学位論文要旨



No 121417
著者(漢字) 菊池,好晃
著者(英字)
著者(カナ) キクチ,ヨシアキ
標題(和) 高酸素吸入が急性緑膿菌感染肺炎に及ぼす影響 : そのメカニズムと治療法に関する研究
標題(洋)
報告番号 121417
報告番号 甲21417
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2665号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小池,和彦
 東京大学 助教授 池田,均
 東京大学 講師 大石,展也
 東京大学 講師 井,大哉
 東京大学 講師 森屋,恭爾
内容要旨 要旨を表示する

背景と目的

人工呼吸器関連肺炎(ventilator-associated pneumonia,VAP)は、気管挿管時には肺炎が認められなった患者に、気管挿管による人工呼吸器管理開始後48〜72時間以降に発症する肺炎と定義される。人工呼吸器が装着されている患者の8〜28%が肺炎に罹患し、VAPに罹患した挿管患者の死亡率は24〜50%、特殊な場合には76%を超え、肺炎に罹患していない挿管患者の死亡率1〜4%と比較して、非常に高い死亡率を認めている。VAPの起炎菌の頻度としては、緑膿菌が約25%と一番高く、重要な菌であることは既にわかっている。また、VAPに対して、高酸素投与が必要となる場合や、挿管された時点ですでに高酸素投与を施行されていることが多い。しかし、酸素自体には毒性があり、肺炎患者において高酸素を投与した場合、どのような悪影響が生じるかについてはわかっていない。そこで今回、VAPにおける最も頻度の高い起炎菌である緑膿菌について、肺炎動物モデルを作製し、高酸素の影響やその病態およびメカニズムについて明らかにすることを目的とし、また、緑膿菌感染肺炎+高酸素に対する治療法として、緑膿菌感染をともなったびまん性汎細気管支炎(diffuse panbronchiolitis,DPB)や嚢胞性線維症(cystic fibrosis,CF)患者に効果が認められているマクロライド系抗菌薬について検討した。

材料および方法

使用菌株および細胞

緑膿菌標準株としてPAO1、肺上皮細胞としてA549 celllineを使用した。

マウス感染モデル

PAO1をBalb/cAnNCrlCrljマウスに経鼻的に感染させ、酸素90%を24から60時間暴露した。24時間暴露した後、肺および肝臓の生菌数、肺重量、肺胞洗浄液中のアルブミン量、肺のサイトカイン濃度およびM30抗体活性を測定した。また、感染のみ、酸素90%を60時間暴露のみ、または、感染+酸素90%を60時間暴露の3群について、生存率を比較検討した。

サイトカイン、アルブミン量、M30抗体活性(上皮細胞のアポトーシスマーカー)の測定サイトカイン、アルブミン量、M30抗体活性の測定は市販のELISAキットを用いて測定した。

細胞viabilityの変化

PAO1をMuller Hinton brothに加え、24時間細菌培養し、そのbroth中から、フィルターによって細菌を除去したものを上清液として作製した。この上清液を、A549に添加し、酸素21%または90%の条件下にて24から48時間作用させ、viabilityをテトラカラー(生化学工業)にて測定し、培養液添加、非添加、あるいは酸素21%と90%の条件の違いについて比較検討した。また、病原因子を探索する実験では、上清液と同時に各種プロテアーゼインヒビターをA549に添加し、同様にviabilityを測定した。

in vitroにおけるマクロライド薬の効果

Muller Hinton broth中で、各2.5、5、10μg/mlの濃度になるようにアジスロマイシン(AZM)、エリスロマイシン(EM)、ロキシスロマイシン、クラリスロマイシン(CAM)、オレアンドマイシン、ジョサマイシン、ロキタマイシン、ミデカマイシンあるいはテリスロマイシン(TEL)を加え、この中でPAO1を培養した。この培養液から同様に上清液を作製し、高酸素条件下でA549に添加し、viabilityを評価した。

in vivoにおけるAZMの効果

AZMを緑膿菌感染2日前から感染後2日まで計5回、あるいは、感染直後から感染後2日まで計3回経口投与し、60時間90%酸素環境下で飼育した後、生存率をAZM投与群と非投与群の間で比較検討した。また、感染24時間後の肺および肝臓の生菌数を測定した。

結果

高酸素投与は緑膿菌感染肺炎モデルのマウスの死亡率を有意に増加させた。このとき、肺内生菌数、肺重量、肺胞洗浄液中のアルブミン量および肺サイトカイン濃度およびM30抗体活性について、室内気と高酸素環境下の飼育に有意な差は認められなかった。しかし、肝臓内の生菌数については、高酸素下飼育マウスは室内気と比較して、有意に生菌数の増加が認められた。このことから、病態として敗血症の関与が疑われた。

菌培養上清液を肺上皮細胞へ添加し、酸素90%条件下で細胞培養をした場合、21%で細胞培養をしたものと比較すると、早期から肺上皮細胞の剥離や細胞の形態変化が生じ、肺上皮細胞のviabilityの低下が増強された。しかし、緑膿菌自体を酸素90%条件下で細菌培養し作製した上清液と、酸素21%で細菌培養し作製した上清液の間、あるいは、上清液自体に酸素90%を暴露した場合と暴露していない場合の間には、細胞に与える影響に差は認めなかった。これらの結果から、高酸素の作用点は宿主(上皮細胞)側にあり、高酸素は上清液中の病原因子の上皮細胞に対する感受性を高めているものと考えられた。

次に細胞のviabilityを低下させる上清液中の病原因子について検討した結果、高酸素下での上清液による細胞のviabilityの低下は、各種プロテアーゼ阻害剤の中で、メタロプロテアーゼ阻害剤のみがviabilityの低下を抑制した。このことから、メタロプロテアーゼが重要な病原因子の1つである可能性が示唆された。

また、5〜10μg/ml濃度のEM、CAM、AZM、およびTELと緑膿菌を一緒にMuller Hinton brothの中に加え培養し作製した上清液は、肺上皮細胞の剥離およびviabilityの低下を示さなかった。さらに、AZMについてin vivoで検討した結果、AZMを緑膿菌感染2日前から2日後まで計5回経口投与し、酸素90%を60時間暴露した場合は、AZMを投与していない群と比較して有意に生存率の改善が認められた。また、AZMを投与したことによって、肝臓から認められていた生菌の検出が認められなくなった。しかし、AZMを緑膿菌感染直後から2日後まで計3回経口投与した場合には、有意な差は認められなかった。これらの結果から、14員環、15員環のマクロライドあるいはケトライド系抗菌薬は、高酸素+緑膿菌感染肺炎に対して肺上皮細胞傷害を防御する効果があり、予防的投与にて生存率を改善することが認められた。

考察

高酸素暴露は緑膿菌感染肺炎に対して死亡率を著明に増加させることが認められ、この病態として敗血症の関与が疑われた。病態のメカニズムの1つとして、緑膿菌が気道上皮細胞に感染すると、病原因子の1つであるメタロプロテアーゼを産生分泌する。このメタロプロテアーゼは肺上皮細胞の剥離や細胞傷害を引き起こす。しかも高酸素の存在下では宿主側のメタロプロテアーゼに対する感受性を高め、その結果、上皮細胞が強く傷害され、バリヤー効果を失い、菌の浸透性が増強され、敗血症へと進展し死亡率が上昇すると推測された。しかし、メタロプロテアーゼのみでこの病態すべてを説明できるわけではなく、今後は、各病原因子の阻害剤の効果や他の菌種について検討する必要があると考えられた。

マクロライド系抗菌薬は緑膿菌のプロテアーゼ産生を抑制することが多数報告されている。今回の病原因子としてメタロプロテアーゼの関与が考えられることから、マクロライド系抗菌薬の効果について検討した。その結果、緑膿菌培養上清液を添加した肺上皮細胞を高酸素に暴露させて生じる細胞の形態変化やviabilityの低下を、14、15員環のマクロライドやケトライド系抗菌薬が抑制し、また、緑膿菌感染肺炎+高酸素の動物実験モデルにおいてAZMの予防投与によって生存率を改善することが認められた。これらの結果から、14,15員環のマクロライドやケトライド系抗菌薬のVAPの予後や発症率の改善を目的とした予防的投与が有効である可能性が考えられた。また、マクロライド系抗菌薬には、気道上皮における気道分泌の抑制作用、IL-8やロイコトリエンB4など好中球遊走因子の産生抑制、活性化T細胞の減少、単球・マクロファージに対しては、分化、増殖を促進するなどの報告がなされている。このような宿主に対する作用も今回の緑膿菌感染肺炎マウス+高酸素の生存率の改善に関与している可能性もあり、マクロライド系抗菌剤投与における肺内のサイトカイン、ケモカインなどの変化など、今後、生体側の反応を検討していく必要があると考えられた。

現在、VAPにおけるAZMの予防的投与の効果を確認するために臨床試験中である。すなわち、ICUに入院され挿管が必要となった患者を対象に、挿管時からAZM投与する群と投与しない群の2群に分け、VAPの発症率、予後、起炎菌の頻度などを比較検討しているところである。VAPの死亡率改善や予防を目的とした挿管患者に対するAZMの予防的投与は、新しい治療法として有効であるか、結果が待たれるところである。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、高酸素吸入が人工呼吸器関連肺炎において重要な原因菌である緑膿菌感染肺炎にどのような影響をおよぼすかについて検討を試みたものであり、下記の結果を得ている。

Balb/cマウスに緑膿菌を経鼻的に感染させマウスの緑膿菌感染肺炎モデルを作製し、高酸素(酸素90%)環境下で60時間飼育した。その結果、高酸素環境下で飼育したものは、室内気(酸素21%)で飼育したものと比較して著明な生存率の低下が認められた。このとき、室内気と高酸素環境下で飼育したものの間に、肺内生菌数の差は認められなかった。しかし、肝臓の生菌については室内気で飼育した場合は検出されなかったが、高酸素環境下で飼育したものについては多数の生菌が認められた。また、両者に肺の重量、TNFα濃度、M30抗体活性、気管洗浄液中のアルブミン濃度に差は認められず、病態として敗血症が関与している可能性が示 された。

A549細胞(肺上皮系細胞)に緑膿菌培養上清液(菌除去)を濃度1.25%、2.50%になるように添加し、酸素90%条件下で8時間細胞培養を行った後、位相差顕微鏡にて形態変化を観察した。その結果、細胞接着が傷害され細胞の形態が球形になるような変化が観察された。次に、緑膿菌を21%酸素下で培養し作製した上清液をA549細胞に添加した後に、A549細胞を酸素21%および90%条件下で48時間培養し、細胞のviabilityを測定した。その結果、酸素90%条件下で細胞培養したものは、酸素21%条件下で細胞培養した場合と比較してviabilityの低下を有意に増強させることが示された。

緑膿菌培養上清液をA549細胞に添加する際に、同時に各種プロテアーゼ阻害剤を加え、酸素90%条件下48時間細胞を培養した結果、メタロプロテアーゼの阻害剤であるEDTAのみが濃度依存的に細胞のviability低下を抑制する効果が認められた。今回の重要な病原因子の1つとして、メタロプロテアーゼの関与が示された。

緑膿菌の入ったプロース中に各マクロライド系抗菌薬(2.5-10μg/ml)を加え24時間菌培養し、作製した上清液をA549細胞に添加し、90%条件下48時間細胞培養を施行した後、細胞のviabilityを測定した。その結果、14員環、15員環マクロライド系抗菌薬であるクラリスロマイシン、エリスロマイシン、アジスロマイシンやケトライド系抗菌薬であるテリスロマイシンにおいて、著明なviability低下抑制効果が認められた。これら抗菌薬は、緑膿菌培養上清液+高酸素の上皮細胞傷害を防御することが示された。

アジスロマイシンを緑膿菌感染肺炎動物モデルに、感染2日前から2日後まで計5回経口投与し、酸素90%環境下60時間飼育したときの生存率をアジスロマイシン非投与群と比較した。その結果、アジスロマイシン投与群は非投与群と比較し、有意に生存率を改善した。さらにアジスロマイシン投与によって、肝臓から検出されていた多数の生菌が検出されなくなった。この結果から、アジスロマイシンの予防投与は高酸素十緑膿菌感染肺炎の予後を改善し、敗血症への進展を防御する可能性が示された。

以上、本論文は高酸素吸入+急性緑膿菌感染肺炎動物モデルにおいて、高酸素が緑膿菌感染肺炎マウスの生存率を著しく低下させることを明らかにし、病態として、緑膿菌が産生するメタロプロテアーゼが気道上皮細胞を傷害し、この傷害を高酸素が増強する。その結果、バリヤー効果を持つ上皮細胞が著明に破壊され、菌の浸透性が増し、敗血症へと進展する可能性を明らかにした。また、今回の生存率の低下を14,15員環のマクロライド系およびケトライド系抗菌薬の予防的投与によって改善することができることについても明らかにした。本研究は、1つの病態の仮説を提示し、マクロライド系抗菌薬の効果を示したものであり、今回の研究は人工呼吸器関連肺炎における予防あるいは予後の改善に対し、重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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