学位論文要旨



No 121419
著者(漢字) 大前,知也
著者(英字)
著者(カナ) オオマエ,トモヤ
標題(和) Helicobacter pyloriによるBリンパ球のNF-κB alternative pathway活性化に関する検討
標題(洋)
報告番号 121419
報告番号 甲21419
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2667号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上西,紀夫
 東京大学 教授 山本,一彦
 東京大学 教授 松島,綱治
 東京大学 助教授 川口,寧
 東京大学 講師 丸山,稔之
内容要旨 要旨を表示する

[研究の背景および目的]

Helicobacter pylori(H. pylori)はヒトの胃に持続感染し慢性胃炎、胃十二指腸潰瘍や胃MALTリンパ腫の原因となるグラム陰性桿菌である。現在H. pyloriはWHO/IARCによりdefinite carcinogenに定義づけられ、特に染色体転座を伴わない胃MALTリンパ腫に対してはH. pylori除菌により約60-80%の症例が寛解することから、除菌治療が第一選択の治療法となっている。

胃MALTリンパ腫はH. pyloriが原因のもの、染色体転座が原因のもの、それ以外、の大きく3つに分類される。H. pyloriが引き起こす胃MALTリンパ腫の発症メカニズムについてはこれまでに胃粘膜に浸潤するT細胞の関与や、浸潤する炎症細胞が産生するケモカインの関与などが報告されている。一方染色体転座を伴う胃MALTリンパ腫では、転座により過剰産生されたタンパクが転写因子NF-KBのclassical pathwayを持続的に活性化することが報告されており、腫瘍発生に重要であると考えられている。

NF-kBは炎症、細胞増殖、細胞生存などに重要な役割をする転写因子であり、NF-KB活性化はB細胞において抗アポトーシス作用をもたらすことが報告されている。NF-KB活性化経路において近年alternative pathwayと呼ばれる経路が主としてB細胞の抗アポトーシス、生存、増殖等に関与していることが明らかとなった。この経路では刺激が加わるとNF-KBを構成する5つのsubunitのうちのNF-KB2(p100)がprocessされp52となって核内に移行し転写因子として働く。この経路の活性化を引き起こす刺激としてはB-cell activating factor belonging to the TNF family(BAFF),CD40L,lipopolysaccharide(LPS)等が知られている。この経路の持続的活性化を起こすknock-in mouseでは胃粘膜への高度のリンパ球浸潤を来すことが報告されている。また、胃MALTリンパ腫細胞での発現亢進が報告されているBCA-1はこの経路の標的遺伝子であることも報告されている。

今回H. pyloriがNF-kB alternative pathwayを活性化することが胃MALTリンパ腫の発症の契機となる可能性を考え,H. pyloriがこの経路を活性化するか、またこの経路の活性化がB細胞のアポトーシスに影響を及ぼすかについて検討した。またこの経路の活性化に関与する菌側因子について、H. pylori特有の病原因子であるCag(cytotoxin associated gene)Aタンパクおよびcag pathogenicity island(cagPAI)と、死菌あるいは粗LPSに分けて検討を行った。一方、ヒト生検検体を用いて、H. pylori感染胃粘膜におけるこの経路の活性化の有無を検討した。

[方法]

H. pyloriはTN2株を用いた。細胞はIM-9(ヒトB細胞株),AGS(ヒト胃癌細胞株),ヒト末梢血B細胞、およびマウス牌臓B細胞を用いた。これらの細胞にH. pyloriを感染させ、NF-kB alternative pathwayの活性化の有無をウエスタンプロット、EMSAで検討し、標的遺伝子の発現をreal-time PCRで確認した。この経路の活性化に関与する因子についてNIKの変異マウスであるaly/alyマウスの牌臓B細胞、及びIKKαのsiRNAをIM-9に作用させて検討した。この経路に関与のするH. pylori側因子については、CagAタンパクおよびcag PAIの関与についてはcagA,cagEのisogenic mutant株をそれぞれ用い、菌体成分については加熱処理した死菌あるいは粗LPSを抽出して検討した。この経路の活性化がアポトーシスに与える影響についてはTUNEL法で検討した。また、ヒト胃生検検体を用いてこの経路の活性化の有無を免疫染色で検討し、さらに標的遺伝子発現についてRT-PCRで検討を行った。

[結果]

IM-9細胞,ヒト末梢血B細胞においてH. pyloriはNF-kB alternative pathwayを活性化することがウエスタンプロット、EMSAで確認された。また標的遺伝子であるblc, elc, sdf-1-aは5.4±1.0倍、6.8±0.4倍、23.1±3.4倍にそれぞれ発現上昇が認められた。

次にこの経路の活性化に関与するとされる、NIKおよびIKKαについて検討した。aly/alyマウスのB細胞を用いた検討ではH. pyloriによるp52産生がウエスタンプロットでほとんど認められなかった。またIKKα siRNAをIM-9細胞に作用させ、ウエスタンプロットで検討を行うとp52産生は抑えられた。以上より、H. pyloriによるNF-kB alternative pathwayの活性化にはNIKおよびIKKαが関与していると考えられた。

この経路の活性化に関与する菌側の因子については、TN2ΔcagAおよびTN2ΔcagEいずれにおいても野生株と同様にp52産生がウエスタンプロットで認められた。また死菌や粗LPSを用いて刺激を加えるとp52の産生がウエスタンプロットで確認され、CagAやcagPAI以外の菌体成分がこの経路を活性化する因子の1つであると考えられた。

この経路に関与するIKKαおよびp100/p52のsiRNAをIM-9に作用させH. pyloriを48時間感染させると、non silencing siRNAのTUNEL陽性細胞が3.0±0.3%であったのに対し、IKKαあるいはp100/p52siRNA群では7.4±1.3%、8.6±0.6%とそれぞれ有意に増加していた(p<0.05)。すなわちH. pyloriによるNF-kB alternative pathwayの活性化はB細胞の抗アポトーシスと関連していることが示唆された。

ヒト胃生検検体を用い免疫染色を行うと、H. pylori陽性者では上皮間に浸潤する炎症細胞にp100/p52陽性細胞を多数認め、これらの炎症細胞はCD20陽性であった。さらにblc,elc,sdf-1-αの各遺伝子の発現をRT-PCRで検討すると、H. pylori陽性者ではこれらの遺伝子の発現上昇が著明であった。以上よりH. pylori胃炎の胃粘膜に浸潤したB細胞において、NF-kB alternative pathwayの活性化が起きていることが示唆された。

[考察]

本研究は主にH. pyloriによるB細胞のNF-kB alternative pathway活性化について検討し、この経路の活性化によるケモカイン産生や抗アポトーシス作用について解析を行った。

NF-kB alternative pathway活性化により、炎症細胞の遊走にかかわるblc,elc,sdf-1-aなどのケモカイン遺伝子が制御を受けていることが知られており、今回の検討でもこれらの遺伝子がH.pylori刺激により発現上昇していた。このことはこの経路がautocrineあるいはparacrineの機序を介して炎症の惹起や持続、ひいては増悪に関わっている可能性が考えられる。またH. pyloriによるこの経路の活性化がB細胞の抗アポトーシスに関与していることも示された。こうしたH. pyloriによるNF-kB alternative pathwayの活性化を介したケモカイン産生あるいは抗アポトーシス作用がB細胞の生存を促し、腫瘍化の契機となっている可能性が示唆された。

一般に胃粘膜に浸潤した炎症細胞が管腔内の細菌と直接接する機会はほとんどないと考えられるが、H. pyloriの場合胃粘膜に感染するとびらん、潰瘍を引き起こし、粘膜に浸潤する炎症細胞と直接接する機会は存在すると思われる.特にalternative pathway活性化がH. pylori特有の病原因子であるCagAタンパクやIV型分泌機構などによらず何らかの菌体成分でおきることが今回の検討で明らかとなっており、菌体成分とB細胞の物理的接触でNF-KBを活性化することは充分に考えられる。

一方でH. pyloriがB細胞においてNF-kB classical pathwayの活性化も惹起することが今回の検討で明らかになっており、胃MALTリンパ腫の発症の過程でalternative pathwayとどちらが重要であるかについては今後の検討が必要である。

[結語]

ヒトB細胞においてH. pyloriがNF-kBのalternative pathwayを活性化することを示した。この経路の活性化を通してケモカインの産生および抗アポトーシスに関与していることが明らかになった。H. pylori特有の病原因子であるCagAタンパクやIV型分泌機構はこの経路の活性化に関与していなかった。またH. pylori感染ヒト胃粘膜においてもこの経路が活性化していることが示された。NF-kB alternative pathway活性化が胃MALTリンパ腫の発症の契機となっている可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

Helicobacter pylori(以下H. pylori)感染は胃炎や消化性潰瘍、あるいはB細胞の腫瘍である胃MALTリンパ腫の発生に関与すると報告されている。本研究は、H. pyloriによるヒトB細胞のNF-kB alternative pathway活性化の有無および活性化に関与する因子について検討した。またNF-kB alternative pathwayの活性化によるケモカイン遺伝子の発現誘導、アポトーシスに与える影響について検討し、下記の結果を得ている。

H. pyloriヒトB細胞株およびヒト末梢血B細胞に感染させ、ウエスタンプロット、EMSAによりNF-kB alternative pathway活性化が起きることを確認した。この経路の活性化によりblc, elc, sdf-1-αのケモカイン遺伝子の発現上昇が見られた。また、胃癌細胞株にH. pylori感染させた際にはNF-kB alternative pathway活性化は認められず、この経路の活性化がリンパ球に特徴のある経路である可能性が示唆された。

この経路の活性化に関与するH. pylori側の因子として、H. pyloriの重要な病原因子とされるCagAタンパクおよびcag PAIの関与についてcagAおよびcagE変異株をそれぞれ用いて検討し、これらの病原因子がNF-kB alternative pathway活性化に関与していないことが示された。また、加熱処理を加えた死菌成分および粗LPSを含む菌体成分によってこの経路の活性化が起きることを示した。

H. pyloriによるNF-kB alternative pathway活性化がアポトーシスに与える影響について、この経路の活性化に関与するIKKαおよびp100/p52のsiRNAをヒトB細胞株に作用させたあとH. pyloriを感染させ、48時間後に誘導されたアポトーシスをTUNEL法で定量した。Control siRNA群でH. pyloriにより誘導されたアポトーシスは全体の3.0±0.3%であったのに対し、IKKαあるいはp100/p52 siRNA群では7.4±1.3%、8.6±0.6%とそれぞれ有意に増加していた(p<0.05)。すなわちH. pyloriによるNF-kB alternative pathway活性化がB細胞の抗アポトーシスに作用することが示唆された。

H. pylori感染ヒト胃生検検体におけるNF-kB alternative pathway活性化を免疫染色で検討した。H. pylori感染ヒト胃粘膜に浸潤する炎症細胞はp100/p52陽性であり、これらはCD20陽性であった。また、in vitroの検討で発現が上昇していたblc,elc,sdf-1-αの各遺伝子の発現についてRT-PCRで確認したところ、H. pylori感染者胃粘膜では非感染者と比較し著明にこれらの遺伝子の発現上昇が認められた。すなわちH. pylori感染ヒト胃粘膜に浸潤するB細胞においてNF-kB alternative pathwayが活性化していることが示唆された。

以上、本論文はH. pyloriによるBリンパ球のNF-kB alternative pathway活性化とそのケモカイン遺伝子発現、アポトーシスに与える影響について検討した初めての論文であり、学位の授与に値すると考えられる。

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