学位論文要旨



No 121431
著者(漢字) 高本,偉碩
著者(英字)
著者(カナ) タカモト,イセキ
標題(和) 高脂肪食誘導性のインスリン抵抗性に対する膵β細胞過形成の分子メカニズムの解明
標題(洋)
報告番号 121431
報告番号 甲21431
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2679号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 助教授 平田,恭信
 東京大学 助教授 池田,均
 東京大学 客員助教授 山内,敏正
 東京大学 講師 関根,信夫
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景と目的

糖尿病の患者数は欧米諸国のみならずわが国においても急増しており,その制御が社会的にも重要な課題である.糖尿病急増の原因としては,高脂肪食(HighFatdiet;HF)・運動不足に代表されるライフスタイルの変容とそれに伴う肥満が第一に考えられる.実際,わが国における過去50年間のエネルギー摂取総量に著変はないが,脂質の割合は右肩上がりに上昇し,それを追う形で肥満人口と糖尿病患者数が急増している.

急増する糖尿病の大部分を2型糖尿病が占めるが,その病態を決定する因子はインスリン抵抗性とインスリン分泌低下である。肥満によりインスリン抵抗性が増悪しても,膵β細胞の機能・量が代償性に亢進・増加して充分なインスリンを供給できれば,通常は血糖値が正常に保たれる.しかしながら,欧米人と比較して日本人では,民族的にインスリン分泌量が約半分と少なく,「小太り」でも糖尿病を発症するリスクが高い.

糖尿病を制御する上で,インスリン抵抗性に対する代償性の膵β細胞量増加のメカニズムを解明することは極めて重要な研究テーマである.しかしながら,HF誘導性のインスリン抵抗性に対する代償性の膵β細胞量増加において,どのような分子メカニズムが存在しているかはこれまで明らかではなかった.

グルコキナーゼ(Glucokinase;Gck)は,解糖系の律速酵素であり,グルコースをグルコースー6リン酸に変換する.主として,膵β細胞と肝臓に発現しており,膵β細胞ではグルコース応答性インスリン分泌(glucose stimulated insulin secretion ; GSIS)において重要な役割を果たしている.実際ヒトでは,Gck遺伝子の変異によって若年発症成人型糖尿病MODY(maturity-onset diabetes of the young)-2が惹起され,インスリン分泌の低下を認める.我々は以前,Gckをコードする遺伝子のなかで膵β細胞特異的なexonlに注目し,膵β細胞特異的にGckを欠損したマウスを作成した.Gckホモ欠損マウスは出生直後より著明な高血糖・脱水症状を呈し,間もなく死亡してしまう.一方,Gckヘテロ欠損マウス(Gck+/-マウス)は長期生存が可能であり,普通食下では野生型マウスと比較して膵β細胞量やインスリン抵抗性は同等であるもののGSISが不良であり,インスリン分泌低下型の耐糖能異常を呈する.

そこで本研究では,急増するヒト糖尿病のひとつのモデルとして,インスリン分泌低下型耐糖能異常を呈するGck+/-マウスにHF負荷してインスリン抵抗性を惹起し,耐糖能や膵島,膵β細胞量に関して検討した.そして,DNAチップによる膵島の網羅的遺伝子発現解析を行った.さらに,インスリン受容体基質-2(insulin receptor substrate-2 ; IRS-2)欠損マウスならびに膵β細胞IRS-2過剰発現マウスを用いて,HF誘導性のインスリン抵抗性に対する膵β細胞量増加の分子メカニズムを明らかにした.

結果

HF負荷によりGck+/-マウスは早期に糖尿病を発症する

まず野生型マウス,Gck+/-マウスにHFを負荷した.HF負荷によって,両群に同程度の肥満とインスリン抵抗性の増悪を認めた.僅か4週間のHF負荷であっても,糖負荷試験を行うと,HF負荷野生型マウスは代償性高インスリン血症によりほぼ正常な耐糖能を維持したのに対し,HF負荷Gck+/-マウスは代償性高インスリン血症を欠き,耐糖能が悪化して糖尿病を発症した.

HF負荷Gck+/-マウスでは膵β細胞の代償性過形成が認められない

HF負荷を20週間にわたり充分に行った後,インスリン染色により膵組織像の検討を行った.HF負荷野生型マウスでは著明な膵島の増大を認めたが,HF負荷Gck+/-マウスでは膵島の増大を欠いた(図A).BrdU染色,PCNA染色によって膵β細胞の増殖能を評価すると,HF負荷野生型マウスでは陽性細胞数が増加していたが,HF負荷Gck+/-マウスではそのような増加を欠いた.アポトーシス反応には差を認めなかった.また,1個の膵β細胞が占有する面積には差を認めなかった.以上の結果から,野生型マウスで認められるHF誘導性のインスリン抵抗性に対する膵島増大は,個々の膵β細胞の肥大(hypertrophy)によるものではなく,数の増加,すなわち代償性過形成(hyperplasia)によるものであり,HF負荷Gck+/-マウスではこの代償性過形成が障害されているために膵β細胞量が増加しないことが明らかとなった.

HF負荷マウスの膵島の遺伝子発現プロファイル

そこで,HF負荷Gck+/-マウスにおける膵β細胞の代償性過形成障害の分子メカニズムを明らかにするべく,HF負荷野生型マウスとHF負荷Gck+/-マウスの膵島の遺伝子発現プロファイルをDNAチップにより比較解析した.総数12490パネルの遺伝子のうち,HF負荷野生型マウスに比較してHF負荷Gck+/-マウスで発現が亢進していたものは144個,低下していたものは134個あった.極めて興味深いことに,HF負荷Gck+/-マウスの発現低下遺伝子群のなかで,IRS-2の発現レベルは-25倍と最も低下していた.その上流に位置するIGF-I受容体(insulin-like growth factor-I receptor)は-2.4倍に,その下流に位置する3-phosphoinositide dependent protein kinase-1(Pdpk-1)は-3倍に低下していた.このほか,プロラクチン受容体(prolactin receptor ; Prlr)は-2.6倍に,hepatocyte growth factor(HGF)は-3.1倍に,Cyclin D2は-5.8倍に各々発現レベルが低下していた(図B).

RT-PCRならびに蛋白レベルによる検討でも,HF負荷野生型マウスで認めたIRS-2やIGF-I受容体の発現亢進をHF負荷Gck+/-マウスは欠くことが確認された(図C).以上から,HF誘導性のインスリン抵抗性に対する膵β細胞の代償性過形成に,IRS-2が重要な役割を果たしている可能性が示唆された.

HF負荷IRS-2欠損マウスは膵β細胞増加が不充分である

次に,HF誘導性のインスリン抵抗性に対する膵β細胞過形成において,IRS-2が果たしている役割をより直接的に検証するために,IRS-2の発現低下モデルとしてIRS-2ヘテロ欠損(IRS-2+/-)マウスにHF負荷して解析した.負荷10週でIRS-2+/-マウスは野生型マウスと同程度の肥満とインスリン抵抗性の増悪を認めた.そのときの膵島最大長径・膵島β細胞面積を評価すると,HF負荷IRS-2+/-マウスはHF負荷野生型マウスに比較して増加量が少なかった.さらに,IRS-2ホモ欠損(IRS-2-/-)マウスに関しても同様に検討した.IRS-2-/-マウスは僅か5週間のHF負荷でさらに糖尿病が悪化するが,HF野生型マウスで認められた膵島最大長径の増加がHF負荷IRS-2-/-マウスでは認められなかった.従って,HF誘導性のインスリン抵抗性に対する膵β細胞代償性過形成において,IRS-2が重要な役割を果たしていることが明らかとなった.

Gck+/-マウスの膵β細胞にIRS-2を補充するとHF負荷時の膵β細胞代償性過形成能と耐糖能が部分的に改善した

最後に,膵β細胞でIRS-2を2〜3倍程度に過剰発現するマウス(Rip-IRS-2-Tg)とGck+/-マウスとを交配し,膵β細胞に対するIRS-2の補充によってHF負荷Gck+/-マウスの表現型がrescueされるか検討した.HF負荷6週において,膵β細胞IRS-2過剰発現Gck+/-マウスはGck+/-マウスと比較して,膵β細胞面積の増加・BrdU陽性細胞数の増加を認め,糖負荷試験では耐糖能の部分的な改善を認めた.さらに,HF負荷20週後の糖負荷試験においても,膵β細胞IRS-2過剰発現Gck+/-マウスはGck+/-マウスと比較して,インスリン分泌と耐糖能の部分的な改善を認めた.

結論

Gckは,これまで膵β細胞のグルコース・センサーとして機能し,GSISに重要な役割を担っていることは知られていたが,膵β細胞量の調節に関与しているとは認識されていなかった.本研究の結果から,GckはHF負荷時の膵β細胞量の調節,すなわち代償性過形成にも関与していることが初めて明らかとなった.そして,HF負荷マウス膵島を用いたDNAチップによる網羅的遺伝子発現解析により,インスリンシグナルの鍵分子であるIRS-2が,HF誘導性のインスリン抵抗性に対する膵β細胞の代償性過形成において重要な役割を担う可能性が示唆された.さらに,IRS-2欠損マウスと膵β細胞IRS-2過剰発現マウスを用いた解析から,実際にIRS-2が重要な役割を担うことが明らかとなった(図D).

今後,Gck・IRS-2の両分子をターゲットにした研究が,糖尿病の画期的な治療法の開発に結実するものと強く期待している.

(図A)高脂肪食(HF)・高炭水化物食(HC)負荷20週後の膵組織像(インスリン染色)

(図B)高脂肪食負荷20週後のGck+/-マウス藤島の遺伝子発現プロファイル

(図C)高脂肪食誘導性のインスリン抵抗性に対する膵β細胞の代償性過形成にGck・IRS-2は重要である

(図D)高脂肪食誘導性のインスリン抵抗性に対する膵β細胞の代償性過形成

審査要旨 要旨を表示する

本研究は,急増する糖尿病を制御する上で重要な研究テーマであると考えられる,高脂肪食誘導性のインスリン抵抗性に対する代償性の膵β細胞過形成の分子メカニズムを明らかにするために,インスリン分泌低下型耐糖能異常を呈する膵β細胞特異的グルコキナーゼヘテロ欠損マウスに対して高脂肪食を負荷しインスリン抵抗性を惹起する系にて,耐糖能や膵島,膵β細胞量の解析,藤島のDNAチップ解析等を試みたものであり,下記の結果を得ている.

野生型マウス,グルコキナーゼヘテロ欠損マウスに高脂肪食を負荷すると,両者は同程度の肥満とインスリン抵抗性の増悪を呈した.糖負荷試験を行うと,高脂肪食負荷野生型マウスは代償性高インスリン血症によりほぼ正常な耐糖能を維持したのに対し,高脂肪食負荷グルコキナーゼヘテロ欠損マウスは代償性高インスリン血症を欠き,耐糖能が悪化して糖尿病を発症した.膵組織像では,高脂肪食負荷野生型マウスでは著明な膵島の増大が認められたが,高脂肪食負荷グルコキナーゼヘテロ欠損マウスでは膵島の増大が認められなかった.膵β細胞数,膵β細胞面積,BrdU染色,PCNA染色,アポトーシス反応の検討から,高脂肪食負荷グルコキナーゼヘテロ欠損マウスでは代償性過形成(hyperplasia)が障害されているために膵β細胞量が増加しないことが明らかとなった.

代償性過形成の分子メカニズムを網羅的に解析すべく,高脂肪食負荷野生型マウスと高脂肪食負荷グルコキナーゼヘテロ欠損マウスの膵島の遺伝子発現プロファイルをDNAチップにより比較検討した.総数12490パネルの遺伝子のうち,高脂肪食負荷野生型マウスに比較して高脂肪食負荷グルコキナーゼヘテロ欠損マウスで発現が亢進していたものは144個,低下していたものは134個あった.極めて興味深いことに,高脂肪食負荷グルコキナーゼヘテロ欠損マウスの発現低下遺伝子群のなかで,インスリン受容体基質-2(insulin receptor substrate-2 ; IRS-2)の発現レベルは-25倍と最も低下していた.その上流に位置するIGF-I受容体は-2.4倍に,その下流に位置するPdpk-1は-3倍に低下していた.RT-PCRならびに蛋白レベルによる検討でも,高脂肪食負荷グルコキナーゼヘテロ欠損マウスはIRS-2やIGF-I受容体の発現亢進を欠くことが確認された.

IRS-2が果たしている役割をより直接的に検証するために,IRS-2の発現低下モデルとしてIRS-2ヘテロ欠損(IRS-2+/-)マウスに高脂肪食負荷し解析した.高脂肪食負荷IRS-2+/-マウスは高脂肪食負荷野生型マウスと同程度の肥満とインスリン抵抗性の増悪を呈した.このときの膵島最大長径・膵島β細胞面積を評価すると,高脂肪食負荷IRS-2+/-マウスでは高脂肪食負荷野生型マウスに比較して増加量が少なかった.さらに,IRS-2ホモ欠損(IRS-2-/-)マウスに関しても同様に検討した.IRS-2-/-マウスは短期間の高脂肪食負荷で糖尿病が悪化するが,膵島最大長径の増加が認められなかった.従って,高脂肪食誘導性のインスリン抵抗性に対する膵β細胞代償性過形成において,IRS-2が重要な役割を果たしていることが明らかとなった.

膵β細胞でIRS-2を2〜3倍程度に過剰発現するマウスRip-IRS-2-Tg)をグルコキナーゼヘテロ欠損マウスと交配することで膵β細胞に対しIRS-2を補充し,高脂肪食負荷グルコキナーゼヘテロ欠損マウスの表現型がrescueされるか検討した.膵β細胞IRS-2過剰発現グルコキナーゼヘテロ欠損マウスはグルコキナーゼヘテロ欠損マウスと比較して,膵β細胞面積の増加・BrdU陽性細胞数の増加を認め,糖負荷試験ではインスリン分泌と耐糖能の部分的な改善を認めた.

以上,本論文は,グルコキナーゼが膵β細胞のグルコース応答性インスリン分泌において重要な役割を担っているのみならず,高脂肪食誘導性のインスリン抵抗性に対する代償性の膵β細胞過形成においても重要な役割を果たしていることを初めて明らかにした.また,DNAチップによる網羅的遺伝子発現解析を手掛かりに,インスリンシグナルの鍵分子であるIRS-2が,高脂肪食誘導性のインスリン抵抗性に対する代償性の膵β細胞過形成において重要な役割を担うことを初めて明らかにした.

本研究は,これまで未知に等しかった,高脂肪食誘導性のインスリン抵抗性に対する代償性の膵β細胞過形成の分子メカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

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