

マウス異所性心臓移植モデルにおいて、合成レチノイドAm80は単剤投与により、急性拒絶反応を抑制し移植片生着期間を延長した。心臓移植における急性拒絶反応は、細胞性免疫の寄与が主体とされる。免疫寛容モデルやサイトカインノックアウトマウスの解析から、特にTh1サイトカインが急性拒絶反応の惹起に重要であると考えられてきた。他のグループの研究ではAm80がナイーブCD4陽性T細胞に対しTh2優位の分化誘導を引き起こすとされているが、本研究における心臓移植モデルにおいても、Am80群において、Th2優位性が誘導されていることが示された。Th1細胞は急性拒絶反応において主要な役割を担うとされている。Am80群の移植片生着期間の延長に対しても、Th2優位性がその機序のひとつであると考えられる。炎症性サイトカインに関しては、他の免疫学的動物モデルでAm80によってIL-6の発現が抑制することが報告されているが、本モデルでも同様にIL・6の著明な抑制が認められた。また、抗原提示細胞上に発現する副刺激分子B7-2やB細胞および樹状細胞の一部に発現するCD40の発現にも変化を認めた。Am80は心臓移植急性期に、ナイーブT細胞からの分化、抗原提示とT細胞の活性化など、複数の作用を持つ可能性があり、今後、T細胞、抗原提示細胞を含めた各種細胞分画を用いた検討が重要と考えられる。

慢性期移植心冠状動脈病変の形成に対するAm80の効果は細動脈に限られており、より大きな血管において有意差は認められなかった。これは細動脈とより大きな冠状動脈における新生内膜形成機序が異なることを反映しているのかもしれない。我々は従来の検討で、血管傷害モデルでは平滑筋形質変換の抑制がAm80の作用機序として重要であることを明らかとしているが、今後、各サイズの冠動脈における平滑筋細胞形質や増殖の役割について検討することによって、Am80の移植心冠状動脈病変抑制作用の分子機構を明らかとすることが重要である。心臓移植におけるAm80の免疫細胞及び血管壁細胞に対する作用を明らかとすることにより、従来の免疫抑制剤と組み合わせて予後を改善する治療法が開発できる可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は心臓移植後の主要な問題である急性拒絶反応および慢性冠動脈病変に対して、合成レチノイドAm80の効果およびその作用機序について検討したものであり、下記の結果を得ている。

Am80の急性拒絶反応に対する抑制効果

7-10日で移植片拒絶が完成するMHC非適合の組み合わせを用い、マウス異所性心臓移植モデルを作成して検討した。系統差による影響を抑えるために2種類の組み合わせを用いた(ドナー:C57BL/6(H-2b)又はC3H/He(H-2k)、レシピエント:BALB/c(H-2d))。Am80はカルボキシメチルセルロース水溶液を担体として1日量1mg/kgを経口投与し、6日間の投薬後1日の休薬期間を置きこれを繰り返した。急性拒絶反応における移植片拒絶は日ごとの経皮的な拍動の確認の上で、開腹にて拍動の停止を確認した時点を移植片の廃絶(拒絶)とした。

Am80投与による急性拒絶反応に対する抑制効果について、Am80投与群におけるグラフト生着率をカプランマイヤー生存曲線およびログランクテストにより評価した。コントロール(Am80非投与)群では心グラフトは8.3±0.3日(ドナー:C57BL/6マウス[n=6])および8.0±0.4日(C3H/HeNマウス[n=8])で完全に拒絶された。Am80投与群のグラフト生着期間は、C57BL/6マウスは14.8±2.4日(n=6、P=0.011対同系統コントロール群)、C3H/HeNマウスは19.5±1.8days(n=8、P=0.000)と生着期間の延長が認められた。移植片拒絶の時点で病理学的に両群ともに国際心肺移植学会によるグレード3B4の著明なリンパ球浸潤と心筋細胞傷害を認めた。

グラフト生着期間の延長の背景となる免疫学的機序を検討するため、RT-PCRによるグラフト中のサイトカイン発現の評価を行った。移植片拒絶時点における心グラフトに発現するIFN-γ(Thlサイトカイン)およびIL-6はmRNAレベルで共にAm80群で有意に低下していた。また、Th2サイトカインは有意差はないもののAm80群で増加しており、in vivoにおいてもAm80がTh2優位性を誘導することが示唆された。なお、CD40や副刺激分子B7-2の発現はAm80投与群にてやや増加していた。

グラフト生着期間の延長の背景となる免疫学的機序を検討するため、混合リンパ球反応を行った。混合リンパ球反応にて、Am80添加によりアロ反応性リンパ球増殖は濃度依存的に抑制された。これらの結果により、Am80は免疫学的機序を介してアロ反応性を低下させ、急性拒絶反応を抑制することが示唆された。

Am80の慢性拒絶反応(移植心血管病変)に対する抑制効果

MHCマイナー抗原非適合によって、弱い同種免疫反応にて移植片拒絶に陥らず長期に移植片生着をし、約1ヶ月にて移植心血管病変を形成する組み合わせを用いて(ドナー:AKR(H-2k)、レシピエントC3H/He(H2k))、マウス異所性心臓移植モデルを作成して検討した。Am80はカルボキシメチルセルロース水溶液を担体として1日量1mg/kgを経口投与し、6日間の投薬後1日の休薬期間を置きこれを繰り返した。

慢性モデルの移植心を組織学的に検討した結果、心筋内には著明な繊維化が認められ、免疫組織学的に新生内膜にCD4、CD8陽性細胞をまばらに認めるものの、大多数の細胞はこれらに陰性であった。新生内膜にはαSMA陽性細胞を多数認めた。以上より、このモデルが移植後冠動脈病変の研究に妥当であることが示された。

Am80投与による慢性拒絶反応(移植心血管病変)に対する抑制効果について、移植後一ケ月の時点でグラフトを摘出して移植心血管病変の形成を各群で計測し、血管径を一因子として統計処理を行った。心筋内冠状動脈(コントロール群101動脈断面、Am80投与群91動脈断面)を検討した結果、全血管径を含めた解析ではAm80投与群およびコントロール群の新生内膜増殖による血管狭窄率に有意差は認めなかったが、細動脈レベルの血管でAm80投与群の狭窄率はコントロール群に比して有意に低下していた。

以上、本論文はマウス異所性心臓移植モデルにおいて、合成レチノイドAm80が急性拒絶反応および慢性冠動脈病変の形成を抑制すること、そして、その機序には免疫学的修飾が関与していることを示した。急性拒絶および慢性冠動脈病変の形成は臨床的に移植後の重要な課題であり、それらを改善する治療法が開発できる可能性を示した点で有意義な研究と考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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