学位論文要旨



No 121453
著者(漢字) 永松,健
著者(英字)
著者(カナ) ナガマツ,タケシ
標題(和) ヒト絨毛細胞の一次培養系の確立とそれを用いた低酸素刺激に対するヒト絨毛細胞の反応に関する生理学的、病理学的研究
標題(洋)
報告番号 121453
報告番号 甲21453
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2701号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 教授 橋,孝喜
 東京大学 講師 高見沢,勝
 東京大学 講師 八杉,利治
内容要旨 要旨を表示する

ヒト胎盤の形成発達において絨毛細胞は中心的役割を果たす。絨毛細胞には主に2つの分化の方向性がある。前駆細胞であるcytotrophoblast (CT)が合胞体を形成し絨毛表面を被覆するsyncytiotrophoblast(ST)を形成する方向性と、CTが付着絨毛先端で増殖し、cell column を形成しつつ浸潤能獲得して子宮壁内へと浸潤するextra-villous trophoblast(EVT)への分化の方向性である。特に、EVTの浸潤は脱落膜内〜子宮筋層内腔側約1/3の深さの血管壁に及び、子宮壁の血管構造が再構築され、それに伴い絨毛間腔へと流入する母体血液量が飛躍的に増大する。このEVTの働きはfirst trimesterからsecond trimester前半において胎盤形成の大きな原動力となっている。また、妊娠高血圧症候群、子宮内胎児発育不全、習慣流産などの異常妊娠ではEVTの細胞機能異常を背景とした胎盤形成不全が示唆されている。

胎盤局所で絨毛細胞をとりまく酸素濃度は妊娠週数、胎盤内での位置により変化する。そして、この局所酸素濃度がEVTの増殖、浸潤を制御する重要な因子となっていることが明らかとなってきている。一般的に創傷治癒、腫瘍発育において知られるように低酸素刺激は血管新生を促進する要素である。EVTの重要な役割である子宮壁内の血管構造の再構築においては種々の血管新生因子の関与が想定される。しかし、局所酸素濃度がEVTの血管新生因子の発現にどのような影響を与え、血管構造変化に関与するかについては全く未解明であった。

このようにEVTの細胞機能の研究は胎盤形成、発達についての生理的、病理的機構解明に深く結びついている。しかし、EVT研究における障害として初代培養の困難があり、定量的解析を行うに足る安定した培養系が確立していないことが挙げられる。 そこで本研究の目的としてまず、(1)初代CT分化培養モデルを確立し、その培養モデルを用いて(2)培養酸素濃度がEVTの細胞機能(増殖、分化)に与える影響について調べ、さらに(3)血管新生での中心的機構であるvascular endothelial growth factor (VEGF)ファミリー分子のCTにおける低酸素刺激に対する発現変化の検討を行った。

CT分化培養モデルの確立

妊娠初期の人工妊娠中絶例よりインフォームドコンセントの上入手した胎盤組織より密度勾配遠心法とCD9抗体でコーティングした磁気ビーズによるnegative selectionとの組み合わせにより高純度の未分化なCTを分離した。細胞接着性の安定とEVTへの統一的な分化を生じさせることを目標として、培養条件の至適化を行った。培養mediumのカルシウム濃度による培養状態の違いを検討し、培養器にコーティングする細胞外基質としてlaminin、fibronectin、collagentype4で細胞接着性を比較した。つづいて、培養CTからEVTへの分化状況を、EVTの分化マーカーであるCD9、HLA-G及び発現するintegrinの種類についてフローサイトメトリー法、細胞免疫染色法で確認した。

低カルシウム濃度のmediumを用いてcollagen type 4上で分離したCTを培養することで144時間までの単層で安定した接着状態を維持できる系を確立した。この方法で培養したCTでは分離直後にはCD9、HLA-Gが低発現であり、培養時間とともに発現上昇を認めた。また表面に発現するintegrinはα6が低発現、α5β1が高発現であり、α1の発現は分離直後には検出されなかったが、培養時間に伴い急激に増加した。培養CTのこれらの変化は付着絨毛先端でCTからEVTへの分化と一致した変化であった。

低酸素刺激が培養CTの増殖、分化に与える影響について

まず、(1)において確立したCT分化培養モデルを利用して、同一の胎盤から分離したCTを20%、8%、2%の3つの異なる酸素濃度条件下で培養し、72時間後の細胞数を比較した。酸素濃度の低下に従い細胞数が増加し、培養CTは低酸素濃度下では増殖が促進されることが確認された。

酸素濃度がCT分化に与える影響を調べるため同一の胎盤から分離したCTを異なる酸素濃度条件下で72時間培養し、HLA-G、CD9、integrinα1の発現をフローサイトメトリー法で検討した。CD9、integrinα1の発現は2%酸素濃度条件下では20%条件と比べて減弱した。一方でHLA-Gは酸素濃度の影響を受けないことが判明した。

低酸素刺激とVEGFシステムバランスの変化

低酸素刺激がCTでのVEGF関連分子の発現にどのような影響を与えるかについて検討するため、VEGFファミリーの代表的リガンドであるVEGF、placentagrowthfactor(PIGF)とそれらの生理的アンタゴニストであるsoluble fms-like tyrosinekinase1(sFlt-1)の発現を中心に実験を進めた。CTのみならず比較のため胎盤構成細胞であるvillous fibroblast(VF)、human umbilical vein endothelial cell(HUVEC)についても検討した。蛋白レベルでの発現変化は、培養細胞の免疫染色あるいはmedium内の濃度をELISA法にて計測することにより解析した。mRNAレベルでの発現変化はreal-timePCR法により確認した。

低酸素刺激によりCT培養上清中ではsFlt-1の濃度が増加し、CT内のmRNA量も上昇した。それに対してVF、HUVECではsFlt-1発現変化は生じなかった。低酸素刺激によるVEGFのmRNA発現増加はCT、HUVEC、VFに共通していた。低酸素刺激でVF培養上清中ではfree VEGF(sFlt-1と結合していないVEGF)濃度が上昇した。CT培養上清中ではtotal VEGF(VEGFの総量)が増加していたが、free VEGFは検出されなかった。これは同時に存在するsFlt-1の濃度上昇によりVEGFの増加が打ち消されたためと考えられた。free PIGFは低酸素刺激によりCT上清中で濃度が低下し、HUVEC上清中では変化を認めなかった。CT細胞内のPIGFのmRNA量は酸素濃度の変化を生じておらず、上清中のfree PIGFの低下は同時に産生されるsFlt-1が低酸素刺激により増加したことによる2次的変化と考えられた。

本研究において、妊娠初期胎盤から高純度のCTを分離し、低カルシウムのmediumとcollagen type 4をコーティングした培養容器を用いることで安定した培養状態を維持することが可能となった。培養CTは時間経過とともにextra-villoustypeへの分化を示し、CTの分化培養モデルを確立できた。

低酸素刺激により培養CTの増殖能は克進した。付着絨毛先端でCTが増殖して生じるcell columnの形成は妊娠初期には活発であるが、中期以降は減少する。これが胎盤内の酸素濃度の変化に伴う現象であることが本研究の結果から示唆された。EVTの分化マーカーであるCD9、integrin α1はEVTの浸潤に重要な働きを有することが知られている。これらの分子の発現が酸素濃度による制御を受けることを確認した。EVTはその浸潤過程において、酸素濃度の高い母体側へ方向へと移行する。その酸素濃度変化によりこれらの浸潤関連分子の発現が影響を受けていることが示された。しかし、同じくEVTへの分化に伴って発現が増加するHLA-Gについては酸素濃度の影響を認めず、酸素濃度に依存しない分化制御因子も存在すると考えられる。

低酸素刺激に対しての胎盤構成細胞のVEGFシステムバランスの検討では、低酸素刺激によりsFlt-1の発現を増加することはCTに特徴的な反応であった。このsFlt-1の増加によりCT培養上清中では、2次的にfree VEGFは抑制され、free PIGFが低下していた。このCTの一連の反応は低酸素による血管新生促進という一般的概念と矛盾しているように思われる。CTがEVTへと分化し脱落膜内へと浸潤し、子宮壁内の血管構造を再構築する過程は通常の血管新生とは異なった現象であるが、これはCTにおける酸素濃度に対する特殊なVEGFシステムバランスの調節に起因する可能性がある。また、妊娠高血圧症候群の妊婦末梢血でsFlt-1の上昇、PIGFの低下が近年報告されている。これについては、今回の研究より妊娠高血圧症候群での重要な病理機序である胎盤内低酸素状態によりCTでのsFlt-1の産生増加、およびfree PIGFの2次的減少に起因することが示唆され、胎盤内低酸素に対するCTの反応に起因したVEGFシステムバランスの変化が妊娠高血圧症候群の病理機序と深く結びついていることが示された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はヒト胎盤の形成おける中心的役割を担うextra-villous trophoblast(EVT)の細胞機能と酸素濃度との関わりについて明らかにすることを目的としている。そのためにEVTの初代培養系を確立し、その培養系を中心として異なる酸素濃度下に培養した絨毛細胞の増殖、分化、VEGF関連因子発現について解析を行い、下記の結果を得ている。

EVTの分化培養モデルを確立した。その過程において、妊娠初期胎盤からcytotrophoblast (CT)を高純度に分離し、低カルシウムのmediumとcollagen type 4をコーティングした培養容器を用いることで至適培養条件を得た。この条件下で培養CTが時間経過とともにextra-villous typeへの分化を生じることを、EVTの分化マーカーの発現上昇によって確認した。

同一胎盤から得たCTを異なる酸素濃度下で培養し細胞数の変化をWST-8アッセイにて比較することで、低酸素刺激により培養CTの増殖能は亢進することを示した。

低酸素刺激によってEVTの分化マーカーであるCD9、integrin α1の細胞膜上への発現が抑制されることをフローサイトメトリー法にて示した。これにより、酸素濃度はCTからEVTへの分化へ影響する因子であることを確認した。その一方で別の分化マーカーであるHLA-Gについては酸素濃度の影響を認めず、酸素濃度に依存しない分化制御因子も存在することについて示唆を得た。

胎盤構成細胞であるCT、villous fibroblast(VF)、human umbilical vein endothelial cells (HUVEC)の培養を行い、これらの細胞が低酸素刺激に対してVEGF関連因子の発現をどのように変化するかについて蛋白、mRNAのレベルで解析が行われた。低酸素刺激に対して、3種類のすべての細胞でVEGFの発現上昇が確認された。また、PIGFの発現には変化が生じなかった。それに対して、sFlt-1に関して低酸素刺激によりsFlt-1の発現を増加することはCTに特徴的な反応であり、VF、HUVECでは認められない反応であった。このsFlt-1の増加によりCT培養上清中では、2次的にfree VEGFは抑制され、free PIGFが低下していた。以上よりCTは酸素濃度に対してVEGFシステムバランスの特殊な調節機構を持つことが示された。

以上、本論文ではまず、従来定量的実験に耐えうる培養系がなかったEVT初代培養法を確立した。この培養法は将来的にヒト胎盤の研究に大きな貢献を与えるものである。また、それを用いて低酸素刺激がEVTの増殖、分化、血管新生機能に影響を与えることを示した。これらの事実は胎盤形成における生理的メカニズムの解明、また妊娠高血圧症候群の病態機序の解明に寄与し、学位の授与に値するものと考えられる。

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