学位論文要旨



No 121441
著者(漢字) 貫井,陽子
著者(英字)
著者(カナ) ヌクイ,ヨウコ
標題(和) デングウイルス1型における3'末端非コード領域の生物学的、遺伝学的解析
標題(洋)
報告番号 121441
報告番号 甲21441
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2689号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢冨,裕
 東京大学 助教授 池田,均
 東京大学 助教授 堀本,泰介
 東京大学 講師 森屋,恭爾
 東京大学 講師 大石,展也
内容要旨 要旨を表示する

デングウイルス(DENV)感染症は蚊によって媒介される急性熱性疾患である。年間約5千万人から1億人がDENVに感染し、50万人が重症な病型であるデング出血熱を呈し、約2.4万人の死亡が報告されている。特に東南アジア、西太平洋、南アメリカなどで毎年大規模な流行が認められるが、それらの地域への旅行者の感染も多く、全世界的な感染症である。本邦でも1942年にアウトブレイクの報告があり、現在では輸入感染症例として年間約50名の患者が報告されている。このように重要な感染症ではあるが、現時点で有効な治療法、ワクチンは未だ開発されておらず、基礎研究の面から鑑みても検討すべき事項は多い。

DENVはフラビウイルス科に属する一本鎖のRNAウイルスであり約11 kbのゲノムを有する。ゲノムRNAは5'末端にtype 1 capを有するが、3'末端はポリアデニル化されていない。ゲノムRNAはopen reading frame(ORF)の5'末端と3'末端に非コード領域(NCR)を有する。5'NCRはDENVでは約100塩基、3'NCRでは400-500塩基長であり、フラビウイルス内で最も短い3'NCRを有する3'NCRは塩基の保存性の高さから(1)ORF直下の可変領域、(2)3'末端近くのcyclization sequence(CS)やstem-loop(SL)構造を含む保存性の高い領域、(3)(1)、(2)の中間に位置し、いくつかのヘアピン構造を含む中等度の保存性を示す領域の3領域に分類される。これらのうち(2)、(3)の領域に関する検討は数多くなされており、CSやSLはDENVの複製や二次構造の維持に必須であるとの報告が認められる。一方(1)の可変領域に関しては、元来塩基の保存性も低く付加的な役割しか持たないのではないかとの推測もなされていたが、詳細な検討は行われていない。

本論文では、我々が2004年度にミクロネシアヤップ島への日本人旅行者における集団感染事例より分離した3'NCR内に塩基欠失を有する新たなDENV-1型につき遺伝子解析を行った。また3'NCR内のこの塩基欠失の意義について感染性クローンを用いて生物学的解析を行い、さらに3'NCR可変領域全体の意義を検討するためレプリコンシステムを構築しRNA翻訳段階への関与を様々な宿主(哺乳類、蚊)由来細胞を用いて評価した。RNA合成段階についても検討した。

2004年5月から12月の間にミクロネシアヤップ島でDENV-1型のアウトブレイクがWHOチームによって確認され、658名のデング熱患者が報告された。2004年8月に同島へ旅行した日本人旅行者7名が帰国後血清学診断にてDENV感染と診断された。患者血清より分離した4つのウイルス株の全塩基配列を決定したところ、3'NCR内の終止コドン直下に29塩基欠失を有する新たなDENV-1型であることが判明した。これらの塩基欠失は細胞培養を経ずに血清から直接増幅したウイルスにおいても認められたことより培養細胞内で人為的に挿入されたものではないと考えられた。またこの塩基欠失は4つすべての分離株で認められ、今回のヤップ島でのDENV-1型アウトブレイクの責任ウイルスとしての関与が示唆された。これらの欠失は既報のものには認められず、国立感染症研究所所有の24のDENV-1分離株解析の結果、2003年度アフリカセイシェル共和国への旅行者より分離された株にのみ同様の部位に17塩基欠失が確認された。3'NCRの塩基配列の多様性はフラビウイルスでは1997年以降黄熱ウイルス、ダニ媒介性脳炎ウイルス、日本脳炎ウイルスなどでの報告が認められる。これらは地理的分布やウイルス進化、ヒトへの病原性への関与の可能性がある。本研究においてアフリカ、ミクロネシアより別々に分離されたウイルス株においてほぼ同一の場所に共通の塩基欠失が認められたということは自然界においてこのようなウイルスが増殖維持されうることを示唆している。

また、本研究では新たに感染性完全長クローンを構築し、上記の自然分離株と同様の部位に同程度の短い塩基欠失(19塩基)を有する変異体を作成し生物学的意義を検討した。野生型(塩基欠失を伴わない)及び変異型での増殖特性、プラーク形態の比較ではアフリカミドリザル腎細胞由来のVero細胞、ヒト肝癌由来のHuh-7細胞、蚊由来のC6/36細胞において差異は認められなかった。これらの結果はダニ媒介性脳炎ウイルスでの増殖特性やマウスへの病原性の比較の報告と矛盾しない。一方DENV-4型において3'NCR内に塩基欠失(61-262塩基)を有する変異体は培養細胞上での蛋白複製効率が劣り、アカゲザルの感染実験ではウイルス血症のレベルや期間が減少するとの報告もある。また、同様の部位に30塩基欠失を挿入した変異体はデングワクチン候補の一つとも考えられており、この領域の生物学的意義は一定の見解が得られていない。本研究で検討した3'NCR可変領域内の19塩基という短い欠失は、本来の生態環境ではない培養細胞でのウイルス複製に重要な役割を果たしていない可能性もある。しかし、ベクターやヒトなどの生体内の環境での関与は有りうると考えられた。

上記の結果をふまえ、次に自然分離株より得られた可変領域内の短い塩基欠失の解析から派生し,3'NCR可変領域全体の生物学的役割を解明することを目的に新たな変異体を作成した。増殖特性や抗原分泌量の解析では哺乳動物細胞では可変領域内に終止コドンより45,81,109,45-81番目の塩基欠失を伴う変異体及び45-81塩基置換を伴う変異体で、感染後早期に増殖や抗原分泌量が低下することが確認された。プラークサイズも同変異体で縮小化を認めた。しかし蚊由来の細胞内では変異体における野生型との差異は認められなかった。次に翻訳段階における影響を検討したところ、可変領域内45塩基欠失を伴う変異体でのみ活性の低下が確認されたが、他の変異体では野生型との差異は認めなかった。また哺乳動物細胞内でのRNA合成は45,45-81塩基欠失を伴う変異体及び45-81塩基置換を伴う変異体で著明に低下しており、特にマイナス鎖合成で顕著であった。

これらの事象をあわせて考えると、3'NCRの可変領域は終止コドン直下の45塩基(特にmlO欠失部位以外の26塩基)は塩基の存在自体がウイルスの翻訳、RNA合成、複製に関与し、また45-81塩基に関しては塩基配列がRNA合成、複製にとって重要である可能性が推察された。また可変領域はRNA合成、複製過程において宿主細胞の種類により異なるメカニズムで調節に関与する可能性が示唆された。

今後は他のフラビウイルスにおいても自然界に同様の欠失を有する変異体が存在していることを考慮し、臨床分離株を含めた包括的な解析及び病原性への関与なども検討する必要がある。また哺乳動物、節足動物内でのウイルス翻訳、複製の過程を詳細に検討することにより治療薬、ワクチンなどへの応用にも新たな道が開かれるのではないかと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は2004年度にミクロネシアヤップ島への日本人旅行者における集団感染事例より分離した3,末端非コード領域(NCR)内に塩基欠失を有する新たなデングウイルス(DENV)1型の生物学的特性を明らかにするため、感染性クローンを用いて解析を試みたものである。さらに3'NCR可変領域全体の生物学的意義を検討するためレプリコンシステムや定量的PCR法にてRNA翻訳段階及びRNA合成段階への関与を検討したものであり、下記の結果を得ている。

2004年度にミクロネシアヤップ島への日本人旅行者4名より分離されたウイルス株をダイレクトシークエンス法により遺伝子解析を行ったところ、3'NCR内の終止コドン直下に29塩基欠失を有する新たなDENV1型であることが判明した。これらの塩基欠失はすべての分離株で認められ、また細胞培養を経ずに血清から直接増幅したウイルスにおいても認められたことより、培養細胞内で人為的に挿入されたものではないと考えられ、今回のヤップ島でのDENV1型アウトブレイク(WHO報告 計658名)の責任ウイルスであることが示された。

感染性完全長クローンを構築し、上記の自然分離株と同様の部位に19塩欠失を有する変異体を作成し生物学的意義を検討した。野生型(塩基欠失を伴わない)及び変異体での増殖特性、プラーク形態の比較ではアフリカミドリザル腎細胞、ヒト肝癌、蚊由来の細胞において差異は認められなかった。よって3'NCR可変領域内の19塩基という短い欠失は、本来の生態環境ではない培養細胞でのウイルス複製に重要な役割を果たしていないことが示唆された。

上記の解析より派生し、3'NCR可変領域全体の生物学的役割を解明することを目的に新たな変異体を作成した。プラーク形成法を用いた増殖特性やイムノブロッティング法を用いた抗原分泌量の解析では哺乳動物細胞において可変領域内に終止コドンより45,81,109,45-81番目の塩基欠失を伴う変異体及び45-81塩基置換を伴う変異体で、感染後早期に増殖や抗原分泌量が有意に低下することが示された。しかし蚊由来の細胞内では野生型と変異体の差異は認められなかった。

レプリコンシステム及びルシフェラーゼアッセイシステムを用いて3'NCR可変領域のRNA翻訳段階に与える影響を検討したところ可変領域内に45塩基欠失を伴う変異体でのみ有意に翻訳効率の低下が認められたが、他の変異体では差異は認められなかった。

3'NCR可変領域のRNA合成への影響を検討するため、定量的PCR法を用いて評価したところ、45,45-81塩基欠失を伴う変異体及び45-81塩基置換を伴う変異体でRNA合成は約50%低下を認め、特にマイナス鎖合成で顕著であった。

以上、本論文はDENV1型における3'NCR可変領域の解析を行い、3'NCR可変領域は終止コドン直下の45塩基は塩基の存在自体がウイルスの翻訳、RNA合成、複製に関与し、また45-81番目の塩基に関しては塩基配列がRNA合成、複製にとって重要であることを明らかにした。また可変領域はRNA合成、複製過程において宿主細胞の種類により異なるメカニズムで調節に関与することを明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、可変領域の意義に関して重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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