学位論文要旨



No 121420
著者(漢字)
著者(英字) Jazag,Amarsanaa
著者(カナ) ジャザグ,アマラサナー
標題(和) 恒常的RNAi手法を用いたSmad4ノックダウン膵臓癌細胞でのTGF-βの刺激による遺伝子発現プロフィール解析
標題(洋) Smad4 Silencing in Pancreatic Cancer Cell Lines Using Stable RNA Interference and Gene Expression Profiles Induced by Transforming Growth Factor-β
報告番号 121420
報告番号 甲21420
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2668号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 教授 深山,正久
 東京大学 助教授 千葉,滋
 東京大学 助教授 池田,均
 東京大学 助教授 田中,廣壽
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景

TGF-βは上皮系細胞の強力な増殖抑制因子であり,そのシグナルは主にSmadと呼ばれるシグナル伝達分子によって伝わることが知られている.Smadファミリーには1)受容体によりリン酸化されるR-Smad,2)R-Smadと結合して細胞質から核へ移行するCo-Smad,3)R-Smadのシグナルを抑制するI-Smadがある.TGF-βは,まずセリン/トレオニンキナーゼであるII型およびI型受容体と複合体を作る.すると,活性化されたI型受容体がR-SmadであるSmad2及び3をリン酸化し,リン酸化Smad2及び3はCo-SmadであるSmad4と結合して核に移行する.核内でSmad複合体はさらに他の転写因子や転写のコアクチベーター,コリプレッサーと結合し,最終的に標的遺伝子の転写を制御することになる.TGF-βによる細胞増殖抑制のメカニズムとしてTGF-βによりCDK inhibitor(cyclin dependent kinase inhibitor)p21,p15の発現が増強し,その結果細胞周期を停止するためと考えられている.一方TGF-βのシグナル伝達系に何らかの異常が生じ,シグナルがうまく伝わらなくなると,細胞は増殖抑制を免れて増殖するようになり,それがひいては発癌と関与すると推測される.実際にヒトの癌において,このシグナル伝達系のさまざまな遺伝子の異常や発現レベルの異常が見つかっており,このシグナル伝達系は癌抑制因子として働くと従来考えられてきた.膵癌では,Smad4遺伝子の異常が50%もの高率に認められ,Smad4の機能異常によるSmadシグナルの伝達異常は他の癌に比べて特に膵癌に特徴的に認められる.一方、TGF-βのシグナルは,癌化過程の遅い時期では,癌細胞の浸潤や転移を促進するなど,逆に癌に有利に働くことが分かってきた.膵癌でもTGF-βの産生の亢進が知られており,また膵癌は高い浸潤能・転移能を示すため,TGF-βのシグナルによって浸潤や転移にかかわる多数の遺伝子が制御されている可能性が考えられ,特に膵癌の特徴であるSmad4に異常のある癌細胞でそのような影響が強いのではないかと考えられた.近年RNA干渉(RNAi)は哺乳類細胞内因性分子の機能阻害実験を行うツールとして汎用されるようになり、今回我々は,プラスミドベクターを用いてSmad4を恒常的にノックダウンした膵癌細胞株を用い,TGF-βシグナルのSmad4非依存的な標的遺伝子の同定を試みた.

方法

東京大学大学院工学系研究科多比良研究室からsiRNAプラスミドベクターを供与していただきSmad4ノックダウンプラスミドベクターを作成した.このプラスミドは、ヒトU6プロモーター制御下にSmad4遺伝子の部分配列を含むshRNAを産生し、これが2本鎖のshort interfering RNA(siRNA)となり,宿主ゲノムのSmad4遺伝子と結合する.するとSmad4遺伝子がRNA-induced silencing complex(RISC)という複合体に取り込まれ切断されるため,Smad4の発現がノックダウンされる.ノックダウンしようとする遺伝子のどの配列を用いるかということが,ノックダウンの効率はノックダウンしようとする遺伝子の配列に依存するために、効率良いノックダウンの予測される配列を5カ所選択してプラスミドを作成し,(Smad4RNAiベクターNo.1からNo.5)それぞれSmad4発現プラスミドとともに細胞内に一過性に発現させウエスタンプロットでSmad4タンパク質の発現を検討した。その中で最もノックダウン効果の高いNo.5を選び,以降の実験に用いた.Smad4及びSmadシグナルの正常な膵癌細胞株PANC-1にビューロマイシン耐性遺伝子が組み込まれたsiRNA発現プラスミド導入し、1μg/mlPuromycinでセレクションを行い、恒常的に内因性のSmad4をノックダウンした細胞株PANC-1-S4KDを樹立した.同時に空ベクターを導入したSmad4の正常なコントロール株も樹立した.ノックダウンの確認はWestern Blotで検討した.シグナル伝達が抑制されていることはSmad pathwayのreporter CAGA-lucを使ったluciferase assayで確認し、Smad4のmRNAの発現量は定量的RT-PCRで検討した.遺伝子発現プロファイルはS4KDおよびコントロール細胞それぞれをTGF-βで刺激し、2時間後にRNAを抽出、刺激によって制御される標的遺伝子をクロンテック社の3756個cDNAが搭載されたマイクロアレイにて網羅的に解析した.Smad4恒常的ノックダウン細胞とコントロール細胞の表現型の比較のためin vitroでの運動能アッセイ(wound closure assay)を行った.

結果

ノックダウン細胞株の樹立

このようにして,我々はヒト膵癌細胞株PANC-1のSmad4恒常的ノックダウン細胞株(PANC-1-S4KD)とコントロール細胞株(PANC-1-puro)を樹立した.ビューロマイシンで選択した細胞集団であるpool(S4KD pool,puro pool)およびモノクローナル細胞についてまずウエスタンプロットでSmad4タンパク質の発現を調べると,S4KDではSmad4タンパク質のバンドがほぼ完全に消失していた.次にTGF-β-Smadシグナルをレポーターアッセイで検討したところ,S4KD細胞では著明にシグナル伝達が抑制されていることが分かり,一方コントロール細胞ではシグナルが保たれていることが分かった.また,このSmad4のノックダウン効果は継代を重ねても保たれていた.

Smad4恒常的ノックダウン膵癌細胞株におけるTGF-βシグナルの新規標的遺伝子の同定(マイクロアレイを用いた解析)

我々はSmad4の恒常的ノックダウン細胞(PANC-1-S4KDpool)とSmad4の正常なコントロールの膵癌細胞(PANC-1-puropool)をTGF-β1(long/ml)で刺激し,比較的早期(刺激2時間後)に発現が上昇もしくは低下する標的遺伝子をマイクロアレイでスクリーニングした。その結果,Smad4ノックダウン細胞においてもコントロールと同等の数の遺伝子がTGF-β刺激で動いており,そのうち共通して動く遺伝子は非常に少なかった.このことから,Smad4の機能しない細胞でもTGF-βシグナルは遮断されているのみではなく,Smad4正常細胞と異なるメカニズムでシグナルが伝達されていることが示唆された.得られた標的遺伝子の一部について定量的RT-PCRを施行し,マイクロアレイの結果と同じ傾向であることを確認した.これら標的遺伝子を機能別に分類してみるとSmad4ノックダウン細胞とコントロール細胞とでは細胞の接着,運動,増殖にかかわる遺伝子の発現パターンに差が見られた.また,これらの遺伝子とTGF-βとの関係を過去の文献で調べた結果,今回得られたもののうち246遺伝子が過去に報告のない新規標的遺伝子と考えられた.

Smad4恒常的ノックダウン膵癌細胞の表現型の変化

今回我々は,Smad4恒常的ノックダウン細胞が,コントロール細胞と比べてどのような表現型の変化を来すかということについても検討を加えた.in vitroでの細胞増殖および細胞周期のG1期停止については,明らかな変化が認められず,ともに増殖が抑制されG1期停止を来した.今回の結果からSmad4の機能は細胞周期停止の必要条件ではないということが示唆された.in vitroでの浸潤能についてマトリゲルでコートしたフィルターでのアッセイを施行したが,これも有意差は認めなかった.またin vivoでの造腫瘍性について,ヌードマウスおよびSCIDマウスにこれらの細胞を皮下注射および牌臓内注射したが,いずれも腫瘍を形成しなかった.さらにin vitroでの運動能アッセイ(wound closure assay)を施行したところ,コントロール細胞に比べ,Smad4ノックダウン細胞では運動能が低下することが分かった.TGF-β刺激下ではその差がより明瞭化した.

考察

現在行われているRNAiはdouble strand RNAを一過性に導入する方法が一般的であるが、今回我々の用いたプラスミドベクターを用いた手法では恒常的ノックダウン細胞株を樹立できる利点がある.

RNAiによる恒常的ノックダウンを行い、そこにサイトカイン刺激を加えて反応をマイクロアレイで網羅的に解析するという報告もこれまでなく、本研究の特徴でもある.アレイ結果の解析によるとSmad4の機能しない細胞でもTGF-βシグナルは遮断されているのみではなく,Smad4正常細胞と異なるメカニズムでシグナルが伝達されていることが示唆された.TGF-βの標的遺伝子を機能別に分類してみるとSmad4ノックダウン細胞とコントロール細胞とでは細胞の接着,運動,増殖にかかわる遺伝子の発現パターンに差が見られた.表現型の変化としてSmad4ノックダウン細胞では細胞運動能の低下が認められたがその分子メカニズムは不明であり、今後検討を要する.

結語

今回の解析で,我々はSmad4ノックダウン細胞を用いてSmad4非依存的なTGF-βの標的遺伝子を多数見いだした.またSmad4ノックダウン細胞では細胞運動能の低下が認められた.今後どの標的遺伝子が細胞運動能の変化と相関しているのかについて検討が必要であり、このような解析を通じて,膵癌の治療に有用な新たな分子標的を発見したいと考えている.プラスミドベクターを用いた恒常的RNAiは,プラスミドの扱いが簡便であり,トランスフェクション効率による影響を除外でき,比較的長期にわたる解析も可能となる.また,これまで欠損した分子のレスキューをして元の細胞と比較する実験がなされてきたが,その場合目的の分子の発現が過剰になりがちであった.恒常的RNAiでは,正常細胞と目的分子のノックダウン細胞とをより生理的条件に近い状態で比較検討できる.

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、恒常的RNAiの手法を用いたSmad4ノックダウン膵癌細胞株でのTGF-βの刺激による遺伝子発現プロファイルについて検討を試みたものであり、下記の結果を得ている。

ノックダウン細胞株の樹立。このようにして、ヒト膵癌細胞株PANC-1のSmad4恒常的ノックダウン細胞株(PANC-1-S4KD)とコントロール細胞株(PANC-1-puro)を樹立した.ビューロマイシンで選択した細胞集団であるpool (S4KD pool,puro pool)およびモノクローナル細胞についてまずウエスタンプロットでSmad4タンパク質の発現を調べると,S4KDではSmad4タンパク質のバンドがほぼ完全に消失していた.次にTGF-β-Smadシグナルをレポーターアッセイで検討したところ,S4KD細胞では著明にシグナル伝達が抑制されていることが分かり,一方コントロール細胞ではシグナルが保たれていることが分かった.また,このSmad4のノックダウン効果は継代を重ねても保たれていた.

Smad4の恒常的ノックダウン細胞(PANC-1-S4KD pool)とSmad4の正常なコントロールの膵癌細胞(PANC-1-puro pool)をTGF-β1(10ng/ml)で刺激し,比較的早期(刺激2時間後)に発現が上昇もしくは低下する標的遺伝子をマイクロアレイでスクリーニングした.その結果,Smad4ノックダウン細胞においてもコントロールと同等の数の遺伝子がTGF-β刺激で動いており,そのうち共通して動く遺伝子は非常に少なかった.このことから,Smad4の機能しない細胞でもTGF-βシグナルは遮断されているのみではなく,Smad4正常細胞と異なるメカニズムでシグナルが伝達されていることが示唆された.これら標的遺伝子を機能別に分類してみるとSmad4ノックダウン細胞とコントロール細胞とでは細胞の接着,運動,増殖にかかわる遺伝子の発現パターンに差が見られた.また,これらの遺伝子とTGF-βとの関係を過去の文献で調べた結果,今回得られたもののうち246遺伝子が過去に報告のない新規標的遺伝子と考えられた.

Smad4恒常的ノックダウン細胞が,コントロール細胞と比べてどのような表現型の変化を来すかということについても検討を加えた.in vitroでの細胞増殖および細胞周期のG1期停止については,明らかな変化が認められず,ともに増殖が抑制されG1期停止を来した.今回の結果からSmad4の機能は細胞周期停止の必要条件ではないということが示唆された.in vitroでの浸潤能についてマトリゲルでコートしたフィルターでのアッセイを施行したが,これも有意差は認めなかった.またin vivoでの造腫瘍性について,ヌードマウスおよびSCIDマウスにこれらの細胞を皮下注射および牌臓内注射したが,いずれも腫瘍を形成しなかった.さらにin vitroでの運動能アッセイ(wound closure assay)を施行したところ,コントロール細胞に比べ,Smad4ノックダウン細胞では運動能が低下することが分かった.TGF-β刺激下ではその差がより明瞭化した.新生に関与することを示している。

以上、本論文ではSmad4ノックダウン細胞株を樹立し、TGF-βの刺激による遺伝子発現プロファイル解析した結果、246の新規標的遺伝子が同定され、さらにSmad4ノックダウンによる表現型の変化(運動能が低下)が認められた。

膵癌の治療に有用な新たな分子標的の発見につながることが期待され、学位の授与に値するものと考えられる。

尚、審査会時点から、論文の内容について以下の点が改訂された。

全体の文章構成については、Conclusionを追加した。

Introductionに、なぜPANC-1細胞を選んで実験を行ったかについて説明を加えた.Ijichi et al.,の論文を引用した。

Materials and Methodsに、siRNAのターゲットになったSmad4の遺伝子配列、BrdU incorporation assay方法、及びPCRのprimerの記載を追加した。

Figure 4,Figure 5を修正した。全てのFigureとFigure Legendの間にスペースを空けた。

BrdU incorporation assayの結果を加えた(Figure7)。

全てのSupplementary Tableを全体に挿入した。

Results and DiscussionにSmad4ノックアウトについて文献的なコメントを記載した。

Results and Discussionに、なぜsingle cloneではなくcell poolを用いたかについて説明を加えた。

Results and Discussionに、審査の際に指摘された2005年9月発表の論文(Levy et al.,)についてDiscussionを追加した。

Acknowledgements に、共同研究者や指導教官、妻と子供に対して感謝の言葉を加えた。

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