学位論文要旨



No 121457
著者(漢字) 亀山,祐美
著者(英字)
著者(カナ) カメヤマ,ユミ
標題(和) Pael-R の神経毒性に対するチオレドキシンの効果に関する研究 : パーキンソン病との関連
標題(洋) Thioredoxin suppresses Pael-R-induced neurotoxicity in Drosophila : Relation to pathology of Parkinson's disease
報告番号 121457
報告番号 甲21457
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2705号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 栗原,裕基
 東京大学 助教授 水口,雅
 東京大学 助教授 百瀬,敏光
 東京大学 講師 宇川,義一
 東京大学 講師 大須賀,穣
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

ショウジョウバエのゲノム配列120Mbは、全ゲノムショットガン法を用いてわずか3ヶ月でその概要が決定され、2002年11月にゲノム配列完全版(第3版)が発表された。ショウジョウバエのゲノムには、ヒトの約半数の遺伝子が存在するが、ゲノムサイズはヒトの1/20と非常にコンパクトである。ヒト疾患遺伝子のうちの74%はショウジョウバエに相同遺伝子が存在する。遺伝学や分子生物学の主要なモデル生物であると同時に、近年は、疾患発症の機構や病理学的過程を分子レベルで解剖するための疾患モデルとしても利用されている。本研究では、ショウジョウバエの神経にパエル受容体(Pael-R:Parkin associated endothelin receptor-like receptor)を強制発現し生じる神経変性と運動機能の低下を、チオレドキシンが抑制する作用をもつことを明らかにした。

パーキンソン病(PD)は進行性の運動障害を主症状とする神経変性疾患で、日本での患者数は約10万人と推定される。神経病理学的には中脳黒質のドーパミン作動性神経(DA)の選択的変性が特徴である。PDのうち、約5%の患者は遺伝性であり、家族性PDの原因遺伝子としてPark1からPark11までマップされている。PDの病因として酸化ストレスやユビキチンプロテアソーム系の障害が考えられている。

常染色体劣性遺伝性若年性パーキンソニズム(AR-JP)は40才以下で発症するPDである。原因遺伝子は、1998年北田らによって、ユビキチンリガーゼであるParkin遺伝子(Park2)の欠損と報告され、その後、Parkin結合蛋白として膜蛋白質であるPael-Rが同定された。Pael-RはParkinによって分解が促進され、ヒトPael-Rを強制発現させたショウジョウバエにおいては、DAニューロン特異的な神経変性がParkinの強制発現によって抑制されることが報告されている。Pael-Rは、脳のオリゴデンドログリア細胞に強く発現し、特にAR-JPの病変部位である中脳黒質のDAでは例外的に強く発現している。AR-JPではフォールディングに失敗したPael-Rの異常蓄積により、DAが選択的に細胞死に陥って発症に至ると考えられている。一方、PDの発症機構に関しては、酸化ストレスの関与も強く示唆されている。これらのことは、抗酸化活性やシャペロン活性をもつ物質はPDを効率的に抑制する因子となりうると考えられる。

チオレドキシン(TRX)は、約105アミノ酸残基からなる抗酸化タンパク質として知られている。その活性部位にはCys-Gly-Pro-Cys-Lysの配列をもつ。細胞増殖、分化、がん化、細胞死など、多様な細胞機能に関わっており、これらはTRXタンパク質のレドックス作用、すなわち、システイン残基上のチオール基が可逆的構造変化により、他の分子を酸化還元する機能に基づくものと考えられている。また、大腸菌TRXにおいては、シャペロン活性を持つことが報告されている。TRXの神経保護作用を証明した報告もあり、抗酸化作用とシャペロン活性を併せ持つTRXはPDの抑制作用を示すことが期待されるが、生体内の実験系で証明されていない。

ショウジョウバエのゲノムにはTRXファミリータンパク質をコードする3つの遺伝子が存在する。しかし、それらの生化学的な性状については、十分明らかにされていない。本研究では、ショウジョウバエTrxTについて、試験管内で抗酸化活性、およびシャペロン活性について明らかにするとともに、Pael-Rの異常蓄積を起こすショウジョウバエin vivoにおいて、神経変性を抑制する作用があるかどうかを検討した。

方法

TRX蛋白の酸化還元を担うレドックス活性の測定には、Insulin disulfide reduction assay法を、シャペロン活性の測定はCitrate synthase assay法を用いて行なった。ショウジョウバエのTRXは、すでに報告されている3種類(Dhd, Trx-2, TrxT)を用い、強制発現系を作成し、human Pael-RとParkinのハエはB. Lu, Rockefeller Universityより譲与されたものを用いた。レドックス機能欠損変異体として、35番目のシステインをアラニンに置換したTrxT[C35A]、および26番目のアスパラギン酸と57番目のリジンをそれぞれアラニンとイソロイシンに置換したTrxT[D26A/K57I]を作製した。野生型、および変異体TrxTを大腸菌で発現させて、精製したものを生化学的実験に用いた。また、野生型、および変異体TrxT遺伝子を導入した形質転換個体を作製して、運動機能解析、DAニューロンの免疫組織学的解析、および寿命の実験に用いた。

ショウジョウバエの運動機能は、Climbing assay (直径2cm、長さ20cmのガラス瓶を18秒間で底から登る高さ)を用いた。免疫組織学的解析においては、ハエの脳を解剖し、抗TH(Tyrosine Hydroxylase)抗体で染色し、数が安定しているといわれているdorsomedialclusters内のDAニューロン数をカウントした。寿命は、25℃で30匹/本を3本飼育し、エサを2日おきに交換して、死亡したハエの個体数を数えて生存曲線を求めた。

培養細胞における酸化ストレス耐性を測定するために、S2培養細胞にpUAS-TrxT, pUAS-TrxT[C35A], pUAS-TrxT[D26A/K57I]を形質転換し、20mMの過酸化水素で16時間処理して、酸化ストレスを負荷した。相対的な細胞の生存度は、遠心で得られた上清のガラクトシダーゼ活性に基づいて算出した。

結果

Pael-Rを神経系に強制発現すると25日齢においてClimbing assayで7±1.0cmしか登らないのに対し、Pael-RとTrxTを共発現させた2つの系統では、それぞれ13.8±1.2cm、17.0±2.8cmと有意に高い位置まで登ることができた。ユビキチンリガーゼParkinを共発現させたハエでは、14.0±2.2cmと高く、negative controlとしてGFPを共発現させた場合、神経毒性の抑制は見られなかった。TrxTだけでなく、他のTRXファミリー(dhd、Trx-2)でも同様の回復が見られ、TRX自体の機能でPael-R強制発現による加齢に伴う運動機能低下が抑制することがわかった。

DAの細胞数は5日齢に平均約18個見られた。25日齢において、Pael-R強制発現系では平均4.3個まで減るが、TrxTとParkinを共発現させた場合、8.2〜13.8個まで有意に数の減少を防ぐことができた。

TrxTがレドックス作用とシャペロン活性の両方を持つことを、蛋白実験で証明した。また、TRXの活性部位であるレドックス作用を欠損させた蛋白は、抗酸化作用は持たず、シャペロン活性のみもつことも証明した。レドックス欠損系統(ハエ)、タンパク(TrxT[C35A]、TrxT[D26A/K57I])を作成し、これらの変異体の強制発現がPael-R強制発現系の表現型にどのような影響を与えるか検討した。その結果、これらの変異タンパク質は、野生型TrxTと同様にPael-R強制発現系の神経保護作用を示した。

類似の結果は、培養細胞系でも確認された。培養細胞にレドックス作用がなくなった蛋白TrxT[C35A]、TrxT[D26A/K57I]を形質転換し、過酸化水素による酸化ストレスを加えた場合でも、野生型TrxTと同様に細胞生存率の上昇がみられた。このことは、TrxTによる神経保護作用には、レドックス機能はあまり重要ではなく、シャペロン活性を含む他の機能が重要な役割をもつことを示唆している。

TrxTを単独で神経に発現させた場合、加齢に伴う運動機能の低下は改善され、寿命も39.1±0.6、36.7±0.7日とコントロール(33.9±1.1日)に比べ8.0〜15.3%延長した。

まとめ

Pael-R強制発現系にTRXを作用させると、DAニューロンの消失が抑制し、運動機能低下も抑制することがわかった。驚くことにレドックス機能欠損変異体TrxTでも同様の作用が認められた。これはTrxTの抗酸化物質としての機能があまり重要でなく、シャペロン活性を含むほかの機能が重要であることを示唆する結果であった。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、常染色体劣性遺伝性若年性パーキンソニズム(AR-JP)の原因遺伝子Parkinの機能異常の際に蓄積するPael-R(Parkin-associated endothelin receptor-like receptor)を強制発現させたショウジョウバエを用いた研究である。Pael-R強制発現による運動機能低下と神経細胞死を抑制するメカニズムを解明するために、酸化ストレス説、ユビキチン・プロテアソーム系異常説に基づき、チオレドキシン(TRX)の作用を追求したもので下記の結果を得ている。

ショウジョウバエTRX蛋白の生化学的な性状については、まだ十分明らかにされていない。酸化還元を担うレドックス活性の測定には、Insulin disulfide reduction assay法を、シャペロン活性の測定はCitrate synthaseassay法を用いて行ない、ショウジョウバエTRX(TrxT)に還元能とシャペロン活性があることをはじめて明らかにした。

ショウジョウバエTRXは、すでに報告されている野生型3種類(Dhd,Trx-2,Trxf)を用い強制発現系を作成し、レドックス機能欠損変異体として、35番目のシステインをアラニンに置換したTrxT[C35A]、および26番目のアスパラギン酸と57番目のリジンをそれぞれアラニンとイソロイシンに置換したTrxT[D26A/K57I]を作製した。

Pael-Rをショウジョウバエの神経に発現させると、ドーパミン作動性神経が減少することはすでに報告されていたが、本研究で、加齢に伴い運動機能が低下する表現系を初めて見つけた。

Pael-R強制発現系にTRXを作用させたところ、野生型TRXだけでなく、レドックス機能欠損変異体TRXでも、加齢に伴う運動機能低下やドーパミン作動性神経の減少を抑制することが確認された。

培養細胞系において、野生型TrxTとレドックス機能欠損変異体蛋白(TrxT[C35A]、TrxT[D26A/K57I])を形質転換し、過酸化水素による酸化ストレスを加えた。野生型TrxTと同様にレドックス機能欠損変異体でも細胞生存率の上昇がみられた。

これらの結果から、Pael-Rによる運動機能低下やドーパミン作動性神経の減少の抑制には、TRXのレドックス機能はあまり重要ではなく、シャペロン活性を含むTRXのほかの作用が重要な機能をはたしていることを示唆する結果と考えられた。

以上、本論文は、ショウジョウバエにおいて、Pael-Rの神経変性を抑制するTRXの作用を初めて明らかにし、そのメカニズムとしてレドックス機能が重要ではないことを初めて証明した論文である。この結果は、Pael-Rによる神経変性だけでなく、孤発型パーキンソン病や他の神経変性疾患の病態解明に向けて重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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