学位論文要旨



No 121415
著者(漢字) 松本,佐保姫
著者(英字)
著者(カナ) マツモト,サホヒメ
標題(和) インターフェロン応答を引き起こさないsiRNA発現ベクターライブラリーを用いた、2本鎖RNAによるアポトーシス経路の解析
標題(洋) Analysis of double-stranded RNA-induced apoptosis pathways using interferon-response noninducible small interfering RNA expression vector library.
報告番号 121415
報告番号 甲21415
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2663号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山下,直秀
 東京大学 教授 辻,省次
 東京大学 教授 門脇,孝
 東京大学 助教授 千葉,滋
 東京大学 教授 大内,尉義
内容要旨 要旨を表示する

RNAi(RNA interference;RNA干渉)とは、2本鎖のRNA(double-stranded RNA:dsRNA)を細胞内に導入することで、その相補配列のmRNAが切断され、その結果遺伝子の発現が抑制されるという現象であり、1998年に初めて線虫で報告された(Fire et al.,1998)。当初、30bp以上のdsRNAを哺乳動物細胞に導入すると、細胞の防御機構であるインターフェロン応答によりアポトーシスが誘導されてしまうという現象が観察され、哺乳動物への応用は困難と考えられた。しかし、Tuschlらの研究により、21塩基のsmall interfering RNA(siRNA)を細胞導入することにより、dsRNAによるインターフェロン応答を回避することで哺乳動物での応用が可能となり(Elbashir et al.,2001)、以来RNAiは、簡便な遺伝子解析の方法として研究分野および医療分野での応用が注目されている。特に、RNAiによる遺伝子発現抑制活性の高さと手法の簡便さから、RNAiを用いたライブラリーの作製が世界的に行われ、遺伝子の網羅的解析に対する試みが進められている。しかしながら、siRNAを合成して細胞に導入するという方法では、遺伝子抑制効果が一過性にしか働かないこと、ライブラリーのように大量に合成するにはコストがかかりすぎることなどの重大な問題があることが分かってきた。宮岸らは、細胞内でDNAからsiRNAを合成する発現ベクター系を開発し、これによって、より長時間にわたる安定した遺伝子の発現抑制を可能とした(Miyagishi and Taira,2002)。さらに、ベクター系では一度構築してしまえば、大腸菌内にトランスフォーメーションすることで無限に利用することが可能であり、低コストでのライブラリーの構築が実現した。

siRNAの遺伝子抑制効果は、あるサイトでは十分な抑制効果が得られても、他のサイトでは不十分であるというように、ターゲットサイト依存的である。一つ一つの遺伝子に対するライブラリーを作製する際には、十分な遺伝子抑制作用を得るために、最適なターゲットサイトを予測することが必要である。宮岸らは、独自の効果の高いターゲットサイト選択アルゴリズムの作製に成功し、又、特異性を高めるための検索システムの構築などを行うことで、遺伝子抑制作用・特異性ともに高いサイトを高効率にピックアップすることができるようになった。これにより、大規模なレベルでの質の高いsiRNAライブラリー作製が可能となった(Miyagishi et al.,2004;Miyagishi and Taira,2003)。

しかしながら、更なる研究の積み重ねにより、当初考えられていたようなsiRNAによるインターフェロン応答の回避は完全ではなく、siRNAによってもある程度のインターフェロン応答が起きていることが観察されてきた(Sledz et al.,2003)。私はsiRNAを直接細胞内に導入するよりも、独自に開発した発現ベクターにより、細胞内でsiRNAを発現させるほうが、インターフェロン応答を起こさない事を見出した。この独自の発現ベクターライブラリーを用いて、dsRNAによるアポトーシスに関連する遺伝子を解析した。

siRNA発現ベクターライブラリーを用いたdsRNAによるアポトーシスの経路の解析

ウイルス感染を起こした細胞がアポトーシスを起こすことはすでに知られている。これには、長いdsRNAが細胞内に入ることで引き起こされるアポトーシスの経路が関わっているが、その経路に関してはいまだ未知の部分が多い。私は、この経路に関する遺伝子を新規に同定するために、アポトーシス関連遺伝子、キナーゼ、転写因子などのおのおのの遺伝子に対して、およそ700のsiRNA発現ベクターを作製し、スクリーニングを行った。

dsRNAが引き起こすアポトーシスにPKRが関与していることは、今までに報告されており、PKRに対するsiRNA発現ベクターを、アポトーシスを抑制する陽性コントロール(PKR sitel,PKR site2)として作製し、Renilla luciferaseに対するsiRNA発現ベクターを陰性コントロール(N1,N2)として作製した。これらを細胞に導入し、その後dsRNAでアポトーシスを誘導した。図1の顕微鏡写真に示すとおり、陰性コントロールではほとんどの細胞がアポトーシスを起こしているのに対し、PKRをノックダウンした細胞ではアポトーシスが抑制され生き残っていることが示された。この陽性コントロールと陰性コントロールを用いて、スクリーニングの系を立ち上げた(図2)。

HeLaS3細胞を48ウェルプレートに撒き、24時間後にsiRNA発現ベクターを1ウェルあたり1ベクターとなるようにトランスフェクションした。36時間の培養の後、1μg/mlのピューロマイシンでベクターのトランスフェクションされた細胞のみセレクションして1ウェルあたり1×105細胞となるように細胞数をそろえて撒きなおした。さらに24時間培養し、FuGENE 6を用いて、dsRNA[poly(I-C)]を細胞に導入しアポトーシスを誘導した。24時間後に、4%パラホルムアルデヒドで固定し、クリスタルバイオレットで染色することで、アポトーシスを抑制したウェルだけが紫色に染色された。これらのウェルをピックアップし、その遺伝子を解析した。私は、このスクリーニング方法を確立し、これを用いて、興味深い因子の同定に成功した。

表1にあげるように、PKR,caspase 8などの現在までに知られているPKR依存的な古典的経路に加えて、cytochrome c,Apaf-1,VDAC,BAX,Bid,caspase 9などのミトコンドリア関連遺伝子,MAPK1,MAPK9,MAPK13,MAPK14,MKK,MEKKなどのMAPKファミリーなどをノックダウンする事でアポトーシスが抑制され、これらがdsRNAによるアポトーシスの経路に関与するものとして新たに認められた。私は、これらの新たにとれてきた因子の相互関係に関しても解析を行い、dsRNAによるアポトーシスを経路的に解明することに成功した。ミトコンドリアに関連する経路は、アポトーシスの経路としては広く認識されているものであるが、dsRNAによるアポトーシス経路での報告は余り認められていない。そこで、ミトコンドリアの経路の関与を確認するために、dsRNAを細胞に導入したのちにcytochromecがミトコンドリアから放出されるかどうかを細胞質を分画してウェスタンブロッティングを行ったところ、たしかに、cytochrome cの放出が確認された。私は、ミトコンドリアの経路の上流に位置する遺伝子を同定するために、スクリーニングで取れてきた遺伝子おのおのをノックダウンし、dsRNAによるアポトーシスを誘導したときにcytochrome cの放出を抑制する遺伝子を検索した。この実験の結果、JNK/SAPKをノックダウンすると、cytochrome cの放出が抑制され、アポトーシスが起こらなくなることを見出した。これによりdsRNAによるアポトーシスにおいてJNK/SAPKがミトコンドリアの経路の上流に位置していることが示唆された。

さらに興味深いことに、ERK2(MAPK1)という、今までは細胞の増殖あるいは生存に関与すると考えられていた因子をノックダウンすることで、アポトーシスが抑制されることを見出した。リン酸化のERKを認識する抗体でウェスタンブロットを行ったところ、dsRNAを細胞に導入することにより、ERK2はリン酸化を受けることが確認された。そこで、ERK2の上流に位置する遺伝子を解析するために、スクリーニングで取れてきた遺伝子おのおのをノックダウンし、dsRNAによるアポトーシスを誘導したときにERK2のリン酸化を抑制する因子を解析した。その結果、MST2およびPKCαをノックダウンした時にアポトーシスが抑制され、さらにdsRNAによるERK2のリン酸化が抑制されることを見出した。これらより、MST2およびPKCαは、ERK2のリン酸化を介して、dsRNA依存的なアポトーシスに関与していることが示された。

私は今回の研究により、dsRNAのアポトーシスの経路に、今まで考えられてきたPKR依存的な経路に加えて、JNK/SAPKを介したミトコンドリアの経路、MST2およびPKCαを介したERK2の経路、の少なくとも3つの経路が関与していることを初めて示唆することに成功した。私は、本研究を通して、アポトーシスの経路に関する新しい知見を呈示するのみならず、siRNA発現ベクターを用いて遺伝子を網羅的に解析し、さらに、その遺伝子の相互関係についても詳細な解析を行うことが出来ることを示した。今回の研究の様なdsRNA依存的な経路を網羅的に解析した例は初めてであり、さらにsiRNAライブラリーを用いた網羅的な解析手法がシグナルトランスダクションネットワークの解明に非常に有効であることをも示す事が出来たと考えている。

Elbashir,S.M.,Harborth,J.,Lendeckel,W.,Yalcin,A.,Weber,K.and Tuschl,T.(2001)Duplexes of 21-nucleotide RNAs mediate RNA interference in cultured mammalian cells.Nature,411,494-498.Fire,A.,Xu,S.,Montgomery,M.K.,Kostas,S.A.,Driver,S.E.and Mello,C.C.(1998)Potent and specific genetic interference by double-stranded RNA in Caenorhabditis elegans.Nature,391,806-811.Miyagishi,M.,Matsumoto,S.and Taira,K.(2004)Generation of an shRNAi expression library against the whole human transcripts.Virus Res,102,117-124.Miyagishi,M.and Taira,K.(2002)U6 promoter-driven siRNAs with four uridine 3'overhangs efficiently suppress targeted gene expression in mammalian cells.Nat Biotechnol,20,497-500.Miyagishi,M.and Taira,K.(2003)Strategies for generation of an siRNA expression library directed against the human genome.Oligonucleotides,13,325-333.Sledz,C.A.,Holko,M.,de Veer,M.J.,Silverman,R.H.and Williams,B.R.(2003)Activation of the interferon system by short-interfering RNAs.Nat Cell Biol,5,834-839.
審査要旨 要旨を表示する

本研究は、生物学的に非常に重要な現象であるアポトーシスの中で、2本鎖のRNA(dsRNA)によるアポトーシスの経路を明らかにすることを目的とした。そのために最近注目されているRNAiの技術を用いて、独自の発現ベクターライブラリーを作製してスクリーニングを行い、下記の結果を得ている。

細胞の中にdsRNA(またはRNAウイルスなど)が導入されると、アポトーシスが誘導される事が知られている。合成のsiRNAを細胞に導入しても、このような非特異的な遺伝子抑制効果を引き起こしうるため、siRNAを用いてdsRNAによるアポトーシスの経路を解析することは困難であると考えられてきた。しかし、細胞の中でdsRNAを発現させるベクター系を用いることにより、アポトーシスが誘導されない事を示し、siRNA発現ベクターによるdsRNAのアポトーシス経路の解析を可能にした。

アポトーシス関連遺伝子、キナーゼ、転写因子など241の遺伝子をターゲットとし、およそ700個のsiRNA発現ベクターを作製して、dsRNAによるアポトーシス経路に関わる因子のスクリーニングを行った。その結果、ミトコンドリア関連遺伝子、MAPKなど28の遺伝子において、その遺伝子をノックダウンするとdsRNAによるアポトーシスが抑制される事を見出した。

これらの因子に関して、解析を行った。dsRNAによるアポトーシスを誘導するとcytochromecが放出される事をウェスタンブロッティングの手法を用いて確認し、dsRNAによるアポトーシスの経路にミトコンドリアを介するものが存在している事を示した。次にミトコンドリアの上流に位置する因子を同定するために、スクリーニングで取れた因子に対するsiRNA発現ベクターを導入してからアポトーシスを誘導し、cytochrome cの放出に影響を与えるものがあるかどうかを解析した。その結果、JNK/SAPKをノックダウンすると、cytochrome cの放出が抑制される事を示した。

dsRNAによるアポトーシスを誘導すると、ERK1/2のリン酸化が誘導される事をウェスタンブロッティングの手法を用いて解析し、dsRNAによるアポトーシスの経路においてERK2が関与している事を示した。さらに、ERK2の上流に位置する因子を同定するために、スクリーニングで取れた因子に対するsiRNA発現ベクターを導入してからアポトーシスを誘導し、ERK1/2のリン酸化に影響を与えるものがあるかどうかを解析した。その結果、MST2およびPKCαをノックダウンすると、dsRNAによるERK1/2のリン酸化が抑制された。よってMST2およびPKCαがERK2の上流の因子として働きうると結論された。

以上、本論分は、dsRNAによるアポトーシスの経路の解析を行い、今まで知られていたPKR依存的な経路に加えて、新たにJNK/SAPKを介するミトコンドリアの経路およびMST2・PKCαを介するERK2の経路が存在することを明らかにした。特に、一般には細胞の生存や増殖に関与すると考えられているERK2がアポトーシス促進的に働いている事をdsRNAのアポトーシスの系において初めて示している。本研究は、非特異的な抑制効果を引き起こさないsiRNA発現ベクターを用いたライブリーの構築に成功し、それを用いて、dsRNAのアポトーシス経路を解析し、今まで同定されていなかった新しい経路の同定に成功しており、学位の授与に値するものと考えられる。

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