学位論文要旨



No 121448
著者(漢字) 小松,篤史
著者(英字)
著者(カナ) コマツ,アツシ
標題(和) 羊水循環と胎児胎盤循環との関連に関する研究
標題(洋)
報告番号 121448
報告番号 甲21448
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2696号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 助教授 平田,泰信
 東京大学 助教授 秋下,雅弘
 東京大学 講師 渡辺,博
内容要旨 要旨を表示する

【背景】

羊水量の異常は日常の診療において遭遇することが多く、周産期死亡及び擢病を高率に伴うことから、妊娠中の異常として臨床上重要である。羊水量の異常を来たす疾患は多く、その中には消化管閉鎖や尿路閉鎖などのように原因が明らかなものもあるが、その発生メカニズムが明らかにされていないものも少なくない。羊水量に影響を与える因子としては、羊水腔への流入として胎児尿と胎児肺胞液、羊水腔からの流出として胎児の嚥下と羊膜絨毛膜内において羊水を直接胎児血管内に吸収する経路であるintramembranous pathway(IMP)があり、この両者のバランスにより羊水量は決定される。IMPは他の流入路を遮断しても羊水が胎仔に吸収されることからその存在が提唱されたものであり、羊水量調節におけるその重要性が注目されている。臍帯動脈の本幹である絨毛毛細血管では胎仔と母獣との物質交換が行われており、一方その分枝である羊膜絨毛膜毛細血管はIMPの機能と密接に関係していると考えられている。臍帯胎盤血流はこの両者の毛細血管群を分枝していることから、羊水-胎仔-母獣における水代謝において重要な役割を果たしていると考えられる。

【目的】

過去の報告では胎仔食道を結紮した妊娠ヒツジの羊水腔内へ蒸留水を注入し、羊水・胎仔血・母獣血浸透圧、胎仔血圧、心拍数を観察することにより、IMPにより羊水が吸収されること、さらに胎仔食道の結紮は結紮していないものと比較しその吸収を促進することを示した。しかしながら、その観察は蒸留水注入により各種生理機能が大きく変化する急性期に限られており、蒸留水注入により作成された新たな環境に対し胎仔がどのように適応していくかについては検討されていない。また、IMPの機能や胎仔の生理機能に影響を及ぼすと考えられる臍帯胎盤循環がどのように変化するかについても明らかにされていない。そこで本研究は、胎仔食道を結紮していない生理的な状態において羊水腔内へ蒸留水注入し、各種生理機能の変化及び浸透圧の変化を長時間にわたり観察することにより、胎仔が新たな環境に適応していく過程を明らかにするとともに、臍帯動脈血流量を測定し、その変化のメカニズムについて検討することを目的とした。

【方法】

対象は妊娠末期のヒツジ11頭で、無菌的かつ全身麻酔下で手術を施行した。母獣下腹部正中切開にて開腹、子宮壁を切開し胎仔頚部動静脈にカテーテルを挿入し、次いで胸部に羊水カテーテルを装着、臍帯の胎仔側根部の臍帯動脈に超音波血流計プローブを装着し、子宮壁を縫合し閉腹した。最後に母獣頚静脈にカテーテルを挿入し手術終了とした。術後の回復期間として72時間をおいた。

実験は60分間のコントロール期間をおいた後、羊水腔内に1500mlの39.5℃の温蒸留水(浸透圧0mOsm/kg)を10分間かけて羊水カテーテルより注入した。臍帯動脈血流量・胎仔血圧に関してコントロール60分間及び注入開始360分後まで連続して測定を行った。羊水・胎仔血・母獣血をそれぞれコントロール時に2回と注入開始後30分・60分・90分・120分・180分・240分・300分・360分と24時間に採取し、羊水浸透圧・胎仔血及び母獣血浸透圧を測定した。胎仔血・母獣血に関してはさらに血液ガス分析及び電解質を計測した。胎仔血・母獣血は採取後一部を遠心し血漿成分を分離して、血漿部分の色調により溶血の有無を観察した。

データは絶対量及びコントロールからの変化量を求め、mean±SEMで表示した。統計学的には時間に対してone-way ANOVA repeated measuresを用い、post hocとしてBonferoni testを採用した。さらに、浸透圧の変化と胎児胎盤系の変化を比較するために各データ間の相関を検討し、Pearson r-valueを求めた。

【結果】

実験を行った11頭のうち4頭は低酸素血症であったため、以下の検討より除外した。

羊水浸透圧は注入直後に急速かつ有意な低下を示した後、漸増傾向を示した。胎仔血浸透圧は注入直後より有意な減少を示し、その後さらに減少を続け180分後に最低値となりその後はほぼ一定の値を示した。母獣血浸透圧は注入直後にわずかな減少を示したがその後はほぼ一定であり、180分後から240分後にかけて明らかな減少を示し、その後は再びほぼ一定の値を示した。

胎仔動脈血圧は60〜120分後にかけて有意な上昇を示し、その後は漸減傾向を示し、360分後にはコントロール値まで回復した。

胎仔動脈血液ガス検査では、蒸留水注入によりPaO2及びpHの有意な減少が観察され、PaCO2は有意な増加がみとめられた。

胎仔血ヘマトクリットは蒸留水注入により有意な上昇を示し、その後は漸減して300分以降は逆に有意な減少がみられた。

臍帯動脈血流は蒸留水注入後30分間で約27%の有意な減少がみとめられた。その後は漸増

傾向を示し、360分後にはコントロール値の約79%となった。臍帯動脈血管抵抗は注入により有意に上昇し、65分後に最高値を示し後は漸減傾向を示した。

羊水浸透圧と、帯動脈血流量との間、(p<.001,r=0.730)、及び羊水浸透圧と臍帯動脈血管抵抗との間(p<.001,r=0.745)には相関関係がみとめられた。一方、羊水浸透圧と胎仔血圧との間には有意な相関はみとめられなかった。

胎仔血サンプルはコントロール時には黄色透明の正常血漿の色調を呈していたが、30分後には赤色調となり、溶血が起こっていると考えられた。この変化は60〜120分後にピークとなり、その後はコントロール時の色調に近づいた。

【考察】

本研究において、蒸留水を羊水腔内に注入し羊水-胎仔血-母獣血浸透圧を経時的に測定することにより、羊水は徐々に胎仔に吸収され胎仔血浸透圧は低下するが、胎仔から母獣への水の移行は直ちには起こらず、胎仔血浸透圧が低下した後に促進され、それにより胎仔血浸透圧が安定する様子が観察された。

注入開始から180分後までの間にみられる羊水浸透圧の増加と胎仔血浸透圧の減少は、蒸留水注入により低張となった羊水が胎仔に吸収され、より高張な尿が羊水腔内に排泄されることによって生じる。

胎仔血浸透圧は180分後以降ほぼ一定の値で安定しているのは、羊水 胎仔血浸透圧較差が縮小しIMPにおける吸収量が減少すること、及び胎仔血-母獣血浸透圧較差が拡大し胎盤における母獣への水の移動が増加したことの両者が関与していると考えられる。この時期には胎仔は自らを安定させた状態を保ちながら羊水腔の水を母獣へ送るポンプの役割を果たしていると解釈することができる。

羊水腔内への蒸留水注入により30分後には臍帯動脈血流量がコントロール時の約73%に減少し、その後臍帯動脈血流量は低値のまま推移した。

羊水浸透圧の変化が臍帯動脈血流量の変化を惹起するメカニズムについてはいまだ解明されていないが、羊水浸透圧の変化と臍帯動脈血流量の変化及び臍帯動脈血管抵抗の変化との間に強い相関関係がみとめられ、臍帯動脈血流量は羊水浸透圧との直接関係があるものと思われる。これには溶血及び羊膜上皮細胞由来の化学伝達物質分泌が関与している可能性が考えられる。

本研究では30分後以降に胎仔血において溶血が確認されたが、その浸透圧値から全身の血管内で溶血が起こっているとは考えられず、溶血が起こっているのは、羊膜絨毛膜毛細血管局所であると考えられる。溶血が起こると血漿内にヘモグロビンが放出され、これにより血管収縮・血流の減少・エンドセリン-1の発現の増加が惹起される。本研究において血圧と溶血の推移が類似していることもこれを支持する。しかし、溶血現象もほぼ鎮静化し胎仔動脈血圧も正常化した180分後以降も臍帯動脈血流量は減少したままであり、溶血以外のメカニズムを考える必要がある。

一方で、羊膜上皮細胞が低浸透圧刺激によりエンドセリン1などの血管収縮物質を分泌し、それにより血管収縮を惹起して臍帯動脈血流量の減少につながった可能性も考えられる。

臍帯動脈血流量を減少させる因子として循環血液量の減少も挙げられる。胎仔血ヘマトクリットの有意な上昇はそれを示しており、胎仔血漿浸透圧の減少による血管収縮及び細胞間質へ水の移動が関連しているものと考えられる。

臍帯動脈血流量の減少がIMPにおける水の移動にどのような影響を与えるかは、いまだ明らかになっていない。臍帯動脈血流量と胎盤における水の移動とは正の相関があり、羊膜絨毛膜毛細血管における血流減少が羊膜を介する水の移動であるIMPの吸収量を減少させる可能性が考えられる。羊膜での水の移動の減少は結果として胎仔血浸透圧の急激な低下を防いでいる可能性があり、羊膜が羊水浸透圧のセンサーとしての役割を果たしている可能性が示唆された。

【結論】

ヒツジ胎仔の羊水腔内への蒸留水注入により胎仔血浸透圧の速やかな低下がみとめられ、その機序としてIMPによる羊水吸収の増加が考えられた。180分後以降は胎仔から母獣への水の移行の増加に伴い胎仔血浸透圧は一定となり、またIMPによる羊水吸収に伴う溶血も軽減することにより胎仔動脈血圧の変化も消失し、胎仔は自らの循環動態を変化させることなく羊水腔から母獣へ血液を送るポンプの役割を果たしていることがわかった。

臍帯動脈血流量の変化は羊水浸透圧の変化と強い正の相関を示し、羊水浸透圧の低下が直接的に臍帯動脈血流量を減少させていることが示唆される。この機序としては、羊膜絨毛膜毛細血管での溶血による臍帯動脈血管の収縮、及び羊膜上皮細胞からの血管収縮物質の分泌、細胞間質への血漿成分の移動による循環血液量の減少などが考えられる。羊膜絨毛膜毛細血管及び羊膜上皮細胞がセンサーとして羊水浸透圧の低下を感知し、血管収縮を起こして臍帯動脈血流量を減少させ、低浸透圧環境に対する胎仔の適応を助けている可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はヒツジ胎仔羊水腔内へ蒸留水を注入し、各種生理機能の変化及び浸透圧の変化を長時間にわたり観察することにより、胎仔が新たな環境に適応していく過程を明らかにするとともに、臍帯動脈血流量を測定し、その変化のメカニズムについて検討することを目的としたものであり、下記の結果を得ている。

ヒツジ羊水腔内への蒸留水注入により羊水・胎仔血・母獣血浸透圧の低下が 観察された。胎仔血浸透圧の低下により胎仔嚥下は強く抑制されており、注 入した蒸留水はintramembranous pathwayを介して胎仔に吸収され、最終的に は母獣に移行することが示唆された。

胎仔血浸透圧は180分後以降ほぼ一定の値で推移した。このことは羊水-胎仔 血浸透圧較差が縮小しIMPにおける吸収量が減少すること、及び胎仔血-母 獣血浸透圧較差が拡大し胎盤における母獣への水の移動が増加したことの 両者が関与していると考えられる。この時期には胎仔は自らを安定させた状 態を保ちながら羊水腔の水を母獣へ送るポンプの役割を果たしていると解 釈することができる。

ヒツジ羊水腔内への蒸留水注入により胎仔動脈血圧の一過性上昇がみられ た。同時期に胎仔血において溶血が確認されており、胎仔血浸透圧の低下が 溶血を引き起こし一過性の胎仔動脈血圧上昇につながった可能性が考えら れる。一方で胎仔心拍数は胎仔動脈血圧と逆の変化を示しており、これは baroreflexによる変化と考えられる。

ヒツジ羊水腔内への蒸留水注入により臍帯動脈血流量は急激な減少を示し た。この変化は羊水浸透圧の変化と高い相関を有しており、羊水浸透圧の低 下が直接臍帯動脈血流量の減少を引き起こした可能性が考えられた。この機 序として溶血及び羊膜上皮細胞由来chemical mediatorが関与している可能 性が考えられる。羊水吸収の最前線である羊膜絨毛膜毛細血管における急激 な浸透圧低下は溶血を起こし、血球内から血漿内に放出されたヘモグロビン が血流減少・血管収縮、さらに血管収縮物質を分泌すると考えられる。また 羊水浸透圧低下を感知した羊膜上皮細胞はchemical mediator(エンドセリン-1などの血管収縮物質)を分泌し、それにより血管収縮及び血流の減少を 引き起こした可能性も考えられる。

胎仔血ヘマトクリットの有意な上昇が観察されたことから、臍帯動脈血流量 を減少させる因子として循環血液量の減少も挙げられる。胎仔血漿浸透圧の 減少による血管収縮及び細胞間質へ水の移動が循環血液量の減少をもたら し、それが臍帯動脈血流量の減少に寄与している可能性も考えられた。

以上、本論文はヒツジ胎仔羊水腔内への蒸留水注入による各浸透圧及び生理機能の観察により、intramembranous pathwayにおける水の移動の変化を示すと共に、胎仔が低浸透圧羊水の環境に対し適応していく過程を明らかにした。さらに臍帯動脈血流量の減少を示しそのメカニズムについても検討した。本研究結果より、羊膜内にはintramembranous pathwayや羊膜内臍帯循環が存在し、羊水の変化に対して種々の反応を示すことが明らかとなった。このことは臨床的に認められる数多くの羊水異常のメカニズムに羊膜の機能が関与している可能性を示唆しており、今後の羊水量調節のメカニズム及び羊水の変化に対する胎仔の適応についての研究に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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