学位論文要旨



No 121407
著者(漢字) 大石,由美子
著者(英字)
著者(カナ) オオイシ,ユミコ
標題(和) 転写因子KLF5は脂肪細胞分化に必須である
標題(洋) Kruppel-like transcription factor KLF5 is a key regulator of adipocyte differentiation
報告番号 121407
報告番号 甲21407
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2655号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 門脇,孝
 東京大学 助教授 秋下,雅弘
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 岡崎,具樹
 東京大学 客員助教授 後藤田,貴也
内容要旨 要旨を表示する

脂肪組織は生体におけるエネルギーホメオスタシスを担う重要な臓器である。哺乳類には白色脂肪組織と褐色脂肪組織の2種類の脂肪組織が存在する。白色脂肪組織は主に余剰エネルギーをトリグリセライドとして蓄積し、エネルギー不足に陥ったときに遊離脂肪酸として放出する機能を担う。一方、褐色脂肪組織は逆にエネルギーを消費し熱産生を行う。また、脂肪組織は種々のアディポサイトカインを産生し個体レベルで摂食、エネルギー代謝や炎症反応に関与する内分泌臓器でもある。このように、メタポリックシンドロームや心血管病の発症メカニズムの解明には脂肪組織の発生・分化や機能を理解することが必要不可欠である。

我々は、これまでに転写因子Kruppel-like transcription factor 5(KLF5)が心血管病の発症に重要な転写因子であることを報告してきた。KLF5はzinc-finger型のKruppel like transcription familyに属する転写因子である。KLF5は当初、動脈硬化病変を形成する活性化された血管平滑筋細胞のマーカーであるSMemb遺伝子の活性を正に調節する転写因子として同定された。KLF5の機能をより詳細に検討するため、我々はノックアウトマウスを作成した。KLF5ホモノックアウトマウスは胎生8.5日令以前に致死であった。KLF5ヘテロノックアウトマウス(KLF5+/-)は血管傷害時の新生内膜の形成が抑制されていたほか、アンジオテンシンII持続負荷時の心肥大および心筋線維化が抑制されていた。一方、KLF5+/-マウスは生直後の頚部脂肪組織重量が減少していた。このことより、我々はKLF5が脂肪細胞の分化にも関与するのではないかと考え、研究を進めた。

これまで、脂肪細胞分化にはPPARγやC/EBPファミリーに属する転写因子が関与することが報告されている。3T3-L1細胞を用いたin vitro脂肪細胞分化系において、C/EBPδ.C/EBPβは分化誘導刺激開始直後に発現が一過性に亢進し、それに引き続いてC/EBPαおよびPPARγ2が誘導される。PPARγ2は脂肪細胞分化のマスターレギュレーターといわれ、脂肪組織特異的遺伝子の発現を制御する。まず我々は、3T3-L1細胞を用い脂肪細胞分化の過程でKLF5が発現しているかどうかを検討した。その結果、KLF5は脂肪細胞への分化誘導刺激開始1時間後よりKLF5の発現が上昇し、3-6時間目をピークとした一過性の発現亢進を認めた。これは、C/EBPδ,βの発現に引き続いて起こり、KLF5の発現を追うようにPPARγ2の発現が亢進していた。また、KLF5のドミナントネガティブ体をレトロウイルスベクターを用いて強制発現させた3T3-L1細胞では脂肪細胞への分化が著しく抑制されるだけでなく、PPARγ2の発現も抑制された。同様に、3T3-L1細胞にKLF5に対する特異的なsiRNAを強制発現させた場合や、KLF5のノックアウトマウス由来の胎児線維芽細胞を分化誘導した場合にも、脂肪細胞への分化およびPPARγ2の発現が抑制された。一方、KLF5を恒常的に強制発現させた3T3-L1細胞では、分化誘導刺激なしに脂肪細胞へ分化してゆくことから、KLF5は脂肪細胞分化に必須の因子であると考えられた。そこで、次に我々は、脂肪細胞分化の一連の転写ネットワークにおけるKLF5の位置づけを明らかにすることを試みた。KLF5は転写因子としてターゲット遺伝子の発現を制御する。分化過程において、KLF5に引き続いてPPARγ2の発現を認めること、KLF5の発現レベルとPPARγ2の発現がパラレルであることより、KLF5はPPARγ2遺伝子の転写レベルを制御するのではないかと考えた。解析の結果、PPARγ2のプロモーター領域にはC/EBPの結合配列に近接してKLFの結合配列が存在した。Electrophoretic mobility shift assay(EMSA)によって、KLF5がin vitroでこの配列に結合しうることを示した。3T3-L1細胞を用いたレポーターアッセイでは、KLF5は単独ではPPARγ2プロモーター活性を2.7倍上昇させた。しかし、KLF5とC/EBPとを共発現させるとプロモーターは相乗的に活性化(C/EBPβで5倍、C/EBPδで28倍上昇)された。KLF5の結合配列、およびC/EBPの結合配列のどちらに変異を加えてもこの両者によるプロモーターの活性化は阻害された。さらに、免疫沈降法において、KLF5はC/EBPβあるいはC/EBPδと直接結合しうることが示された。これらのことより、KLF5はPPARγ2遺伝子のプロモーター領域に直接結合し、C/EBPとコンプレックスを形成しながら協調してPPARγ2の転写活性を正に調節していると考えられた。

次に、我々はKLF5の上流因子について検索を行った。脂肪細胞の分化過程でKLF5以前に発現が上昇する転写因子として、C/EBPδ/βが知られている。また、KLF5の発現レベルを変化させても、C/EBPδ/βの発現レベルは変化しないことより、KLF5の上流にC/EBPが存在するのではないかと考えた。解析の結果、KLF5遺伝子のプロモーター領域にはC/EBPの結合配列が存在した。EMSA法により、in vitroでこの領域の配列にC/EBPβあるいはC/EBPδが結合した。プロモーターアッセイの結果、C/EBPβあるいはC/EBPδはKLF5プロモーター活性を上昇させた。この活性化はC/EBP結合配列に変異を加えると消失することより、KLF5のプロモーター領域へC/EBPの結合がKLF5の転写活性の上昇に必要であることが証明された。さらに、内因性のKLF5の発現上昇にC/EBPβあるいはC/EBPδが必要であることを証明するために、我々はC/EBPβ-/-・C/EBPδ+/-およびC/EBPβ+/-・C/EBPδ-/-マウス由来の胎児線維芽細胞を用いた分化誘導実験を行った。その結果、C/EBPβ-/-・C/EBPδ+/-およびC/EBPβ+/-・C/EBPδ-/-マウス由来の胎児線維芽細胞はいずれもC/EBPβ+/-・C/EBPδ+/-由来の胎児線維芽細胞より脂肪細胞への分化能が低く、分化過程におけるKLF5の発現が減少していた。このことより、脂肪細胞分化において、C/EBPδおよびC/EBPδがKLF5の発現を直接制御していると考えられた。

最後に、我々は内因性のPPARγ2遺伝子におけるC/EBPやKLF5の結合をクロマチン免疫沈降法(ChIP assay)を用いて確認した(左図)。3T3-L1細胞の分化誘導刺激前、分化初期(day 2.5)および分化後期(day 10)の3点でクロマチンサンプルを回収し、KLF5、C/EBPβあるいはC/EBPδ特異的抗体を用いて免疫沈降後、沈降産物中にターゲット遺伝子の結合配列を含む領域が含まれるかどうかをPCR法により検出した。その結果、分化誘導刺激前、PPARγ2遺伝子のプロモーター領域にはC/EBPやKLF5の結合を認めないが、分化初期にはC/EBPβ,δ,およびKLF5の結合が観察された。分化後期にはいるとC/EBPβ/δ、KLF5の結合は減弱し、代わりにC/EBPαの結合が優位となっていた。これは、分化誘導初期と分化後期において、PPARγ2遺伝子上に異なる転写因子が結合していることを明確に示すものである。KLF5とC/EBPが直接相互作用しうること(免疫沈降法)、KLF5とC/EBPを共発現させたときにPPARγ2プロモーターは相乗的に活性化されること(プロモーターアッセイ)を考え合わせると、KLF5とC/EBPはPPARγ2プロモーター上でエンハンソソームを形成していると推測される。形成されるエンハンソソームは分化の各段階において異なり、結果として分化の過程で刻々と変化するシグナルを反映してターゲット遺伝子であるPPARγ2遺伝子の転写が制御されると考えられた。

本研究では、in vitroおよびin vivoにおける脂肪細胞の分化において転写因子KLF5が重要な役割を果たすこと、分化初期過程でKLF5はC/EBPβ/δによって誘導され、発現したKLF5はC/EBPと協調してPPARγ2のプロモーター活性を正に調節することを明らかにした。さらに、KLF5とC/EBPがプロモーター上でエンハンソソームを形成しながらPPARγ2遺伝子の転写を制御していることが強く示唆された。KLF5は、心血管病の発症に関与するだけでなく、代謝臓器としての脂肪細胞の分化、さらには成熟脂肪細胞からなる脂肪組織の機能にも深く関与する可能性がある。つまり、 KLF5はメタボリックシンドロームの発症の基盤である脂肪組織と、その臨床的帰結としての心血管病の発症の両者に関与する転写因子として位置づけられる可能性が示唆される。今後、KLF5のこれら代謝臓器における機能をさらに明らかにしてゆくことは、メタボリックシンドロームの発症・進展の分子メカニズムそのものの解明、さらには創薬を含めた新たな治療戦略の開発につながるものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、脂肪細胞の分化過程における転写因子KLF5の役割をin vitroのデータおよびin vivoの解析から明らかにしようと試みたものであり、下記の結果を得ている。

KLF5ヘテロノックアウトマウスでは生直後の脂肪組織の形成が遅延していることを見出した。脂肪細胞の初期分化の過程で、転写因子KLF5は一過性に発現上昇することをin vitro脂肪細胞分化系を用いて証明した。KLF5の発現はC/EBPδ,βの発現に引き続いて起こり、KLF5の発現を追うようにPPARγ2の発現が亢進していた。

KLF5が脂肪細胞分化に必要であることを明らかにした。KLF5のドミナントネガティブ体を強制発現させた3T3-L1細胞では脂肪細胞への分化が著しく抑制されるだけでなく、PPARγ2の発現も抑制された。同様に、3T3-L1細胞にKLF5に対する特異的なsiRNAを強制発現させた場合や、KLF5のノックアウトマウス由来の胎児線維芽細胞を分化誘導した場合にも、脂肪細胞への分化およびPPARγ2の発現が抑制された。

KLF5を恒常的に強制発現させた3T3-L1細胞では、分化誘導刺激なしに脂肪細胞へ分化してゆくことから、KLF5は脂肪細胞分化に必須の因子であることを示した。

KLF5はPPARγ2遺伝子の発現を転写レベルで直接制御することを明らかにした。PPARγ2のプロモーター領域にはC/EBPの結合配列に近接してKLFの結合配列が存在した。Electrophoretic mobility shift assay(EMSA)によって、KLF5がin vitroでこの配列に結合しうることを示した。レポーターアッセイでは、KLF5とC/EBPとを共発現させるとプロモーターは相乗的に活性化された。さらに、免疫沈降法において、KLF5はC/EBPβあるいはC/EBP5と直接結合しうることが示された。これらのことより、KLF5はPPARγ2遺伝子のプロモーター領域に直接結合し、C/EBPとコンプレックスを形成しながら協調してPPARγ2の転写活性を正に調節していると考えられた。

脂肪細胞分化において、C/EBPβおよびC/EBPδがKLF5の発現を直接制御していることをElectrophoretic mobility shift assay(EMSA)法、およびレポーターアッセイによって示した。

内因性のPPARγ2遺伝子におけるC/EBPやKLF5の結合をクロマチン免疫沈降法(ChIP assay)を用いて確認した。分化誘導刺激前、PPARγ2遺伝子のプロモーター領域にはC/EBPやKLF5の結合を認めないが、分化初期にはC/EBPβ,δ,およびKLF5の結合が観察された。分化後期にはいるとC/EBPβ/δ、KLF5の結合は減弱し、代わりにC/EBPαの結合が優位となっていた。これは、分化誘導初期と分化後期において、PPARγ2遺伝子上に異なる転写因子が結合していることを明確に示すものである。

以上、本論文はin vitro,in vivoの脂肪細胞の分化過程でKLF5が必須であること、C/EBPβ,δによって発現誘導されたKLF5がC/EBPと相互作用してエンハンソソームを形成し、PPARγ2プロモーター上に直接結合してPPARγ2の転写活性を直接制御していることを明らかにした。本研究は、脂肪組織の転写ネットワークの分子機構を明らかにしただけでなく、分化の各段階において同一遺伝子上に異なる転写因子を含むエンハンソソームが形成されていることをin vivoで初めて示したものとして意義が深い。よって、学位の授与に値するものと考えられる。

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