学位論文要旨



No 121408
著者(漢字) 加田,奈々絵
著者(英字)
著者(カナ) カダ,ナナエ
標題(和) 非環式レチノイドによる抗動脈硬化作用
標題(洋) Prevention of Atherosclerosis with Acyclic Retinoid
報告番号 121408
報告番号 甲21408
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2656号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒川,峰夫
 東京大学 教授 長瀬,隆英
 東京大学 特任教授 山崎,力
 東京大学 教授 小池,和彦
 東京大学 客員助教授 佐田,政隆
内容要旨 要旨を表示する

【背景】

レチノイドは天然あるいは合成のビタミンA類似化合物で、白血病治療のほかガンの治療や予防薬として研究されている。その生物学的効果はレチノイド受容体であるレチノイン酸受容体(RAR)とレチノインX受容体(RXR)によって仲介される。RARはall-transレチノイン酸(ATRA)と9-cis-レチノイン酸(9-cis-RA)、RXRは9-cis-RAと結合しこれらのレセプターは両者ともα、β、γのアイソフォームをもつ。

血管平滑筋細胞ではRXRγを除くすべてのレチノイド受容体が発現しているが、RARβの発現は非常に低い。血管傷害時にはATRAにより血管新生内膜を構成する血管平滑筋細胞の増殖が抑制されることが示されたことから、副作用を減少させるべく、レチノイド受容体サブタイプ選択薬と血管平滑筋細胞の関係について様々な研究がなされてきた。

RARβに関しての血管平滑筋細胞での役割についてはまだ報告はない。しかしRARβの発現が食道扁平上皮癌の分化度に関係していること、RARβの外因性の過剰発現やATRAによる内因性のRARβ発現が、ヒト肺扁平上皮癌の増殖抑制効果に重要であることが示唆されている。これらのことからRARβは癌抑制遺伝子であると考えられている。

非環式レチノイド(ACR)はin vivoでもin vitroでも肝癌細胞の増殖を抑制することが示され、臨床試験でも経口投与による肝癌再発の抑制が示された合成レチノイドである。またヒトへの投与でも副作用がなく安全性の高いことが報告されている。近年ACRは、RARβを優先的に介してその薬物効果をきたすことが報告され、ACRのヒト肝癌細胞の細胞増殖抑制効果はアポトーシスによることが明らかになっている。しかしこれまでACRの抗動脈硬化作用については研究されてこなかった。

KLF5はzinc-finger型転写因子でKruppel-like factor familyの一員である。KLF5の発現は成体の正常動脈ではほとんどみられないが、血管傷害によりその発現が誘導されることが報告されている。KLF5はRARαと結合し、その下流遺伝子であるPlatelet Derived Growth Factor A(PDGF-A)遺伝子の転写調節をすることも知られている。

そこで私はATRAを比較対照として用いてACRに血管リモデリング抑制効果があるか検討し、ACRの分子学的作用機序にKLF5が関与しているか検討した。

【方法と結果】

マウス右大腿動脈にカフを留置してカフ傷害モデルを作成し、大豆油(コントロール)、ACR、ATRAを5週間経口投与した。Elastica van Gieson染色によるACR群の新生内膜の形成は、コントロール、ATRA群と比較して投与量依存性に抑制された。またTUNEL染色による新生内膜中のアポトーシス陽性細胞率はACR群のほうがコントロール群より上昇していたが、ACR投与量とアポトーシス陽性細胞率の関係は反比例であった。In vivoでは培養血管平滑筋細胞にACRを負荷するとACRは濃度依存性に血管平滑筋細胞のアポトーシスを誘導し細胞増殖を抑制することが、アポトーシスアッセイによって示された。また血管平滑筋細胞にACRまたはATRAを負荷すると、RT-PCR、ウェスタンプロットいずれのレベルでもACRはATRAより早期に血管平滑筋細胞の内因性RARβの発現を誘導した。次に血管平滑筋細胞にretinoic acid response element(RARAE)をもつプロモーター遺伝子、各RARサブタイプとACRをコ・トランスフェクションすると、ACR存在下のRAREはRARβ存在時に最も活性が上昇した。さらに血管平滑筋細胞にRARβを過剰発現させ外因性のRARβの発現誘導下の血管平滑筋細胞でアポトーシスアッセイを行った結果、RARβの発現量依存性に血管平滑筋細胞のアポトーシスが誘導された。In vivoではカフ傷害モデルの新生内膜でもACR群はコントロール群と異なり、新生内膜血管平滑筋細胞でRARβの発現上昇を認めた。

一方でACRはKLF5安定発現細胞の細胞増殖を抑制した。また免疫沈降では、ACRはRARαに結合するとRARαとKLF5の結合をATRAより減弱させた。同様に蛋白結合アッセイでも、ACRはRARαとKLF5-DNA binding domainの結合をATRAより減弱させた。対照的にRT-PCRではATRAと異なりACRは血管平滑筋細胞の内因性のKLF5の発現を減少させなかった。しかしPDGF-Aに対しては、RT-PCRではACRは血管平滑筋細胞の内因性のPDGF-Aの発現をATRAより減少させた。さらにRARαとKLF5をPDGF-Aプロモーター遺伝子にコ・トランスフェクションし、ACRまたはATRAを負荷したルシフェラーゼアッセイでは、ACRはATRAより低濃度でPDGF-Aプロモーターの活性を抑制した。

【考察】

本研究で私は、in vivo血管傷害モデルでACRが内膜平滑筋細胞のアポトーシスを促進させることで新生内膜形成を抑制することを示した。よってレチノイドにより血管平滑筋細胞のアポトーシスが誘導されることは、レチノイドの血管平滑筋細胞増殖の制御にとって重要なメカニズムの一つであることが示唆された。また血管平滑筋細胞ではレチノイドによるアポトーシス誘導の作用は血管リモデリング抑制作用に寄与し、その作用を生じるACRは血管平滑筋細胞の増殖抑制に有効であると考えられた。

また本研究からACRがATRAより血管平滑筋細胞増殖抑制効果をもち、ACRがATRAより内因性のRARβの発現上昇を誘導したことで、RARβはレチノイドによる細胞増殖抑制効果を修飾していること、RARβは血管平滑筋細胞の増殖を制御する重要な因子となる可能性が考えられた。このようにRARβは血管平滑筋細胞増殖を抑制する遺伝子としての働きをもつ可能性があり、血管平滑筋細胞でRARβの発現を誘導するレチノイド、特に血管平滑筋細胞で優先的にRARβの発現を介して作用するACRは、RARβによる血管平滑筋細胞のアポトーシスを誘導、促進する薬剤として血管病変抑制に有用な効果をもつと考えられた。

さらにACR投与あるいは外因性に血管平滑筋細胞のRARβの発現を増強させると容量依存的に血管平滑筋細胞のアポトーシスが促進していたことで、血管平滑筋細胞でもRARβの発現上昇は血管平滑筋細胞のアポトーシスを誘導し細胞増殖抑制効果をもつことが示唆された。これらのことから血管平滑筋細胞でのRARβの発現低下は、定常状態では、RARβの血管平滑筋細胞のアポトーシス誘導効果、およびその作用で生じる血管平滑筋細胞増殖抑制効果を抑制することで細胞は生存するものの、血管傷害時にはRARβの作用がないため調節不能な血管平滑筋細胞の増殖が生じ、結果として血管平滑筋細胞のフェノタイプの変換が生じるのではないかと考えられた。またこれまでRARはRARリガンドと結合することで活性化が促進されその機能を発しているとされているが、RARβはリガンド未結合状態でもアポトーシスを誘導するという生物学的効果が生じていることが示唆された。しかしRARβが血管平滑筋細胞のアポトーシス促進に関与するならばレチノイド投与下の血管平滑筋細胞ではRARβが発現するため、in vivo血管傷害モデルでは血管中膜に存在する血管平滑筋細胞でもアポトーシスが促進され中膜面積が減少することが予想される。しかしながらACR投与下の傷害血管の中膜面積は保たれていた。ではこの差が生じる理由は何であろうか。 1つには、中膜内での血管平滑筋細胞の位置によりレチノイドによるRARβの発現に差が生じている可能性が考えられた。2つにはレチノイドにより血管平滑筋細胞のRARβが発現しアポトーシスが促進される過程で、アポトーシスに拮抗するサイトカインなどの何らかのメディエーターが同時に誘導され両者の作用が相殺されるため、見かけ上は中膜面積が保たれている可能性が考えられた。

一方KLF5を介したACRの効果は、定常状態で結合しているRARαとKLF5-DBDに対しACRがその結合を解離させることで、KLF5の下流遺伝子であるPDGF-A遺伝子の内因性の発現、およびその転写を抑制することが示された。ACRはRARβを優先的に介して作用するものの定常状態では血管平滑筋細胞の内因性のRARβの発現は極小であることから、ACRはRARβ低発現下では、RARαとKLF5を介して血管リモデリング抑制効果に関与している可能性が示された。しかし血管平滑筋細胞ではACR投与後6時間でRARβの内因性の発現が誘導されること、ACRが6時間以上負荷されRARβの発現が生じる血管平滑筋細胞ではACRはRARβを介して作用することから、ACRのRARαとKLF5を介した作用機序がACRの効果発現に必須であるとは言い難いと考えられた。

以上のことから私はRARβの新規血管傷害改善の作用、すなわちRARβが血管平滑筋細胞をアポトーシスへ誘導すること、RARβの早期の発現上昇とその持続をきたすACRが、傷害血管の内膜平滑筋細胞をアポトーシスに導き新生内膜増殖抑制につながることを示した。このようにRARβは血管リモデリング抑制効果にとって重要であり、RARβを優先的に介して作用するACRは抗動脈硬化作用治療薬として優れた薬剤であると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、血管リモデリング抑制に重要な作用をきたすと考えられる非環式レチノイド(ACR)の効果を明らかにするため、all-transレチノイン酸(ATRA)を比較対照とし、ACRの血管平滑筋細胞に対する効果の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

マウスカフ傷害モデルにコントロール(大豆油)、ATRAまたはACRを負荷し、カフ断面をElastica van Gieson染色した結果、ACR群では投与量依存性に新生内膜の形成が著明に抑制された。コントロール群、ATRA群では新生内膜の形成が抑制されなかったことから、ACRは生体内で血管リモデリング抑制効果をもつことが示された。

上記各群のマウスカフ傷害サンプルを用いてTUNEL染色を行い、ACR低容量群では、コントロール群に比べて新生内膜の細胞にTUNEL陽性細胞を高率に認めた。また培養平滑筋細胞にACRを負荷すると培養平滑筋細胞は高率にTUNEL陽性を呈した。TUNEL陽性細胞数はACRの濃度増加に伴って上昇し、ACRはATRAより濃度依存性に血管平滑筋細胞の増殖を抑制していた。ACRは血管平滑筋細胞のアポトーシスを誘導することが示された。

ACRまたはATRAを負荷した血管平滑筋細胞の内因性レチノイン酸受容体(RAR)の発現をRT-PCR、ウエスタンプロットで検討し、RARα、RARγの発現はレチノイド投与による影響を受けないものの、RARβはATRAよりACRのほうが早期にその発現を誘導することが示された。またACRはRARβ存在下でもっとも、RAR反応レスポンスエレメントの活性を上昇させることが、ルシフェラーゼアッセイにて示された。ATRAではいずれのRARサブタイプ存在下でもRAR反応レスポンスエレメントの活性の上昇は同等であることから、ACRはRARβを優先的に介して作用していることが示された。

RAIβを過剰発現させた血管平滑筋細胞は、RARβの発現量に比例してアポトーシスを生じた細胞の割合が上昇した。またACR低容量群のマウスカフ傷害サンプルを用いてRARβの免疫染色を行い、新生内膜の細胞にRARβ陽性細胞を高率に認めた。ACRによる内因性のRARβの誘導または外因性のRARβの誘導が、血管平滑筋細胞のアポトーシスに関与していることが示された。

ACRはATRAよりKLF5安定発現細胞の増殖を抑制した。また免疫沈降ではACRはRARαに結合すると、KLF5とRARαの結合をATRAより減弱化させていた。さらに蛋白結合アッセイでは、ACRはKLF5-DNA binding domainとRARαの結合をATRAより減弱化させていた。またルシフェラーゼアッセイによって、ACRはKLF5とRARαの存在下でplatelet-derived growth factor Aの転写を抑制することが示された。ACRはRARβ低発現下ではRARαを介しKLF5の機能制御に関係している可能性があるものの、RARβ発現下ではRARβを優先的に介して作用することから、この経路がACRの効果発現に必要十分であるとは言い難いと考えられた。

以上、本論文はACRの血管平滑筋細胞への効果の検討から、レチノイドの血管平滑筋細胞増殖抑制効果の作用機序の一つとして、in vivoにおいてレチノイドによりアポトーシスが誘導され細胞増殖抑制効果が生じること、またRARβが血管平滑筋細胞のアポトーシスを促進する機序があることを明らかにした。本研究はこれまで知られていなかった、in vivoでのレチノイドによる血管平滑筋細胞のアポトーシス促進、および血管平滑筋細胞のRARβの役割の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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