学位論文要旨



No 121458
著者(漢字) 大田,秀隆
著者(英字)
著者(カナ) オオタ,ヒデタカ
標題(和) Sirtl作用阻害によるATM-chk2シグナル経路を介したヒト癌細胞における細胞老化様増殖抑制効果
標題(洋)
報告番号 121458
報告番号 甲21458
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2706号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 教授 栗原,裕基
 東京大学 講師 八杉,利治
 東京大学 講師 井上,聡
内容要旨 要旨を表示する

【序論】我が国の高齢化は世界でも類を見ない速度で進行しており、現在5人に1人が65歳以上の高齢者となった。これら高齢者を健康で自立した状態に保つことが重要であり、そのため老化予防や健康長寿につながる研究への期待が高い。こうした社会要請もあり、分子生物学の分野では老化・寿命の研究が近年急速な進歩を遂げつつある。その中で、NAD+(nicotinamide adenine dinucleotide)依存性脱アセチル化酵素Sir2(silent information regulator 2)は、老化・寿命の重要な制御因子として注目されている。Sir2は酵母の長寿遺伝子として発見され、その後線虫、ショウジョウバエにおいても老化・寿命を制御することが実験的に証明されている。Sir2は古細菌から哺乳類に至るまで高度に保存されており、酵母Sir2は、mating-typeloci、テロメアやリボゾーマルDNAの繰り返し配列に作用し、遺伝子のサイレンシング機能を担っている。このサイレンシング機能は、ヒストンH2A、B、H3、H4の特定リジン残基を脱アセチル化することにより発揮される。つまりSir2は、ヒストンを脱アセチル化することにより、その染色体は、よりコンパクトな、閉じられた構造をとることになり、サイレンシング機能を示すのである。これらの作用により、Sir2は、DNA修復や組み換えを通して、寿命および加齢を制御していると考えられている。

現在、Sir2は哺乳類にも存在することがわかっており、そのホモログであるSirtファミリーは、現在7種類同定されている。その中でもっとも酵母Sir2と構造が類似しているSirt1は、NAD+依存性蛋白脱アセチル化酵素として機能する。核内転写因子であり、p53、Ku-70、Foxo、PPAR-ν等の分子と相互作用することにより細胞周期、細胞分化、アポトーシス、代謝等多彩な生物学的作用を発揮することがわかっている。それらの相互作用する分子の中でも、癌抑制遺伝子であるp53蛋白は、老化やアポトーシスにおいて主要な役割を演じている。細胞老化という面でも、p53蛋白は重要な役割を演じており、細胞老化度が進むにつれてその発現が上昇し、細胞が不可逆的な静止状態になることがわかっている。そのp53蛋白をSirt1は脱アセチル化し、その活性を落とすことにより、細胞増殖、アポトーシスや老化を制御することがわかっている。また細胞老化の制御因子として重要な、TTAGGGの繰り返し配列をとるテロメアも、Sirt1を過剰発現するとテロメラーゼであるhTERTの発現を亢進させ、その短縮を遅らせることが報告されており、これらの作用が細胞の長寿形質に大きく寄与しているのではないかと考えられている。

近年、Sir2の活性を上げる物質として赤ワインに含まれるポリフェノールの一成分であるレズベラトロールが同定された。これらは、直接Sir2に作用することにより、その活性を上げることがわかっている。同様にSir2阻害薬も同定されており、それらはSir2の脱アセチル化酵素活性を特異的に阻害することが示されている。これらの物質はHDAC(histone deacetyltransferase)クラスIII阻害薬に属している。クラスI、II HDAC阻害薬であるトリコスタチンAは、ヒト癌細胞の増殖抑制効果があり、また白血病患者に対して実際に臨床研究もなされているが、クラスIII阻害薬は、いまだなされていない状況である。

現在、細胞老化という現象について、vrasやc-mycといった癌原性遺伝子を正常細胞に導入すると、癌化せずに細胞老化現象を示す基礎実験があり、これらの現象は、癌に対する防御システムとして働いている可能性があると考えられるようになった。また逆に、癌細胞においても、放射線や抗癌剤のような増殖抑制作用に、細胞老化様形質が大きく寄与していることがすでに報告されている。今回これらの現象をもとに、長寿遺伝子であるSirt1を標的に、癌細胞内で阻害することにより、つまりHDACクラスIIIを阻害することにより、それに類似した現象が起きうるかを検討した。

近年の研究で、ATM-Chk2シグナル経路が細胞老化でも重要な役割を演じていることが報告された。ATM(ataxia-telangiectasia mutated gene)はヒト早老症の原因遺伝子の一つであり、臨床的にAT患者は、小脳失調、免疫不全、性腺萎縮、放射線感受性増強や早老症を呈する。DNA障害性薬剤、放射線、活性酸素、テロメア構造欠損、染色体構造の変化により活性化され、引き続く二量体の解離がこれらシグナル経路の最初の段階となる。以後ChklやChk2のような細胞周期を制御する分子へとシグナルが伝達される。以上の背景をもとに、今回の研究では、主にヒト癌細胞であるMCF-7細胞、H1299細胞を用いて、以下のことを検討した。すなわち、(1)HDACクラスIII阻害である、Sirt1の阻害により、ヒト癌細胞において細胞増殖抑制が起こしえるのか、検討した。次に、(2)その増殖抑制にともない、各癌細胞が細胞老化様形質をとりえるのかを検討した。そして最後に、(3)その増殖抑制はどのような細胞周期制御因子によりコントロールされているのかを検討した。

【結果】Sirt1の脱アセチル化作用を抑制するため、サーチノール、スプリトマイシン、M15等のHDAC class III阻害剤、Sirt1 dominant negative体、およびSirt1 siRNAを用いた。用いた細胞株は主にMCF-7細胞(humanbreastcancercell、p53wt)、H1299細胞(humanlungcancercell、p53null)である。細胞増殖曲線で10日間観察した両細胞系で増殖抑制が起きており、またBrdUおよびFACS analysisを用いても同様にSirt1作用阻害により主にG1期休止を起こしていることが示された。MCF-7細胞関しては光顕所見およびFACS analysisによりmacrophage様多核細胞体および染色体異常が増えることが観察された。細胞老化のマーカーとしてSenescent-associated(SA)-βgalactosidase assay、PAI-1高発現、および成長因子に対するMAPK signal pathwayを介したc-jun/c-fosの活性反応低下を用いた。今回Sirt1抑制をした両癌細胞系列でこれらの老化マーカーを用いて、細胞老化様形質を示していることが確認された。Sirt1の主な制御因子にp53がある。サーチノールによる作用のみではp53はアセチル化されておらず、サーチノールおよびHDAC class I、II阻害剤を同時処理した際にp53のアセチル化の増強が観察された。シスプラチンではp53が強く誘導されているのに対してSirt1抑制のみではp53は誘導がほとんど見られなかった。またp16、p21に関しても同様に強い誘導が見られなかった。これらのことによりp53はSirt1抑制による細胞増殖抑制に主な役割を演じてないことが示唆され、それを確認するためH1299細胞 以外に各種のp53形態をもつ細胞株(LOVO、DU145、HT29、PC3、Hela、COS7細胞)を用いて細胞増殖に大きな差がないことを確認した。p53 dominant negative formおよびp53 anti-senseを用いてp53の作用を抑制するとエトポシドはこれらの作用が大きく抑制されるのに対し、サーチノール作用ではそれらの影響をほとんど受けないことを確認した。以上のことよりp53以外の細胞周期制御が考えられた。 ATMが近年テロメアの維持ばかりでなくその他のストレスを受けたときにも活性化されることが示され、細胞老化の制御経路の一つとして報告された。Sirt1抑制によりATM-Chk2-Cdc25A/B/C-cdc2-Rbの活性化が確認された。更にp27の発現上昇も確認された。この経路の活性化を更に確認するためにATM siRNA、ATMの機能を失活したkd遺伝子(kinase dead)、およびChk2 dominantnegative体を用いてこの経路を抑制するとSirt1阻害作用による細胞増殖抑制は回避されることも示した。近年報告されたように赤ワインの成分であるポリフェノールの一種レズベラトロールがSirt1活性化剤として作用することが報告されている。このレズベラトロールを作用させるとシスプラチンを作用させただけの細胞と比較するとATM-Chk2経路の活性化が抑制されていることも確認された。

【結論】今回の研究によりSirt1抑制により主に癌細胞が細胞増殖抑制を起こし、細胞老化様形質をとっていること、さらにそのシグナル経路としてp53ではなく、ATM-Chk2経路を介して増殖抑制が制御されていることを示した。癌細胞抑制機構としての細胞老化現象、そして細胞老化現象の解明が一つの癌治療戦略となりうる可能性を示唆している。

審査要旨 要旨を表示する

酵母Sir2(Silent information regulator 2)のオルソログである、ヒトSirt1(Sirtuin 1)はNAD+(nicotinamide adenine dinucleotide)依存性蛋白脱アセチル化酵素である。Sirt1はNAD+を用いその脱アセチル化活`性を示し、様々な生物学的分子と相互作用することにより、ストレス反応、細胞周期、アポトーシス、代謝、そして寿命の制御を行っている。 しかしながら、Sirt1分子が寿命に対して、その他のSirtファミリーの作用を介しているのか、あるいは他の重要な分子を介して影響するのかは未だわかっていない。本研究では、我々は、Sirt1の特異的化学阻害薬であるサーチノール、スプリトマイシン、 M15、Sirt1 dominant negative体やSirt1 siRNAを用いたSirt1阻害作用により以下の結果を得ている。

ヒト癌細胞(MCF-7、H1299細胞)において、G1期細胞増殖抑制効果を示すことを証明した。またこれらヒト癌細胞は、Sirt1阻害により、細胞老化様形質を伴っていることを示した。今回、細胞老化様形質を評価するために、細胞老化関連βガラクトシダーゼ活性、PAI-1(plasminogen activator inhibitor type-1)の過剰発現、成長因子であるIGF-1(insulin-like growth factor-1)、EGF(epidermal growth factor)に対するMAPK(mitoger-activated protein kinase)を介したc-jun N-terminalキナーゼの活性化の欠如、という3つの代表的な細胞老化のマーカーを用いた。近年、細胞老化様増殖抑制の誘導は抗癌作用につながるという報告がなされている。

Sirt1の主な標的分子に癌抑制遺伝子であるp53蛋白がある。今回、Sirt1の阻害により、p53蛋白のアセチル化は観察されなかった。p53蛋白の発現自体もSirt1の阻害では増減が観察されなかった。またアンチセンスを用いた実験においても、p53蛋白を抑制するとシスプラチンでは増殖が見られるのに対して、サーチノールでは細胞増殖に全く影響を及ぼさなかった。以上の結果より、今回の結果においては、Sirt1阻害による細胞増殖抑制にはp53分子は主な役割を演じてはいないと結論された。

ATM(ataxia-telangiectasia mutated gene)は、早老症の原因遺伝子として報告されているが、このATM分子が放射線刺激によりChk2、cdc25A/B/C、cdc2等のリン酸化を経て細胞周期を制御していることがわかっている。今回我々は、そのATM-Chk2シグナル経路が、ヒト正常線維芽細胞やヒト癌細胞において、Sirt1の阻害により活性化されることを示した。またそれに伴い、その下流のRb蛋白(retinoblastoma protein)の脱リン酸化、そしてp27分子の発現上昇を伴うことも示した。 またATM 1981セリンをアラニンへ置換し、機能活性を喪失した変異体(kinase dead)を過剰発現させると、それらATM-Chk2シグナルの活性化が抑制されることも示した。近年、Sirt1の活性化剤としてポリフェノールの成分であるレズベラトロールが報告されているが、このレズベラトロールでH1299細胞を処理すると、これらATM-Chk2シグナルが逆に抑制されることも示した。

以上、本論文は、Sirt1を阻害することによりヒト癌細胞増殖抑制を示すことを確認した。またその増殖抑制された細胞体は細胞老化様形質を伴っていることを示した。p53蛋白はSirt1の主要な標的分子であり、細胞周期を制御しているが、今回の増殖抑制効果には関与していないことを示した。それに代わって、今回のSirt1阻害による増殖抑制効果には、細胞老化を制御するシグナル経路の一つであるATM-Chk2シグナル伝達経路が大きな役割を演じていることを示した。本研究でHDACクラスI、II HDACばかりでなく、クラスIIIであるSirt1も癌治療の標的分子となりうることを示した。また細胞老化や細胞老化様メカニズムの解明は、癌進展抑制メカニズムの解明につながり、新たな癌治療の可能性に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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