学位論文要旨



No 121414
著者(漢字) 松村,貴由
著者(英字)
著者(カナ) マツムラ,タカヨシ
標題(和) 脱アセチル化酵素HDAC1は心血管系転写因子Kruppel-like factor 5 を直接的に抑制する
標題(洋) The deacetylase HDAC1 negatively regulates the cardiovascular transcription factor Kruppel-like factor 5 through direct interaction
報告番号 121414
報告番号 甲21414
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2662号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 山崎,力
 東京大学 教授 小池,和彦
 東京大学 助教授 千葉,滋
 東京大学 講師 福本,誠二
内容要旨 要旨を表示する

背景

転写反応は基本転写因子とともに機能する様々な転写因子とそれに関連した補因子のネットワークにより制御されている。補因子は転写促進因子あるいは抑制因子として蛋白-蛋白間相互作用及び(リン酸化・アセチル化などの)化学的修飾を通してその活性を示すため、その正確な機序を明らかにすることが転写制御機構の解明に必須といえよう。

最近我々は、Sp/KLF型転写因子群の一員であるKruppel型転写因子KLF5が心血管リモデリングにおいて中心的役割を果たすことを示した。更に、その転写活性調節機構を探究する過程で、KLF5が直接的相互作用およびアセチル化の制御を通してアセチル化酵素p300により活性化され癌関連遺伝子SETにて抑制されることを見いだした。ここにおいて私は、KLF5が心血管リモデリングの中心的転写因子であることを鑑みるとその活性を抑制する機構を検討することこそが臨床応用を考える上で重要であると考え、本論文にて脱アセチル化酵素HDAC1がKLF5の転写活性を直接的に抑制しうるかについての検討を行った。

方法及び結果

最初に、KLF5とHDAC1が細胞内で相互作用しうるかを確認するため免疫沈降法を行い、両蛋白が細胞内環境で結合することを示した。次にその結合が直接的なものかを確認するため組み替え蛋白質によるin vitro結合試験を施行、両者は他の因子を介さず直接的に結合することが判明した。更に、両者の結合部位を確認すべく両蛋白質の変異体を作成、KLF5のC末端にあるDNA結合領域とHDAC1のN末端の調節領域が結合することが示された。

HDAC1はKLF5のDNA結合領域に結合することが判明したため、次に、私は両者の結合がKLF5のDNA結合活性に与える影響を検討した。ゲルシフトDNA結合試験で両者の結合はKLF5のDNA結合活性を阻害することがわかった。これはHDAC1が転写因子のDNA結合活性を直接阻害する働きを有することを示すこれまでにない知見であった。

HDAC1がKLF5のDNA結合活性を抑制するという結果から次に想定されたのは、HDAC1はKLF5のプロモーター活性作用を抑制するであろうということであった。そこでKLF5の下流遺伝子であり心血管リモデリングに重要である血小板由来成長因子A鎖(PDGF-A)遺伝子のプロモーター領域を使用したレポーターアッセイを行った。その結果、予想通りHDAC1はKLF5依存性のプロモーター活性作用を容量依存性に抑制した。

次に、HDAC1による転写活性抑制効果の細胞レベルの意義を検討するにあたり、HDAC1が内因性のKLF5下流遺伝子を抑制することを確認する必要があった。KLF5はphorbol esterによる活性化に続いてその下流のPDGF-A遺伝子を活性化することが知られていたため、HDAC1の過剰発現がphorbol ester刺激後のPDGF-A遺伝子の発現上昇に及ぼす影響を調べた。やはりHDAC1はPDGF-A遺伝子の発現上昇を抑制した。

HDAC1とKLF5の相互作用機序を更に詳しく解明するため、KLF5のDNA結合領域のうちどの小領域がHDAC1に結合するかを確認した。KLF5のDNA結合領域は3つのZinc-フィンガー型配列(ZF1-3)からなる。この3つの配列間のHDAC1結合活性を比較したところ、3つの配列は類似性が高いにも関わらず予想外にHDAC1はその最もN末端側のZF1のみに結合した。この部位はKLF5を活性化させることが知られていたアセチル化酵素p300がKLF5をアセチル化する部位と同一であった。このため私はHDAC1とp300はKLF5の同一部位に結合し、前者は後者の結合を競合的に阻害するのではないかと考えた。組み替え蛋白質を用いたinvitro結合試験を行ったところ、期待された通りHDAC1はKLF5とp300の相互作用を容量依存性に阻害した。アセチル化酵素と脱アセチル化酵素が転写因子の特定の領域に競合的に結合することの直接的証明はこれが初めてであった。

最後にHDAC1とp300の競合的結合のKLF5依存性転写活性への影響をレポーターアッセイにて確認した。結果、予想通りHDAC1の過剰発現はp300によるKLF5転写活性化作用を完全に抑えた。

考察

KLF5の転写活性調節機構を解明する過程において本論文は脱アセチル化酵素の新しい調節様式を証明することができた。すなわち、脱アセチル化酵素HDAC1は転写因子KLF5に直接的に結合しKLF5のDNA結合活性を阻害し、その結果KLF5のプロモーター活性化作用を抑制した。更にHDAC1とKLF5活性化因子であるp300はKLF5上の同一部位(ZF1)に結合するため、HDAC1はp300とKLF5の相互作用をも阻害することがわかった。

まず本論文ではHDAC1によるKLF5抑制作用の比較的詳細な機序が明らかになった。HDAC1は転写抑制因子として広く知られているにも関わらず、HDAC1による転写因子のDNA結合活性への影響についてはこれまでほとんど報告されていなかった。本論文のゲルシフトDNA結合試験の結果は、HDAC1のKLF5への結合自体がinvitroにおいてKLF5のDNA結合活性抑制に充分であることを示した。これはこれまで知られていなかったHDAC1の特性である。更にHDAC1とp300の競合的結合試験の結果は脱アセチル化酵素による新たな転写制御様式を提案するに至った。HDAC1はp300のKLF5への作用を阻害することによってもKLF5の転写活性化作用を抑制しうる。両者の結合部位が1つのZinc-フィンガー型配列であり、そこへ同時に結合できる因子はおそらく1つであろうことを考えると、HDAC1の効果はおそらく単純にp300のKLF5への結合部位を隠すことによると思われる。脱アセチル化酵素とアセチル化酵素が転写因子の特定の小領域に競合的に結合することは両者の酵素活性を考えた時ごく当然に予想されることではあるが、組み替えタンパク質を用いた直接的証明は本論文が初めてであった。

次にKLF5側の要素を考えると本論文は2つの分子生物学的知見を持つ。まず、転写因子のDNA結合領域は一般には転写因子とそのDNA認識配列を連結させる受動的な役割のみを持つと考えられがちである。しかし、最近の報告では、特にSp/KLF型転写因子群においてはDNA結合領域がDNAに結合するのみならず他の補因子との相互作用、化学修飾の場となり、従って転写活性の重要な調節領域になりうる可能性が示されている。本論文もDNA結合領域が脱アセチル化酵素、アセチル化酵素との作用により転写調節の役割を果たすことを示し、これまでの報告を支持するものとなった。更に、本論文では複数のZinc-フィンガー型配列を持つ転写因子における個々のZinc-フィンガー型配列の役割の違いを示した点で重要である。KLF5の3つのZinc-フィンガー型配列は類似性が高いにも関わらず最もN末端よりのZF1のみがHDAC1及びp300との蛋白-蛋白間相互作用に関与することが示された。このことから少なくともSp/KLF型転写因子群においては同様に個々のZinc-フィンガー型配列が異なった役割を担っている可能性が示唆された。

KLF5とHDAC1の相互作用の生物学的意義を考えるには、KLF5の転写活性がどのような時にどのように複数の補因子間で制御されているかを考慮する必要がある。一つの可能性は補因子の相対的発現量による調節であろう。以前我々は障害血管の新生内膜においてKLF5の発現量増加と一致してKLF5の抑制因子であるSETも増加することを示した。また、KLF5を誘導するphorbol esterは同様にKLF5の活性促進因子であるp300を誘導することが知られている。これらSETやp300と比較した時、HDAC1はこれらの病態・刺激では誘導されず、普遍的・恒常的に発現している補因子と特徴づけられ、各種病態・刺激により転写活性がおきた時必要以上の活性化がおきないよう基礎的な抑制機構としての働きがあるのかもしれない。

最後に、KLF5とHDAC1の相互作用の治療的介入を考えた時の意義としては、本論文に置いてHDAC1がKLF5の活性を長時間にわたり抑制できたことは注目に値する。また、KLF5のうち1個のZinc-フィンガー型配列のみがその転写活性制御に非常に重要な役割を果たすことを示し得たことは、その部位が治療的介入の目標部位となりうるという意味で非常に有意義である。転写活性に重要な蛋白一蛋白間相互作用部位を正確に同定できたことは、そこに結合して転写活性を制御しうる薬剤をスクリーニングできるという点で非常に有利である。今後そのような薬剤の局所投与がKLF5に関連する心血管系病態の制御に役立つかもしれない。

結語

心血管系転写因子KLF5は脱アセチル化酵素HDAC1により抑制され、それはDNA結合活性、プロモーター活性化作用に対する直接的抑制効果によるだけでなく、アセチル化酵素p300との相互作用を阻害する効果にもよることがわかった。これは脱アセチル化酵素による転写制御機構に関する新たな知見である。また、KLF5の転写活性に重要な領域を同定し得たことにより、将来の薬剤開発のための重要な情報をえることができたと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、Sp/KLF型転写因子群の一員であるKruppel型転写因子KLF5が心血管リモデリングにおいて中心的役割を果たすこと、および、その活性化にアセチル化が深く関与していることに着目し、脱アセチル化酵素HDAC1がKLF5の転写活性を直接的に抑制しうるか、さらに、心血管系リモデリング抑制のための将来の薬剤開発につながりうるかについて検討したものであり、下記の結果を得ている。

KLF5とHDAC1が細胞内で相互作用することを免疫沈降法で示し、その結合が直接的であることを組み替え蛋白質によるinvitro結合試験で示した。更に、両蛋白質の変異体を用い、両者の結合部位はKLF5のC末端にあるDNA結合領域とHDAC1のN末端の調節領域であることを示した。

ゲルシフトDNA結合試験でKLF5とHDAC1の結合はKLF5のDNA結合活性を阻害することを示した。さらに、KLF5の下流遺伝子であり心血管リモデリングに重要である血小板由来成長因子A鎖(PDGF-A)遺伝子のプロモーター領域を使用したレポーターアッセイにて、HDAC1はKLF5依存性のプロモーター活性作用を容量依存性に抑制することを示した。

KLF5はphorbolesterによる活性化に続いてその下流のPDGF-A遺伝子を活性化することが知られていたため、HDAC1の過剰発現がphorbolester刺激後の内因性PDGF-A遺伝子の発現上昇に及ぼす影響を調べたところ、HDAC1は内因性PDGF-A遺伝子の発現上昇を抑制することが示された。

KLF5のDNA結合領域のうちどの小領域がHDAC1に結合するかを確認したところ、KLF5のDNA結合領域に含まれる3つのZinc-フィンガー型配列(ZF1-3)のうち最もN末端側のZF1であった。この部位はKLF5を活性化させることが知られていたアセチル化酵素p300がKLF5と結合し、かつアセチル化する部位と同一であった。

組み替え蛋白質を用いたin vitro競合的結合試験にて、HDAC1とp300はKLF5の同一部位に結合し、前者は後者の結合を競合的に容量依存性に阻害した。さらに、その結果、レポーターアッセイにてHDAC1の過剰発現はp300によるKLF5転写活性化作用を完全に抑えることが示された。

以上、本論文は、心血管系転写因子KLF5が脱アセチル化酵素HDAC1により抑制され、それはDNA結合活性、プロモーター活性化作用に対する直接的抑制効果によるだけでなく、アセチル化酵素p300との相互作用を阻害する効果にもよることを明らかにした。これは脱アセチル化酵素による転写制御機構に関する新たな知見である。また、KLF5の転写活性に重要な小領域を同定し得たことにより、その部位を目標とした将来の薬剤開発のための重要な情報をえることができたと考えられる。

よって、本研究は心血管系リモデリングの機序や治療戦略の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク